21世紀国際史学術叢書(3) 岸政権期の「アジア外交」 「対米自主」と「アジア主義」の逆説

権 容奭

東南アジア歴訪、日印提携、日中関係、レバノン危機とアラブ・アフリカ外交そして訪欧、在日朝鮮人の「北送」など岸政権の軌跡の政治的深奥を見極めつつ日本の「アジアとの真の和解」、「独立の完成」を模索する。(2008.11)

定価 (本体5,400円+税)

ISBN978-4-87791-186-7 C3031

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著者紹介

権 容奭 (コン・ヨンソク)

まえがき

はじめに

現在、日本外交および日本/東アジアの国際関係において、最も重要な課題は、20世紀の歴史的教訓、世界政治の構造的変動を踏まえて、21世紀にふさわしい新しい東アジア国際秩序をいかに構築するかという問題であろう。近年、20世紀の支配秩序であった国民国家体系に修正を加える形で、「東アジア共同体」や「東北アジア共同の家」構想、「アジア主義」の復活・再検討など、地域的統合を志向する言説や政策がさまざまに展開されているのもその表れである。その一方で、新自由主義的発想の下、資本主導による新たなトランスナショナルな「帝国的」秩序を構築しようとする動きもみられる。このようなグローバリズムの進展とアジア諸国の台頭という新たな要因に対して、従来のシステムの既得権益者として脅威を抱く日本社会では、歴史的教訓の忘却ないしは曲解を通じた、歴史修正主義やネオ・ナショナリズムも勢いを増し、「反日アジア」という幻の下、カウンター・ナショナリズムが高揚し、その結果、東アジアではナショナリズムの相克現象が生じている。現在の東アジア国際秩序はこれらの論理がひしめき合いながら、将来の具体的秩序構想にコンセンサスを得られないまま、核兵器、資源、環境、格差、構造的不況という新たな危機に直面しているといえよう。

歴史的にみて、近代以前の東アジア国際秩序は、中華文明を中心とする華夷秩序によって長年「平和」的な状態が維持され、独自の文化を花開かせてきた。それが19世紀の「西洋の衝撃」により秩序変動が起こり、19世紀末から20世紀は日本が新たに「アジアの盟主」として君臨し、第二次大戦後は米国とともに地域秩序を主導してきた。いずれも、東アジアは大国が主導する「覇権的」ないしは「垂直的」な秩序のなかで歴史を展開してきたといえる。しかも、アジアは近代においては帝国主義により帝国と(半)植民地に分断され、戦後においては冷戦によって東と西に分断された。だが、この分断と抑圧の構造、体制競争の論理は、一方で「遅れたアジア」に近代化と経済成長の契機をも与えるという逆説をもたらした。その結果、日本だけがアジアで唯一近代化に成功した、「西洋化可能」な国家/民族という神話は崩壊を余儀なくされ、中国、韓国、台湾、ASEANなどアジア諸国の歴史的台頭を顧慮せずにして抜きにして、新しい東アジア国際秩序の構築は不可能といえる。よって、帝国主義と冷戦の時代が一応の終息を迎えたといえる今日の東アジアにおいては、力の論理と分断構造を克服し、一国の支配による「覇権的」な秩序ではなく、大国の平和共存関係の構築を基礎に、韓国、台湾、ASEANなどのミドルパワーおよび、弱小国、周辺地域、マイノリティなどが共存可能な、より「水平的」な秩序を模索することが求められているといえよう。近年の経済・社会・文化面での相互浸透の深化という新たなダイナミズムは、東アジアを「断絶の時代」から「融合の時代」へと導き、より民主的で開かれたな秩序へと転換させうる可能性をもたらしている。

