佐々木有司
法の形成・運用に携わり、これを担うのがどのような人たちであるのかは、それぞれの法文化のあり方と深くかかわり、そこで何を法と理解し、その法がどのように担われるかによって実に多様である。決して専門的法律家(法実務家・法学者)だけでなく、それ以外にも〈法の担い手〉たちはさまざまな形で存在している。
本書は、こうした観点のもとになされた、きわめて多彩な〈法の担い手〉に関する考察を収めたものである。地域はヨーロッパから日本、中国、イスラームに及び、時代も古代から現代までいろいろである。その意味では、この法文化叢書の目指す「法のクロノトポス(時空)」的研究という趣旨(「叢書刊行に当たって」)に適っているといえよう。目次からも知られるように諸論考の内容は非常に多岐にわたるため、それらの主要な論点やわれわれの共通テーマとの関連を摘示し、あらかじめ本書の全体構成を通観しておくことが読者には便であろう。
第1章は、古代ローマである。そこにおける〈法の担い手〉のなかで中核的位置を占め、「法曹法」(Juristenrecht)としてのローマ法を形成した法学者に目が向けられる。時期的には、元首政初期の法学者が対象となる。かれらは共和制末期から引き続いて法の形成に積極的に携わるとともに(法学の「古典期前期」)、政治的には新たに誕生した元首権力にどう対応するかで大きく分かれていた。それは、この時期を代表する法学者ラベオーとカピトーの間に典型的に見られるのであり、前者は反元首的ないし脱政治的であり、後者は元首に迎合的だったとされる。法学のあり方にも関係する重要な点であり、この点に本論考は同時代史料に基づく徹底した究明を加えている。
第2章は、近世初頭のヨーロッパである。ローマ法は――ヨーロッパ各地の「特別法」に対する――「普通法」として、中世末期以降のヨーロッパ諸国に共通の法的基盤を成すことになるが、それは「ローマ法大全」の実用化を目指す法学者の解釈活動に負うものであった。「普通法」は、法学者によって形成・発展させられた「法曹法」なのであり、その意味で法学者が〈法の担い手〉だったのである。16世紀という大きな転換の世紀に、(従来の伝統的理解でいわれてきたフランス法学ではなく)スペイン法学が普通法の発展に果たした重要な役割を、その代表的人物コバルビアスの法学活動に焦点を当てて具体的・実証的に解明しようとするものである。
第3章は、現代のイギリスである。イギリス法(コモン・ロー)は判例法主義をとることで知られ、これまた「法曹法」である。歴史的に確立された「議会主権」を19世紀後半に、政治的主権を分離した法的主権であるとし、これを従前の議会に対してと裁判所に対しての議会制定法の至上性として原則化した法学者ダイシーの主張は、ほぼ裁判所によって支持された通説的解釈である。従前の議会に拘束されない議会の立法権限に一定の制約を課そうとする理論も20世紀前半には現れる。しかし何よりもEC加盟以来、イギリスの議会主権とEU法の優位性との原理的衝突という問題が生じている。議会主権の原理に支えられた軟性憲法に代えて硬性憲法(憲法典)を制定するという議論もなされたが、それは不要とされ、やはり判例での対応が維持される。その判例の傾向を見るうえで、とくに2002年のソバーン事件判決が持つ画期的な意味に注目して論じている。
第4章は、現代のドイツである。法的助言を弁護士だけにしか認めないドイツ独特の「法的助言法」(1935年)について、その制定の経緯と、市民の法的相互扶助の禁止という問題点を取り上げる。20世紀の終わりには時代の流れとともに同法に対する裁判所の解釈にも変化が生じ、そしてまた最近ではEU法との関連で批判に晒され、2007年にこれを改正する形で新しい「法的サービス法」が成立した(2008年に施行)。同法は市民による無償の法的サービスを認めた点で画期的であるが、なお一定の制限を残してもいるとして、その問題点を指摘する。
本論考が市民の社会参加・相互扶助という見地に立って、市民による無償の法的助言・助力活動を、〈法の担い手〉としての市民の活動として捉えていることは興味深い。
第5章は、近世前期の日本である。譜代藩内藤家で藩主の代替わりにさいして家中に向けて発令した基本法ともいうべき家中法度「御條目」を取り上げる。歴代藩主の「御條目」の淵源と位置づけられる草創期の家中法度、すなわち近世前期の藩主三代忠興・義概・義孝が寛文から元禄にかけて制定した家中法度について綿密な検討を加える。藩法形成における〈法の担い手〉として藩主を捉え、家中法度の発令状況、具体的な内容、そこに見られる法意識などを分析している。
