転形期における中国と日本 その苦悩と展望

飯田泰三・李暁東

東アジアにおける近代的国際秩序を問い直し、中国の市場主義の奔流・日本の高度成長の挫折、この現実から議論を掘り起こし「共同体」を展望しつつ、日中それぞれの課題解決のための議論がリアルに展開される。(2012.10.1)

定価 (本体3,400円 + 税)

ISBN978-4-87791-237-6 C3031 321頁

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目次

著者紹介

【執筆者紹介】(目次順)

本田雄一(HONDA Yuichi)
公立大学法人島根県立大学理事長・学長。
東北大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。1969年から1985年まで、農林水産省東北農業試験場研究員、農林水産省野菜試験場盛岡支場主任研究官。この間、1977年から1年間、ハワイ大学 College of Tropical Agriculture and Human Resources 客員教授。1985年から島根大学に勤務、島根大学農学部・生物資源科学部学部長、評議員、学長を経て現職。専門は植物病理学。
李暁東(LI Xiaodong)
島根県立大学総合政策部教授、北東アジア地域研究センター副センター長。
成蹊大学大学院法学政治学研究科政治学専攻博士後期課程満期退学。博士(政治学)。学術振興会外国人特別研究員(PD)、成蹊大学非常勤講師などを経て現職。専門は、東アジア国際関係史、日中関係、日中政治思想史。
著作: 『近代中国の立憲構想――厳復、楊度、梁啓超と明治啓蒙思想』(法政大学出版局、2005年)など。
王逸舟(WANG Yizhou)
北京大学国際関係学院副院長、中国国際関係学会副会長。
中国社会科学院大学院世界経済、政治研究科長・教授・博士課程指導教員、中国社会科学院世界経済、政治研究所副所長・研究員(教授)、『世界経済と政治』雑誌の主任編集委員などを経て現職。国内多数の大学の兼任教授、及び国内外学術刊行物の編集委員を務める。また、研究代表者として、『中国外交の転換』などの重大なプロジェクトを完成させる。
著作: 『中国外交の新思考』(東京大学出版会、2007 年、天児慧・青山瑠妙編訳)、『創造性介入――中国外交新取向』(北京大学出版社、2011 年)など。
飯田泰三(IIDA Taizo)
島根県立大学大学院北東アジア開発研究科長、同大学副学長。
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。法学博士。法政大学法学部教授、同法学部部長、同現代法研究所長、同沖縄文化研究所長などを経て現職。専門は、日本政治思想史。
著作: 『批判精神の航跡――近代日本精神史の一稜線』(筑摩書房、1997 年)など。
董昭華(DONG Zhaohua)
北京大学国際関係学院国際政治経済学学部講師。
2010年7月に北京大学より法学博士号を取得。2007年2009年、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で学び、2010 年 3 月に早稲田大学より博士号を取得。主な研究分野は日本の対外経済政策、グローバル化の政治経済学など。
著作: (博士論文)Japan's gold-exchange standard at the crossroads in the interwar period: Inoue Junnosuke and Takahashi Korekiyo's policy choice, など。
唐燕霞(TANG Yanxia)
愛知大学現代中国学部教授。
1996年に来日。立教大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。社会学博士。上海外国語大学専任講師、島根県立大学総合政策学部教授を経て現職。専門は、産業社会学、人的資源管理論。
著作: 『中国企業統治システム』(お茶の水書房、2004年)など。
江口伸吾(EGUCHI Shingo)
島根県立大学総合政策部准教授。
成蹊大学大学院法学政治学研究科政治学専攻博士後期課程満期退学。博士(政治学)。島根県立大学助手、成蹊大学非常勤講師などを経て現職。日中社会学会理事。専門は、現代中国政治。
著作: 『中国農村における社会変動と統治構造――改革・開放期の市場経済化を契機として』(国際書院、2006年)など。
初暁波(CHU Xiaobo)
北京大学国際関係学院准教授、中華日本学会理事、北京大学国際戦略研究センター学術委員。
法学博士。1996年、大東文化大学に留学。以来、日本や韓国などを訪問し、講演と講義をおこない1997年に現職。主な研究分野は中国の対外観念の変遷、日本の政治外交など。
著作: 『従華夷到万国的先声――徐光啓対外観念研究』(北京大学出版社、2008年)など。
宋偉(SONG Wei)
北京大学国際関係学院准教授。
2007年7月に北京大学より法学博士号を取得。2004–2006年、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で学び、2007年3月早稲田大学より博士号取得。主な研究分野は国際関係理論、地域一体化、アメリカ外交政策と中米関係など。
著作: (博士論文)American hegemony and postwar regional integration: the evolution of interest and strategy, など。
石田徹(ISHIDA Toru)
島根県立大学北東アジア地域研究センター嘱託助手。
早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程満期退学。博士(政治学・早稲田大)。専修大学法学部二部非常勤講師、早稲田大学政治経済学術院助教などを経て2011年より現職。専門は、日本政治史、日朝関係史(19 世紀中心)、日韓政治思想史。
著作: (博士論文)「近代移行期における日朝関係刷新交渉の研究」など。
宇野重昭(UNO Shigeaki)
島根県立大学名誉学長、名誉教授。北京大学客座教授、復旦大学顧問教授、中国社会科学院日本研究所名誉研究員。
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。外務省アジア局中国華外務事務官、成蹊大学政治経済学部助教授、同大学法学部教授、同大学アジア太平洋研究センター長、同大学法学部長、同大学長、同学園専務理事、島根県立大学長・理事長を経て現職。専門は、東アジア国際関係史、国際関係論、北東アジア地域研究。
著作: 『中国共産党史序説』(日本放送出版会、1980 年)など。

