水林彪
(一) 本書は、2007年11月17日(土)・18日(日)の両日、一橋大学において開催されたシンポジウム「東アジア法研究の現状と将来」(主催: 一橋大学大学院法学研究科、中国人民大学法学院、釜山大学校法科大学、共催: 一橋大学21世紀COEプログラム「ヨーロッパの革新的研究拠点」、アジア法学会)の記録である。
このシンポジウムは、日本学術振興会の委託にもとづき、中国人民大学法学院および釜山大学校法科大学と共同して、2007年度から5年間の予定で推進しつつある研究教育プロジェクト「東アジアにおける法の継受と創造――東アジア共通法の基盤形成に向けて――」の初年度のメイン事業として開催されたものであるので、まずは、この研究プロジェクトの概要を説明することが順序であろう。本プロジェクトの日本側コーディネーターである私は、これについて、一橋大学においてこのプロジェクトを担う主たる機関たる「日本法国際研究教育センター」の2008年度報告書において、一橋大学大学院法学研究科が日本学術振興会に提出した公式文書を念頭におきつつ、述べたことがあるので、以下では、それからの引用をもって、説明にかえることとしたい。
東アジアに位置する日中韓3国は、それぞれ固有の歴史の上に、近代以前は中国の法文化の影響を受け、また近代以降は、濃淡に差はあるにせよヨーロッパ法を採り入れてきた。第2次世界大戦後の国家再建期においては、各国の独自性が強まったが、日韓両国が資本主義経済を発展させ、また改革開放後の中国も市場経済を急速に発展させる中で、再び共通面が増加してきている。
資本主義経済の発展の現段階の特徴の一つは、そのグローバル化である。地球上の一地域で起きた事件が、即座に全世界に影響を及ぼす、そのようなグローバル化した資本主義経済が出現した。しかし、その一方で、EU経済圏や北米経済圏のような経済の地域圏化も進行し、東アジアについても、端緒的ながら、同様の動きが見られるようになり、「東アジア共通法の形成」も課題として意識されるようになってきた。
一橋大学大学院法学研究科は、日本学術振興会の委託にもとづいて、中国人民大学法学院および釜山大学校法科大学と共同して、2007年度から5年間の予定で、「東アジアにおける法の継受と創造――東アジア共通法の基盤形成に向けて――」と題するアジア研究教育拠点事業を展開することになったが、この事業の目的は、今後長期にわたって論じられることになるであろう、以上に述べたような、「東アジア共通法の形成」という実践的課題を遠望しつつ、この問題を学問的に考察するための大前提として、「東アジアにおける法の継受と創造」に関する研究および教育を行うことである。具体的には、研究上の目標は、次の3つの柱から構成される。すなわち、(1)日中韓における西欧法継受の歴史研究、(2)日中韓3国の法の現状分析、(3)東アジア共通法の基盤形成に向けての提言。以上の研究を遂行する過程で、当該問題を将来にわたって持続的に研究し実践する若手人材を多く養成することを教育上の目標とする。(一橋大学法学研究科日本法国際研究教育センター平成19年度報告書『東アジア法研究の現状と将来』2008年、1頁)
「法の継受と創造」という鍵概念について、若干の補足説明をするならば、このうちの「法の継受」とは、近代における西欧型近現代法(法典・法律とともに、学説も含む)の継受のことであり、「法の創造」とは、継受した西欧近現代法を、継受した側が、国情などに適合するように意識的無意識的に変容させつつ発展させる現象を指示する。日本を例にとるならば、19世紀末の民法典をはじめとする諸法典の継受とともに、それ以降、今日に至るまで間断なく持続している個別立法や学説の継受の総体が「法の継受」である。そして、そのような不断の「法の継受」を起点として展開した、立法・判例・学者の法理論・実務家による法実践などからなる法現象の総体が、「法の創造」にほかならない。
