林康史
ひとくちにネゴシエイション(交渉)と言っても、個人的な生活レベルのものから企業等の組織や国家レベルとしておこなわれるものにまで及び、その性質の面では友好的なものから敵対的なものまで、具体的戦術や駆け引きとしては「かわす」「しのぐ」から「攻める」まで、さまざまである。
人は情報に触れると反応し、新たな情報を生産する。その新たな情報が生産される過程には自然とも言うべきものと、何らかの恣意的なバイアス(これも情報である)を持ち込もうとするものとがある。各人が自然に発生させた新しい情報が利害関係の存在とかかわる場合、あるいは、その新しく生産される情報に影響を及ぼすべく発せられるバイアスがネゴシエイション(交渉)であり、その相互作用の結果としての情報が契約等の妥結や和解に結びつく。その意味では、ネゴシエイション(交渉)は情報から情報が生産される際の触媒的な情報であると考えることができ、動学理論として解明されるべきものであろう。
また、妥結とは少なくとも形式的には何らかの合意のうえに成立し、契約あるいは法的拘束力を持ち、その履行を強制するものとなる。この合意あるいはコンセンサスという記号の持つ意味を法文化の視点から射程としたのが叢書第5巻『コンセンサスの法理』であるが、本書では、その触媒としての情報や合意に至るまでの過程あるいは、合意の修正・変更過程を問題とするものである。
本書のタイトルは『ネゴシエイション交渉の法文化』であるが、ここでネゴシエイションと交渉の用語について私見を述べておきたい。
交渉は、大辞泉によると、「特定の問題について相手と話し合うこと。掛け合うこと」、「交際や接触によって生じる関係。かかわり合い。関係」の意味である。
一方、英語のネゴシエイションは、(1) (しばしば~sで単数扱い)(協定・取引での)交渉、話し合い、折衝、商議、(2) (取引・業務の)処理; (手形などの)流通、譲渡、(3) 乗り越えること、うまく通り抜けることであり、(2)(3)は(1)から派生したものと考えられ、本書の対象とするのは(1)である。
ネゴシエイション(negotiation)の語源を調べてみると、17世紀起源で、もとはラテン語の「心の平静・レジャー」を意味するotiumに否定の接頭語を被せた、文字通りに「暇がないこと」がnegotium「ビジネス」という意味になり、negotiationem(主格.negotiatio)「ビジネス、売買」という単語はnegotiari「ビジネスを実行する」の過去分詞negotiatusから来ているという。その「ビジネスをおこなうこと。商売をすること」が、「(何かについて)取引・交渉すること」に転じたようだ。つまり、ネゴシエイションは、すでにラテン語で交渉の意味を持っていたということだが、もともとは、心安らかに過ごす暇がないという状態を指す言葉であったらしい。このことは、かなり示唆的である。私見にすぎないが、そこには、連続か不連続かは別にして時間の経過という概念が含まれているのではないだろうか。精神的な緊張感を持ちつつ不断に努力するというニュアンスである。ネゴシエイションの研究は、動学理論として解明されるべきであろうと述べたが、それは語源の観点からも言えそうである。英語のnegotiationが、しばしば~sを伴っても単数扱いとなるのは、ネゴシエイションが一連の作業を指すものだからであろう。
本書の編者として、私は、本書のメインタイトルに英語をそのままカタカナ表記したネゴシエイションを採用し、サブタイトルに日本語の「交渉」を採用した理由を、ある問題についての関係性そのものよりも、関係性を維持あるいは変化させるための何らかの働きかけを議論の対象としていることを読者に伝えるためだと理解している。つまり、ネゴシエイションと交渉の二つの語を併記することで本書の対象とするものが明確になる。
なお、ネゴシエイション(交渉)は、一般的には利害対立関係にある者の交渉を指すが、利害のすべてあるいは一部が一致する者同士の交渉(例えば、談合といったもの)も含むものと理解できる。
ネゴシエイションに際しては、無意識であったとしても、多くの場合、その背景には法感情が存在する。法感情には、すでに法であるものに対する感情、また、法たるべきものに対する感情、遵守する感情が含まれよう。構成員個々の法感情の総体で形成される法文化が個々のネゴシエイションに影響を与え、逆に個々のネゴシエイションが法文化を変容させる。それぞれの過程を通じてネゴシエイションは法の解釈と立法に影響を及ぼすのである。
