宗教的心性と法 イングランド中世の農村と歳市

加藤哲実

法の発生史をたどるとき、法規範の発生そのものに宗教的心性がかかわっていた可能性を思い描きながら、イングランド中世の農村および市場町の慣習と法を通しての共同体および宗教的心性を探る。(2013.2.11)

定価 (本体5,600円 + 税)

ISBN978-4-87791-242-0 C3032 357頁

ちょっと立ち読み→ 目次 著者紹介 まえがき あとがき 索引

注文する Amazon セブンネットショッピング

目次

著者紹介

加藤哲実(かとう・てつみ)

仙台市に生まれる。

中央大学法学部卒業後、明治大学大学院を経て早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。

現在明治大学法学部教授。博士(法学)。

主要著書

『法の社会史』(三嶺書房)、『法社会学』(三嶺書房)、編著『市場の法文化』(国際書院)、共著『経済人類学を学ぶ』(有斐閣)、共著『法社会学研究』(三嶺書房)。

訳書

F.ポロック(共訳)『イギリス土地法』(日本評論社)。

まえがき

はしがき

本書は、イングランド中世の農村および市場町の慣習と法について筆者がこれまで考察したことを内容としている。主たる問題関心は、法をめぐる共同体と宗教的心性の意味である。共同体は、協力、互酬、相互扶助等の普遍的な概念に結びついている。宗教的心性は、中世の法的な諸現象に浸透して固有の役割を果たした。また、法の発生史に思いを致せば、法的な規範の発生そのものに宗教的心性が関わった可能性もある。

本書は、全体が3部構成をなしており、第I部は農村の慣習と法、第II部と第III部は市場町の慣習と法を扱う。論述の順序と要旨は次のとおりである。

第一に、荘園裁判所、そしてそこで用いられた免責宣誓と雪冤宣誓そして陪審の役割を検討し、荘園慣習法について考察する(第1章)。領主は農民に所領の一部を保有させ、農民を支配すると同時に自然災害や外敵から彼らを保護した。土地保有を媒介とした領主・農民関係、農業生産における農民同士の関係は、必然的にある種のルールの発生を要請し、荘園の慣習法が発生した。荘園慣習法の中身は、農業法、不動産と動産の財産法、土地に関する相続法や土地の相続人の嫡出性との絡みでの婚姻等の家族法である。

第二に、13世紀以降の荘園裁判所の記録に現われた村法史料を検討することによって、村法と村落共同体の性質、領主権そして教区教会の特徴について考察する(第2章)。村法は、基本的に開放耕地農業をコントロールするための慣習的規則であり、主として刈り入れと放牧に関わる問題を扱う。それは、農民相互の言わば仲間団体法的な性質を持つ(共同体法的性質)と同時に、領主の利害が投影され、隷農への賦役強制を行なう賦役法としての性質(領主法的性質)を有した。また、荘園裁判所で科された罰金は、従来は全て領主に支払われたが、15世紀に領主と教区教会に半分ずつ支払われることになる。このことの意味についても考察する。

第三に、14、5世紀において、キリスト教的な霊魂救済思想がその中で実現されていた農民の慈善遺贈に注目する(第3章)。慈善遺贈の普及は、キリスト教の宗教的心性が農村の慣習法に浸透して、社会秩序の形成に重要な役割を担ったことを推測させる。また、遺贈に関する慣習法が宗教的心性によって形成された可能性もある。慈善の問題が扱われるので、農民の貧困についても考察し、貧困の問題と霊魂救済とがどのような関係を有したかも検討する。

第四に、扶養契約の共同体的意味と宗教的意味について検討する(第4章)。扶養契約とは、領主から保有している不動産をAがBに譲渡した場合に、その譲渡の対価として、BがAに現金や衣食住等の提供を約束することである。扶養契約は、老人の扶養というこの世的な現実問題の解決と、死後の世界における永遠の命の保障というあの世的な希望を同時に含む法律行為であったが、その法律行為が、領主支配との関連も含めて、実際にどのように行なわれ、いかなる意味を持っていたかを明らかにする。

