核拡散問題とアジア 核抑制論を超えて

編者 吉村慎太郎・飯塚央子

日本、韓国、北朝鮮、中国、インド、パキスタン、イラン、イスラエル、ロシアなど複雑な事情を抱えたアジアの核拡散状況を見据え、世界規模での核廃絶に向けての取り組みを続け、取り組もうとする方々へ贈る基本書。 (2009.7)

定価 (本体2,800円+税)

ISBN978-4-87791-197-3 C1031 235頁

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目次

著者紹介

【執筆者紹介】(50音順)

飯塚央子(いいづか・ひさこ): 第4章担当
国際基督教大学非常勤講師。専門は、中国の国際関係史。主要著作として、「中国の核開発と国際戦略の変遷」(『中国の核、ミサイル、宇宙戦力』、茅原郁生編、蒼蒼社、2002年)、「文化大革命期の核開発」『中国文化大革命再論』(国分良成編、慶応義塾大学出版会、2003年)、「科学技術をめぐる国際関係」(『中国政治と東アジア』、国分良成編、慶応義塾大学出版会、2004年)など。
宇野昌樹(うの・まさき): 第8章担当
広島市立大学国際学部教授。専門は、文化人類学、中東地域研究。最近の著書・論文として、「パレスチナ――「近代」を問い続ける」及び「ヤズィーディ――孔雀像を崇める人々」(『講座世界の先住民族――ファーストピープルズの現在』(中東編)、堀内正樹・松井健編明石書店2006年)、「東南アジアにおけるイスラーム――グローバリゼーションとネットワークをキーワードとして」(『現代アジアの変化と連続性』広島市立大学現代アジア研究会編、彩流社、2008年)など。
近藤高史(こんどう・たかふみ): 第5章および第6章担当
近畿大学非常勤講師。専門はパキスタン現代史と南アジア国際関係。主たる論文に、「『ムハージル民族』への視角 エスニシティの『統合』をめぐって」(大阪外国語大学アジア太平洋研究会『アジア太平洋論叢』第15号、2005年)、「カシュミール問題の諸相: 『分離主義』運動の活発化との関連で」(アジア政経学会『アジア研究』第50巻第1号、2004年)、「パキスタンの民族問題に関する一考察: スィンド州のムハージル運動を事例にして」(広島大学大学院国際協力研究科アジア文化講座『アジア社会文化研究』第4号、2003年)など。
角田安正(つのだ・やすまさ): 第9章担当
防衛大学校教授。専門はロシア地域研究。共著として、『CIS: 旧ソ連空間の再構成』(田畑伸一郎・末澤恵美編、国際書院、2004年)など。訳書として、フリーランド『世紀の売却――第二のロシア革命の内幕』(共訳、新評論、2005年)、レーニン『帝国主義論』(光文社古典新訳文庫、2006年)、ブラウン『ゴルバチョフ・ファクター』(共訳、藤原書店、2008年)など。
布川弘(ぬのかわ・ひろし): 第1章担当
広島大学大学院総合科学研究科教授。専門は,日本近現代史研究。主な著書・論文に、『近世近代の地域社会と文化』(清文堂、2004年)、「国際平和運動における新渡戸稲造と賀川豊彦の役割」(平成12年度$ndash;14年度科学研究費補助金基盤研究(C) (2)研究成果報告書、2003年)。また最近の著書としては、『近代日本社会史研究序説』(広島大学出版会,2009年3月)など。
福井譲(ふくい・ゆずる): 第2章担当
韓国・仁済大学校人文社会科学大学日語日文学科専任講師。専門は、朝鮮近代史と現代韓国政治社会史。主要論文として「朝鮮総督府の逓信政策―朝鮮簡易生命保険制度の導入と逓信局―」(『日本の朝鮮・台湾支配と植民地官僚』松田利彦編,国際日本文化研究センター、2008年)、「一時帰鮮証明書制度について―その実態に関する一考察―」(『朝鮮史研究会論文集』朝鮮史研究会編、第46集、2008年)、「朝鮮総督府の逓信官僚とその政策観―朝鮮簡保制度の施行を中心に―」(『日本の朝鮮・台湾支配と植民地官僚』松田利彦・やまだあつし編、思文閣出版、2009年)など。
福原裕二(ふくはら・ゆうじ): 第3章担当
島根県立大学大学院北東アジア開発研究科准教授。専門は、国際関係史、朝鮮半島地域研究。主要著書・論文に、『日本・中国からみた朝鮮半島問題』(共編、国際書院、2007年)、「金日成権力の『歴史』構築と対日認識の形成」(『北東アジア研究』第12号、2007年)、「竹島関連言説の検討」(『総合政策論叢』第17号、2009年)など。
吉村慎太郎(よしむら・しんたろう): はじめに、第7章、あとがき担当
広島大学大学院総合科学研究科教授。専門は、イラン近現代史と中東国際関係。主要著書・論文に、『レザー・シャー独裁と国際関係―転換期イランの政治史的研究―』(広島大学出版会、2007年)、『イラン・イスラーム体制とは何か―革命・戦争・改革の歴史から―』(書肆心水、2005年)、「近現代イラン政治の展開と宗教的/世俗的ナショナリズム―19世紀後半から1960年代までを中心に―」(酒井啓子・臼杵陽編『イスラーム地域研究叢書5――イスラーム地域の国家とナショナリズム』東京大学出版会、2005年)など。

