アメリカは、冷戦後「唯一の超大国」と呼ばれるようになった。この間、アメリカの対外政策は、必ずしも一貫したものではなかった。ブッシュ(父)大統領(1989–93年)は、冷戦を終焉させた大統領であり、また、湾岸戦争を指導し、法の支配を基本とした新世界秩序を唱えた。クリントン大統領(1993–2001年)は、当初国連強化を唱え、またソマリアなどでの国連の平和活動に熱心であった。そして、ソマリアでの失敗の後でも、ボスニア問題、さらにはコソボ問題で、積極的な役割を果たした。しかし、クリントン政権の多角主義(multilateralism、多国間主義ともいう――国連やNATOなどの多角的国際制度の枠内で行動すること)も、90年代も末になると議会の保守化もあり、色あせ、安全保障の分野でも環境の分野でも、単独的な色彩が濃くなる。ブッシュ(子)政権(2001年–)は、当初は、現実主義的な対外関係を展開したが、9.11事件後、アフガニスタン攻撃、そしてイラク戦争と、単独主義、軍事力の行使、さらに非民主主義国の民主化など新しい政策を展開していく。このようなアメリカをどのように理解したらよいのであろうか。何がこのようなアメリカの政策の背後にあるのであろうか。また、このようなアメリカは、国際システムのあり方にどのような影響を与えるのであろうか。
本書は、このような問題意識に答えるべく、アメリカの政治外交をなるべく総体的、包括的にとらえようとするものである。もちろん、限定された書き手また紙幅を考えた場合、何らかの視点を設定することが必要である。本書では三つの視点が設定される。一つは、いわゆる分析のレベルといわれるものである。二つには、問題領域や分野である。そして、三つには、方法であり、そこには学問分野や、歴史(時間的な展開)が含まれる。
まず、第1の分析のレベルから考えよう。本書においては、三つの分析のレベルを考える。まず一つは、国際システムであり、アメリカを見るとき、われわれは、国際システム全体の中にアメリカを置き、そこでのアメリカの行動や役割を明らかにしようと思う。これは、アメリカの国際関係における全体像を把握する一つのよい視点であるといえる。いま一つのレベルは、アメリカと他の国々が展開する二国間関係である。個別の二国間関係は、それぞれ固有の歴史や問題があるとともに、さまざまな二国間関係を比較することによって、アメリカが展開する国際関係の特質を明らかにすることができよう。本書では、とくに相手国がどのようにアメリカをみているか、を中心にこの問題を考えることにする。三つ目のレベルは、広く国内の政治としてくくられるものである。それは、行政府、議会、世論、イデオロギーの分布と変化などが織り成す複雑な過程であり、それ自身固有の論理を持つとともに、二国間、さらには国際システムにおけるアメリカの行動に大きな影響を及ぼすものである。もちろん、このように国際システム、二国間関係、国内の政治過程とレベルを分けることは多くの場合便宜的なものであり、それら異なるレベルは、互いに干渉し合って、実際の現象が現れる。
二つ目の問題領域については、アメリカの政治外交を考える場合、そこで取り扱わなければならない分野は無限に存在するといって過言ではない。大まかに、安全保障、経済、などと分けてみても、それなりに意味はあるが、実際問題としてみると、安全保障の問題でも、テロ、大量破壊兵器、他国が将来軍事大国になる懸念などさまざまな問題があり、また経済問題でも、貿易、金融、通貨など多様な問題を含む。さらに、環境問題、人口問題、移民の問題など重要な問題は枚挙に暇がない。われわれは、これらの問題をすべて取り扱うことは当然できない。われわれが本書でおこなおうとしたことは、安全保障、世界経済、環境、移民、思想などの限定された分野を取り上げ、それを国際政治次元で、アメリカがどのような政策を展開しているか、あるいは(また)それらの問題をめぐって、国内でいかなる政治過程が展開しているか、を明らかにすることである。
第3の学問分野(ディシプリン)に関しては、アメリカの政治外交をとらえようとするとき、政治学、国際法、歴史学、経済学などのさまざまなディシプリンが使われる。またどのような分析レベル、問題領域を取り上げようと歴史的な展開、経緯は欠いてはならないものであろう。本書の筆者たちは、学問的なディシプリンからいえば、多くは政治学者であるが、国際法、地域研究を専門とするものもいる。したがって、本書の担当のテーマを論ずるにあたって、当然、各自の専門ディシプリンを基にした。しかしながら、他のディシプリンの人にもわかりやすい分析、記述を心がけ、またそれぞれのテーマにおいて、歴史的な展開を程度の差はあれ、明示的に取り込むことにした。