第五に、13、4世紀にハンティンドンシャーの市場町セント・アイヴズ(St Ives)で開催された歳市の管理と歳市裁判所を、セント・アイヴズの史料を吟味しながら検討する(第5章)。歳市期間中に生じた事件は行政的・警察的に処理されたが、そこで適用された規範は荘園の慣習法であった。さらに、歳市における取引法としての商慣習法も存在し機能した。歳市で生じた法的問題は、農村的な荘園慣習法と市場町的な商慣習法によって処理されたが、その実態を明らかにし、村役人や陪審員の宣誓という行為の中にキリスト教の宗教的心性が生きていたかどうかについても検討する。

第六に、週市とは何であったかについて考察する(第6章)。週市の発生史については議論があるが、それが初発から交換の場としてあったのではなく、共同体における互酬の場として設定されたのではないかとの仮説の下に考察を深めてみる。

第七に、商慣習法の一つである手付としての「神の1ペニー」を取り上げ、ゲルマン的な契約慣習法との関連を念頭に置きつつ検討する(第7章)。この法現象においては、私的契約関係の中にキリスト教の観念が浸透している可能性があるのであり、宗教的心性が法の世界においてどのような役割を果たしたかを明らかにする。

第八に、民事訴訟の証明方法である免責宣誓について、主にセント・アイヴズの歳市裁判所記録を検討しながら、その手続と実態を明らかにする(第8章)。宣誓が問題となることから、宗教的心性と密接に関わることが予想され、その関連性に特に注意して考察を深める。

本書に収めた各論文の原題と初出一覧は、以下のとおりである。

このように、最も古い論文は発表以来すでに約30年の年月を経ているが、そのことは、筆者の問題関心が長期間に亘って変わらずに持続していることを意味する。最近発表した論文については、ほぼ発表当時のままであるが、特に古い論文に関しては、その後の学界状況を踏まえて、全面的な加筆・補正をほどこした。

中世イングランドの慣習と法について本書ではまだ語り尽くされていない。やり残したテーマも幾つかある。それらについては今後の研究課題として、将来の発表に向けて努力する所存である。この意味で本書は研究途上の中間報告である。

このような研究報告ではあるけれども、ここに至るまでに筆者は多くの先学に論文・著書をとおして、あるいは直接に教えを受けてきた。三好洋子先生を中心とするイギリス農村・都市共同体に関する研究会からはイギリスについて多くのことを学ばせていただいた。最初からのメンバーである坂巻清、中野忠、故酒田利夫、佐藤清隆の諸先生に出会ったのもその場である。これらの出会いがなければ、このような形での研究の結実はなかったと思われる。中野先生と佐藤先生には本書の原稿を読んでいただき多くのご教示をいただいた。本書に収めた論文の一部は鹿児島大学法文学部に奉職していたときに書かれたものである。同僚であった畏友三輪伸春先生からは英語学の立場から多くのご教示を得る光栄にあずかった。

明治大学法学部の同僚の先生方からの研究・教育の場での親切と友情に感謝している。そして、同僚の村山眞維先生には、法社会学の専門的立場から本書の原稿に目を通していただき適切なご教示を賜った。同じく石前禎幸先生からは、法思想史の立場から本書における宗教的心性の位置づけについて貴重なご指摘をいただいた。

法文化学会の会員の方々にも謝意を表したい。その設立メンバーのひとりである山内進先生(一橋大学長)からはさまざまな場面でご教示を賜った。

本書で取り上げているセント・アイヴズは、筆者の歴史的社会研究の対象であると同時にふるさとのように大事な場所でもある。1988年以来頻繁に訪問し、1996年から2年間滞在し、いわばフィールドワークの場となった。そこで知り合い交流させていただいている友人たちにもこの機会に感謝の気持ちを表したいと思う。Mary and Alan Carter, Sue and Gerry Rook, Peggy Seamark, Bob Burn-Murdoch(the curator of the Norris Museum in St Ives), MingとYing Yingである。そして妻の久美子はいつも行動を共にしてくれた。義弟の達也からは長年の協力を得た。