このような新たな地域秩序の潮流を現実のものにし、その中で日本の地位を確固たるものにするためにも、日本外交および日本社会は、大きく次の三つの重要な課題に取り組む必要があるといえよう。第1に、「アジア外交」の再構築である。「アジア外交」という概念が根付いているのは日本だけであり、時に「アジア外交」は国論を二分する重要なイシューでもある。このアジア外交のより具体的な課題は、「近隣アジア」との関係強化である。麻生太郎は外相在任中、「中国、韓国だけがアジアではない」と、東南アジアおよび南・中央アジアを重視した「自由と繁栄の孤」構想を掲げた。だが、日本の中韓との相互依存の関係、歴史的・文化社会的関係を踏まえると、中韓との協調・提携なしに日本がアジアにおいてリーダーシップを発揮し、国際社会において安定した地位を築けるとは思えないが、今なお麻生は国民的人気を博している政治家である。いずれにせよ、国際社会にも大きな影響力を行使しうるこの三国が、歴史問題、靖国問題、領土問題、北朝鮮問題などで反目している状況は東アジア地域秩序形成においても大きなマイナスである。今は金大中大統領と小渕恵三首相の時代に築き上げられた、「日韓パートナーシップ宣言」に基づいた「日中韓」提携の枠組みを再生・発展させる努力が求められているといえよう。

第2は、対米関係の再調整である。近年の日本外交は、「アジア外交」の不在が指摘されるなか、ブッシュ政権のアフガニスタン空爆・イラク戦争への支持と支援など、「対テロ戦争」の名の下に、「対米追随」的な外交路線を堅持してきた。これは、上記の東アジアにおける国際情勢の変容に対応する形で、中国、朝鮮半島との「アジア外交」が進展しないなか、台頭する中国への牽制の意味も込めての日米同盟の強化の論理といえよう。だが、これは日本の政策当局者や世論がいまだに、冷戦期の「米国かアジア」という二者択一の枠組みから脱しきれていないことの表れでもある。東アジア国際秩序を構想するにあたって、現在の米国のプレゼンスに鑑み、米国を排除した形での地域主義的発想は、新たな緊張を生み出しかねない。問題は、いかに米国の影響力を相対化させ、東アジア地域の安定が当事者たちの手に委ねられるようなレジームを構築するかであろう。そのために、日米同盟という外交的資産をもっている日本外交の果たすべき役割は大きい。また、対米関係は、沖縄などでの米軍による相次ぐ不祥事や基地問題など、日本の真の意味での「独立」の問題とも関わってくる。いつまでもアメリカの軍事力に依存しながら「瓶のふた」論に甘んじるのか、米国からの自律性とアジアからの信頼獲得を基にした共生の両立を実現しうる、真の意味での「自立」と「独立」を果たした成熟した国家・社会を目指すのか。姜万吉の言葉を援用すれば、これは「日本のプライドの問題」でもある。

第3は、高揚する日本の(ネオ)ナショナリズムをいかにコントロールするかということである。前述したように、このナショナリズムは主に日本のメディアやネットによってつくられたアジアの「反日ナショナリズム」の幻想に対するカウンター・ナショナリズムという性格をもっている。だが、注目すべきは、北朝鮮バッシング、「嫌韓流」、「反中感情」に示されるように、日本のナショナリズムは朝鮮半島と中国に対してのみその排外性を強く帯びてくる。とりわけ、「韓国・朝鮮」に対する憎悪と蔑視の念は、通常の日本社会および日本人のバランス感覚からすれば、明らかに「逸脱」しているといえる。このナショナリズムに引っ張られる形で、日本の対北朝鮮/東北アジア外交は「拉致問題」に拘束され、先に進めないジレンマに陥っている。また、このナショナリズムと関連して、近年には日本外交における「主体性」と「自主性」に関心が高まり、「毅然とした態度」、「主張する外交」が外交のレトリックとして浸透している。

以上のような「アジア外交」の推進、対米依存の相対化による「自律」と「自立」を目指す「自主外交」、ナショナリズムの管理という日本外交の課題は、実は本書が扱う50年代後半の岸政権期の外交課題と本質的には変わっていない。これらがいまだに日本外交の課題となっているのは、ある意味、戦後外交の形成期にあたる岸政権期の外交展開と関係があるともいえる。そこで本書では、戦後アジアとの関係が再構築され、「アジア外交」が最も積極的に展開されたといえ、それが「対米自主」との関連で位置づけられていた岸政権期のアジア外交の歴史的展開を検証することを目的とする。