以上、要するに、冒頭で述べた問題意識を共有しつつ、それぞれのテーマに関して、適切な分析レベルを設定し、歴史的な経緯を明らかにしつつ、現在の問題を明らかにしようとした。
本書は、四つの部から成り立つ。
第I部(「国際システムにおけるアメリカ」)は、国際システムにおけるアメリカの地位、振る舞い、を歴史的視点をも踏まえつつ、いくつかの観点から明らかにする。この部は、以下四つの章からなる。第1章(「国際政治におけるアメリカの位置――アメリカ「帝国」をめぐって」)においては、「帝国」という概念を軸にしつつ、その意味するところ、また限界が論じられ、それを通してアメリカの国際政治上の位置づけが検討される。第2章(「不安の「帝国」アメリカの悩める安全保障――9.11以後」)においては、アメリカの外交のいくつかのアプローチを検討し、9.11の後のアメリカの安全保障の問題を歴史的な展開の中で検討し、新しい安全保障の問題、とくにセキュリティ・パラドックスとよばれる、安全保障を強化すればするほど安全が失われるという問題を明らかにしている。第3章(「国際法上の人道的干渉とアメリカ」)は、アメリカの対外政策における人道的干渉を歴史的に検討し、それが一貫したものではなく、さまざまな要因によって左右されることを明らかにする。そして、人道的干渉の客観性、一貫性の必要性を論ずる。第4章(「アメリカと国連――多角主義の今後」)は、アメリカと国連との関係を、歴史的に、アメリカの多角主義の位置づけを出発点として考え、当初から、アメリカの国際主義(アメリカが国際場裏に関与すること)には、単独主義と多角主義が存在したことを指摘し、現在の状況を、国際政治の構造(単極構造)、アメリカの国内政治、思想(アメリカ例外主義)、組織レベルの要因などから検討する。そして、アメリカが多角主義についていかなるヴィジョンを作ることが出来るかが、アメリカと国連の関係を考える鍵になると指摘する。第5章(「アメリカと世界経済――貿易と金融を中心に」)は、世界経済におけるアメリカの行動を、単独主義、二国間主義、多国間主義という三つのアプローチの組み合わせととらえ、また自由貿易、自由経済を基にしたアメリカの価値とアメリカの行動・リーダーシップの淵源とあり方が検討される。この部を通して、アメリカが多角主義をとること(それに回帰すること)の重要性が論ぜられる傍ら、単独主義をとる背景要因が明らかにされる。
第II部(「アメリカと主要国・地域――アンビバレンスの動態」)は、アメリカと中国、ロシア、ASEANという主要国・地域との関係を取り扱う。そこで共通して明らかになることは、アメリカに対するそれらの国・地域の態度や政策が、両義的(アンビバレント)であり、愛情と憎悪、尊敬と畏怖、依存と自立など相対立する要素が交じり合い、またそれが、時代的に変化するということである。中国に関して言えば(第6章(「中国から見たアメリカ――冷戦後におけるアンビバレンスの構造」))、アメリカは中国にとって、美しく中国をサポートする国であるという認識と、中国に脅威を与える帝国主義であるという認識とが、時期をたがえて現れる。また現在のことをいえば、アメリカは中国の経済発展を促進する大きな要因であるとともに、台湾問題などでは、中国と利害を異にし、また巨大な軍事力を背景にともすれば覇権主義的に振舞う超大国としてとらえる、という二つのことが、あざなえる縄のごとく現れる。ロシア(ソ連)にとっても、アメリカは、敵対また対抗する相手であるだけでなく、力強く、経済的に発展した畏敬の対象であり続けた。そして、ときに敵対・対抗が表に出、ときに敬愛と協力が前面に出る(第7章(「ロシア人のアメリカ観と米露関係」))。ASEAN(第8章(「ASEANとアメリカ・中国・多国間外交――パワー、価値、アイデンティティ」))にとっても、アメリカは、アジアの安定のためになくてはならない存在であると同時に、その支配に注意深く対抗しなければならない存在でもある。ASEANは、したがって、アメリカ(そして中国)と関与政策を進めるとともに、アメリカに過度に依存する危険を回避する(リスク・ヘッジの)政策、さらには、ソフト・バランシングの政策を展開する。そして、ASEANは、国際的規範、国内的な規範、さらにアイデンティティにおいて、自己変化し、それによって、アメリカや中国との関係も変化しつつあるのである。