本書は国際書院から刊行されるはこびとなった。お世話になった石井彰社長にこころからお礼を申し上げる。なお本書は、明治大学社会科学研究所叢書の一冊として刊行される。ご協力いただいた担当各位に感謝申し上げる。

私事にわたるが、いつも応援してくれる兄の哲夫と哲也、姉の徳子に感謝しつつ、本書を彼の世の父母、哲とヨシに捧げたく思う。

2012年9月秋分の日

加藤哲実

あとがき

結論

以上、本書においては、中世イングランドにおける農村の慣習と法ならびに歳市の開催された市場町の慣習と法について、共同体の習俗としての互酬ならびにキリスト教信仰として現われた宗教的心性を踏まえながら検討してきた。以下では、本論によって明らかにされた農村と歳市の慣習と法について、共同体の観点ならびに宗教的心性の観点から整理することにしたい。

1 農村における慣習と法について

(1) 共同体の観点から見た農村の慣習と法

本書では、第2章で述べたように、主として平野部の耕作地ないし沼沢地における農村を対象として検討してきたが、そこで採用されていた開放耕地制においては農業生産上の協力が不可欠であり、そのことは村落共同体の結束を緊密にし共同体の調和性を導く契機となった。

しかし、村落共同体は必ずしも一枚岩ではなく、その内部にはいくつかの階層があった。自由土地保有者、隷農、そして小屋住農というようにである。階層間には対抗関係が生じることもあったであろうが、農業生産上の協力は階層間にも求められかつ実行されたであろう。他方、共同体に不都合な存在と見なされた者を排除する機構も共同体にはあった。それは、共同体の結束の緊密性を補完する効果を伴うものであったかも知れない。排除された者とは、例えば、娼婦、ハンセン病者、ユダヤ人、浮浪者、そして悪行者等であった。このような村落共同体内の社会的な実態を認識した上で農村の共同体を考察してきた。

本書では、平野部の耕作地ないし沼沢地の農村を研究対象としたが、その地域で農業に従事した人々は、この時代に固有の開放耕地制という共同的な農業生産様式に規定されて、村単位あるいはさらに小さな居住区単位で集村型の共同体を形成した。農村としてのセント・アイヴズも例外ではなく、それは、ブリッジ・ストリート居住区とグリーン居住区の二つに分けられていて、それぞれが一個の農村共同体を成していた。セント・アイヴズの周辺にはウッドハースト、オールド・ハースト、ヘミングフォード・グレイ、ヘミングフォード・アボッツなど多くの農村が存在し、同様に共同体として存在した。

農村においては、農業を円滑に進めてゆくためのルールが必要となり、そのような要請は農民の法としての共同体法的な農事村法を生み出すことになった。もっとも、村法の実施には荘園領主の権力が必要であり、荘園裁判所が村法実施の役割を担った。荘園裁判所は、領主と農民の土地保有関係に基づく領主の裁判権を存在根拠としていた。また、領主は農業生産に強い利害関心を持っていたのであり、それゆえに村法は、領主の利害を反映して領主法的性格をも有した。こうして、慣習法としての村法は、共同体法的な性格と領主法的な性格を合わせ持つものとなった。

荘園裁判所にはその荘園の土地保有者全員が集合した。荘園裁判所は、司法的役割以外にも多くの役割を果たしたが、意思決定に際しては出席者全員の合意を得ることを原則とした。そのこととも関係するが、裁判においては、事実の発見をして判決を形成するのは、少なくとも初発の段階では、出廷義務者全員であった。後にその役割は、村の中から選出された陪審員に移ってゆく。

彼らの農業においては、集団的な共同作業が要請され、農民間の労働の相互提供が不可欠であり、相互扶助ないし互酬の精神が養われることになった。そして、互酬の習俗は共同体の存続に不可欠の慣行であった。互酬という行為は、現実には物あるいは労働の相互提供として現われた。