【訳者紹介】(目次順)

まえがき

はじめに――苦悩の共有から信頼の醸成へ

李暁東

1「狼狽」の中で迎える「不惑」

ヨーロッパの一小国であるギリシアの金融危機が世界大の危機への危惧を誘発する――それがグローバリゼーションによる世界の一体化を端的に象徴している。かつて、福沢諭吉が近代西欧の産業革命以降の変化を評して、「蒸気船車、電信、印刷、郵便」の四者の発明工夫が「あたかも人間社会を転覆するするの一挙動」であり、それは「民情」の劇的変化をもたらし、「西洋諸国はまさに狼狽して方向に迷うなり」(以上、『民情一新』緒言)と述べている。人々は革命・革新による画期的な変化に適応できなかったのである。現在の私たちも似たような状況に置かれているのではないか。「ヒト、モノ、カネ、情報」の四者のグローバルな移動は、世界をかつてないスピードで変化させ、国家や地域間の相互依存を深めた。もし近代との違いがあるとすれば、なにより、このような激変に対応できずにいるのは西洋諸国にとどまらず、世界各国がみな「狼狽」している、ということであろう。世界はこのような各国の「狼狽」により、ますます流動的になっている。

北東アジアももちろんこの流動的な世界の真っただ中にある。それに加えて、この地域において、状況をより流動化させるもう一つの要因を挙げなければならない。それは中国の「崛起」(台頭)である。ここ30年間の急成長により、日本にとって代わってGDP世界第2位の経済大国になった中国は、東アジアの秩序を変動させる重要な動因になっていると言ってよい。そして、中国の台頭に最も敏感に反応するのは、従来、東アジア秩序の基盤を形作ってきた日米同盟の片方であり、中国の隣国である日本である。このように、一方では、日本は強大化する中国への対応を迫られ、他方では、中国も自身の大国化により、「アジア・シフト」したアメリカや、日本との新しい付き合い方を模索しなければならない。

また、外交面にとどまらず、中国の国内に目を転じれば、中国は現在、深刻な問題が山積みしている国内問題への対応という厳しい課題に直面しており、「維穏」(安定維持)を最大の課題としている。国内問題について、日本の場合も同じである。3.11東北大震災・福島原発事故後の復興の課題をはじめ、民主党新政権は多くの難題に直面しており、政治が流動化している。

このように、中国も日本も、グローバリゼーションによる世界的な「狼狽」だけでなく、それぞれが抱えている「内」と「外」の新しい状況への対応に迫られて「狼狽」しているのである。いいかえれば、対外的にも、対内的にも激しい流動状況にある日本と中国とは、現在、それぞれ目指すべきビジョン、あるいは「型」を模索しつつ、形を変え続けている「転形期」にあるといってよい。転形期の中での模索は、多くの苦悩を伴わざるをえない。そして、それらの苦悩は直接に日中関係にも影を落としている。

今年は日中国交回復の40周年に当たり、日中関係は「不惑」の年を迎えることになる。しかし、日中関係は一時の冷え切った関係から持ち直したとはいえ、けっして良好とはいえない状態が続いている。日中両国が、ともに「狼狽」から脱却してそれぞれの「型」を明確に描き、良好な二国間関係を築くためには、まずそれぞれが直面する「内」・「外」の苦悩や、課題に取り組まなければならない。

まず、中国の場合、ある中国学者が現在の中国が直面している課題について、次のように興味深く表現している。中国はこれまで、「挨打」(侵略される)と、「挨餓」(飢える)の課題を解決してきた。今後直面するのは「挨罵」(批判される)の課題だ、という。30年前の「改革・開放」によって中国が温かく国際社会に迎え入れられた時と比べて、国力が増加した中国は国際社会からより厳しい目で見られるようになったということである。

中国の国力の増大に伴い、苦難の近現代史を抱えていた中国が徐々に自信を取り戻したが、大国中国が東アジアないし国際社会秩序の変動をもたらす重要な要素として登場したことは、特に周辺国が圧力を感じるのは自然なことであろう。それは、領土や、人口、経済規模のサイズの歴然たる差という「大きさによる圧力」にとどまらず、軍事費の毎年の増加、海軍の活発な動向などの中国の「強さによる圧力」にもとどまらず、発展過程で生じた環境汚染や、食の安全など問題が国境を越えていくこと、さらに中国が抱えている経済的、社会的不安により、混乱ないし崩壊に向かうことへの危惧などの、中国の「脆さによる圧力」でもある。もちろん、政治制度や、価値観の違いも見落とすことのできない重要な要素に違いない。

そのような背景の中で、一方では、最近の南シナ海をめぐる中国と東南アジア関係国との間の応酬や、日本との間に起きた領土問題をめぐる一連の争い、中国軍が第一列島線を越えて展開していく一連の活発な動き、また、係争地や問題に対する中国国内の一部の人々による「核心的利益」の強調や、一部の軍関係者による領土、戦略面をめぐる強硬な発言、などがある。他方では、中国が最大のCO2排出国になったこと、日本との間での毒餃子事件などの発生は、伝統的安全保障分野から非伝統的安全保障分野にかけて、中国による圧力ないし脅威を具現化するものとして現れた。中国に対する世界の関心は、かつての、中国が国際社会から孤立しないようにどのように中国を国際社会に溶け込ませるかということから、国際社会で影響力を増し続けている中国が国際社会の秩序の挑戦者であるか、それとも維持者であるか、ということに移ったのである。