岸政権が誕生した1957年は、日本外交が国際社会でその存在感を高める条件が整っていた。吉田政権期に戦後日本の基本形が形成されたことはいうまでもないが、「吉田路線」は重大な課題も残した。安全保障を米国に委ねるとともに、沖縄を軍事基地として提供するなど、日本人の「独立心」を阻害する一方で、アジアとの国交正常化と関係改善という課題を残した。吉田の「現実主義」的な対米追従路線に対して、その修正を試みたのが鳩山一郎であり岸信介であった。鳩山政権は日ソ国交回復を推進し、日中貿易も進展させるなど「自主外交」を展開し、55年にはバンドン会議にも参加して、アジアの一員として国際社会への復帰を目指した。56年には念願の国連加盟を果たすことで、「東西の懸け橋」という理念を提示するに至る。また、経済白書が56年に「戦後は終わった」と宣言したように、朝鮮戦争を起爆剤にした戦後復興が軌道に乗るとともに、第五福竜丸の被爆などにより反米感情が高まるなか、ナショナリズムも高揚していた。このような日本外交のあり方に対して、米政府は懸念を抱き始め、日米関係が「曲がり角」に指しかかったとの認識の下、その調整の必要性を認識していた。

このような時代の潮流と要請に呼応すべく誕生したのが石橋政権であり、それを引き継いだ岸政権である。岸は吉田の親米・経済主義路線、鳩山の「自主」・ナショナリズム (再軍備・憲法改正) を受け継ぎ、それを調和させる形で岸路線を進めていった。その岸政権下で戦後初めて、「国連中心主義」、「自由主義諸国との協調」、「アジアの一員としての立場の堅持」という外交三原則が定められた。これは、明治以来の日本外交の路線をめぐる「列国協調主義」と「アジア主義」が姿を変えてここに再現されたものでもあった。この二つの外交原則をいかに調和させるかが、岸外交が直面するジレンマであり機会でもあった。

「安保改定の岸」というイメージが強調されがちだが、岸は二度の東南アジア歴訪、アジア開発基金構想の提唱、「日印提携」などアジア積極外交を展開した。岸は、57年だけでも三度にわたって16カ国、計52日間に及ぶ期間を外遊に費やした。大東亜共栄圏の主唱者であり、A級戦犯容疑者であった岸が、政権に就いて最初に訪問したのが東南アジアという点は興味深い。また、欧州共同市場体制の形成に触発される形で、岸のイニシアチブによって、アジア地域秩序形成の試みがなされたことは注目に値する。58年に入っても、第四次日中民間貿易協定の締結や韓日会談の再開などアジア積極外交は、近隣アジアを対象にも推進された。そして、7月のレバノン危機の際には、国連を舞台に、アラブ・ナショナリズムへの共鳴を通じて、対米英に対して「自主」を貫くなど、戦後日本外交史上に残る足跡を残した。これは、小泉政権期の対テロ戦争への対米追従の姿勢とは対照的といえる。だが、59年には、岸のヨーロッパ・中南米訪問など、さらなる外交地平の拡大を目指す一方で、「アジアの一員」としての自己認識は薄らいでいく。また、今日にも大きく影を残す問題でもある在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業もまた、岸内閣のアジア外交の展開の中で実現したものであった。以上のように、岸政権期の外交には、今日的課題につながるいくつもの論点が存在するといえよう。

岸信介が近現代の日本の歴史に大きな足跡を残したことはいうまでもないが、今なお、日本の政治状況に大きな影響を与え続けている点でも注目される。孫である安倍晋三は「岸信介のDNAを受け継いでいる」ことを政治的資産に、最年少で総理の座を射止め、近年では、森善朗から小泉純一郎、福田康夫にいたるまで、岸の流れを汲むいわば「岸グランドチルドレン」たちによって、日本の政権は担当されている。「普通の国」論、「戦後レジームからの脱却」、憲法改正、核武装論、歴史修正主義、ネオ・ナショナリズムなど、政治大国への志向性とともに、岸は今の時代に蘇ろうとしているのである。その意味でも、岸外交の歴史的展開を今日的課題に引きつけて、実証的に研究することの意義は大きいといえよう。

