本書は、2005年11月に早稲田大学大学院社会科学研究科に提出した博士学位請求論文「1990年代におけるロシア極東地域の地方政府の対外協力と中央・地方関係――ハバロフスク地方、沿海地方における対中国関係を中心として――」が元になっている。本論文は、2006年2月、早稲田大学より博士(学術)学位を授与された。今回の書籍化にあたっては、全般的に修正、加筆を行っており、とりわけプーチン政権期を扱った第10章は、近年の状況を加筆し、大幅に再構成している。
私は、1996年に大学院修士課程に入学して以来、ロシアの中央・地方関係とロシア極東地域の政治を中心に研究を続けてきた。博士論文の執筆、およびその修正、加筆にあたっては、以下の諸論文が下敷きとなっている。
これらの諸論文の多くは、プーチン政権成立以降の情勢を扱ったものである。しかし、博士論文をまとめるにあたっては、現在進行形であるプーチンの改革それ自体を分析の中心にするというより、その改革の前提となった90年代のエリツィン期の分析を主とし、その観点からプーチン政権の改革の意義を考察するという形をとった。
序章で述べたとおり、本書はロシアの中央・地方関係の特質を主要な説明要因とすることで、1990年代のロシア極東地域をめぐる国際協力がはらんだ問題を、一貫した体系性を持った形で説明することを試みたものである。大きく言えば、理論と実証を橋渡しするような研究を目指すという野心があったわけである。とはいえ、それは研究者として全く未熟な私にとって無謀な試みであり、現実には、実証面でも理論面でもきわめて不完全なものにしかなっていない。
2005年7月、北海道大学で開催された「地域研究コンソーシアム」のシンポジウムで、この博士論文の一部を報告する機会を得た。その際に討論者となっていただいた北海道大学スラブ研究センターの荒井信雄教授から、報告終了後の雑談の中で、「あなたはナズドラチェンコ知事の行動をきれいに説明してしまっているが、彼の行動にはもっと不合理なものが働いていたのではないか」と指摘を受けた。荒井教授は、おそらくロシア人の気質とロシア極東の情勢を最も知り尽くした日本人の一人であり、私自身、同教授の研究に多くを学んできた。無論、私の研究の動機は、その不合理なものを、あるレベルにおける合理性を持ったものとして描き出してみたいということにあった。ここに、地域研究と理論研究をめぐる学問的対立を見る向きもあるかもしれないが、現実には、単に私の拙速で未熟な議論が説得力を欠いていたに過ぎず、優れた地域研究者である荒井教授は、私のその拙速さをやんわりと諌めてくださったのである。本書によって少しでも説得力が増しているかといえば、はなはだ心もとないというのが正直なところである。
ともかくも、本書によって、ロシア極東地域において生じてきた停滞や混乱の背景の一端を解き明かし、同地域を含めた北東アジア協力を、長期的な視点を持って着実に進めていくことの重要性を訴えたいと考えていた。とはいえ、私の乏しい知識と未熟な能力ゆえ、本書は多くの事実誤認や論理の歪みを含んでいる可能性がある。読者諸賢のご批判、ご叱正を賜りたい。
もともと、私は学部時代にはロシア文学を専攻しており、卒業後は、およそ学問とは無縁な仕事についていた。私が漠然と政治学や国際関係論を学びたいと考えるようになった一つのきっかけは、この会社員の時代に、ウェーバーの 『職業としての政治』、とりわけ「責任倫理」という言葉に強く惹かれたことにあった。同時に、これもまた漠然と研究対象にしたいと考えた地域が「北東アジア」であった。日本人にとっては「侵略」の後ろめたさと悲痛な過去を想起させ、冷戦期には厳しい軍事的、イデオロギー的対立により断絶し、現在でも歴史問題や領土問題など厄介な対立、齟齬、軋轢に満ちているこの地域に、強い関心があった。また、シベリア抑留を体験した石原吉郎の詩や文章に親しんでいたこともあり、荒涼とした極東・シベリアの地に、妙に心惹かれる気持ちもあった。
およそ学問的に無知なまま大学院に入学してしまった私が、曲がりなりにも研究を続け、本書をまとめることができたのは、早稲田大学大学院に入学して以来、多くの優れた先生方の指導を受け、その研究に直接触れ、また多くの方々にサポートしていただく幸運に恵まれたからである。紙幅の都合でごく一部の方々となるが、ここに謝意を表したい。