(二) 以上のような5カ年間の研究教育プロジェクトの初年度のメイン事業として企画されたのが、本書の原形となった前記シンポジウム「東アジア法研究の現状と将来」であった。プログラムは、次のようであった(報告者の所属、専攻分野などについては、本書末尾に一括掲載する)。
われわれ主催者は、このシンポジウムにおける参加者のコミュニケーションを少しでも緊密なものとすべく、報告者とコメンテーターに、次のことをお願いした。すなわち、(1)各報告者は、口頭報告用の簡略版と、論文として発表することを念頭においたフルペーパーの二種類の文書をシンポジウム当日以前に作成すること(シンポジウムの使用言語は日中韓三カ国語としたので、各報告者は、二種の文書につき、三カ国語版を用意した)、(2)各報告者およびコメンテーターは、それらを事前に読了した上でシンポジウムに臨むこと、これである。本書は、以上のうち、報告者全員のフルペーパー(ただし、後に必要な補正を施したものもある)と、当日の発言を後日、本書のために文書にして下さった三名の方々(國分典子、高見澤磨、安田信之の各氏)のコメントとを収載し、一書としたものである。
(三) 先に述べたように、二日間にわたって開催されたシンポジウムの初日のテーマは「法継受・法創造についての研究の現状」であり、2日目のそれは「伝統的法文化の比較研究共通法形成に向けて」であった。前者については、特に説明の要はないであろうが、後者については、若干なりとも、趣旨を解説しておくことが必要であろう。これについても、前記の「日本法国際研究教育センター」報告書に掲載した文書(シンポジウム2日目の趣旨説明を文書化したもの)があるので、この引用をもって、説明にかえることとする。
私たちのアジア研究教育拠点事業が掲げた実践的課題「東アジア共通法の基盤形成」――さらには、その先にある「東アジア共通法の形成」――には、相反する二つの力が働いているように見える。
一つは、この課題を積極的に後押しする性格の力である。中国主導で提言・推進されつつある2002年「東アジア自由貿易協定(FTA)構想」(2010年を目標とする広域的多国間で統一市場形成)、日本の民間シンクタンクが提唱した2003年「東アジア経済共同体構想」(2025年を目標とする東アジア全域での経済統合)、ASEAN諸国が提唱する2003年「ASEAN経済共同体構想」(2025年を最終目標とするASEAN+αによる経済共同体形成)などに見られる統一的経済圏形成志向は1、共通法形成の志向を生み出す最も強い原動力であろう。経済的取引関係についての基礎的な法である民法について、日本・中国・韓国の間に、別図に示すような法の継受を通じて、共通部分の少なくない民法的世界が形成されつつあることは2、経済界の志向を支えるものとなろう。
しかし、その一方で、日中韓三国には、西欧法の根本にある民法を継受した、ないし、しつつあるにもかかわらず、法文化が西欧化しきる状況にはないという現実が存在する。たとえば、鈴木賢教授は、中国について、「中華人民共和国の法には、いまだ固有法的要素が色濃く刻印されている点が注目される。…中国法文化の変わりにくさ、慣性の強靭さには驚きを禁じ得ない。近時の高速度な経済成長を経ても、中国法は今なお、西洋法とはきわめてラディカルに異質なままなのである。日本企業を含む多くの外国投資家は、中国法の異質さになお困惑を隠せないでいる3」と述べている。韓国については、梁承斗教授の議論が参考になろう。いわく、「民主国家の建設というのは国民全体の念願である。民主国家の建設は、結局、人の支配する社会ではなく、法の支配する社会を造り上げるということにある」、しかるに、「韓国人は法に関して消極的あるいは否定的な考え方をもっていると言われている。…大概の学者は、韓国では人々が伝統的に法に対して否定的な視角をもっているとして、このような伝統的な意識は現在でもわれわれ、韓国人の意識を支配していると述べる4」と。日本についていえば、19世紀末における資本主義経済と西欧法の継受にもかかわらず、社会関係や法意識の面において伝統的なもの――いわゆる「前近代的」なもの――が、少なくとも1960年代の高度経済成長期に至るまで広汎に残存したこと、この事実が川島武宜教授らを先駆者とする法社会学というディシプリンを誕生させたこと5、そのような日本近代の社会構造は、阿部謹也教授の「世間論6」が鋭く指摘したように、高度経済成長以降今日にいたるまでも基本的に持続していること、これらのことが指摘できよう7。