これらネゴシエイションは、さまざまな社会で観察される。例えば、暴力団の構成員・準構成員と予備軍は、アウトローという単語が示すように、法システムの外にいる人という印象を受けるが、彼らのサブカルチャーのなかにも掟(広義には、一個の法システムと認められる)は存在し、他方で彼らもアウトローの反対側にある一般社会の構成員という側面も持つことから、法と彼らの掟、また、それらの関係性を強く意識しつつ交渉するのが彼らの
ネゴシエイションといえば、いわゆるハーバード流交渉術のように勝者が総取りを目指すもののように一般に思われがちであるが、実は米国でも現実的なネゴシエイションはハードな奪い合いだとばかりは考えられていない。単に技術論としてでなく、法の実効性を支えるのは、法意識であり、コンセンサスであるという意味で、それらと相互に影響を与え合うネゴシエイションを法文化の観点から捉えなおすことは、法意識やコンセンサスが情報の影響を受けやすいことから、情報の時代ともいうべき現代においての意義は大きいと考える。
広義には、ネゴシエイションはさまざまなところで観察されることから、具体的な研究対象テーマもさまざまなものが考えられる。裁判、ADR(裁判外紛争処理)ばかりでなく、各国法制史、比較法の分野等々、それらの中に存在する交渉および交渉過程を法文化の観点から読み解くことは非常に興味深い。EU憲法の(不)成立過程、金融規制における業者と監督者、等々、近時、注目されたトピックも好個の研究対象たりえよう。
本書の構成は、ネゴシエイションに関する現代的なトピック(第1章–第3章)、歴史的な法文化におけるネゴシエイション(第4章–第6章)、文化の差異によるネゴシエイション結果の測定(第7章)の三つのパートからなっている。
第1章の林論文は、立法過程におけるネゴシエイションについて、英国の金融サービス法ならびに英国の金融サービス市場法の成立過程を例に、運用ルールとしての法の場合では、立法者の意思やイニシアティブがネゴシエイションを規定していくことを考察する。法による規制制度の再編に関して、金融取引および金融市場に関する法律は、規範(ノーム)としての法よりも運用規則(ルール)としての法の性格を濃厚に有するが、自発的に生じ培われてきた伝統的制度の転換がおこなわれたという。さらに、その機能的な側面のみならず、立法者の意思やイニシアティブに対して、同法に関係する構成員のネゴシエイションと、その影響について考察を加える。金融に関する法律では、不正行為の禁止理由はルール違反であることと市場システムの機能の阻害だけが有効であり、衡平正義に関しては、どのような不公平をルールで禁止すべきかが問題となり、それを構成員の法意識に基づいて明確化したのが運用ルールとしての法となる。こうした運用ルールとしての法では立法過程において果たすネゴシエイションの役割は大きいとしたうえで、英国の金融に関する法制度をビッグバンおよび金融サービス法以前から金融サービス市場法に至るまでを概観する。また、この立法における当事者間のネゴシエイションは、漸次的にコンセンサスを形成し、時間をかけて法意識の変化を促して再びのネゴシエイションを経て法の制定に至るというプロセスの繰り返しであったことが窺われる。今日、英国のビックバンが一般に思われているような、経済学でいうビッグバン・アプローチではなく、むしろ漸進主義的な色が濃かったことを指摘している。
第2章の田中論文は、欧州憲法条約を例に、基本条約改正の経緯を記し、EUの「諮問会議」と「政府間会議」におけるネゴシエイションの実態を検討している。EUにおける交渉は、伝統的な対外交渉と、域内交渉の2種類に区分することができる。基本条約の改正では、構成国政府代表による「政府間会議(IGC)」が招集され、往々にして密室で交渉が進む伝統的な19世紀型の対外交渉が展開されてきたことから、統合を指導するエリートと市民の間で意識の乖離が生じる危険性が指摘されてきた。そこで、今回の改正では、「欧州の将来に関する諮問会議」が招集された後に政府間会議が開催され、最終的な欧州憲法条約が採択された(その後、改訂されたリスボン条約と名づけられた基本条約も、アイルランドの国民投票で否決された)。しかし、蘭仏の国民投票で反対が示されたことにより、発効の目処は立っていない。両国の市民の多数は、自国のEU加盟には反対してはいないが、エリートが推進してきた統合には不満を感じており、EUは単一欧州議定書と域内市場白書以来推進してきた競争を原理とする新自由主義的な手法と拡大戦略を続けるのか、岐路に立っている。
