1978年新潟市生まれ。2001年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、同年パリ政治学院ディプロム課程(修士相当)留学(慶應義塾派遣交換留学)、2004年慶應義塾大学大学院法学研究科・政治学専攻前期博士課程修了(法学修士)、2006年ジュネーヴ高等国際問題研究所・政治学専攻DEA課程(修士相当)修了(国際関係学DEA)、2009年慶應義塾大学大学院法学研究科・政治学専攻後期博士課程修了(法学博士)。同年より2011年まで在カメルーン日本国大使館にて政務経済担当専門調査員としてカメルーン、チャドおよび中央アフリカ(フランス語圏中部アフリカ)の紛争、マクロ経済、国際支援および大国のアフリカ進出等を調査。2012年現在、慶應義塾大学大学院法学研究科特任助教。専門は国際政治、国際機構論、難民の国際的な保護。
「日本に来なければよかった」――故国から命からがら逃れてきた庇護申請者の、あながち現実逃避と一蹴できない痛切な訴えが、国際的な難民庇護の歴史と制度、そこにおける日本の位置づけに関心を持った端緒にある。
世界において紛争や難民の問題がニュースにならない日はないが、本書の目的は、難民の国際的な保護がどのように制度化されてきたか、歴史および国際政治理論の見地から検証することにある。難民とは、政治的な迫害等により、出身国による保護を受けることができないか受けることを望まない脱国家主体である。その保護は一国の利害や市民の慈善活動を越えて国際社会の安定のための共通問題として認識されるようになり、今日では、難民の出身国、通過国、庇護国、資金拠出国、国際機関、地域機関、NGO、メディア、および市民団体等、数多くの主体が重層的にかかわり合いながら、国際交渉、国家政策、地域政策、市民社会、草の根のコミュニティ等それぞれの場で、問題の解決が模索されるようになってきている。
国際的な人道問題に対し、日本は世界有数の資金拠出国として二国間および多国間協力を通じた貢献してきており、紛争地域の平和構築等について個別の事例研究が蓄積されるようになっている。一方で、国内における難民条約の施行と庇護のあり方については、出入国管理、外国人受容および人権保護の観点から数多くの問題提起がなされてきている。本書の試みは世界的かつ構造的な問題に対して国際社会を理解するためのひとつの手がかりを探るものであり、学界のみならず、難民問題の現場に携わる実務家の方々、世界情勢および国際問題における日本のあり方等に関心を持つ市民や学生の方々からも、幅広くご批判いただければ幸いである。
本書は、筆者が2009年まで在籍した慶應義塾大学大学院法学研究科における博士学位取得論文に基づいており、これまで慶應義塾大学、パリ政治学院、およびジュネーヴ高等国際問題研究所等の学術機関にて約10年間にわたって続けてきた研究をまとめた成果である。完成までの約10年間、アジア、ユーラシア、中東、アフリカの40カ国以上を旅し、100以上の国籍のさまざまな出自の人々に出会ってきた中で、関連機関、国内・国際NGO、メディア等の方々からも多くを学ぶ機会を得た。本研究は、これまでに出会った方々からいただいたご助力の賜物である。ここにすべての方々と機関を挙げることは控えさせていただくが、この場を借りて改めて感謝させていただきたい。
まず、慶應義塾大学大学院でご指導いただいた田中俊郎名誉教授、関根政美教授、庄司克宏法務研究科教授をはじめ、法学研究科の諸先生方および先輩諸兄と学友に心より御礼を申し上げたい。交換留学で派遣されたパリ政治学院においては、9・11同時多発テロ直後に激動する国際社会を肌で感じながら厳しい競争環境に耐え、歴史と哲学の伝統に裏打ちされた政治学および国際関係論の議論を学ぶ真剣勝負の日々であった。ストラスブールのルネ・カッサン記念人権国際研究所を知り、後の難民法研修の機会につながる経験を得たのもパリ留学中であった。続いて留学したジュネーヴ高等国際問題研究所は、国際連合欧州本部、国連難民高等弁務官事務所本部(UNHCR)、赤十字国際委員会(ICRC)をはじめとする関連国際機関が本拠を置く国際人道主義の総本山と呼ばれる研究環境で、英仏バイリンガル環境のもと、国際法、外交史、国際経済論の基礎を集中的に学ぶ機会を得た。諸機関の一次資料を利用しながら、国際連合平和維持活動(UNPKO)および全欧安全保障協力機構(OSCE)研究の権威であった故ヴィクトル=イヴ・ゲバリ教授から緻密な国際機構論を学び、国連法および難民法の分野で著名なヴェラ・ゴウランド教授(当時)およびヴァンサン・シュタイユ講師(現教授)、ならびにイスラーム現代史のモハンマド=レザ・ジャリリ教授の指導を受け、政治学専攻の先生方・助手・学友に国際関係理論の基礎を叩き込んでいただいたたことは、本研究の大きな基盤をなしている。さらに、ジュネーヴにお勤めの国際機関職員および政府代表部の方々から事業運営に関するさまざまなご経験をご教示いただけたのも貴重な経験であった。
