1995年にWTOが設立されて以来、15年余りが経過した。この間、通商を取り巻く環境は大きく変化している。まず、「WTOサービス貿易一般協定」(GATS)が成立したことにより、従来の物品貿易に加え、サービス貿易がWTOのラウンド交渉の対象となっている。また、従来貿易とは切り離して論じられていた投資や競争政策が、現行のラウンド交渉のアジェンダにはならないまでも、WTOにおける議論の対象となった。さらには、1990年代以降、地球温暖化問題が世界的関心事項になったことに伴い、温暖化防止に係る様々な措置のWTO諸規則との整合性が問われる事態も生じいている。
かかる状況を踏まえ、本書ではこれらの論点について考察を加えることとした。
第一章では、物品貿易について取り扱う。物品貿易は世界の貿易総額の8割強を占めており、その自由化の推進なくして自由貿易は実現し得ない。WTOの場における交渉を通じて、多国間での関税の引下げ、通商制限の緩和・撤廃を実現することで世界全体の経済厚生を増大することが何より重要である。しかし、WTOという多国間の場で貿易を自由化した場合、特定の分野について高い関税率を維持している競争相手国との関係で交易条件が不利になる場合がある。そこで、地域貿易協定(自由貿易協定、経済連携協定等)という形で相手国を選別した上で関税の引下げ等を実施するケースが1990年代以降急激に増大している。もっとも、地域貿易協定は、域外国に対する障壁を相対的に高めるという弊害があり、WTO体制との整合性を確保する上での要件を整理しておく必要がある。また、WTO発足に伴い、「アンチダンピングに関する協定」ならびに「セーフガードに関する協定」が成立した。従来、アンチダンピングはGATT第6条、セーフガードはGATT第19条に基づいておこなわれていたが、両協定の成立によって規律が強化されている。アンチダンピング措置、セーフガードともに関税の引下げというWTOの基本精神に逆行する例外的な措置であるため、その濫用を防止すべく、厳格な規律が求められることはいうまでもない。本章ではこれらの点についても検証する。
第二章ではサービス貿易を取り扱う。1990年から2007年の間に、サービスの越境取引の額はほぼ4倍になっており、その自由化を通じた取引の拡大は世界経済の活性化に貢献する。なおGATSは、現地に拠点を設置してサービスを提供する場合、また、自然人が外国に赴任してサービスを提供する場合もサービス貿易の対象としている。すなわち、外資の出資制限や出入国管理・在留資格の付与といった、従来もっぱら国内法上の問題とされていた事項がサービス貿易自由化交渉の対象となっているのである。本章では、サービスの諸論点を概観しつつ、その自由化のあり方について考察する。なお、サービス貿易についても物品貿易と同様、セーフガードの発動に係る問題が存在する。物品貿易の場合、セーフガード措置とは、緊急時の一時的な関税の引上げや数量制限のことであるが、サービス貿易の場合、極端なことをいうと、拠点を設置してサービスを提供している外国企業に対して一時的に活動を禁止することにもなりかねない。果たしてこのようなことが許容され得るのか、検討を加える。
第三章では投資を取り扱う。投資については、ホスト国に拠点を設置して活動をおこなうという点でサービス貿易と共通であり、外資の出資制限の緩和等がやはり重要な論点となっている。GATS同様、WTOにおいて多国間の投資ルールを策定し、投資の自由化を推進することが期待されており、本章では、その法的枠組みのあり方について検討を加える。もっとも、現在、WTOにおける投資ルールに関する議論は中断している。そこで、WTOにおける多国間の投資ルールが完成するまでの間、二国間投資ルールの整備を通じて投資の自由化を推進することも重要であり、本章ではそのあり方についても考察する。最後に本章では、投資家とホスト国との間で紛争が生じた場合の投資紛争解決の枠組みについて、国際法的観点から考察を加える。
第四章では、政府調達を取り扱う。政府調達市場の規模は一般的にGDPの1015%を占めるといわれており、入札制度やそのプロセスにおける公平性、透明性の確保が物品・サービスの自由な移動を保証する上で重要である。特に最近では、わが国を含む主要国において、公共事業の発注者と民間事業者との対話・交渉を通じて当該事業のスペックを決定していく中で落札者を決定する入札制度が導入されている。このような制度は、民間事業者の創意工夫を活かし、費用対効果の高い良質な公共事業の運営という観点から好ましい。他方で、発注者と民間事業者が直接接触することから、その際に公平・公正な手続きを遂行することで恣意性を排除していくことがより強く求められる。本章では、WTO政府調達協定との整合性を含め、具体的に検討する。
第五章では貿易と地球温暖化問題を取り扱う。京都議定書の成立以降、地球温暖化問題は国際的な最重要課題の一つとなっており、先進国はそれぞれ温室効果ガスの排出削減に向けた取組を強化している。もっとも、排出削減に向けた各国の取組は、運用如何ではWTOの諸規則に抵触する可能性がある。例えば、一定の基準を満たす環境配慮型製品にマークをつけて推奨する、いわゆるラベリング制度については、やり方如何では製品の輸出国に対する非関税障壁となりかねず、WTOの「貿易の技術的障害に関する協定」との関係で問題を生じかねない。特に、製品そのものではなく、その製造工程を対象としたラベリングについては議論が少なくない。また、温室効果ガスの排出を削減する目的で排出権取引制度を導入する際、企業等に対して実際の排出量を上回る排出枠を無償で付与すれば、当該企業は余剰排出枠を売却することで利益を得ることができる。これは事実上の補助金に該当し「補助金及び相殺措置に関する協定」との整合性が問題となり得る。本章ではこれらの論点について考察する。
第六章では、貿易と競争法の域外適用を取り扱う。競争法の域外適用、すなわち、外国における外国企業の反競争的行為が自国に悪影響を及ぼす場合に当該外国企業に対して自国の競争法を適用することは、そもそも国際法上認められるのか。仮に認められる場合、その限界はあるのか。また、外国において外国企業が閉鎖的な流通システムを構築し、自国の企業の参入が阻害された場合、これは貿易の問題とみなすべきなのか、それとも競争法上の問題とみなすべきなのか。本章では、これらの諸論点について米国の国家実行、判例を中心に検討を加えるとともに、WTOとの関連でも考察する。
最後に、私事で恐縮であるが、この度、待望の長女が誕生することとなった。本書は、わが子が誕生した時代の国際経済法分野での動きを記録に残しておきたいという動機で書き始められた。筆者の思いを受け止め、専門書の出版が著しく困難な中、本書の刊行をご快諾下さった国際書院の石井彰代表取締役に厚く御礼申し上げる。
2010年3月
大田区山王の自宅にて
森田清隆
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