論考は、将来的には国内政治を規定する可能性が高い国際間の取り決めの成立過程でネゴシエイションがどのようになされるかが示される。これは地方政府が中央政府の意思決定をおこなうかのようであり、従来の国際機関における構成員のネゴシエイションとは違ったパワーバランス構造が読める。ネゴシエイションの対象相手は、1次元的な国家対国家という枠だけではなく、EUという超国家的存在と各国との間、さらに、EU:国家:構成国民という異なる性質の3者である場合もあり、EUは、状況の変化にそれぞれが敏感に反応するという複雑な現代世界における交渉と読み解く好個の例といえる。
第3章の関論文は、DV防止法の重要なテーマである男女間における支配、つまり非対称的な関係性の膠着化の回避と、私的領域における暴力の防止(予防)という課題に向き合いつつ、男女間の「交渉」を可能にするための法のあり方について考察する。かつて私的領域における女性への暴力を法的に許容してきた制度は、女性を「保護=管理」の対象とし、暴力を管理のための手段としてきたが、19世紀中葉から反対運動が起こり、1995年に「北京行動綱領」が採択され、各国でDV防止法の立法化が進むことになる。また、セクハラやDVの成否の判断基準は、客観的な行為類型によって判断するのではなく、被害者の主観的関係性において判断すべきであり、さらに、DVを暴力による単発的で破壊的な物理力の行使と捉える観点から、持続的で関係構築的な権力の行使と捉える観点への転換が必要であると論じている。
論考は、「暴力=支配」から直截的な意味での交渉に移行するべきだと述べるが、そこには法文化的な意味でのネゴシエイションが必要なのかもしれない。第二次世界大戦以前は、女性を男女の人格に差があるという意識のもと、刑法上も妻の姦通罪が存在した。「姦淫するなかれ」は法制度ごとに扱いが異なっている道徳であるが、刑罰の対象とならなくなるのは、情報のグローバル化によって各国の法意識や法文化が収斂していくことを示している。DVは、家庭内における男女間の問題という極めてプライベートな領域であると従来は考えられていたが、ネゴシエイションという視点を持ち込むことで新たな方策を考察している。
第4章の岡本論文は、河川水資源という特異な資源の配分をめぐるネゴシエイションの諸相を、事例を引きながら論述する。河川水資源は、公物として強い公的管理をうけているが、移送制約性(他の流域への移送が困難で通常の市場財になりにくい)、流下性(上流取水が有利という実態)および変動性(流量が確率的に変動するため予知できず、後発新規取水希望者に対しては先行取水者優先を原則とせざるをえない)が特異な資源たる所以であり、この流下性と変動性の相克による矛盾を回避することネゴシエイションの主題となる。その回避策として、取水する位置を合一する「合口」が有効であり、他に、定比分水、取水施設の位置・構造・操作運用をネゴシエイションで特定しておくなど、合意が施設という形式で表象・結実されることが多く、また、異常渇水時の実効あるネゴシエイションは行政の情報提供と水利使用者の協議という官民協力でおこなわれる。
論考は、河川水資源の配分においては、原則同士の相克のあるなかで、利害調整が許可権者の準備した場で陰陽のネゴシエイションによる合意形成がおこなわれ、その合意内容が水利施設に具象化し暫くは関係が安定するという動と静の関係を往来する長期的なネゴシエイションの実態を提示する。また一般に、ネゴシエイションは力関係はともかくとしても、当事者間での交渉、あるいは、例えばEUという共通の土台を通じた交渉として理解されるが、少なくとも河川水資源についてのネゴシエイションの事例については、当事者二者によってともに認められている共通の上位の統治者の存在がなければ、交渉の締結およびその遵守は担保されない、と指摘する。国連やEUのような国家外の組織は、上位には当たらずに、統治者を権力者であると定義している。そうした権力の背景がなければ、交渉結果の継続性が必ずしも保障されない。この点は、ネゴシエイションを考える際には示唆的である。
