島根県立大学長宇野重昭
本書は2007年6月17日から18日にかけて開催された北京大学国際関係学院と島根県立大学の合同国際シンポジウムの成果を、日本側でまとめ直し、日中国交正常化35周年記念の学術書として編集したものである。
島根県立大学は、2003年にも、日中国交正常化30周年記念として、『北東アジアにおける中国と日本』 (国際書院) を出版した。このときには、グローバリゼーションの当面の発展を背景に、日・中それぞれのアイデンティティを再模索し、北東アジアを中心とした国際関係における相互的責務を認識する観点から、国際関係、貿易問題、次世代教育、東西文明の共通性と相互補完など、世界的視野から日中関係を提示してみることを試みた。当時は、一時緊張したこともあった日中関係が、おりからの日中貿易関係の順調な発展から、経済の相互依存関係・文化交流の高まりのなかに、一歩一歩解決していくことが期待されていた。
それだけに2005年春の中国青年たちを中心とする「反日デモ」の高まりは、多くの日本人にとってショックだった。今回のデモが情報革命の新しい時代のテクニックを利用していたことは、大衆運動の新時代の不気味な動向を予測させた。この現象は中国政府にとっても衝撃だったように思われる。たとえ当時の小泉首相の靖国神社参拝問題などの刺激材料が揃っていたとはいえ、中国のいわば“新ネットナショナリズム”の噴出は、指導者層の予想を越えるものがあったに違いない。
もはや経済・文化交流の自然的盛り上がりで政治的・思想的ジレンマが徐々に解消されていくと単純に期待できる時代ではない。より意識的に、人為的に、日中関係の改善・リードを考えなければならない時代である。その意味で安倍晋三首相が、政治的必要からとはいえ、意図的に「氷を割る」旅として中国を訪問したことは、一時行き詰まっていた日中友好関係の積極的再開に道を開いた。そして温家宝首相が「氷を溶かす」旅として来日し、初めての日本国会における演説を行って、“雪解け”時代の扉を開いた。この安倍首相の「氷を割る」努力と福田康夫新首相の継承工夫は、中国側からも評価されている。その結果、35周年記念祝電として、福田康夫新首相と温家宝首相の間に交わされた「戦略的互恵関係を全面的に構築する新たな段階を迎える」という表現は、新段階の合言葉となった。
もちろん戦略的互恵関係の中身はまだ明確にされていない。しかし戦略的という言葉は、時間的・空間的に現実的かつ計画的な推進意図の存在を実感させる。日中関係は、たんなる友好ムードの盛り上がり、自然的な経済・文化の交流促進論の時代から、グローバリゼーションの進む時代における計画的・合理的・相互補完的関係の積極的構築の時代に転換しつつあると考えられる。
島根県立大学と北京大学国際関係学院との今回の合同シンポジウムは、このような転換の狭間の時期に開催されたものである。それだけに日中友好を努力して意識的に構築していこうという考え方は共有されはじめたように思われる。研究者間の信頼関係と、信頼関係を基礎とする、より客観的な分析は深まった。したがって討論は、予想以上に率直であった。
このような時期、島根県立大学は、新しい日中関係分析の接近方法を求めた。そして意識的に若い世代を登用して、シンポジウムの舵取を任せた。その試みは、当初からの開催プログラムに現れている。
いうまでもなく日本の北東アジア国際関係における最大の関心事は、中国の急速な発展とその影響力の分析にある。その場合、アメリカの存在感は大きい。そしてそのアメリカは中国に対し、その外交方針を、従来の敵対を基礎とする発想から、戦略的提携を重視する発想に舵を切り換えた。いまや米中関係が新しい段階に入りつつあることは明らかである。そして北東アジアにおける日本のありかたは、新しい米中関係によって大きく変化する。この間日本の経済発展は明らかに遅れをとっている。中国と日本との差が年々詰まっていることはいうまでもない。そしてアメリカに対する日本の発言力も年々後退している。もはやかつてのように日本が中国とアメリカの間、東西の架け橋になりうるような時代ではない。日本は独自の存在理由を確立していかなければならない。やがて中米関係が北東アジアにおいて指導的ともいうべき立場に立つことが予測されている現在、日中関係において求められるのは、国際社会における日本の新しい、合理的、科学的な存在理由であり、その現実的立場に立った日中相互補完、共存である。
したがって今回の日中関係研究にあえてアメリカの存在を大きく取り込んだのは、北東アジアにおける日本自身のありかたをできる限り客観的に設定し、求め直すためである。そこで今回われわれは、まず歴史と現在におけるアメリカの光と影を分析し、中国の台頭により再構成を迫られている北東アジアの安全保障を考え、さらに、日本と中国の間に刺のように突き刺さっている「歴史認識問題」再考のための「鑑としてのアメリカ」の存在と働きに焦点を当てることを試みた。いわばアメリカの存在を強く意識した日中関係再構築の研究である。その具体的意図は、後出の「はじめに――本書の狙いと概観」を読んでいただければ幸いである。
そして今回これらの成果を刊行するに当たっては、シンポジウムの準備の中心であった唐燕霞委員長が引き続き全責任を負い、若い世代がこれを補佐した。他方、中国側の王緝思院長が、シンポジウム終了後、あらためて中・米・日間を俯瞰された力作をお寄せくださった。その内容が日中米国関係をよく整理し、また中国側の立場と考え方を端的にまとめてくださっているところから、基調報告としても最適と考え、また最初に読んでいただくことが必要ではないかと考え、序章としてシンポジウムの記録の前に置くこととした。王院長をはじめ、シンポジウム直後に完成原稿をお寄せくださった葉自成教授、帰泳濤講師、そして梁雲祥副教授には、専門論文提出とともに、北京大学と島根県立大学との連絡のため、文字通り架け橋の労をとってくださったことに、あらためて御礼申し上げたい。また、東京大学の高原明生教授が、日中関係に対するアメリカの総合的影響力を詳細に整理した論文をまとめてくださり、その後の討論においても貴重な指導力を発揮してくださったことに心から感謝申し上げたい。
他方できる限り客観的分析を可能にするため、全体の20%前後を資料集にすることとした。同時に年表の再整理も試みた。本書を日中関係研究の入門書として利用する人々の便宜を考慮したためである。ただし2003年の過去の本学出版物の蓄積を考慮して、2003年以降に焦点を当てた。この資料集の作成には江口伸吾准教授、坂部晶子助教が中心となった。また北東アジア地域研究センターのメンバーにはさまざまな協力をいただいた。さらに特記しておきたいことは事務局が資料収集、翻訳、出版推進などで活躍したことで、研究企画課が多くの困難な作業を分担した。また出版に当たっては、国際書院の石井彰社長が、なみなみならぬ努力とアイディアを傾注してくださった。これらすべての方々の協力に学長として感謝申し上げたい。
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