第III部(「アメリカの国内政治過程と国際関係」)は、国際関係に大きな関連があるものの、国内の政治過程に焦点を合わせて、環境問題、移民問題、そして保守主義の運動に関する論考を収めている。第9章(「アメリカの環境政策をめぐる政治」)は、アメリカの環境問題への政策の展開を主として19世紀から現在に至るまで、主に国内政治過程から検討しようとするものである。この章では、19世紀から20世紀の半ばにいたるアメリカ国内の自然環境保護政策に関して、大統領、行政機関そして議会などを巻き込んで展開された保存論と保全論の論争が、アメリカの環境保護主義の原点をなしていることと、この論争が「持続可能な開発」という現代の開発と環境保護論争に通じるものであると指摘している。さらに、産業型・都市型公害対策が本格化する1970年代以降の環境政策に関して、経済成長と環境保護のどちらに重点をおくかをめぐって、主に議会と行政府の間で繰り広げられる政治を明らかにしている。そして、経済成長をより重視する1980年代以降の共和党と環境保護により配慮する傾向のある民主党の立場との違いを明らかにし、それがアメリカの国際的な環境政策に大きな影響を与えていることを示す。第10章(「アメリカと移民――連邦議会の政策を中心に」)は、移民の問題をとくに議会の移民政策に焦点を合わせて分析する。そこでは、19世紀の中国人排斥法、20世紀前半の日本からの移民の制限、また、「人種」がいかに定義されてきたかが明らかにされる。さらには、現在の移民政策に関して、移民を歓迎する産業界、反対する労働団体、さらに議会の動き、大統領の政策が検討される。移民そして民族構成は、アメリカの将来の外交政策や国際関係に大きな影響を与える可能性があり、その意味では移民政策は、アメリカの政治外交の将来にわたる基底を決めるものである。第11章(「アメリカにおける保守主義運動の持久力とその限界」)は、アメリカの保守主義の展開の分析である。現在のアメリカは、大いに保守化しているといわれ、それは、国内政策だけではなく、アメリカの対外政策の展開の背景に存在するものである。この章では、アメリカの保守主義を大きな「物語」(ナラティブ)を作り出す運動としてとらえ、持久力を持ったものとして描き出す。そして、保守主義は多様な潮流を含むものであり、それをいかに融合し、政治指導者を輩出していくかという戦略を持ったことが保守主義の真髄であるとされる。保守主義は、現在の共和党の基盤をなすが、保守主義者は、自分を共和党と呼ぶよりも保守主義者と呼び、政策が合わなければ共和党大統領であっても、それを躊躇なく批判する。
第IV部(「日米関係」)は、日米関係を取り扱う。この部は、第II部で取り扱ったアメリカと主要国との二国間関係の一端を担うものであるが、読者に第III部までの知識に基づいて、日米関係を考えてもらうために、別立てにし、また最後においた。日米関係もまた、第II部でのべた、愛憎、利害、等がない交ぜになったアンビバレントの要素を強く持つ。第12章(「ディスコースとしての日米同盟――日本における安全保障とナショナルプライドの相克」)では、日米関係が、アメリカとの同盟に関して、「巻き込まれる危険」と「捨てられる危険」の両方を持ち、ナショナルプライドと安全保障上の依存という二律背反、という大きな問題を抱えることが、戦後日本の論壇での議論(ディスコース)を通じて明らかにされる。この本の読者が、主体的に日米関係を考える必要性が大いに存在するゆえんを示している。
本書は、アメリカの政治外交をなるべく包括的にとらえ、もって、読者のアメリカ理解、さらには国際関係一般、日本の位置づけや政策に関して、考える材料を提供しようとするものである。われわれ筆者の中で、アメリカ研究を専門とするものは少ない。しかし、それゆえに、アメリカに関して、さまざまな角度から考察することができたと考える。読者にわれわれの意図の一端でも伝えることができたならば、筆者たちの喜び、これに勝るものはない。
2006年8月
山本吉宣・武田興欣
Copyright © KOKUSAI SHOIN CO., LTD. All Rights Reserved.