第5章の堀井論文は、持続的な異文化接触において交渉行動が果たす役割の一例として、16世紀中葉のエジプトでヨーロッパ商業が維持された仕組みのもとでのエジプトのヴェネツィア人社会を代表したアレクサンドリア領事の交渉行動を考察している。そもそもイスラーム圏におけるヨーロッパ商人の居留条件は、本国から派遣される使節とムスリム君主との国家間交渉あるいは居留集団とムスリム君主とのにより定められ、その規定は、ムスリム君主による勅令に記されて領域内の官憲に送られて効力を発したが、ムスターミン(被安全保障者)の地位にかかる法的制限は緩和されることが多かった。また勅令は、その内容の確認のために相手国に送られ、条約文書の役割をも果たす。こうして形成された条約規範のなかに、居留集団を代表する領事による交渉にかかわる規定も含まれる。このような条約の伝統は、アナトリア半島に発し東地中海各地に勢力を拡大させたオスマン帝国によって継承されることになる。
論考は、異文化間のネゴシエイションが不可避的な状況で条約という法形式を用いることによって関係性を構築し、それが国内での運用ルールという下位的な規範につながっていく過程の一例をみることができる。単に歴史的な記録という以上に、異文化間の交流とそれによる摩擦が増大しつつあるといわれる今日では、極めて現代的なテーマであるとも考えられる。
第6章の松本論文は、プロイセン勧解人令の制度設計を、民事訴訟事件に焦点を合わせて考察している。勧解人制度は小さな地域社会を念頭において作られた制度で、地域社会の伝統秩序の中での調停機能として期待されていた農村型紛争解決制度で、封建的な農村中心型社会から近代の産業型都市の成立という歴史的な重心の変化のなかでの過渡期的紛争解決手段であったと位置づける。プロイセン勧解人令制定の契機は、ドイツ刑事訴訟法による和解前置制度導入であり、ドイツ刑事訴訟法がプロイセンのいくつかの州にあった勧解人制度をプロイセン全土に拡充させる促進剤となったが、ドイツとプロイセンの司法制度の関係、中央と地方の権限、また、地方としてのプロイセンの立場の模索を窺うことができる。また、勧解人の機能をめぐってはプロイセン内部で、機能を限定しようというプロイセン司法省と裁判所の機能に近づくことを望んだ勧解人の駆け引きがあったが、勧解人の事物管轄は縮小されていった。
論考は、裁判所とは別の問題解決のネゴシエイションの制度の形成と衰退が示されており、近時ADRが試みられるようになり、その実効性を担保し、制度を活用していく際の示唆にもなっている。
第7章の奥村論文は、MBAや管理職研修で頻繁に用いられている交渉エクササイズを使い、それぞれの文化が交渉行動とその成果に与える影響、および、その測定の試みを紹介したものである。文化を(何が大切かという)価値観と(何が適切かという)規範ととらえ、2種類の交渉状況におけるその影響を検討している。売り手と買い手からなる、いわゆる取引型交渉では日米の異文化間の場合、ジョイントゲインに違いが生じ、文化の相違が相互のコミュニケーション、とくに交渉相手同士での情報共有の様式に影響する。組織間の対立を解消するための、いわゆる紛争解決型交渉では日米中の文化の違いによる権威に対する対応と交渉結果の質について調べ、リスク選好に有意な影響が見られた。
論考は、国際ビジネスのさまざまな場面で観察されるコンフリクトは、ビジネスが通文化あるいは超文化的な存在ではなく、文化の影響を免れないことを示し、異文化間のネゴシエイションが同じ文化に属する者の同士でのネゴシエイションよりも非効率であることを明らかにしている。
なお、寄せられた原稿は専門的過ぎるものもあり、一部の採録を断念せざるをえなかったこと、また、編者の能力不足と怠惰によって発刊が延び延びになったことをお詫びするとともに、関係各位の寛容と厚情を賜ったことをお礼申し上げたい。
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