(2) 宗教的心性の観点から見た農村の慣習と法

農村共同体は、同時に宗教的な集団でもあった。村の教区教会を守る信徒たちは教区ギルドを形成していたが、それは農村共同体と一致するかあるいは幾つかの教区ギルドが一つの農村共同体を構成するという形になっていた。教区ギルドの目的の第一は神への崇敬を高めることであったが、同時に、病気のあるいは貧困な構成員を扶助することなども目的としていた。全体として見ればそれは、相互扶助ないし互酬の緊密な集団だったのである。したがって、われわれが研究の対象としてきた農村共同体は、農業生産関係という物的な関係によってと同時に、信仰に基づく信徒間の心的関係によって培われた共同体であったということになる。このことは、農村の慣習と法の中にさまざまな形で現われる。

農村の慣習と法を詳細に見てゆくと、そこには世俗的な側面と宗教的な側面があったことが分かる。以下では、農村における慈善遺贈と扶養契約に注目してこの点を確認する。

先ず、慈善遺贈という行為の背景には、キリスト教における「罪の贖いは貧者への施し(喜捨)を通して行なうことができる」という教えがあった。そしてその教えは、主として教区司祭によって広められた。慈善遺贈は、法律行為としての遺言を通して貧者に施しを行なうことであるが、その行為には遺贈者の罪の贖いと彼岸における霊的救済が深く関わっていたのである。それは農民たちの宗教行為の一つであった。キリスト教的な霊魂救済思想が、農民の遺言ないし遺贈という法律行為の中で実現されようとしていた。遺言は、本来、遺言者の霊魂の救済のための敬虔な手段として、すなわち信仰の(あかし)として行なわれたのであり、遺言書は、父なる神と子なるキリストと聖霊の御名によって作成される宗教的な文書であった。遺言者が先ず願ったことは、相続財産の家族等への遺贈ではなく、自分の霊魂の不滅と将来に向けての安寧であった。それゆえに、遺言の内容は、通常は、教会、司祭その他の教会関係者、礼拝堂、祭壇、教会の鐘、祭壇のろうそく、朝課に際しての歌い手、ミサ等のための動産や現金の贈与であった。そしてその次に、家族等への動産や現金の贈与、さらには、隷農保有地の処分が語られた。家族等への財産の遺贈は、あくまでも副次的なものだったのである。

『グランヴィル』と『ブラクトン』を参照すると、動産遺産の3分割制が明らかになるが、動産に関して中世の遺言者は、その3分の1を遺言者の霊魂のために、宗教的慈善的仕事に使うべく遺すことを期待された。慈善に使われるということは、具体的にはその財産が貧者への施しに用いられるということである。つまり、死にゆく人が貧者に施しをして、その貧者はその人の霊的救済のために祈りを捧げるという構図が浮かび上がってくる。貧者は、遺贈者の霊魂を救済するための協力者であった。こうして慈善遺贈は、顕著な宗教性を持つと同時に、救貧の機能をも果たしたのである。この局面では、貧者としての生者と遺贈者としての死にゆく者との間に、宗教的心性に基づく共同関係ないし相互扶助関係が成り立っている。

次に、扶養契約とは、領主から保有している不動産をAがBに譲渡した場合に、その譲渡の対価として、BがAに現金や衣食住等の提供を約束することであり、そこでは、扶養提供の約束が不動産譲渡の対価となっている。この法律行為について、扶養の約束が契約上の対価となっていること以外に注目すべき重要な点がある。それは、対価の内容として、不動産譲渡人が死亡した後の来世での霊魂のためのミサの手配がしばしば含まれていることである。扶養契約は、老人の扶養というこの世的な現実問題の解決と、死後の世界における永遠の命の保障というあの世的な希望を同時に含む法律行為であった。ここでは不動産譲渡人の霊的救済という宗教的な関心が契約に投影されていることが重要である。こうしてこの局面でもまた、不動産の譲受人である生者と死にゆく者である譲渡人との間に、慈善遺贈の場合と同様に、宗教的心性に基づく共同関係ないし相互扶助関係が成り立っている。扶養契約は、世俗的な意味でも宗教的な意味でも、農村共同体における相互扶助的な法律行為だったのである。

