トーマス・マン政治思想研究[1914-1955] 「非政治的人間の考察」以降のデモクラシー論の展開

浜田泰弘

第一次大戦以降、文豪トーマス・マンは「政治と文学という問い」に果敢に挑んでいく。二度の世界大戦、ロシア革命、ドイツ革命、ファシズム、冷戦を経た彼の足跡は「20世紀ドイツ精神の自叙伝」として多くの示唆を与える。「非政治的作家」トーマス・マンの政治との知らざれる関係、政治思想の体系的研究。 (2010.7.24)

定価 (本体5,400円 + 税)

ISBN978-4-87791-209-3 C3031 343頁

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目次

著者紹介

浜田泰弘 (はまだ・やすひろ/Yasuhiro Hamada)

まえがき

はじめに

本書はトーマス・マン(Thomas Mann, 1875–1955)の第一次大戦以降の政治思想を対象とする研究である。かつて非政治的人間を自称し、非政治的作家として扱われることの多いトーマス・マンの政治思想研究という本書の題名に疑問を抱き、違和感を覚える読者もいるかもしれない。周知のようにトーマス・マンは『ブッデンブローク家の人々』(一九〇〇年)、『トニオ・クレーゲル』(一九〇三年)、『魔の山』(一九二四年)、『ヨゼフ物語』(一九四三年)、『ファウストウス博士』(一九四七年)などの著作を著した二〇世紀ドイツを代表する作家でありノーベル文学賞を受賞した芸術家である。

だがその文学作品に比して、彼の政治評論や講演を中心とした政治的言動は長らく低い位置に置かれてきた。文学作品の一方、全集にも収められている多くの時事評論や政治講演、日記や書簡に表現された政治思想について体系的に研究される機会はあまりなかった。もっとも特定の時代や論説を対象とした彼と政治との関係は少なからず研究の対象とされてきた。しかしその視点は一面的な視点に依拠したものが多く全体像を描写するには不十分であった。このように常に文学的創作の周縁に置かれ続けてきた彼の政治評論と政治との関係を通して彼の政治思想形成を明らかにすることが本書の主要な目的である。

彼と政治のイメージを強く規定しているものは主に次の三点にあろう。

第一に、第一次大戦期の『非政治的人間の考察』(以下、『考察』)の錯綜した内容と過激なナショナリスト像、そしてその後の民主主義者への転回の過程が挙げられる。特に『考察』は第一次大戦開戦時に多くのドイツ知識人が発表した愛国主義的な戦争賛美の論説と並行して著されたものであり「トーマス・マンの誤った政治への道」と解される場合が多い。実際のところ、同書の執筆の動機の一つに兄ハインリヒ・マンとの兄弟喧嘩があり、彼のフランス批判はそのまま兄ハインリヒへの反論を意味していた。さらに開戦時の執筆開始当初、反西欧的な立場を主張し戦争賛美をしていた一方、大戦末期に差し掛かった巻末においてドイツの非政治性を批判し西欧的デモクラシーを受け容れる立場に変容していることは、同書の評価を困難なものとさせている。その後ヴァイマル共和制時代に彼は民主主義を擁護する立場に転回するが、その経緯が余りに唐突であったため多くの批判を受けた。しかしながら民主主義への転回をめぐる真意と政治的背景については十分な検証がなされていない。したがって『考察』の再評価のためにはテキストの詳細な検討と政治的背景の理解に務める必要がある。

第二に反ナチ亡命知識人、民主主義の擁護者としてのトーマス・マンの存在がある。亡命期の英雄像が強調される余り、前後する時代の政治思想は軽視されてきたように思われる。ナチスに抵抗する亡命知識人の代表者、民主主義擁護者という理解は確かに彼の政治的活動を説明するに当たって重要な一面だが、それは長期的な彼の思想形成の中では一断面に過ぎず、それにかかわると体系的理解を得られなくなる。

第三に社会主義との関係がある。特に冷戦期、彼の社会主義的な言動はアメリカや西ドイツから指弾の対象とされ、スイスへの帰還を余儀なくさせ、最晩年の「フリーランサー宣言」にもがっていった。社会主義との微妙な関係の一方、党派的にも必ずしも明瞭な位置に立たなかったことは彼の政治観の評価を貶めている一因であろう。

