開発経済論の検証 「新・東アジアモデル」を求めて

坂田幹男

東アジアのリージョナリズムの展望は、市民社会および民主主義の成熟こそが保障する。戦前この地域に対して「権力的地域統合」を押しつけた経験のある日本はそのモデルを提供する義務がある。 (2011.3.28)

定価 (本体2,800円 + 税)

ISBN978-4-87791-216-1 C1033 210頁

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目次

著者紹介

坂田幹男(さかた・みきお)

1949年山口県生まれ。

1980年大阪市立大学大学院経済学研究科博士後期過程終了。

東亜大学経営学部講師・助教授、福井県立大学経済学部助教授・教授を経て現在福井県立大学副学長。経済学博士。

中国吉林大学東北亜研究院客員教授(1995年7月~)。

北東アジア学会会長(2008年10月~)。

専門開発経済論、アジア経済論。

主著『北東アジア経済論』(単著)ミネルヴァ書房、2001年。

『第三世界国家資本主義論』(単著)日本評論社、1991年。

『アジア経済を学ぶ人のために』(共編著)世界思想社、1996年。

『北東アジアの未来像』(共著)新評論、1998年。

『北東アジア経済入門』(共編著)クレイン、2000年。

『北東アジア事典』(共編著)国際書院、2006年。

『中国経済の成長と東アジアの発展』(編著)ミネルヴァ書房、2009年。

『東アジアと地域経済・2010』(編著)京都大学学術出版会、2010年。

『中ロ経済論』(共著)ミネルヴァ書房、2010年、他。

まえがき

はしがき

開発経済論が対象とする事象は、経済学の中でも比較的新しい研究領域である。第二次大戦前にあっては、そもそも開発経済論が対象とする領域(非資本主義世界)は、そのほとんどが列強の植民地としてその支配下に置かれており、政治学や社会学、歴史学、文化人類学などの対象とはなりえても、経済学の対象とはなりえなかった。これらの国が相次いで独立を果たすのは戦後のことであるが、それでもしばらくは社会主義イデオロギーの猛威を前にして、学問的研究対象にはなりえなかった。

旧植民地世界の経済開発の問題が議論され始めたのは1950年代半ば以降である。しかし、当時でもなお、経済開発の問題は極めて政治的意図をもった政策的課題として議論されており、学問としての体系性を欠いていた。「南北問題」が世界的に注目されるようになった1960年代でさえ、日本の大学で今日の「開発経済論」に類した講義を開講していたのは、全国でわずか数校にすぎなかった。

筆者が「南北問題」に関心を抱き、インド研究を始めた1970年代初頭においても、経済学とは、市場メカニズムを分析する学問であり、資本主義が未発達で、市場メカニズムが十分には機能していない社会の開発問題を専攻するなどということは、三流の研究者のすることだという風潮さえあった。当時、大学院の先輩からは、「インド研究などやっていても就職口はないぞ」といわれていた。今から思えば、隔世の感がある。

本書は、基本的には「開発経済論」のテキストとして編集したものではあるが、併せて、筆者の40年近くにわたる開発経済研究の集大成を意図して編まれたものでもある。おそらく、後者のそれは成功したとはいいがたいと思うが、日本の研究者の中で、開発経済論の分野でこれだけの長いキャリアを持っている研究者はさほど多くはなかろうという自負だけはある。本書に、そのキャリアが活かされていれば幸いである。

第1章では、開発経済論の分野でこれまで主要な争点となってきたいくつかの問題について、現時点からみて依然として意味があると思われる問題だけを取り上げて紹介した。「低開発の歴史的要因」については、内的な要因と外的な要因に分けて考察し、そのどちらも一面的な分析を免れないことを指摘した。そのうえで、「開発」と「低開発」の歴史的要因を同時に解明できる新しい分析視角が必要であることを指摘した。さらに、開発論に潜んでいる「ユーロ・セントリズム」の克服、「不均衡成長理論」の弊害、開発における市場と国家の役割の再措定など、依然として今日的課題であると思われる問題について持論を展開した。

第2章では、「東アジアの奇跡」と賞賛された「輸出指向工業化」戦略が、「グローバル・スタンダード」と「ナショナル・スタンダード」という二重の基準をうまく使い分けながら、工業化に成功してきた実態を分析した。1997年後半から東アジアを襲った経済危機は、この「ダブル・スタンダード」が許容されなくなったことによって惹き起こされたものであり、東アジアは今、「大競争時代」を生き延びる「セイフティー・ネット」の構築を模索している。こうした東アジアの動きは、第7章で取り上げたリージョナリズムの高揚へとがっている。

第3章では、「東アジアモデル」と総称された、NIESに典型的にみられる「強い国家」のもとでの「キャッチ・アップ型工業化」は、筆者が長年研究対象としてきた「国家資本主義」の新しい発展の途であることを明らかにした。そこでは、「開発独裁」、「開発主義国家」、「権威主義体制」などと呼ばれる「国家主導型」経済発展の内実を、「国家資本主義システム」の新しい形態として分析している。そのうえで、「東アジアモデル」は普遍的モデル足りえないことを指摘し、それに代わる「新・東アジアモデル」構築の必要性を訴えた。筆者が最初に「新・東アジアモデル」構築の必要性を訴えたのは、すでに10年以上前のことであるが(坂田[1999])、この状況は今日でも基本的に変わってはいない。