扶養契約が正しく履行されたか否か等について争いが生じた時に、多くは陪審員によって事実が認定されることになった。陪審員たちが認定結果を証言する際には必ず宣誓をしたが、これは、証言の信憑性を担保するためであった。また、その陪審員たちを村人から選抜し荘園領主の執事に報告するのは、隷農監督官であったが、彼らもまた、聖書に手を置いて誓いつつそれを行なった。これは、陪審員選抜が神に賭けて正しいことを示すためであった。このように行為の(かなめ)において宣誓が行なわれたということは、彼らの内心に宗教的心性が宿っており、一連の事実認定の手続の公正さが、宗教的な正義によって裏打ちされていたことを意味しているのである。

週市は、農村共同体の生活にとって不可欠の経済的・社会的装置であった。生活必需品の交換、情報の交換、人間的交流の場であったということである。制度化される以前の週市は、基本的に農村共同体の内部に向けてその役割を果たす「交換の集い」であり、農民間の互酬的な活動の場であった。その集いは、もともとは日曜日の礼拝の後に教会の境内で催された。農民たちが、持ち寄った生産物をその折にその場所で分け合うというようにである。聖なる時間に聖なる空間で互酬の行為が行なわれたのである。それはキリスト教の信仰共同体の構成員が行なうある種の宗教的行為であったと見ることもできる。しかし、「交換の集い」は、後に、互酬行為が利益追求的な交換行為に変化したと見られたことにより教会の反感を買い、日曜日ではなくて平日に、境内ではなくて(いち)の開かれる広場での週市となり、そこでの活動は、俗なる日常の時間・空間における商品交換行為へと変化していった。

2 歳市における慣習と法について

(1) 共同体の観点から見た歳市の慣習と法

歳市において交易が行なわれる際に、商人たちはある種の組合を結成していた。その構成員の一人が発生させた責任を組合の構成員全員で負担することがあり、金銭債務の履行請求は、個人に対してだけではなくて、その個人の属する組合にも行なわれ得た。言わば共同体責任の原則が通用していた。セント・アイヴズにおいて、(いち)が開かれた広場では、商人たちあるいは職人たちの仮設店舗が職業ごとに集合して配置され、さらに、その職業の中で出身国ごと、出身都市ごとに配置された。彼らの集団は商人ギルドないし職人ギルド的な様相を呈していたのであり、集合していることによって同職者内部の共通規範が遵守されやすかったし、共同体的な利益を守るのにも好都合であったと思われる。

セント・アイヴズにおける同職者のつながりについて見れば、例えばパン条令違反の罰金支払いとの関連で、その支払いのための保証人について、パン屋同士が相互に保証人になっていたという互助的な行動の事実があり、このことは、緊密に結合した言わばパン屋コミュニティが存在していたことを窺わせる。

こうして、歳市の交易の場においては、商人の共同体あるいは職人の共同体が重要な役割を担っていたように思われるのである。

(2) 宗教的心性の観点から見た歳市の慣習と法

農村と同様に歳市においても、商取引に参加した商人たちならびに何らかの形で歳市に関わった農民たちの行動は、宗教的心性としてのキリスト教信仰によって特徴づけられていた。

先ず、歳市の管理という局面を考えると、執事の支配下にあった荘官、治安官、監視人は、歳市期間のセント・アイヴズにおいて行政的・警察的な活動を行なっていたのであるが、彼らは、陪審員と同様に、職務に就く際に宣誓を行なった。