しかし、中国の国内に目を転じれば、台頭の「強さ」よりも、むしろ発展過程で生じた歪みや混乱などの「脆さ」の現実が目につくであろう。中国の「脆さ」への認識は、ときおり、「中国崩壊」論にまで導かれる。政治的腐敗や、経済的格差、社会的不安、民族問題、環境破壊問題など山積している問題である。政権の政治的基盤の安定のために、「維穏」(安定維持)が至上課題になっている現在、「優先課題は国内にある」*1との意見は首肯できるであろう。したがって、外交も国内の安定と発展という課題に従属しているのである。確かに、中国国内では、鄧小平が敷いた「韜光養晦、有所作為」路線を、前者の「韜光養晦」はもはや時代遅れで、後者の「有所作為」に力点を置くべきだとの議論があり、国際社会での「作為」も確かに以前より積極的になったとはいえ、「韜晦」は依然として中国外交の基調になっているといえよう。

このように、中国の台頭は、中国に自信と誇りをもたらしたと同時に、「内」と「外」にわたって、「狼狽」と苦悩をもたらしているのである。

一方、日本を見れば、バブル崩壊後の「失われた10年」と呼ばれた不況から脱却するべく、小泉政権時代から郵政民営化を中心とする構造改革が取り組まれた。しかし、市場競争原理を徹底させた結果、景気回復が達成された一方、ワーキング・プアなどの貧困層が増加し、大きな社会問題となっている。かつて「一億総中流」の日本も格差問題を抱えるようになったのである。社会的な閉塞、停滞感が続く中で、政治的には、自民党・社会党の55年体制が崩壊し、民主党政権は現状打破への期待感に支えられ登場したが、試行錯誤の中で、自民党政権末期からの頻繁な政権交代がとどまらず、政治的混迷が続いている。その中、3.11の東北大震災、津波及び原発事故がさらに日本に大きな打撃を与えた。このような中で、日本は外交面で積極的な行動をする余裕があまり与えられていないと言えよう。

民主党鳩山政権は、それまでに自民党麻生政権の時の「自由と繁栄の弧」という構想の代わりに、「東アジア共同体」の構想を打ち出した。「東アジア共同体」は、自民党の小泉政権の時にも提唱されていたが、小泉氏は「域外との緊密な連携」の必要性を説き、東アジアの安全保障と経済分野における「米国の役割は、必要不可欠」であり、「日本は、米国との同盟関係を一層強化していく」*2と明言していた。それに対して、鳩山氏は、日米安保体制を「重要な日本外交の柱」と言及しつつも、「この地域の安定のためにアメリカの軍事力を有効に機能させたいが、その政治的経済的放恣はなるべく抑制したい」と主張した。さらに、「覇権国家でありつづけようと奮闘するアメリカと、覇権国家たらんと企図する中国の狭間で、日本は、いかにして政治的経済的自立を維持し、国益を守っていくのか」*3と述べ、日米中の「正三角形」の関係を思わせる様相を見せた。それは小泉政権の時の東アジア共同体論と異なって、従来の外交面の対米依存の性格から脱却しようとするように見えた。そして、あたかもそのような傾向を具現化したかのように、鳩山氏が当初、沖縄の普天間米軍基地の県外移設を主張した。結局、鳩山政権は普天間基地の移設問題で国内の混乱を引き起こし、同盟国のアメリカの不信感を買った形になった。鳩山氏の退陣により、「東アジア共同体」の議論も一気に勢いを失うこととなった。その代わりに、現在の野田首相が、「この時期に東アジア共同体などといった大ビジョンを打ち出す必要はない」*4と明確に説くようになった。さらに、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)加入への意志表明や、アジア太平洋地域での日米防衛協力強化などを通して、日米同盟を強化し、アメリカの「アジア・シフト」に合わせた形で日米同盟重視路線に戻った。

このように、日本はバブル崩壊後の停滞から脱却するために、市場論理を徹底する論理で臨んだが、成果を収めた半面、やはり中国と同じように格差などの社会問題を抱える代償を払わざるをえなかった。2008年の金融危機と東日本大震災を経た現在の日本は再び困難な状況に直面している。自民党政権との対決で政権を取った民主党は、いまや、マニフェストを取り下げ、外交を従来の路線に戻すなど、舵取りの修正を余儀なくされ続けている。民主党政権の苦悩はまだまだ続きそうである。

2「東アジア共同体」論は無意味か?

グローバル化、EUや、NAFTAなどにみられるような地域主義の進行という背景の中で、東アジアも経済発展により、相互依存度を高めて地域統合が進められている。特に1997年の東アジア金融危機をきっかけに、東アジアでは協力を強める機運が高まった。この時からASEAN+3は実質的な意義を持つようになった。ほぼ同じ時期から、中国は次第に積極的な地域外交を展開するようになり、ASEANとFTAの締結に向けて動き始めた。日本でも、上述したように、小泉政権になってから、「東アジア共同体」を提唱し始め、それを日本の対アジア政策の柱として打ち出した。そして、民主党による政権交代が実現した後に、「東アジア共同体」論が鳩山氏によって、いっそう熱心に唱えられた。しかし、現在の野田政権による外交方向の転換により、一時論壇や学界での議論を賑わせた「東アジア共同体」論も鳴りを潜めるようになったように見える。しかし、「東アジア共同体」論ははたして意味を持たないものになっているのだろうか。

この問題をまず日本の対アジア外交という視点からから考えてみたい。日本の外交にとって、日米同盟が基軸であることは言うまでもない。同時に、台頭する中国の存在が最も強く意識されているといってよい。さらに、北東アジアにおける中国の台頭に対して、日本は、アメリカと中国の間に埋没されずに、その存在感を示すために、常に日米同盟と台頭する中国の間で外交戦略を模索しなければならない。