ジュネーヴから調査滞在に訪れたプラハでは、OSCEプラハ事務局公文書館のアリス・ネンコバ氏には膨大な資料調査の際に適切なご助言とあたたかいお心遣いをいただいた。同じくジュネーヴから調査滞在に訪れたセルビアおよびコソボ地区ならびにマケドニア旧ユーゴスラビア共和国の国内避難民キャンプでは、国際ボランティア連絡会議を通じ、国内避難民、UNHCR職員およびOSCE職員に対して中立的かつ有益なインタビュー調査をおこなうことができた。加えてストラスブール人権国際研究所、トレント大学、インスブルック大学、ウィーン外交アカデミー、およびヘルシンキ大学アレクサンテリ・ロシア東欧研究所における滞在を通じ、欧州機関および中東欧・バルカン諸国ならびに旧ソ連諸国に対する視野を大きく広げる得難い経験をした。
なお、博士課程を終えて在カメルーン日本国大使館に専門調査員として勤務した2年間は、兼轄国であるチャドおよび中央アフリカ共和国における内戦ならびにスーダン・ダルフール難民の大規模な流入による深刻な難民および国内避難民の問題、内陸最貧国に対する国際支援等、アフリカの紛争国および最貧国が直面するきわめて厳しい現実と構造的な諸問題に圧倒されながら毎日を過ごし、外務省、JICA、各国外交団および国際機関、ならびに現地の研究者および有識者等の方々の知己とご指導を得ながら、国際協力の現場の一端で勉強させていただいた貴重な経験をした。その後オックスフォード大学付属難民研究センターの集中講座に参加する機会を得たが、今後、現場における知見および経験を研究に反映させてゆくにはまだ時間がかかり、自分の非力を謙虚に学んでいる。本書は、これまでお世話になった方々および関係諸機関に対する学恩にお応えするには未熟であるが、ひとつの成果として上梓させていただき、さらなるご批判を仰ぐ次第である。無論、本書の文責はすべて筆者にある。
末筆ながら、研究成果を出版という形で世に問うことを可能にしていただいた株式会社国際書院社長の石井彰氏のご理解とご尽力に深く感謝申し上げたい。また、石井氏をご紹介いただいた墓田桂・成蹊大学准教授には、国内の難民・国内避難民問題研究のネットワークを通じ諸大学および関係諸機関の先生方との貴重な共同研究の機会を提供していただいている。この場を借りて改めて御礼申し上げる。
2012年7月
東京にて
小澤藍
冬のコソボで曇り空の乾いた空気の中、早朝から土色に汚れた雪道を回り、いくつかのキャンプで避難民の手を取って話を伺っていると、午後三時を過ぎていた。遅い昼食に小さなレストランに入った。セルビア農家風に飾られた温かい店内で質素な家庭料理をいただいていると、不意に涙が止まらなくなった。村を追われ家と畑と家畜を失い、建築途中のコンクリートの陰を占拠して七年が経った老婆の乾いた手。乳飲み子を抱え、廃墟の小学校で行くあてのない鬱憤をぶちまけた若い父親のじっとり冷たい手。凍てつく掘っ立て小屋で財布をすろうとするロマの女の子は荒れた手をとらえて握り返すと目を丸くしていた。それぞれの質素だけれど温かい暮らしが、ある日突然手に届かなくなり、ただ帰れないという事実の背後に、戦争・報復・迫害、インフラ破壊、財政破綻、失業、所有権、そして国際支援と、構造的な大問題が絡まる闇が一気に覗いて見えた瞬間、人間は無力の他に何を感じるだろうか。
本書の完成までに世界のさまざまな出自の人々に出会ってきた。その度に従来の世界観を覆され、それぞれに正しいと主張する人々の中で何も信じられなくなった時、やるせない現実を抱えながら、黙々と、生存と願わくば共存を模索している避難民に立ち返る。バルカンで異なる民族の人々が共通して口にしたことは「柔軟性」であった。一民族の主張が通った試しも、国際基準が無事に運んだ試しもなく、いつ何が起きても驚かない。大切なのは柔軟性、忍耐強さ、そして人と共に喜び泣けること。避難民と人道支援要員に背中を押された。人間の最も基本的な生の苦しみに境界はなく、人を動かす。その証拠にそれは、私をして言葉や国境や階級の壁を飛び越えさせ、歩いて行く先々で出会う人々が示してくれた道筋が続いている。
道筋の原点をたどっていくと、遠くに祖母の姿がある。国際連盟が誕生した年に極東の小さな港町に生まれた祖母は、私のジュネーヴ留学中に長い病床生活の末に無名の母としての生涯を閉じたが、民族や国籍や出自や職業に関係なく気さくに隣人に接していたその朗らかでたくましい姿は、どのような高尚な寛容理論よりも説得力をもって、私の脳裏に焼き付いている。そして本書は、はるか遠い道のりを陰で励まし支え続けてくれた母と家族に捧げさせていただきたい。
筆者
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