第6章から第8章までは現代の日本であり、いずれもいわゆる「法曹」以外の〈法の担い手〉に関する、それぞれに実務経験をも踏まえた論考である。
第6章は、法曹三者以外にも法律の専門的知識を用いる職業として立法の補佐があるとし、法律の解釈に対して法律の制定という視点(「立法学」)の重要性を指摘する。内閣立法と議員立法を取り上げたうえで、とくには政策と法(「政策法務」)の問題を論じている。政策の決定には法律の立案が必要であるが、その立案補佐は政策的有効性の判断ではなく、政策決定における法理論的な分析である。法律立案の専門的能力を備えた、立法補佐の専門家を〈法の担い手〉として捉え、その養成の必要性を説き、内閣・両議院法制局だけでなく、地方公共団体、さらには民間レベルでもそうした専門家の存在が求められるとする。
第7章は、企業の法務担当という〈法の担い手〉を取り上げる。経済の国際化のなかで、わが国の企業法務がどのように展開してきたのかということ、また近時における企業のコンプライアンスの問題について説明したうえで、最近の司法制度改革をも踏まえて今後の企業法務のあり方、法務担当の育成の仕方を提示する。アメリカの企業法務に関する事情にも触れられている。
第8章は、法曹以外で〈法の担い手〉としての職務、業務に従事する者を準法曹――これには、国家・地方公務員や企業における準法曹と隣接法律専門職種に属する準法曹とが含まれる――として捉え、その比較法的・歴史的な解説をしたうえで、「疑似的法の支配」が妥当するわが国の法文化における〈法の担い手〉としては、法曹よりも準法曹の方が適合的であるとするきわめて注目すべき主張を展開する。さらに、最近の法科大学院制度やADR(代替的紛争解決)との関連で準法曹の問題を論じている。
第9章は、清代の中国である。近代的監獄制度が清末に導入される以前の監獄(判決を待つ未決囚、それに刑の執行までの既決囚の身柄を拘束する施設)について、監獄に関する法令とその実状を、囚人の衣食の問題を中心に具体的に描写している。主として地方監獄、ついで伝統的な監獄の到達点というべき清末中央の刑部監獄が取り上げられ、その監獄運営に携わった役人たちに目が向けられている。かれらもまた、監獄という現場での法実務担当者として、〈法の担い手〉と捉えることができるのである。
第10章は、現代の中国である。香港特別行政区基本法のもとに、香港は返還後も中国本土と異なる法律制度を維持し、引き続きイギリスのコモン・ローが適用されている。中国が影響を及ぼすことのできる制度は、中国全国人民代表大会常務委員会による基本法の解釈権であり、実際にこれまでしばしば用いられてきた。それは基本法改正手続きによらない、実質的な基本法改正になってしまうとの指摘がなされている。本論考は、中国と香港における立法過程の比較考察をも踏まえて、この問題を論じており、そこからまた法の形成・運用に携わる担い手たちに関する両者の間の違いも浮かび上がってくる。
第11章は、19世紀のイランである。当時の司法制度全体を、高位のイスラーム法学者であるモジュタヘドが司っていたシャリーア(イスラーム法)法廷と国家の官僚によって担われる世俗(オルフ)法廷との並立として理解する見解に対して、世俗法廷の具体的な検討を通じて見直しをおこなっている。両者を二つの法廷の並立というよりも、シャリーアを唯一の法として、法の権威である法学者と執行権力との相互依存・補完の関係にあったと捉えるのである。このことは、シャリーアは神授の聖法であり、法学者がいくつかの法源から具体的な法規範を導き出すという独特の性格を有していることに起因する。イスラーム法は法学者の法ともいえるのであり、法学者が〈法の担い手〉なのである。
このように本書が、〈法の担い手〉とその法文化的背景、あるいは法文化現象としての〈法の担い手〉という研究視覚から、一定のまとまった成果を提供していることは、それなりの意義を認められてよかろう。もちろん、この課題に十分に応えるためには、さらに多くの作業が必要である。本書の刊行によって、広く法に関心を持つ研究者たちがこうした課題に活発に取り組み、〈法の担い手〉の時空的研究がより充実したものとなっていくことを期待したい。
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