試みに日本外交にとってのアメリカと中国を図で示すと、以下の通りになろう。

図の中で、横軸は日本の対中外交が協調を基調とするのか、対抗を基調とするのかを示すもので、縦軸は日本が日米同盟に依存するのか、日米同盟から相対的に自立することを志向するのかを示す。注意すべきは、横軸と縦軸とは必ずしも同質のものではないことである。なぜなら、現実において、縦軸における「対米依存」と「対米自主」にかかわらず、いずれも日米同盟を前提にしているからである。

ABCDの四つの象限の中で、まず、Dは中国に対抗することとともに、日米同盟からの自立という指向を意味する。その極限形態は戦前の日本を想起させるため、非現実的と言える。それから、その下のCは日米同盟に依存して中国と対抗することを意味する。一部の人にとって、現在の東アジアの状況を表現しているようにも見えるが、その行く末は新しい冷戦になるため、日米中のどちらにとっても決して望ましいことではないはずである。結局、日本外交にとって中国との協調関係、言い換えれば、「戦略的互恵関係」を築くのが望ましいことになる。その場合、AとBという二つの選択がある。すなわち、Bの、米に依存しつつ中国と協調関係を発展するか、それとも、Aの、日米同盟を前提にしつつも、そこから相対的に自立して主体性を発揮するか、という選択である。

本来、日本にとって、Aは最も理想的であるはずだが、日本の安全保障の対米依存により、米国の意向に拘束されていることと、強大化した中国に対する均衡を保つという発想から、やはり日米同盟に頼る必要がある。結局、現実において、日本外交はBB1 = 「Cの傾向を持つB」とBB2 = 「Aの傾向を持つB」の間の選択ということになる。BB1とBB2は日本外交のバランス感覚を示している。すなわち、中国との関係が対抗や緊張の方向に向かう時に日米同盟が重んじられる。逆に、中国と良好な関係を保つことでより主体的な外交を展開することが可能になる。

このような見取り図で民主党政権の外交を見てみると、鳩山氏の「東アジア共同体」の構想はBB2 = 「Aの傾向を持つB」の性格を持つものだったと言えよう。しかし、その構想は、アメリカに警戒され、また、強大化した中国との間で信頼関係が醸成されていないままでは、あまり具体性を持ちえなかった。現在の野田政権では、まだ明確なアジア外交戦略が出されていないが、その外交態勢は、BB1 = 「Cの傾向を持つB」の性格を持つものだと言えよう。

今年は日中国交40周年であるが、日中関係の現状は決して良いとは言えない。急成長して台頭してきた中国との間でバランスを取るために、「Cの傾向を持つB」の外交姿勢は現実性が高いように見える。TPP交渉に積極的に加わり、アメリカ戦略のアジアへのシフトを歓迎する日本の姿勢も当然だと言えるかも知れない。ただし、例え最近、日本国内の論壇で「米中新冷戦」や、「新中華秩序」による脅威、そして日中間の合従連衡、などの議論が見られ、BB1の先のCの象限に突入していくことは日本自身も警戒するだろう。なぜなら、中国と対抗する関係になることは、東アジアの安全保障に大きな不安をもたらす一方、日本の対米依存を強め、ますます主体性を失うことになるからであろう。その意味では、アメリカから提起された中国軍の「A2/AD」(Anti-access and area-denial)能力と、それに対抗するためのエアシー・バトル(Air-Sea Battle)の議論に、日本が必ずしも積極的に与していないことは、大幅に軍事費を削減したアメリカの予算の肩代わりを危惧するよりも、アメリカの戦略にあまり深く組み込まれることによって、日本としての主体性を失うのを避けたいという思惑があるからであろう。

米中日というGDPのトップ・スリーは東アジア秩序を左右する最大の要素である。その中で、日米は同盟関係にあるため、日中米という三角の関係は正三角形の関係ではない。しかし、それは三角であること自体に意義がある。中国にとって、三角関係が日米VS中国という二元対立に変質することをぜひとも避けたいところだが、日本の場合、中国と異なる思惑からとはいえ、やはり同様に三角関係を維持したいはずである。「米中新冷戦」により、日本外交は日米同盟の中でより従属的になる恐れがあるからである。

したがって、中国と相互信頼関係を築き良好な関係を維持することは、日本にとって、アメリカからより自立的になって、東アジアにおいて独自の存在感を示し独自の役割を果たすには、重要な前提である。その意味では、日本の対中外交の現状としてはBB1指向の性格が強いが、BB2、ないしBA指向は、日本の外交に内在する願望だと言ってよい。したがって、中国との相互信頼関係の醸成は本来、日本外交が追求すべき目標である。そうだとすれば、日中間の「戦略的互恵関係」の構築だけでは不十分だと思われる。真の信頼関係の醸成には、「東アジア共同体」というより大きな目標が必要である。共同体の構築というビジョンは、日中の相互信頼関係の形成に欠かせない重要な理念装置なのである。

BB1という日本外交の現状は、台頭してきた中国への警戒を背景にしていることは明らかである。そのようなパワー・バランスというリアリスティックな判断はそれなりの合理性を持つ。しかし、リアリズムは必ずしも緊張が高まることを意味しない。