従来、岸政権の外交についての研究は、主に安保改定を中心に日米関係の文脈で分析されてきた。次に、岸外交そのものを対象にしたわけではないが、日中関係、韓日関係、日英関係など、二国間関係史の中で岸政権期の位置づけにおいて貴重な研究が蓄積されてきた。近年、日本側外交文書の公開に伴い、岸政権の「アジア外交」についても重要な研究が蓄積されてきた。その大きな特徴は、岸の「東南アジア開発基金構想」を中心的題材として、主に日米関係もしくは「東南アジア外交」の文脈で分析されていることである。そこでは、岸の東南アジア外交が向米一辺倒ではなく、日米の政策に整合性が欠けていたという重要な指摘がなされており、岸外交を「自主外交」とみるか否かの議論に発展している。また、レバノン危機、経済外交、移民といったイシューごとの研究も近年蓄積されおり、岸内閣の外交の全容が徐々に明らかになりつつある。それぞれに貴重な実証研究であり、筆者も多くの示唆を受けてきた。しかし、これらは岸政権の外交のそれぞれの局面を、岸外交そのものとして捉えてきたにすぎず、岸外交全体、特に岸のアジア外交の全体系を必ずしも包括的に描き出してはいないといえる。岸のアジア外交の射程には、単に東南アジアだけでなく、インドを含めた南アジア、太平洋、アラブ・アフリカ、中国、韓国といった「大アジア主義」に通じる広がりをもっていたととらえられる。アジア開発基金構想を中心に、東南アジア外交と日米関係を究明することも極めて重要なテーマではあるが、岸のアジア外交、ひいては岸内閣の外交体系、戦後日本のアジア外交を包括的かつ大局的に論じるには、やはり、この広がりに注目せざるをえない。そこで、本書ではこれら個別に論じられてきた岸政権の外交を、有機的にかつ包括的に捉えることで、岸政権の外交体系を明らかにすることを目指したい。いわば、これまで「点」として論じられてきたものを「線」に結ぶことによって、外交のダイナミズムを浮き彫りにするとともに、岸のグランド・ヴィジョンに迫り、また、外交の根底にある思想や認識レベルにまで分析の光を照射することで、岸内閣のアジア外交の歴史的意義についても考えてみたい。尚、記述においては、戦後初めての歴訪という歴史的意義にかんがみ、その歴史をできるだけ生々しく再現するために首脳会談や声明、記者会見、外交文書などにおける「言葉」をそのまま伝えることに力点をおいた。

以上の先行業績の成果を踏まえて本書では、以下の点に注目しながら岸外交を実証的に検証していきたい。

第1に、従来の岸外交研究は、対米関係を岸外交の最重要基軸として特色付け、アジア外交を対米外交の従属変数として捉えるにとどまる傾向が強かった。だが本書では、岸政権の外交政策体系を、「アジア外交」の基軸と「対米外交」の二つの基軸をもっていたと特色づけ、しかもこの二つの基軸が有機的に連動していたと捉える。その上で、この両基軸は、岸の政治的目標である「独立の完成」を実現するために、「対米自主」という目的の実現と、「アジアの盟主」としての日本という国際的な立場の形成をはかるものであったのではないか、という立場に立つ。

第2に、この「アジア外交」の背景には、「対米外交」とは異なる独自の論理が存在していたとみる。すなわち、岸外交は冷戦の論理だけではなく、「アジアの一員」として、アジアのナショナリズムを糾合し米英にあたるという、「アジア主義」的な認識の枠組みをその背景にもっていたと想定する。それは米英ソの核実験に対する抗議外交、非同盟のリーダーであったインドとの提携模索、さらには、58年のレバノン危機における対米独自外交の展開に分析の光を照射することで、鮮明になるといえよう。その意味で、岸政権のアジア外交は、アジア主義の戦後における継続として捉えられる。

第3に、従来の岸外交および岸内閣の外交の研究においては、「岸」が主語になる場合が多く、岸のイニシアチブが強調されてきた。最高責任者の首相としての岸の役割はもちろん重要だが、本書においては、外相であった藤山愛一郎の存在にも大いに注目したい。当時、『毎日新聞』のニューヨーク特派員を務めていた大森実は、米国滞在5年間の日本の国連外交において、「日本代表として、シンのとおった演技者は、もし一人だけをあげるなら、藤山外相ではないか」と述べていた。本書が注目するように、岸内閣の外交を「対米自主」、「アジア主義」という観点から考察すると、「岸・藤山外交」という側面が強く現れていることがわかる。また、「岸外交」よりも「藤山外交」のあり方にこそ、限定的ではあるが戦後日本外交の歴史的遺産を見出すことも可能かもしれないと思えるからでもある。