まえがき

はじめに

アジアにおいて「核拡散」は、今や着実に進行している。1964年に中国がアジア諸国のなかで初めて核実験をおこなったが、それに続いてインドが74年と98年に地下核実験を繰り返し実施し、核兵器保有国に仲間入りした。こうしたインドに対抗し、隣国パキスタンも98年に核実験を強行し、同じく核武装するに至った。そこでは、中国の直接的な技術支援さえも取り沙汰される。印パ両国がNPT(核不拡散条約)に加盟しておらず、IAEA(国際原子力機関)の査察の対象にならなかったことが、こうした秘密裡の核兵器開発を容易にさせたことは間違いない。また、印パ両国間には周知のごとく、長年未解決のカシミール領有問題がある。それをひとつの発火点に一触即発の危機が南アジアに生まれる危険性も否めない。

また、東アジアに眼を転じれば、85年にNPTに加盟していた北朝鮮が、核兵器開発をめぐる焦点となっていることは言うまでもない。アメリカ・日本・韓国・ロシア・中国5カ国との間での94年「枠組み合意」に基づき、一度は事なきを得たかに見えた北朝鮮の核開発問題は、同合意で約束された軽水炉建設の遅れという事情も手伝い、21世紀に入ると再燃した。パキスタンから濃縮ウラン核技術を秘密裡に輸入したといわれる金正日政権下の北朝鮮は、2003年にはNPTからの脱退を宣言し、翌年の核実験の強行によって事実上の核保有国化を実証した。食い止める術を十分持つことのない国際的な核兵器開発の転移・暴走は、南アジアの場合と同様に、東アジアの安全保障の将来に暗い影を投げかけている。

さらに、西アジア(中東)でも、50年代末から核兵器保有に疑いが持たれ、すでにその保有が確実視されているイスラエルの存在も軽視することはできない。そして、イスラエルがパレスチナを不法に継続占領していることに強く反発し、糾弾し続けるペルシァ湾域内大国のイランが今や、西アジアでの核をめぐる国際的緊張の中心に位置している。ここでの議論の焦点は、NPTで認められた核の「平和利用」の権利に基づくウラン濃縮活動の実施・継続を主張するイランに対して、それを核兵器開発の前段階であると警戒してやまないアメリカをはじめとする国際社会の受け取り方の決定的なギャップにある。上述の印パや北朝鮮の場合と性格を異にするイラン核問題は、2006年から議論の場を国連安全保障理事会に移し、すでに対イラン制裁決議も複数回に渡って発出されるなど、緊張の度合いを深めている。これに対して、イランは安保理での審議が不当であると主張し、対決姿勢を緩めていない。アメリカやイスラエルによる対イラン軍事攻撃の可能性も囁かれ、今後の展開から眼を離すことはできない。

以上の事例は、核の軍事転用(とその可能性)に関連してアジアの核拡散の危機的状況を如実に物語るが、さらに注目すべきは、アジア各国での多くの原子力発電所の存在と建設計画の増加傾向にある。それは、悪化する環境問題との絡みで、二酸化炭素(CO2)排出を抑える「クリーン」で安価なエネルギーとして、原子力エネルギーが注目されているからに他ならない。例えば、日本にはすでに54基の原子力発電所が存在している。その他韓国(20基)、中国(11基)、台湾(6基)、インド(15基)、パキスタン(2基)など、アジア全体で106基を数える原子力発電所が現在稼動している。また、インドネシアをはじめ、現在アジア諸国で建設中、ないしは計画中の原発数はさらに50基近くに達するとも指摘されている。なかでも、最近の報道では2030年までに中国は100基を超える原発保有計画を有していると言われる。環境への負荷が少ないとの理由と、石油・天然ガスの価格高騰も受け、一層原子力エネルギーへの依存傾向がアジアを中心に世界規模で強まることは容易に予想される。