そもそも、上述したように、中国が周辺の国々に与える「強さによる圧力」と「脆さによる圧力」の中で、前者よりも後者の方がむしろより現実性を持つと言えるかも知れない。経済成長を維持しながら、「和諧」を掲げて国内の「維穏」課題に躍起になっている中国にとって、「脆さ」はやはり最大の脅威である。そして、この「脆さ」の課題に取り組むために、安定した国際環境を必要としている。そのため、合理的に考えれば、無謀にも周辺を刺激し脅威を与えようとすることは考えにくい。このような現実からすれば、中国の「脆さによる圧力」は、むしろ中国と日本にとっての共通した脅威だとさえ言える。中国の台頭が周辺の国々に新たな対応を迫り、「狼狽」させているだけでなく、成長に伴って生じた深刻な国内問題が中国自身をも「狼狽」させているのである。したがって、WIN-WIN関係の構築という積極的な理由からもちろんのこと、「狼狽」、苦悩への共同対処という消極的理由からしても、日中が対抗するよりも協力し合うほうが現実的な選択だと言ってよい。その意味では、中国脅威論を煽ることは言うまでもないことだが、「東アジア共同体」をあきらめることも決して日本の国益にならないだろう。

さらに、日本は現在、新自由主義構造改革によってもたらされた格差問題などの社会問題を抱えており、今まさにいかに閉塞の状況を打開し国を発展させていくのかを模索しなければならないという大きな転形期に差しかかっている。同じく市場経済の「光」と「影」の両方を経験してきた日中両国は、共通した「狼狽」・苦悩に対処し新しい発展のビジョンを模索する過程で、相互触発し合う余地が大きい。そして、中国と比べて、日本は、一方では、いち早く近代国家建設に成功した近代の経験や、先に高度成長を遂げ「一億総中流」を創りだした現代の経験を持ち、他方では、軍国主義に導かれて破滅したという戦前の教訓や、バブル崩壊という近年の失敗の教訓をも持っている。これらの経験と教訓は、ともに中国にとって重要な鑑となろう。それらが中国で活かされれば、永遠の隣人の日本の国益にもなろう。そして、これらの経験や教訓が中国によく伝わることと、相互信頼関係の醸成とは、相表裏する関係にあるのは言うまでもない。

世界大の「狼狽」は、世界各国の間の協力による共同対応が求められている。市場論理の「光」と「影」の洗礼を受けて「狼狽」している日中両国は、知恵を出し合ってそれを乗り越えていく創造的な発想とビジョンが求められている。そして、中国の台頭によってもたらされた「狼狽」は、中国を対象化してこれに対応していくよりも、「狼狽」そのものを対象化して中国と共同で対応していくことが求められている。「狼狽」・苦悩の共有は共同体意識の第一歩である。そうしなければ、グローバル化時代における「狼狽」・苦悩という難題に直面したわれわれは、はたして単独にそれらに立ち向かう自信を持てるだろうか。

3本書の構成

本書は、2011年10月21日に、北京大学国際関係学院と島根県立大学の共同主催で開催した合同国際シンポジウム「『転形期』における中国と日本――その苦悩と展望」をもとにしたものである。シンポジウムでは、北京大学国際関係学院の王逸舟副院長と島根県立大学の飯田泰三副学長による基調講演のあと、「市場経済下の光と影」と、「北東アジアにおける国際秩序のゆくえ」と題する二つのセッションで、北京大学の初暁波氏、宋偉氏、董昭華氏と、愛知大学の唐燕霞氏、それから島根県立大学江口伸吾氏、石田徹氏がそれぞれ報告をし、最後に、島根県立大学の名誉教授宇野重昭氏が総括発言をおこなった。シンポジウムの後、さらに関係者による総合討論会がおこなわれた。本書は、シンポジウムの報告者諸氏がそれぞれの報告原稿に加筆した原稿と総合討論会の記録からなっている。

国交回復40周年を迎えた日中関係が転機に立っているのは、何より、日中両国がそれぞれ「転形期」を迎えているからにほかならない。そのことは両国のそれぞれの外交と国内状況の両方に明確に現れている。基調講演で、王逸舟氏と飯田氏は「中国の外交転形期に直面しているいくつかの難題」と「転形期における日本」と題する講演をおこない、それぞれ中国と日本の立場から、そして、「外」と「内」の視点から「転形」について論じた。

まず、王逸舟氏は、改革開放30年間の中国外交を振返り、中国外交と中国の人々の国際観が国際潮流に合わせて積極的な変化を遂げていると評価する一方、外部世界に対する敏感度や、外交をめぐる学術研究、一般民衆の外交観など、各レベルに存する不足を指摘して、「転型期」にある中国外交が直面する八つの難題を挙げ、それぞれに著者自身の処方箋を提示した。氏は、世界に中国の独自の公共財を提供することによって、国際社会におけるイメージを向上することや、国際秩序形成に積極的に関与していくことを主張することにとどまらず、「創造的介入」を唱えて、消極的外交姿勢につながりかねない伝統的「不干渉原則」の修正を迫り、外交における「有所作為」方針を積極的に打ち出す必要性を説き、そして、中国外交に対する内外の信頼性を高めるために、外交の公開化と民主化の重要性を強調するなど、きわめて示唆に富む議論を展開した。そして、グローバル機構制度に対する中国の消極的な姿勢の問題性に対する指摘や、「核心的利益」という概念の無原則な使用への戒め、そして、中国の外交危機管理メカニズムと、対外関係を扱う各部門間の内部調整機能の欠如への批評など、著者の率直かつ開かれたリアリズムの姿勢が印象的だった。