これら三つの問題は彼の政治思想の評価を大きく規定しているように思われる。しかしそこからいくつかの疑問が生じる。いずれの像も各時代の断面に規定されたものであり、一つの時代との関係を強調し過ぎると逆に前後の思想形成の連続性や発展のモメントを見落とすことになるのではないか。様々な局面に区別される彼の思想形成において何らかの共通性や連続性を見出すことができるのではないか。『考察』以降のデモクラシー論の展開を軸に彼の思想を再構成することができるのではないか。そして時代の変化に即して彼はデモクラシー論をより豊かなものに発展させたのではないか。

本書はそのような疑問に基づき、彼の政治思想を段階ごとに整理し、さまざまな位相のデモクラシー論の可能性を探ろうとするものである。それはまた一見断片的で連続性を欠くように見える個別の政治評論や講演を対象とし、「デモクラシー論」と関係づけながら時代別に整理し、再構成する試みでもある。

彼の政治思想についてデモクラシー概念を軸に区別、整理するならば、『考察』の反デモクラシー論、そしてヴァイマル共和国時代の民主主義擁護への転回のプロセスが第一の対象とされるべきである。それは彼の政治的省察およびデモクラシー観の出発点であったためである。次に亡命後の「戦闘的デモクラシー論」、社会民主主義に傾斜した独自の国家観である「社会的デモクラシー論」、さらに世界連邦共同体を構想する「世界デモクラシー論」という段階に区別することができるであろう。

本書の概要を次に整理しておきたい。まず「序章」 では問題の所在、そしてトーマス・マン研究の現状を整理する。「第一章トーマス・マンのデモクラシー批判」では市民的芸術家としての前史を俯瞰する。そして『戦時随想』や『非政治的人間の考察』における文化と文明、非政治的ドイツ精神と西欧的デモクラシーの対立など、彼の思想の根底にあった二極的対立図式を整理し、彼のデモクラシー批判を明らかとし、その政治観の真意に迫る。

「第二章 ヴァイマル共和国時代の政治思想」ではヴァイマル共和国以降の民主主義への転回点ならびに民主主義的啓蒙者の役割について検証する。彼はヴァイマル政権との関係から社会民主主義に接近しながら、やがて反ファシズムと民主主義の防衛に向かう。

「第三章 反ナチズムとデモクラシー論の展開」ではスイス亡命、そしてアメリカ亡命時代の反ナチデモクラートとしての言論活動を中心に扱う。アメリカ亡命時代に彼は「社会的デモクラシー論」を展開し、さらに第二次大戦末期には「世界デモクラシー論」を提唱し特にヨーロッパ連邦を中心とする世界連邦共同体を構想するに至る。平和を構築する意図を持った大戦後のヨーロッパ中心の諸国家連合体の構想は現代のEUに少なからず影響を与えたと考えられる。

「第四章 冷戦時代の政治観 晩年のトーマス・マン」では大戦後のナチス・ドイツへの批判と冷戦時代の東西ドイツとの複雑な関係を明らかにする。さらに彼は社会主義的言動をもとにアメリカでマッカーシズムに巻き込まれ、反共主義者によって排撃され、やがてヨーロッパの永世中立国スイスに帰還する。晩年の彼はフリーランサー宣言をおこない、再び政治の舞台から身を引く過程を論じる。

「終章 芸術家の政治思想」では再び芸術家トーマス・マンの政治思想、特に現代における作家の政治的役割について検討する。彼のドイツ批判は同時に自己批判を意味していた。そこで彼はナチズムへの道を準備したドイツの非政治的文化の批判を通し、非政治的態度、政治的無関心を排し、政治的問題と向き合うことの重要性を説いた。彼が自ら示した精神的代表者としての現代作家の地位、知識人の政治的教育、啓蒙的役割は今日依然重い意味を持ち続ける。

だがこのような本書における研究には一定の限界があることを付言すべきであろう。それは文芸的作品を主要な研究対象としていない点にある。彼の政治的論説および政治講演に内在する政治的表象、特にデモクラシーを軸とした政治論と政治的構想を検証することに重点を置くためである。もし仮に政治的論説や日記、書簡に加えて文学作品上の政治的メタファーや人物像、小説内に織り込まれた政治的表象までも対象とするならば、歴史的コンテクストから逸脱する危険性があり、同時代的な政治批判や、政治的連続性や歴史的文脈などの時系列との連関性が捉えにくくなる。したがって本書では意図的に文芸作品における政治的表象は主要な対象とせず、主な対象を時事論説と政治的講演に限定して考察を進めることにする。