他方、地球温暖化をはじめとする異常気象や自然災害の発生が強く懸念されるなか、いかにコンピューター制御や種々の安全装置が原子力発電所に組み込まれていても、人為的な操作ミスや事故による放射能漏れの危険性が常につきまとう。1957年のウラル核惨事に始まり、79年のアメリカ・スリーマイル島、86年のチェルノブイリと続く原子力発電所事故が知られているが、日本でも78年の東京電力福島第一原子力発電所3号機の臨界事故以来、十指に余る事故がこれまでに発生しており、なかには複数の死者も出ている。原発で働く職員のみならず、周辺住民も放射能汚染に曝されるリスクと日々背中合わせに暮らしていると言うことができる。また、法律上義務付けられた事故の報告が迅速かつ詳細におこなわれなかったケースさえあり、こうした原発を推進・擁護する側の隠蔽体質さえ考えれば、一層事態は深刻である。

以上、簡単に指摘した放射能の大量貯蔵による民生利用であれ、また核兵器開発という次元であれ、アジア大陸は東の端から西の端まで核=放射能汚染の脅威に曝された広大な陸地に変貌しつつある。ましてや、核の民生利用のために蓄積された技術は、政治的意志が働きさえすれば、容易に兵器級の高濃縮ウランの製造をおこない、軍事転用も可能になるほど高度化している。核エネルギーの民生利用と軍事的利用は、いわば「不即不離」の関係にさえある。

このように見ただけでも、「核拡散問題とアジア」は、21世紀初頭の現在急激に進行しつつある、極めて深刻な問題群のひとつであると理解できる。だが、この問題に関する専門的な書物は余りに数少ないのが現状であると言わざるを得ない。確かにこれまでもアジア一国の現代史や国際関係を検討する際、あるいは今日的な安全保障問題に考察を加える際に、当該国の核開発政策やそこでの問題点は取り上げられてきている。また、「核拡散」の事態に警鐘を鳴らす関連書物でも、アジア諸国の政策や現状が議論されてきてはいる。しかし、後者はアジア諸国の内政、国際関係の複雑な実相への十分な目配りを欠いていることは否めない。また、前者の場合にも歴史や現状の一断面として素描されてきたきらいがあり、本書のように複数のアジア諸国を俎上に、それぞれの核問題を集中的に論じたものではない。

本書は、「ヒロシマ」にゆかりのあるアジア研究者8名の手によるアジアの核拡散問題に関する高度入門書である。必ずしも核問題を専門に研究してきたわけではないとはいえ、ここに論考を執筆した研究者は、各々が専門とする国の歴史や政治、国際関係の動向への十分な理解と認識のもとで、各国の核問題の持つ特殊性や問題点を検討している。その意味で、日本ではほとんど例のない研究であると言うことができる。

また、ここでは従来の核戦争回避に加えて、環境悪化の回避という今ひとつの側面を視野に入れ、副題に示した「核抑止論」を二重の意味で捉えている。したがって、ここではわれわれにいつ襲いかかるかもしれない上述の核の平和利用の実態に関わる問題も検討すべき対象に設定されている。換言すれば、「核抑止論」の前提を今一度問い直しながら、アジアの核拡散の特性や課題を含めた実相を浮き彫りにし、国ごとに異なる核問題の背景、性格、そして課題を検討することが本書全体を貫く課題である。

もちろん、アジア諸国すべてを網羅的に扱うことはできないことから、ここでは最も国際的に注目されている国々、すなわち北朝鮮、韓国、中国、インド、パキスタン、イラン、イスラエルを考察の対象に据えた。また、核拡散という観点から意外に抜け落ちがちな日本についても1章を設けている。さらに、アメリカの政策については上記のアジア諸国で直接間接に論じられるので、むしろアメリカとは異なるスタンスで、時に対米カウンター・バランスの役割も担いつつ、アジアの核拡散に影響を与える第二の核保有国ロシア(ソ連)の政策も、本書では検討対象となっている。

まず「核拡散と日本『ホンネとタテマエ』の被爆国」という、刺激的なタイトルが付けられた第1章では、被爆国としての日本が、当然核廃絶と世界平和を希求するべきはずであるにもかかわらず、それとかけ離れた現状にあることを様々な事例を通じて考察している。そのうえで、日本の潜在的核武装論を核拡散への「貢献」と関係付けながら検討している。