これに対して、飯田氏は、「転形期」を日本の戦後から現在に至るまでの、狭義の「近代」から、「後・近代」への「転形」期として捉え、「日本型近代」によっていかなる「転形」が生じたかについて考察し今後を展望した。氏によれば、戦後日本の高度成長は「民主化」と共同体の一定の解体に伴う「個」の解放が先行することによって、可能になったが、一方、「日本型会社主義」と、ライフスタイルにおける「家」共同体の残存形態という独特の形での「共同体的なるものの残存」が、逆説的に「日本型近代化」支えていた。「失われた20年」を経て、「格差社会」化や産業と地方経済の長期停滞など、かつてない大きな難題に直面している日本は、一方では、戦後、自立した個人が横に連帯する市民社会を作り出すことに失敗し、他方では、日本社会の再生産の基盤となっていた家族や地域コミュニティーが解体していく中で、「社会の持続可能性」は可能か、が問われている。氏は数多くのボランティアやNPO活動に期待を寄せると同時に、日本は高度成長から「成熟社会」への道を目指すべきだと力説し、かつての石橋湛山らが唱えた「小日本主義」を読み換えて、今後の新たな共同体形成に活かす可能性について展望した。

次に、第1セッション「市場経済下の光と影」では、グローバル化における日本と中国で、市場経済の進行により、ともに格差拡大などの社会問題を抱えたことになった現状を前にして、報告者諸氏がそれぞれ国際政治経済学、社会学、政治社会学の視点から考察して対応策について論じた。日中がそれぞれ抱えている課題と苦悩の共有は両国の相互信頼協力関係の構築の第一歩となるだろう。董昭華氏は「グローバル化、政府と社会ガバナンス――日本の経験と中国への示唆」、唐燕霞氏は「グローバリゼーションにおける格差社会の構造――転換期における中国と日本の課題」、江口伸吾氏は「社会主義市場経済体制における所有権改革と基層社会の変容――「物権法」と転形期の政治社会」と題する報告をおこなった。

まず、董昭華氏は、日本が1870年代より百年間以上にわたって安定で持続可能な成長を保ち続けたという事実に注目し、中央と地方の政府間関係と、政府と企業間関係から日本の安定的な成長を保障する社会ガバナンスの特徴を明らかにして、いかに日本の経験に見倣い、市場と社会との間のバランスを取るような制度を設計するかが、中国の改革の重要な課題だと指摘した。氏によれば、グローバル化は社会ガバナンスモデルの形成を影響する重要な背景である。戦後日本の中央と地方の政府間関係と、政府と企業間関係の調整がグローバル化開始の前に始まったため、制度設計の中で民間の力に対する保護と市場の力の統制に対して多くの考慮が払われていた。それに対して、グローバル化の最中におこなわれた中国の中央権力の地方への分権は資源の効率的配置と経済成長の促進を旨としており、政府・企業関係の改革もやはり効率を優先させ、一方の公平さを十分に重視しなかった。結局、市場の力の解放に力点が置かれたあまりに、社会的格差や社会福祉の保障問題が放置された。著者からすれば、経済と社会の均衡の取れた発展を遂げた日本の経験は中国の今後の改革にとって重要な手本となるのである。

次に、唐燕霞氏も同じく日中比較の視点から転形期における日中が直面する共通の格差問題を取り上げ、両者の異同を明らかにしつつ、格差問題を乗り越える方法を考察した。まず、氏は、中国における貧富格差の原因を何よりも制度上の問題に求めている。戸籍制度が都市農村の二元社会を固定し、格差をもたらした主要な原因になっており、また、市場経済移行期にできた新しい制度や政策の不備により、国有資産の私物化などの腐敗が横行し、「総体的な資本」を把握するエリート利益集団を形成した。こうした社会階層構造が固定化しつつあり、社会的対立を生み出した。他方、日本の場合、格差社会の形成は小泉政権による構造改革の結果である。改革は市場競争原理を徹底させる一方、政府による財の再分配をほとんどおこなわなかったため、大きな貧困層を生み出した。対応策として、著者は、日本は税や社会保障の再分配効果を高める政策を実施すべきだと指摘する一方、従来の日本型雇用システムが日本的能力主義の性格を持っており、正当に再評価すべきだと主張している。他方の中国について、戸籍制度などの制度に対する抜本的な改革が必要だと指摘すると同時に、腐敗の根源である体制的欠陥にメスを入れるべきだと主張した。

第1セッションの最後の報告者江口伸吾氏も同じく制度を問題にしている。氏は、2007年に中国で制定された「物権法」に注目し、それを市場経済化深化過程で生じた社会矛盾を法治への移行の過程で解決する試みとして捉えた。それは同時に社会主義公有制の在り方の根幹にかかわる問題を含むものでもある。中国の基層社会に着目した著者は、まず、住宅改革に伴い私有財産を所有するようになった都市部の住民たちが権利意識を強め、「業主委員会」を組織して自分たちの権利を守ろうとしている状況を明らかにした。それから、地方政府による土地収用に伴って政府と農民との間で農地所有権をめぐる対立が生じたという問題について考察して、行政権力が大きいため、土地収用にかかわる農民に対する保障措置が不公正となる結果をもたらし、民主制度の欠如という限界を露呈させたことを指摘した。所有権問題に関する紛争や、土地収用により重要な社会保障である農地を失った「失地農民」の急増という諸問題の深刻化という現状を受けて、著者は、実際に社会矛盾を解決する場合、基層社会で生活する人々の意見を組み入れるための民主的な制度の導入が求められている、と結論づけた。