一方、彼の政治的論説、講演の多くは時代との緊張感を孕み、鋭い視点を提供するものではあるが、独特の感性から表現されたものであるゆえ、政治学的、法学的な厳密な専門用語として取り扱うことが困難であるという問題がある。すなわち「デモクラシー」一つにしても多義的な用法があり、文脈ごとにその真意を整理、判断し解釈する作業が求められる。特にデモクラシー概念は本書における最も重要なキーワードであるが、字義通りに理解すべきではない。だが独特な感性で理解、表現されたデモクラシー論は抽象的理念ではあるが、「社会的」、「戦闘的」、「世界的」などの形容的修辞とつながることによって多様な変化と表現を持ち、積極的で豊かな表現となることに留意すべきであろう。

さらにトーマス・マンと政治権力との関係について客観的な考察がなされる必要がある。すでに文学的地位を確立していたトーマス・マンはヴァイマル共和国政府により民主主義の精神的擁護者という政治的役割を与えられ、それ以降彼は権力との強いがりを持つことによって運命を規定されていく。だが彼が政治に翻弄され三度の亡命を余儀なくされた事実を顧慮したとしても、ただひたすら権力の謀略に翻弄され続けたわけではないことにも留意しておくべきであろう。すなわちマンは権力と手を結び、また権力を利用して自らの存在をアピールしようと務めた。特にデモクラシー信奉に至る過程でのプロイセン政府や社民党との関係、ローズベルトとの知己から得られた亡命者としての例外的な厚遇、反ナチ言論活動、社会主義陣営や東独との関係などを考慮した場合、政治権力との密接な関係が彼の政治的言動の背景にあったことは看過し得ず、そのような権力との契約がその思想形成に作用を及ぼした事実を検証せねばならない。

また彼の周辺には兄ハインリヒ・マンや息子のクラウス・マン、娘のエーリカ・マン等それぞれ芸術や学術に携わっていた家族兄弟の存在があり、さらにF・エーベルトやローズベルト、ジョルジュ・ルカーチ、テオドール・アドルノ、ヘルマン・ヘッセ等の知識人、政治家との交流があった。そのような交流が彼の知的活動に刺激を与えたことは言うまでもない。また論説から確認されるロマン・ロランとの論争や、トレルチの遺稿の影響、ノヴァーリスやホイットマン解釈に規定されたデモクラシー観、マルクスやヘルダーリンという象徴、ゲーテという啓蒙的模範像等の表現は政治観において重要な部分を形成しており、個別に分析する必要があるだろう。

このような視点に基づく本書は戦争と革命、冷戦を通じた二〇世紀を生きた孤独な知識人トーマス・マンの政治をめぐる生き様と、政治観を通じた苦悩の歩みを探ろうとするものである。そして本書は固定された非政治的作家というイメージ、「政治的感覚に疎い」トーマス・マンのイメージを一度払拭し、彼の政治思想の詳細な検討を通じて新たな視点を開くことも狙いとしている。

『考察』以降の自己省察を通じ、彼はドイツおよび自身に内在する非政治性を発見し、非政治的ドイツ精神を克服するためには政治を回避するのではなく、いかに人間が政治と真摯に向き合うべきかという根源的な問題に辿り着いた。彼は『考察』において政治の問題をトータルな人間性の問題にかかわるものとして扱うことを知り、芸術と政治を峻別しながらも、両者の類似性を自覚するに至る。このような彼の政治思想の遍歴をたどる作業は「二〇世紀における政治と文学という大きな問い」を探ること(モーリス・ブランショ)にかかわる。そして本書における試みはトーマス・マンの政治思想という領域を越えて、二つの世界大戦、ロシア革命とドイツ革命、ファシズム、そして冷戦を経た二〇世紀ドイツ精神の自叙伝となり、二〇世紀の国際政治史の描写にも通じるものと考えている。

索引

事項索引

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