現代中国研究を志すものにとって、「現代中国」という対象は、掘り下げても底が見えず、突き進もうとしても先が見えない。資料に向かい、分析を試み、わかったつもりで結論めいたものを示したとしても、一定の時間がたち、異なった問題意識や分析アプローチを持ち、新しい情報や資料を加えるならば、また異なった見方が可能となってしまう。しっかりした現状分析を行い――実は「行ったつもり」でしかなかったが――、それを踏まえた中国の未来を何度描き出したことか。しかし、もちろん歴史学そのものは、まさにE・H・カーが指摘するように、「歴史事実」と歴史家の尽きぬことを知らぬ対話である。
現代中国も「現代」という歴史を対象としている点では同じである。新しい資料を発掘し、あるいはフィールド調査を行い、問題意識や研究方法を磨く。そして課題の解明に当たる。そうした作業を繰り返し、「事実」と分析の相互作用を進める中で、初めてリアリティーのある「事実」と「解釈」に接近でき、その意味を考えることが可能となってくる。
しかし、それにしても中国という「世界」は巨大で深い。私自身、中国研究を始めてはや40年の歳月を過ごした。研究を始める最初の大きなきっかけは、文化大革命の「なぜ」であり、ニクソン訪中・米中接近の「なぜ」であった。確かに40年間無駄飯を食ったわけではなく、それなりの学問的成果は上げているとは思う。しかしそれでも「中国がわかった」などと、とてもおそれ多くて言えるものではない。私にとって中国とは、あたかも巨大なとらえどころのない混沌とした怪物「リヴァイアサン」のごとく、あるいは様々世界を描き出す「万華鏡」もしくは「プリズム」のごとくである。
今でもまじめに中国に向き合おうとするならば、次々と「なぜ」「どうして」という問いが湧き出してくる。例えば、なぜあれほどの大国が歴史上類を見ない持続的な経済成長を続けるのか、市場経済を導入した他の社会主義諸国は次々と崩壊したのに、なぜ中国の社会主義体制は崩壊しないのか。人々の生活様式、価値観が多様化し、情報化、国際化が進んでいるのに、共産党一党体制はなぜ維持され続くのか等々。中国をめぐる「問い」は尽きない。中国の政治社会のダイナミックな構造的変動をとらえるための分析枠組みを構想してみたい。中国外交のビヘイビアを見るために中国の伝統思想を取り込んだアプローチを考えてみたい。知的好奇心もまた次々と刺激される。
今回の早稲田現代中国研究叢書(WICCS研究叢書)の出版企画は、知的好奇心にあふれ、意欲的に研究を進めている現代中国研究者たちに、その斬新で緻密な、あるいは地味ではあるが手堅い研究成果を世に送り出すことを積極的にサポートするために試みられたものである。それ故に、本研究叢書の出版事業を通して、各執筆者の学問的資質が高まることはもちろん、そうした出版を通して現代中国の学界においてアカデミックな論争が大いに盛り上がり、研究者たちの間で相乗効果が上がることが期待されている。とりわけ若手研究者たちの研究意欲が高まり、相互に刺激し合える雰囲気が醸成されるなら、本研究叢書の企画を進めるものにとってこの上ない喜びである。
2011年
年の瀬を迎えて 早稲田大学現代中国研究所長天児慧
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