修士課程入学以来指導教官となっていただいた多賀秀敏教授 (早稲田大学) には、本当に多くの恩恵を受け、また多大なご迷惑をおかけしてきた。私が漠然と「北東アジア」を研究対象としようと大学院入学を志した時、「環日本海圏構想」の主導者の一人であった多賀教授が早稲田大学に着任されたことは、真に偶然にして幸運なことであった。多賀教授は言うまでもなく優れたアイデアリストであるが、フィールドワークに基づく確かな現実認識から、厳密かつ大胆な論理の積み重ねによって「アイデア」へと到達しようとするその学問的誠実さとオリジナリティに、私はいつも感銘を受けてきた。私の研究が、多賀教授の思考・研究方法に重要な意味で影響を受けていることは、間違いのないことである。
毛里和子教授 (早稲田大学) には、やはり修士課程に入学した時期からご指導をいただいている。毛里教授に修士論文のレジュメを見ていただき、隅々まで全否定されたその経験がなければ、私は現在まで研究を続けることはできなかったはずである。毛里教授をリーダーとして立ち上げられた早稲田大学21世紀COEプログラム「現代アジア学の創生」ではCOE研究員として採用していただくなど、様々な面でお世話になっている。大学院では、現在早稲田大学名誉教授である大畠英樹教授のご指導を受けた。もともとウェーバーやカー、モーゲンソーなどの著書に関心を持ち政治学・国際関係論を志した私にとって、日本の学界を代表するリアリストである大畠教授の深慮と含蓄に満ちた認識は深く共感するものであった。伊東孝之教授 (早稲田大学) にも、修士課程の時期からご指導をいただいた。伊東教授から最新の比較政治学の研究動向を学び、またロシア語文献講読会に参加させていただいたことは、私の学問上のトレーニングにおいてきわめて有益であった。
2000~2001年には、財団法人国際問題研究所における外務省委託研究「ロシア極東地域情勢の研究」に参加させていただいた。ここで、藤本和貴夫教授 (現大阪経済法科大学学長) をはじめ、大津定美教授 (現大阪産業大学)、村上隆教授 (元北海道大学、故人)、荒井信雄教授 (北海道大学)、岩下明裕教授 (現北海道大学)、アンドレイ・ベロフ教授 (福井県立大学) など、日本のロシア極東研究を代表する錚々たる面々とご一緒させていただいたことは重要な経験となった。私の研究はまさにこうした先生方の研究にそのほとんどを負っているのであり、私自身の「知見」など実際には本当に小さなものである。外務省ロシア課より国際問題研究所に出向されていた野口秀明氏、笠井達彦氏、また助手の白池由美子氏には本当にお世話になった。上野俊彦教授 (現上智大学) には、同研究会への参加や、ロシア東欧学会での報告のきっかけをつくっていただいた。
多賀教授を研究代表とし、現在科研費研究「EUサブリージョンと東アジア共同体」として継続されている研究会のメンバーである、佐藤幸男教授 (富山大学)、佐渡友哲教授 (日本大学)、高橋和教授 (山形大学)、若月章教授 (県立新潟女子短期大学)、竹村卓教授 (富山大学)、大津浩教授 (東海大学)、臼井陽一郎教授 (新潟国際情報大学)、柑本英雄准教授 (弘前大学) などの先生方には、やはり大学院時代から長い間ご指導を受けている。とりわけ佐藤教授、そして佐渡友教授、若月教授には、『北東アジア事典』 の編集をはじめ、諸々のお仕事などの上でも、非常にお世話になってきた。
ロシア東欧貿易会 (現「ロシアNIS貿易会」) の外務省委託研究「ロシア・カリーニングラード問題への視座――EU拡大で焦点となる 『ヨーロッパの中のロシア』――」に参加させていただき、沿海地方とカリーニングラード州の比較という試みをさせていただいたことも、研究の視点を広げる重要な経験であった。主査であった蓮見雄教授 (立正大学) には私の論考に関心をもっていただき、非常に有益なコメントをいただいた。また、同会の服部倫卓氏には、その後も多くの執筆の機会を与えていただいている。
