昨年以来、3.11に関連する大量の書物が発行された。未曾有の大惨事の後、ポスト3.11の国家のあり方を論じるものがある一方、日本中から被災地に集まるボランティア、そしてそれをとりまとめるNPO・NGOに関する著書が出版され、また、震災の前年に流行した『無縁社会』を否定するかのような地域のつながり、親族のつながりに関連するドキュメンタリーが流されている。
研究の分野でも、政治学や行政学、公共政策研究では「ガバナンス」、社会学や人類学では「公共性」「連帯」とか「ネットワーク」の言葉がキーワードとして用いることが増えている。それらに共通している視点は近代主権国家システムの弊害や限界を意識し、国家とは別のアクターによる活動、動きに注目していることである。
本書は、直接的に3・11の被災状況や復興状況、その後の政府の対応を扱うものではない。本書で取り扱うのは日本国内に住みながら、被災地からは遠く離れた所で住む執筆者たちが、1年ほど時間が経過した後に、自分の専門を踏まえて、「未来」のために実践的に語らなければならないと考えたテーマである。
阪神大震災の際には、ボランティア元年と呼ばれるように、それまでの日本にはなかったほど、ボランティアとして震災復興に立ち上がる者が多かった。それと同様に、今回の3.11の震災後も、宮城や岩手、さらに原発の被害を受けた福島にも老若男女を問わず多くの者が、被災者をどんな形であれ支援しようとして集まってきた。今回の震災を振り返ると、阪神大震災の際に「ボランティアは来たけれども、役に立たなかった」とか「かえって邪魔だった」といった批判が起きないように、震災直後には、ボランティアが急に行かないように自省を促すなどの配慮がなされた。さらに本格的にボランティア活動が始まる時期になってからは、その力が明らかになっていった。例えば、その中には石巻でボランティアをコーディネートし何万人のボランティアを組織化した災害ボランティアの例がある*1。
このようなNPOやNGOの活動に当たって、理念上はもちろん、運営上の問題点はまだ山積していた。それは、団体内の運営の問題、士気をどう維持するのか、指揮系統をどう維持するのかといった活動の質や継続性にかかわるものであったり、被災者当事者との信頼関係構築といった対象者との関係もあるだろう。被災者当事者の意志や自発的な試みも理解する必要があるだろうし、行政との仕事の分担や資金面での支援を仰ぐといった行政との関係、さらに他の団体との仕事の棲み分けといったNPO間の横の関係も、活動を効率的に持続的におこなうためには必要となる。
しかし、上記のような問題点を指摘した上でも、このような国家とは異なるアクターの持つ力を感じることもできた。私も、石巻での災害ボランティアの活動を見学したことがあるが、その際に出会った人たちは、震災直後から、それまでの仕事を投げ打った者やそれまで定職に就くことなくいた、いわゆる「ニート」の者もいた。彼/女らは、生き生きと活動をおこない、復興のために貢献していた。このように3.11以降、私たちの注意に止まったのが、ボランティアである個人であったりNPOやNGOなどのもつ力であった。
本書を通して、私たちは、国家とは異なるアクター(本書で注目するアクターはNPO・NGO、自治体、大学、ソーシャルベンチャー、家族・親族など)による活動を民際活動と捉える。そしてそのような民際活動が持つ力(民際力)の問題点と可能性とともに、一地域社会の中でのアクター間の協力関係を創り出すための示唆を、すでにNPO・NGO、自治体、学校教員などの現場で実践している方々や将来の実践者である学生の皆さんに向けて提供したい。
以上のような課題設定のもと、1章から4章では国家ではない、NGO、NPO、地方行政、そして大学(そこに所属している教員と学生)を民際活動のアクターとして捉えた論文を集めた。市民アクターは個々の組織だけでは十分な働きをすることができない。目的達成のため機能的に活動するためには民際の間での関係がより潤滑に、そしてwin-winの関係が構築されるためのノウハウが必要となる。NGO・NPOは市民アクターとして注目されがちであるが、その運営の問題をより当事者の視点から描き出すことで、そこに内在している問題点を明らかにし、その解決のための見取り図を考察する。
このような市民アクターが関与する問題には、さまざまなモノがあるが、3.11以降の日本社会を考えるに当たって、避けて通ることができないのは、グローバル化と外国人問題、そして原発問題であろう。5章と6章では、問題の当事者、それは同時にNPO・NGOの支援対象者でもあるが、「外国人」「被災者」に関する研究から、当事者たちの営みに関する詳細な記述とそこから見出すことのできる、今後の日本社会で活動するNPO・NGOにとって有意義な知見を提示したい。