以上のように、第1セッションでは、日中がそれぞれ抱えている国内問題への考察と両者の比較がなされたが、第2セッション「北東アジアにおける国際秩序のゆくえ」では、国際関係(史)の視点から、北東アジアにおける地域秩序の特質や、地域秩序を左右する諸要因を見据えながら、東アジア地域統合の在り方、ないし「東アジア共同体」の可能性について考察がなされた。初暁波氏は「近代以降の東アジア国際体系変革の示唆」、宋偉氏は「中国の東アジア地域一体化戦略: 限度、方式とスピードの再考」、石田徹氏は「華夷秩序をめぐって――国際関係史的考察」と題する報告をおこなった。

まず、宋偉氏は、中国とASEANとの関係を中心に、中国の東アジア地域一体化戦略について検討した。著者によれば、今までの多国間一体化プロセスは、中国とASEAN域内諸国との間の緊密な政治経済関係の樹立に大きく寄与してきたが、すでにその重要な使命を終えた。今後は地域枠組み下の二国間外交をより重視すべきである。その理由として、中国はまだアメリカと東アジアで覇権的地位を争う実力を持ち合わせていないこと、東アジアにおける現存の制度的枠組みが中国にとって必ずしも有利ではないこと、そして、中国の外交政策が現存の国際秩序に挑戦しようとするのではなく、むしろそれに溶け込むことを目標にしていること、などが挙げられる。したがって、現存の東アジアの地域メカニズムを主導する立場にないという現状の中で、アメリカとの戦略的相互信頼関係の構築を最重要視する中国は、覇権国アメリカの誤解や、東アジア諸国の警戒感の増長を避けるために、早急に地域の一体化プロセスを推進すべきではない。それは中国自身を拘束することになるからである。その代わりに、著者は、二国間外交の方式を通じて、周辺国との関係を強化していくべきであると結論づけた。

これに対して、初暁波論文は、東アジア地域の国際システムの変遷過程のダイナミズムを歴史的な観点から統一的に捉えようとしたものである。著者によれば、東アジア地域秩序の変動は、外的には、グローバル化の潮流と、域外大国の影響という要因に左右され、内的には、地域内部の力の対比の変化や、諸国間の相互依存程度の増強、そして、域外大国と同盟や協力関係を通して国益を確保するという外交手法、などの要因に左右されている。そのような東アジア地域の集団アイデンティティ形成を阻害する要因として、著者は、伝統的中華思想や華夷秩序に対する中国の一部の人々の認識と日本などの周辺諸国の反応との間のギャップ、アメリカという存在、それから、植民地主義が遺した歴史観や歴史認識問題、冷戦思考、などの点を挙げた。その上でより根本的には、歴史的に見て、「脱亜」に傾いた日本と、自らを発展途上国の一員と位置づける中国が、ともに「東アジアの国家」という明確なアイデンティティを持っていない、という点を指摘した。以上を踏まえて、著者は「権力移行」に根本的な変化がない限り、東アジアはEUのような地域形成を実現することができないと結論づけつつも、「東アジア共同体」を一つの過程として捉えて、それに期待を繋げた。

最後に、石田徹氏は、国際関係史の視点から前近代北東アジアにあった「王道」による華夷秩序が近代のウェスタン・インパクトを受けていかに変質していったかを考察する。著者は対馬を中心とする日朝関係を例に、華夷秩序が次第に近代的万国公法秩序に移行する過程で、従来の多様なアクターが重層的に展開しえていた外交が一元化され、機能しなくなったことと、「上下関係」が「水平関係」に改変されていく際に生じた摩擦について実証した。さらに、現代中国外交の思考にもつながる孫文の「王道文化」の提起について、著者はその武力を極力避けようとする指向性を評価しつつも、戦前日本の「皇道外交」の例を引き出して、一国が頂点に立つという発想を前提にしている統治スタイルが、道徳という名において従わない者に対する「懲罰」をおこないうる、という「王道」の陥穽をも指摘している。したがって、北東アジアにおける新たな「国際秩序」を模索する際に、もし「王道(文化)」における合理的な一面から可能性を引き出そうとするならば、同時に、「中華」による独占という独善的な一面にも警戒しなければならないと警鐘を鳴らした。

シンポジウムの最後に、宇野重昭氏が総括をおこなった。氏はシンポジウムの各報告者の講演や報告を踏まえつつ、先が見通せない「転形期」にある日中両国がそれぞれあるべき「型」を模索することの重要性を指摘した。各報告の論点や中身に関する総括と評価は、本書における宇野氏の総括報告に譲ることにして、ここでは、本シンポジウムの特筆すべき特徴を二点ほど記しておきたい。

一つは、格差や、社会保障などの社会問題、あるいは、歴史上の「共同体」構築の失敗など、一見、日中両国のそれぞれの内部に生じた問題に見えるが、本シンポジウムでは、報告者たちがより広い視野からそれらの問題を、あるいはグローバル化の中の東アジアという枠組みに置き、あるいは日中比較の視点から考察することによって、日中両国がそれぞれ抱えている難題や、歴史の教訓、あるいは逆に、成功の経験を共有することができた、ということである。新しく台頭してきた中国はGDPで日本を超えても、「先輩」国日本に習う経験や教訓が多いし、東アジアの二つの重要な国家として、東アジアで相互信頼できる関係を構築していくために、過去の失敗の教訓と、歴史的な知恵を共有し相互学習することから始めなければならない。本シンポジウムでの率直で、オープンな議論はまさにその有益な試みだと言ってよい。

今一つは、両国の学者が東アジアにおける日中関係をはじめとする国際関係を理性的に捉え、現実離れの理念論や、感情論に流されがちの議論とはっきり区別された国際関係のリアリズムに徹した立場から議論を展開する、という特徴である。リアリズムであるため、現実に即した緊張感のある議論がなされ、理性的であるため、冷戦思考に陥らず、むしろ緊張を保ちつつも、開かれた姿勢で議論することができた。中国の新しい世代の学者のこのような理性的で、開放的な姿勢は、日中両国間のより開かれた対話の可能性を感じさせるものであった。このような開かれた議論と対話の結晶である本書は、「転形期」の苦悩に直面している日本と中国の将来を展望する一つのきっかけとなると確信をしている。