COE研究員として採用していただいた早稲田大学21世紀COEプログラム「現代アジア学の創生」では、毛里教授や、平野健一郎教授、天児慧教授、坪井善明教授、村嶋英治教授、白石昌也教授をはじめとする、日本の現代アジア研究を代表する先生方にご指導をいただき、また「現代アジア学」をめぐる研究の最前線に直接立ち会うことができた。これは実に貴重な、刺激的な経験であり、私の研究にとって大きな糧となった。さらに、ここで楊志輝氏 (現恵泉女子大学) をはじめとする同僚のCOE研究員の方々やリサーチ・アシスタントの大学院生の方々、さらに、大学・学部を超えた大学院生によって構成された「現代アジア学院生フォーラム」のメンバーと交流できたことも大きな刺激であり、今後の私にとって貴重な財産となるであろう。また、同COEプログラムでの活動においては、釣谷厚子さんをはじめとする事務局の方々に、本当に多くのきめ細かいサポートをしていただいた。
ロシア科学アカデミー極東支部極東諸民族歴史・考古・民族学研究所のヴィクトル・ラーリン所長には、非常に多忙な中でお会いいただき、最新の著書を贈呈していただいた。ラーリン所長は、多賀教授の20年来の友人でもある。また、極東大学ウラジオストク国際関係研究所のタマーラ・トロヤコワ教授にも、沿海地方の情勢と中央・地方関係に関する貴重なご意見をお聞かせいただいた。
堀江典生准教授 (富山大学) には、2001年の環日本海学会での報告の際に討論者となっていただいて以来、諸々の科研費研究など、多くの研究活動の機会を与えていただいている。また、伊藤庄一氏 (環日本海経済研究所) は、私と年齢も研究領域も近い研究者であるが、私などよりはるかに優れた情報収集能力と分析能力を持つ方であり、いつも多くのアドバイスをいただいている。
多賀秀敏研究室では、笹岡雄一氏 (国際協力事業団)、宮島美花氏 (現香川大学)、福田忠弘氏 (現鹿児島県立女子大学)、五十嵐誠一氏 (現学術振興会特別研究員)、森川裕二氏 (元早稲田大学COE研究員) をはじめとする方々から、多くのアドバイスやサポートを受けてきた。こうした、実に多様な個性を持った方々との、刺激的な楽しい交流の中で研究を続けてこられたことも、実に幸運なことであったと感じている。
学部時代の指導教官であった水野忠夫教授 (早稲田大学) には、大学院に進んでマヤコフスキーの研究を続けると言っていたにもかかわらず、いつのまにか文学とは無縁の分野に進むことになってしまったこともあり、後ろめたい気持ちを持ち続けている。しかし、水野教授の指導の下で書いた卒業論文は、私がものを考え、執筆をする際の基礎をつくったものであり、現在でも自分にとって非常に大切なものである。
すでに述べたように、本書の元になった論文は早稲田大学より博士学位を授与された。主査の多賀教授を始め、副査の辻隆夫教授、弦間正彦教授、奥迫元講師、そして毛里教授には、論文を丁寧に読んでいただき、多くの有益なコメントをいただいた。これらのコメントの幾つかは、今回の修正、加筆にも反映させることができた。
そして今回の本書の出版は、国際書院の石井彰社長のご支援と励ましがなければ決して実現しなかった。石井社長とは 『北東アジア事典』 の編集に携わった時以来のお付き合いであるが、学術出版に対するその情熱とエネルギーにはいつも感銘を受けている。なお、本書の刊行にあたっては、2007年度早稲田大学学術出版補助費の支援を受けた。
最後に、両親に対し謝意を述べたい。10代を戦争の時代に過ごし、まともな教育を受けることのできなかった父・昭三は、薬店を経営する傍ら東洋医学に関心を持つようになり、50歳にして鍼灸師の資格を取った。年を重ねてから勉学の喜びを知った父は、会社員を辞して学問の道に入った私の志を理解し、私の論文を持っていけば自分なりに一生懸命に読み意見を言ってくれた。母・薫は、いつも私のやっていることを全く理解していなかったが、それにもかかわらず常に私の第一の、無条件の応援者であった。親の存在ほど有難いものはないと、痛感せずにはいられない。
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