第4章では、「東アジアモデル」の典型として韓国の工業化過程を取り上げ、その歴史的検証をおこなった。筆者は、かねてより、「漢江の奇跡」と賞賛されてきた韓国の「キャッチ・アップ型工業化」の成功は、「権威主義体制」(開発独裁)下での国家資本主義的発展の第三の途であることを指摘してきたが、ここでは改めて、韓国「国家資本主義」の生成過程から発展過程、さらには終焉過程にまで分析を進めた。併せて、韓国は、国家資本主義システムの後遺症の克服という課題を依然として抱えていることも指摘した。

第5章では、中国の「社会主義市場経済」の本質をどのように理解すればいいのかを、いくつかの見解を紹介しながら検討した。その中で、これを「官僚資本主義市場経済」ととらえる立場(游[2006])は説得力があり共鳴するところが多いが、いくつかの点で疑問も残ることを指摘した。その上で、これを「国家資本主義システム」ととらえる筆者の従来からの立場を改めて紹介し、「官僚資本主義市場経済」論との違いを示すとともに、「開発主義国家」としての中国の登場の背景と、中国「国家資本主義」の将来を展望した。

第6章では、東アジアの成長を牽引してきたいまひとつの要因と考えられる「局地経済圏」の果たしてきた実際の役割について分析した。その際、ヨーロッパの市場統合の過程において重要な役割を果たしてきた「サブ・リージョン」と「局地経済圏」の違いについて検討しておいた。さらに、ナショナリズムが激しくぶつかり合う北東アジア地域において、このような「局地経済圏」構想(環日本海・北東アジア経済圏構想)がたどった運命とこの地域が抱えている課題について分析した。北東アジア経済の分析は、国家資本主義の研究と並んで筆者が長年にわたって取り組んできたもう一つの課題であり、読者にはぜひ、坂田[2001]を参照していただきたい。

第7章では、「グローバリズム」と「リージョナリズム」という、相反する二つの流れが互いに複雑に絡み合いながら、「大競争時代」へと突入している現状を分析した。2000年以降、東アジアで高まっていったリージョナリズムへのうねりは、実はグローバリズムに対するオルターナティブとして広がっていったものであり、新しい現象ではあるが、地域統合の推進力となっているヨーロッパのリージョナリズムとの間にはいくつかの重要な点で相違がある。その違いを、「主権国家の相対化」と「下位地域協力」という視点から分析した。東アジアでは今、「グローバル・スタンダード」に代わる、「リージョナル・スタンダード」が求められている。本章では最後に、東アジアの望ましい「リージョナル・スタンダード」について検討した。

およそ以上のような構成と内容を持つ本書には、おそらく多くの重要な問題が欠落しているであろうことも十分承知している。「開発経済論の検証」と銘打ってはいるが、「羊頭狗肉」の謗そしりを免れないかもしれない。読者の忌憚ないご批判を仰ぐ次第である。

実は、筆者は、2009年4月から2010年3月まで、勤務する福井県立大学で1年間のサバティカル制度(研究専念制度)を利用させていただくという恩恵に浴した。1年間もの間、一切の公務を免除されるという恵まれた環境のもとで、この間の研究テーマとして二つの課題を設定した。一つは、筆者が近年特に集中的に取り組んできた北東アジア地域開発研究の成果を取りまとめることであり、もう一つは冒頭で述べたように、長年の専門分野として取り組んできた開発経済論の集大成を目指したものである。

しかし、「二兎を追うものは一兎をも得ず」という格言どおり、結局二つの研究テーマとも成果を公表できるまでに至らず、しばらく逡巡する日々が続いていた。そのような時期に、2010年4月から突然副学長の仕事が舞い込んでくることになり、研究とは無縁の日々を送ることになった。私の頭の中からは、サバティカルの研究成果の公表という義務感はほとんど消えかけていた。ところが、夏季休暇を前にしたある日の、昼食をともにしながらの下谷政弘学長との何気ない会話が、ふたたび私の義務感を呼び起すことになった。聞けば下谷学長は、激務の合間を縫って単著の執筆をおこなっておられるという。それは、激務を理由に、早々と研究者の戦線から離脱しようとしていた筆者には、身にしみる言葉であった。

本書の出版は、以上のような経緯から実現したものである。幸い、財団法人福井県大学等学術振興基金からの出版助成を受けることもできた。同財団の川又良也理事長をはじめ関係者の皆様方に心よりお礼申し上げる次第である。

最後になったが、本書の出版の相談をもちかけたとき、昨今の厳しい出版事情にもかかわらず快く応諾していただいた国際書院の石井彰社長には、大変お世話になった。同社長との出会いは、北東アジア学会(旧環日本海学会)設立10周年の記念事業の一環として出版した『北東アジア事典』(環日本海学会編[2006])の編集を通じてであった。筆者の仕事を評価していただけるような石井社長に出会えたことは、まことに幸運であった。改めて、心より感謝申し上げる次第である。

2011年1月冠雪を戴く奥越の山並みを望む研究室にて

坂田幹男

索引

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