第4に、「アジア外交」の意味を重層的に捉えるということである。岸内閣のアジア外交には、大きく以下の三つの側面があったといえる。一つ目は、「経済外交」としてのアジア外交である。アジアの経済開発と日本の経済的利益の獲得が目指され、アジア地域主義の模索へとつながる。二つ目は、「対米自主」としてのアジア外交である。核実験禁止問題、日印提携、中国カード、アラブ・ナショナリズムへの共鳴など、政治的側面におけるアジア外交であり、「冷戦の論理」ともつながる。三番目は「歴史の論理」としてのアジア外交である。いわば「思想面」のアジア外交である。ここにはさらに二つの局面が存在している。まず、「戦後処理」としての「アジア外交」である。「過去」の清算とアジア諸国と関係正常化を通じてアジアおよび国際社会に復帰することが目指される。次にこれと関連するが、単に物理的な賠償による過去の清算=消去ではなく、近現代の日本の歴史とアジアとの関係について、大局的な見地に立って総括を試みることである。それは「敗戦」を重く受け止め、「近代(日本)」を支えてきた開発主義、成長主義、文明主義などの価値を再検討し、垂直的秩序や国際的分業体制を是認してきた、近代のアジア主義の負の遺産を克服する精神的営みでもある。アジア主義が日本外交の理念として機能するためには、この歴史の論理の克服が必要不可欠な課題である。日露戦争の勝利を経て、日本は長年善隣友好関係にあった韓国を保護国化した。その後、中国やベトナムの民族運動に背を向けた日本は「アジアの公敵」という不名誉な称号を得ることになる。この概念は、アジアの独立と解放をその理念にもっていたはずのアジア主義が、実は、日本中心主義的な日本のナショナリズムの別名でしかないということを露呈するものでもあった。このアジア主義に潜む矛盾、その根源的矛盾たる「朝鮮問題」に向き合わないまま、アジア主義はその後も生きながらえ、やがて大東亜共栄圏という幻想に帰着し、本書で論じるように50年代に復活する。そして、21世紀の今日、アジア主義はいまだに日本外交のオプションの一つとして徘徊している。アジア主義と帝国主義/日本中心主義の緊張関係を意識せず、克服しない限りにおいて、アジア主義は21世紀の日本/東アジアの新たな理念とはなりえないといえよう。

このように「アジア外交」は単に、地理的範囲や「経済外交」を意味するのではなく、「歴史の論理」が加えられてはじめて、その意義が充たされるといえよう。そこにアジアの連帯を理念とする真のアジア主義が実現する契機も生まれるといえるのである。逆に、この「歴史の論理」を度外視したまま、地域・経済外交としての「アジア外交」のみがさかんに議論されれば、真の意味で日本がアジアから信頼されることは難しく、アジアにおいて主導的な役割を果たすことも困難になるといえよう。いわば、アジア「を」どうするかという対象としてのアジアだけでなく、アジアの主体性を尊重した上で、アジア「と」どのような関係を築くかという観点がアジア外交においては重要であるといえよう。また、岸内閣のアジア外交は、上記のように、経済、冷戦、歴史の論理から考察することの重要性を示している。

第5に、この「歴史の論理」と関連して、岸政権の外交政策の展開を実証的に分析しつつ、政策の背後に存在している思想や認識の深層にまで分析の光を照射したい。アジア積極外交の裏面に秘められたアジア外交の思想的課題を浮き彫りにすることで、アジア外交の根底にある思想、アジア観、日本観を明らかにし、今日的課題に引きつけて分析を試みたい。

以上の点を踏まえ本書では、岸政権の「アジア外交」の歴史的展開過程を「対米自主」、「アジア主義」、「独立の完成」という観点から検証したい。その際に、単にアジア外交があったか否か、「自主」か否かを問うことを超えて、上記の点に留意しながら、「アジア主義」や「自主」の中身を浮き彫りにすることを心がけたい。

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