本書の特徴は、コラムという形で、研究対象者の声を取り入れることで、一つの事象について複眼的な像を提供している点である。研究者の一方的な解釈や実践者の思い、そしてその間のずれを読者が、自分の経験と照らし合わせながら読んでいただきたい。
第1章の奥村論文は、明治期日本でのフランス女子修道会「幼きイエスの会」の事例研究を通して現代日本でのNPOのあり方に示唆を与える。
このカトリックの修道会は、日本で最初の児童養護施設である仁慈堂を開設し、慈善事業、特に児童福祉をおこなった。その後、寄宿学校から始まり、日本社会側からのニーズに応える形で、カトリック系の学校を設立した。それが横浜紅蘭女学校であり、この学校は関東大震災や戦争の際に建物が焼失するという危機に会いながら、現在も存続しており、小中高の一貫校として全国5カ所で女子教育をおこなっている。
この修道会の分析を通して、奥村は、宣教活動というミッショナリーにおけるミッション(使命)に注目し、幼きイエスの会という組織が、長期にわたって活動を継続することが可能となった要因として、この組織が社会のニーズに応じて活動内容を変えていったことを指摘している。
さらに奥村は、海外で活動している日本のNPO・NGOの団体に対して、「幼きイエスの会」の分析を通して、活動の継続性の重要性を指摘している。幼きイエスの会では、日本に来る以前にシンガポールなどの東南アジア諸地域ですでにミッションを経験しており、すでに語学学習や異文化接触に伴う困難さを体得していたため、日本で活動する際には、すでに異文化への柔軟な適応が可能だったと指摘している。ここで、短期での活動のみでは、地元のニーズを吸い上げることができないだけではなく、異文化間での衝突が起きかねず、ある程度の長期期間での計画を立てることの重要性を指摘している。
また、「幼きイエスの会」の限界として、奥村が指摘するのは専門性の問題だった。この会の場合は、高等教育をする場合に、修道女側がそこまでの専門性を持っておらず、ある段階から指導ができなくなることがあった。しかし、奥村はこの限界は、支援団体のミッションの限界、すなわち完了を意味しているのであり、その後は当事者たちが自分たちで自助活動を取れるようになったと積極的に評価している。
第2章の渋谷論文では、文化人類学的なフィールドワークに基づく調査を外国人児童を主な対象とした支援団体の活動に対しておこなった。その結果、団体の活動を通して、草の根的な視点から地域のニーズに合わせた「多文化共生」的な活動が創り出される過程を明らかにするとともに、そこから行政や大学その他のアクターに求められる課題を指摘している。
「多文化共生」というスローガンが2006年に総務省から出されると、その後各地方行政団体は、地域ごとの独自の取り組みを交えながらその方針に応じて施策をおこなっており、それは論文が扱っている愛知県、名古屋市でも同様だった。
トヨタの企業城下町である豊田市に隣接している名古屋市の外国人登録者数の現状を見てみると、リーマンショックまではブラジルなどの南米出身者が多かったが、現状では中国やフィリピン出身者が増えており、外国人登録者の出身国が多様化していた。その中で渋谷の論考は、リーマンショック後に発足した名古屋市南部に位置する外国人集住地域で活動している一団体「まなびや@kyuban」に注目した。
活動の面からいうと、当団体は愛知県から経済支援を受けており、それが子どもや成人に対する日本語教室を運営する目的であるため、日本語教室を開催している。しかし、「まなびや」の活動はそれにとどまることなく、活動地域のニーズに応えるために、支援対象を外国籍住民に限らず日本人も含め、活動の幅もポルトガル語教室や子どもたちの継承言語としてのポルトガル語を維持する目的での読み聞かせ事業などをおこなっている。これは、総務省が推進しているプログラムでは日本語教育を強調している点とは幾分外れており、地域住民、外国籍住民という当事者から見たニーズに合わせた活動である。この事例から「多文化共生」をマジョリティ側の視点から考え押しつけるのではなく、地域に根差した共生の可能性を示していると考えられるだろう。
その一方で、渋谷は「まなびや」の今後の展開への危惧として、後継者の育成に伴う活動の継続の問題を指摘するとともに、名古屋市にとどまらず、日本全体での多文化の多様化に伴い「多文化」の意義を再検討する必要を説いている。
次の二つの章では大学と地域社会貢献をテーマとする。第3章の金論文では、大学と地域社会との関係を、「地域社会は国家を超えることができるだろうか」という刺激的な問題設定の下に、大学発の市民団体の活動を通して、どのように地域社会の諸アクターが顕在化してきたのかをインタビュー調査に基づき解明し、制度化に頼らない社会運動的な試みの可能性を論じる。
これまでおこなわれてきた国際協力に関する議論を確認した後、金は、「市民」を地域社会に住む当事者とともに国際協力の担い手と捉え、その可能性と限界を名古屋での例を通して検討していく。