そして、まさにここにおいて、日中韓三国の伝統的社会構造と法文化をあるがままに認識するという学問的課題が浮上してくる。西欧法を継受したにもかかわらず、それを変容させ、さらには機能不全に陥らせるところの、伝統的法文化である。その場合、日中韓三国のそれが基本的に同一である、という保証は何もない。少なくとも、そのことを所与の前提とするわけにはいかない。対象をアジア諸国全般に拡大すればなおさらである。これらの諸国の法を一括りにする「アジア法」という語が学界に通用しているけれども、そもそもそれが一個の学問的概念として成立可能か否か――EU法の形成を可能とするような潜勢力をはらむ、英仏独などを核とする「西欧法」と同様な意味において「アジア法」なる概念を定立できるのか、それとも、たかだか「アジア諸国の法」という意味において、その簡略形としてしか使用しがたいものであるのか――という問題は、アジア諸国の法についての実証的研究を通じて検証しなければならない事柄である。
第2日目のテーマ「伝統的法文化の比較研究共通法形成に向けて」は、以上のような問題関心から設定された。「比較研究」の視座は、上に述べたことから、二重の仕方で――すなわち、(1)継受法の母国をなす西欧と、継受した側のアジアとの比較、および、(2)継受した側のアジア諸国内部での比較、という二重の仕方で――設定されることになる。
この課題は、今後5年におよぶ本プロジェクトに一貫する基本的テーマの一つとなろう。その最初の年にあたる本年のセミナーの目標は、この問題に関する研究の現状を把握し、問題点を整理し、「伝統的法文化の比較研究――共通法形成に向けて」問題に接近するための方法を若干なりとも錬磨し、今後の新しい実証的研究のための基礎を築くことである。(前掲・日本法国際研究教育センター平成19年度報告書6970頁)
(四) 本事業は、その後も順調に展開している。2年目のシンポジウムは、2008年11月22日・23日に、中国人民大学法学院(北京)において、「東アジアにおける法の継受と創造――公法を中心に――」と題して開催された。3年目の本年は、2009年11月7日・8日に、再び一橋大学において、「東アジア法の中での市民の刑事司法参加」という統一テーマのもと、シンポジウムが開催される予定である。これらのシンポジウムについても、何らかの形で、書籍化できることを念じている。
1 アジア法学会編『アジア法研究の新たな地平』(成文堂、2006年)所収の以下の二論文参照。金子由芳「アジア統合構想における法形成の選択肢―正統性と正当性のマトリクス―」171頁以下、安田信之「アジア法の概念とその生成過程」28頁以下。
2 鈴木賢「試論・東アジア法系の成立可能性」(『北大法学論集』53巻3号、2002年)。
3 鈴木賢「中国法の思考様式―グラデーション的法文化―」(アジア法学会編『アジア法研究の新たな地平』成文堂、2006年)。
4 梁承斗「現代韓国人の法意識に関する一考察」(『北大法学論集』46巻1号、1995年)151頁。
5 この問題についての参考文献は膨大であるので、ここでは、川島教授の法社会学について言及した拙論をあげるにとどめる。水林彪「川島博士の日欧社会論」(『法律時報』65巻1号、1993年)。
6 阿部謹也『「世間」論序説』朝日新聞社、1999年(初出1992年)。
7 この点を論じた私の最近の著作として、水林彪『天皇制史論本質・起源・展開』(岩波書店、2006年)第8章を参照されたい。
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