*1: 王輯思「大戦略を模索する中国」『ファーリン・アフェアーズ・リポート』2011年、NO4、61頁。

*2: 「小泉内閣総理大臣のASEAN諸国訪問における政策演説『東アジアの中の日本とASEAN』率直なパートナーシップを求めて」2002年1月14日、http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2002/01/14speech.html

*3: 以上、鳩山由紀夫「私の政治哲学」『Voice』2009年9月号、139–140頁。

*4: 野田佳彦「わが政治哲学」『Voice』2011年10月号、52頁。

あとがき

あとがき

李暁東

2005年に、筆者は日中の大学間学術交流で北京大学を訪れた。会議の合間、国際関係学院の知り合いの先生と話をする際に、「日中の間で議論できるのは歴史認識問題ぐらいですね」と言われたのが記憶に新しい。靖国参拝問題や、中国国内の反日デモなどで、日中関係がすっかり冷え込んだ年だったため、きっかけであった歴史認識問題が最も盛んに議論されたのは当然のことだが、国際関係の分野で、日中関係について歴史認識問題についてしか話すことができない、ということはあまりにも寂しいことだった。両国の関係が非常に難しい状況の中にあるからこそ、状況の打開と将来の展望のために幅広く議論する必要があるにもかかわらず、どのような課題でも歴史認識問題の前であまり意味をなさなかった。両国間の学者の討論があたかも袋小路に入ったように、十分に生産的な議論ができなかった。

今回の北京大学国際関係学院と本学との合同シンポジウムは、両大学間で開催された第4回目のシンポジウムである。シンポジウムでの議論の雰囲気は、筆者が経験した2005年の時と比べて、大きく異なったものだっただけでなく、これまでに開催された両大学の合同シンポジウムと比べても、互いによく打ち解けたものだった。日中間の歴史認識問題が解決されたわけではないし、日中関係の現状が依然として楽観視することはできないが、シンポジウムは、日中関係に対して決して悲観的になる必要がないことを確信させるものだった。なぜなら、シンポジウムでの討論と意見交換は、イデオロギーや感情に左右されない日中両国のアカデミックな対話の土台が着実にできつつあることを示しているからである。

シンポジウムでは、歴史認識問題を決して無視しないが、両国の学者の議論はそれぞれの国が抱える苦悩と課題から出発して、それぞれの国家のビジョンと日中関係の将来をめぐって率直に意見を交換することができた。

北京大学国際関係学院の王逸舟副院長をはじめ、若手気鋭学者である初暁波、宋偉、董昭華諸氏が、リアリズムの緊張を保ちつつ、開かれた姿勢で議論に臨み、さらに、全員日本留学の経験をもつ者である若手学者の諸氏が知日派であることも加え、日中双方の討論が相互にかみ合うものとなった。シンポジウムの成果としての本書が世に問うことができたことは、何よりもまず、真摯で真剣な姿勢で本シンポジウムに臨んだ北京大学国際関係学院の先生方に感謝を申し上げたい。

また、これまで北京大学国際関係学院と島根県立大学の交流関係を築き、発展させた最大の功労者である本学の名誉学長・名誉教授宇野重昭先生に感謝を申し上げたい。宇野先生は今回も自らシンポジウムに加わり、総括を担ってくださっただけでなく、随時適切な助言をしてくださった。

それから、われわれの同僚であった愛知大学の唐燕霞先生が快くシンポジウムでの報告を引き受け、シンポジウムの開催に多大な貢献をしたことに感謝を申し上げたい。

さらに、シンポジウムが成功裏に開催することができたのは、シンポジウムの運営を担う準備委員会の努力の賜物である。本田雄一学長が温かく見守る中で、実行委員長である副学長飯田泰三先生をはじめ、江口伸吾先生、石田徹氏と李暁東からなる実行委員会がシンポジウムの準備に当たった。特に、飯田先生が基調講演、江口先生と石田氏が報告という重役を担う中で、シンポジウムの準備に多くの時間を割いてくださったことに敬意を表したい。また、われわれの同僚である林裕明先生と佐藤壮先生も積極的にシンポジウムの開催にご協力くださったと同時に、シンポジウムの司会とコメンテーターを務め、議論を盛り上げて、シンポジウムに大きく貢献した。また、事務局の島田成毅課長(当時)、佐草利博氏が準備段階から運営に至るまで多大な労力と時間を費やし、シンポジウムの開催と運営を裏方で支えたことに深謝したい。

それから、国際シンポジウムに欠かせないのは報告原稿の翻訳である。予稿集から論文までの翻訳や、日本語のチェックに当たったのは、本学の北東アジア地域研究センターの嘱託助手石田徹氏と孟達来氏である。精力的な翻訳作業と正確な翻訳はシンポジウムでの交流と本書の出版の重要な保証である。また、他の翻訳者の諸氏の真摯な対応にも感謝を申し上げたい。

本書の編集過程で、飯田先生、江口先生、石田徹氏から随時適切な助言と意見をいただいた。特に、石田氏が本書編集に当たって、言葉のチェックや内容の確認作業などで多大な貢献をしたことに特別に感謝したい。

最後に、本書の出版をご快諾いただき、また、一方ならぬご協力とお励ましをいただいた国際書院の石井彰社長に心より感謝したい。

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