金論文では名古屋を中心とした東海圏をナゴヤと呼び、一地方都市の例として上げている。そのような一地方都市ナゴヤで金が取り上げる事例は「グローカル・ナゴヤ・ネットワーク」である。この団体は、「地域社会の一員としての大学が「民際協力」の実現においてどのような役割を果たすことができるだろうか」という、金の問題意識から生まれたものである。金は、いわゆるゼミと呼ばれる演習科目の受講生を中心に市民も交えて市民運動化、NGO化するという試みを始めた。このネットワークの最初のプロジェクトの課題は、ナゴヤ地域での難民支援であった。そこから、さまざまな活動に展開していったが、その派生物として、市民と学生の連携による「TSUKIICHI-カフェ」がナゴヤ市内のカフェを借りて開催され、月に一回、情報や知識の共有を目的としておこなわれた。
この「グローカル・ナゴヤ・ネットワーク」での試みを通して、金は学生や市民を中心とした活動に伴う問題点を指摘している。そこには活動の理念をメンバーにどのように理解させるのか、すなわち表面的な国際協力の理解でとどまることなく、地域に根づいた理解および活動になりにくい点を指摘している。また活動を率先して引っ張っていくリーダーを育成する必要性も指摘している。さらに、学生や一般市民の活動であるため、専門的な知識や技術がなく、地域のまたは国際的なニーズに応えられないというジレンマも生じる点を金と中野は指摘している。
第4章の羅と中野の論文では、分析枠組みとして「ソーシャルキャピタル」を用い、羅が中心となって中京大学でおこなってきた、内閣府の地域社会雇用創造事業の一環であるソーシャルビジネス・インターンシップ事業を通して、大学とNPOおよび社会的企業と行政の協働のための仕組みとその教育的意義について検討し、大学の果たしうる役割について考察している。
インターン事業では、羅が主催するゼミを中心に中京大学総合政策学部の受講生が講義を受けた後に仲介役のNPO法人を介して、地域社会のNPO団体などのおこなっているソーシャルビジネスにインターンシップをおこなう。それは学生にとっては単にインターンに参加するだけではなく、当該団体の試みや抱えている問題について考察することが課題となっていた。
学生にとっては、ハードルの高い内容をどのように乗り越えていったのかを、羅と中野の論文では、その変化を時系列に、ソーシャルキャピタルの概念を用いて解釈している。
プログラムの始まった初年に重要だったのは、参加者の多数を占めた同一ゼミ生の間にすでにあった信頼関係だった。だがこのプログラムはさらに、学年の壁を越えた信頼関係を築くことができたと羅は指摘している。翌年以降は複数のゼミから参加者が来ることによって、ゼミ担当教員間でのネットワークが学生間のネットワークにも大きな影響を与え、「縦と横」双方につながりを広げていった。さらに、インターン先の活動を通して、地域のさまざまな属性を持った人々と触れ合うことによって、学生たちは社会人としての基礎力と、新しく何かを作り出そうというイノベーション力を吸収し、成長していっていることを羅は描きだす。
このプログラムの取り組みを通して、羅は社会貢献に興味を持つ「学生コミュニティ」を形成することが可能であり、大学の教育力と地域社会の組織力が相乗効果を持ちうる事例であると結論づける。
次に、今後の日本社会で問題となることが確実な移民問題と被ばくの問題について、すでにある程度の結果が生じている「先進」地域の例から事例を紹介していく。そして、これらの例からは、伝統的な規範が現代社会に生きる当事者にとって持つ意義について考えていく。
第5章の渋谷論文ではフランスのモロッコ移民を取り上げ、フランスでの生活を安定化させるために彼らが用いた親族および疑似親族ネットワークを取り上げ、現代社会における移民コミュニティの意義を再考する。
フランスに労働者として暮らし始めた1960年代頃のモロッコからの移住者は、親族やモロッコでの地縁関係で知り合った人だけではなく、フランスで知り合った者を含めて「疑似的家族」を形成し、異国での生活の基盤としていた。1970年代から、モロッコからの移住者の間では定住化が始まり、家族を呼び寄せたり、フランスで家族を形成する者が増えてきた。
本来の家族の形成とともに、「疑似的家族」は解体していった。しかし、それとともに移住者がフランスに形成した移民コミュニティもともに崩壊したのではなかった。彼らは、近隣に住む親族たちと相互扶助関係を維持していた。この事実は、一見、フランス社会で論じられる、移民たちの「共同体主義」に当たると思える。つまり、フランスに住む外国人たちは、出身地を同じくする者たちと「共同体」を形成しその中に閉じこもり、フランス社会と接触することもなければ、適応することもないという議論である。