また、裁判所について考えてみると、セント・アイヴズの場合、歳市裁判所と荘園裁判所は、各々の機能は異なっていても、開廷された場所は同じであり、訴訟手続や証明方法の基本的枠組みを共有していた。各々の裁判所の管理者は荘園領主あるいはその執事であり、セント・アイヴズおよび周辺の農村から選抜された荘園役人が司法的、行政的そして警察的な活動を行なったのである。そして、その際に彼らが適用した法は、基本的に荘園の慣習法であった。

歳市裁判所における証明方法は、陪審か免責(雪冤)宣誓であった。当時の陪審は、現代の陪審のように訴訟当事者を知らない第三者が、有責か否かあるいは有罪か無罪かを判定するのではなくて、一定の事実があったか否かをじかに吟味し証明したのである。したがって、当時の陪審員は、訴訟当事者をよく知っていた歳市の商人たちあるいは地元の隣人が担当したのである。陪審員は幾つかの場面で宣誓を行なった。同様に、免責(雪冤)宣誓における被告(人)ならびに宣誓補助者も宣誓を行なった。例えば雪冤宣誓の場合、被告人が自分の潔白を神に賭けて誓い、次に、指示された数の宣誓補助者は、当該事件における具体的な事実を知っていて被告人の無実を証言したのではなく、被告人の宣誓が清浄であり、虚偽でないこと、つまり被告人の宣誓を神に賭けて信用することを方式通りに誓言したのである。この証明方法の信憑性と有効性を担保していたのは、神が偽誓を許しておくはずはないと信じる人々の宗教的な心性であった。

当時の人々の宣誓という行為は、共同体の成員たちの立ち会いの下に行なわれる、キリスト教の神との共同体的な交流の儀礼でもあった。そのような意味を持つ宣誓が、歳市裁判所ないし荘園裁判所における証明方法において重要な役割を果たしていたのである。

また、歳市裁判所に固有の慣習法として、手付としての「神の1ペニー」があった。手付は、本来、契約の法的拘束力を確かなものにするために交付され受領されたのであり、「神の1ペニー」はこの目的に適合的に考案された手付に関する慣習法であった。そして、貨幣に浸透した神の呪術性が、手付としての「神の1ペニー」の機能を確実なものにした。この法現象においては、キリスト教の宗教的心性が重要な役割を果たした。

小額貨幣としての1ペニー銀貨が手付金として交付され、受領者がそれを教会に納めて聖別してもらい、「神の1ペニー」に変えてもらう義務を負うという慣習ができると、その手付金は、もとの契約に対してきわめて強力な拘束力を持つことになった。手付によって担保された契約が履行されなければ、それは神への裏切りとなり、来世での霊的救済の放棄を意味すると考えられた。こうして、ここでは、私的契約関係の中にキリスト教の観念が浸透しているのであり、契約当事者の宗教的心性としてのキリスト教信仰が、歳市の慣習法の実効性に強い影響を及ぼしていたのである。

このように、中世イングランドにおける農村の慣習と法ならびに歳市の開催された市場町の慣習と法の世界においては、共同体の習俗としての互酬が重要な役割を担っていたということ、そしてキリスト教の宗教的心性に基づいた法的な活動が盛んに行なわれ、宗教的心性が重要な意味と役割を持っていたことが分かるのである。

以上見てきたように、荘園裁判所も歳市裁判所も、人々の宗教的な心性が反映されて機能する社会的な裁判所であった。人々は、自分の主張の正しさを認めてもらうために主体的に訴えを起こし、定められた訴訟手続を踏んで判決を得ようとしたのである。これは、問題を抱えて解決を目指す中世人にとっての、合理的な解決方法の一つであった。解決方法としての和解もあったが、裁判所記録の検討から分かるように、相当数のそして多様な訴訟が当時の裁判所で扱われていた。そして、ここで明らかになった人々の主体的かつ自覚的な訴訟行動の伝統は、後の時代に受け継がれていったものと推測することができる。

索引

株式会社 国際書院
〒113-0033 東京都文京区本郷3-32-5 本郷ハイツ404
Tel: 03-5684-5803
Fax: 03-5684-2610
E-mail: kokusai@aa.bcom.ne.jp