続く「韓国と核『持ち込み核兵器』と核技術利用の現代史」と題した第2章では、日本の場合と無関係ではない、米軍による韓国への核兵器の持ち込み問題を検討した後、60年代から始まる韓国政府の核開発・「核武装」構想を考察している。そして、北朝鮮問題を踏まえ、近年原子力発電の増加という事態に関しても分析されている。

次に、第3章「北朝鮮の核兵器開発の背景と論理」では、冷戦後の自国をめぐる「藤」深化の認識を背景として捉え、体制維持のために唯一国際的な影響力を有する手段確保という自衛目的を掲げつつ、核兵器開発が正当化されてきたことを、この国の主たる対外関係における論理と行動から歴史的に読み解こうとしている。

第4章「中国に見る『核』の勢力均衡と国際協調」では、まずソ連でおこなわれた最初の原爆実験とほぼ同時期に建国された中華人民共和国の核保有国化プロセスと、その後軍産両用での「核」の維持に努める歴史を、国家間関係と中国内政の変化との連動のなかで考察した後、緊張状態を繰り返す新たな核保有国インド・パキスタン両国との関係構築に向けたこの国の動向を詳細に検討している。

次に、第5章「変転するインドの核兵器開発と政治的思惑」では、独立以来核兵器廃絶を訴えてきたインドが、1964年の中国による核実験を境にして大国主導の「核不拡散」体制に異を唱えるようになり、最終的には自らが核武装を果たしていく政治過程を論じている。その際、「核軍縮」といった言説でさえ、インドの政治的な思惑のなかで利用されてきたことが明らかにされている。

こうしたインドと絶えず緊張関係を繰り返しているパキスタンを検討対象にした第6章(「パキスタンの核兵器開発問題とその位相」)では、その国内事情や国際関係の制約によって、海外からの技術移転に大きく依存した核兵器開発の性格がまず検討される。そのうえで、自国内で完結しない核兵器開発の歴史が核管理や技術流出の防止といった核実験後の課題にも大きく影響を与えている側面が論じられている。

続く「イラン『核』問題の底流にあるもの内外情勢の変容の狭間で」と題した第7章では、まず現イラン政権指導部に核開発を迫る国内的背景を概観する。その後、79年革命以来この国と敵対関係にあるアメリカ政府の対イラン政策、国内的な党派対立の熾烈化などが核問題と直接関連付けて検討され、最後にイラン核問題の特質と解決に向けた課題が浮き彫りにされる。

第8章「イスラエルの核をめぐる諸問題核保有がもたらす中東情勢への影響」では、イスラエルが厳然たる核兵器保有国であることを前提に、同国の核開発過程で発生したポラード事件とヴァヌヌ事件が検討されている。その後、核戦争の危険性がつきまとうこの国の核保有が強固な対米同盟により維持され、そのことがアラブ世界での核拡散の動きに連動するものであると論じられる。

最後に、第9章「ロシアの核(原子力)政策過去と現在」では、まず社会的コスト(安全性)にしかるべき配慮を払わず、生産高の引き上げに重点を置いてきたソ連の原子力開発の歴史を取り上げ、その結果チェルノブイリ原発の爆発事故も発生したことを検討する。そのうえで、新生ロシアの原子力開発の政策に論及した本章では、環境保護への配慮は省みられることなく、むしろ営利追求の姿勢の顕在化が問われている現状が考察されていく。

以上、かいつまんで各章の概要を紹介した。もちろん、本書では当該諸国の核開発への取り組みの歴史や現在の核(兵器)保有状況、NPTとの関係をはじめ、対外的な姿勢や政策など、幾多の点で一様に語ることが難しいほど多様である。したがって、それら諸国の核拡散の問題に対するアプローチの仕方や分析の切り口も、核の地域事情を踏まえて当然様々である。それゆえ、読者のそれぞれの関心に従ってどの章からでも読み進めていただければと思うが、ただ、緊張や域内紛争に彩られた国際関係、そして国内社会経済事情なども組み込んだ複眼的な視点が各章全体に共通して示されていることを確認してもらえればと考える。

「反核」は当然としても、決して道義的な反対論に終始するのではなく、複雑な事情を抱え込んだアジアの核拡散状況をまずは正面から見据える必要があろう。そのうえで、世界規模での核廃絶達成の前に横たわる国内的、国際的な課題に直面するなかで、本書での議論や検討内容が少しでも役に立てば幸いである。そして、何より核廃絶に真剣に取り組み続ける方々やこれから核問題への基本的な認識を養いたいと考えておられる方々にご一読頂ければ、本書を企画した者としてこれ以上の喜びはない。

編者

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