しかし、渋谷によると、モロッコ出身の移民たちは、一方では出身国を同じくする者との移民コミュニティを維持しながらも、カフェの行き先を同村出身者が経営する店から、近くにあるカフェへと変更していた。そこで描かれるのは、移民社会の中で生活基盤を得た上で、そのネットワークでは得られない資源を得るために、フランスでの地縁を活かしたネットワークを広げている移民たちのしたたかな生き様だった。そしてこの事例は、多文化社会化を迎えている日本社会にとっても有効な指摘を含んでいる。すなわち、日本語教育がある程度進んだ段階からは、積極的に移民コミュニティの形成もしくは維持をする必要があり、そのためにも外国人を主体とした自助組織の結成および継続に対する支援が望まれる。このような移民コミュニティは過度に閉鎖的になることはなく、日本社会に入る込むための踏み台の役割を果たしうるのだ。
第6章の中原論文では核実験による放射能汚染によって、強制移住させられたマーシャル諸島に住む人々が、強制移住後の自分の居住先をどこに構えるのかを、再定住計画との関係から分析する。
仮住まいの島から核に汚染された故郷へ集団で移住するアメリカ主導の「帰還プロジェクト」に対して、当事者たちはそれほど乗り気ではない。その理由を中原は、アメリカおよびマーシャル政府は元々コミュニティを形成していた住民が分散して生活する避難リスクを重視し、それを軽減するために帰還プロジェクトを主導するのに対し、当事者である住民たちは、分散して暮らすことよりも放射能リスクの方を重視しているからだと論じる。
なぜ、彼らは避難リスクを重視しないのか。中原は、その要因をマーシャルに伝統的な親族とモノのつながりによるものと論じる。中原によると、マーシャルでは親族のつながりは伝統的に強く、ともに一カ所に定住していなくても、親族関係が途絶えてしまうことはない。冠婚葬祭などは親族が集まる機会であり、さらに長期休暇がある場合には、遠方に住んでいる親族の家を訪問することも頻繁である。
さらに、モノによって、移住地に故郷を「創り出す」こともおこなっている。中原はその象徴的な一つの例として、故郷で伝統的に作られていた「タコノキ羊羹」を紹介している。「タコノキ羊羹」が移住先で生産が始まり、それが都市部などに住む住民たちの間に広がっており、故郷をイメージさせるモノとなっている。さらに、当事者たちはその他の故郷に由来するモノを持ち込むことで、移住先を「仮の島」から「自分たちの島」へとみなし始めている現れと捉えている。
中原も言っているように、このマーシャルの例が、そのまま数年後の福島から離散している人々の帰還に当てはまるとは思えない。但し、心にとどめておかなければいけないのは、当事者たちの日々の営みをどれくらい汲み取り、それを適切に評価するかだろう。
以上のように、本書では震災後の日本で注目されることが多くなった、国家とは異なる、そしてその役割を補完する多様なアクターの活動の軌跡を描き出すことを狙っている。先にも論じたように本書は、概念化を目指す研究書ではなく、すでに活動をしている人たち、これからしようとしている人たちにとって「使える」教科書であってほしいと思っている。本書の具体的な例から、地域社会での多様なアクターを社会貢献のためにより効果的に利用し、育成していくための課題と方策を見出していただければ幸いである。
*1: 石巻での復興支援に関しては、中原一歩『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』朝日新聞出版、2011年などを参照。
本書は、中京大学社会科学研究所研究プロジェクト「環太平洋におけるNGO・NPO活動の国際・地域社会への貢献」プロジェクトの3年間の研究成果である。この研究プロジェクトは、もともとは太平洋沿岸地域でのNGO・NPOの活動を比較検討し、そこから地域社会とどのように貢献できるのかを考察することを目的としていた。
大きな変化が生じたのは、3.11以降だった。私たちが住む名古屋は被災地から離れており、地震による直接的な被害はなかった。それでも、私たちの関心はより実践的なものに向かい、その成果が本書である。
私は、この本の出版作業の大詰めを迎えていた10月の下旬に、故郷である仙台に帰る機会があった。仙台の住宅地を歩いていても、震災直後に目立った屋根の崩れた部分を覆うためのビニールシートを目にすることもなく、一見何事も起きていないかの状況だった。
しかし、津波の被害をほかの沿岸地域と比べればそれほど受けなかった仙台市であれ、復興の過程でさまざまな問題が生じていることを、いろいろな関係者から聞くことができた。被災された方々の「支援」をすることは、さまざまな要因が絡んでおり、現場では一筋縄ではいかないことがうかがわれた。
3.11の被害を受けた方々の復興にはまだまだ時間が必要であり、それを支援する団体が十分に機能することが求められる。さらに、本書で論じたような民際力は、被災地だけではなく、日本各地の地域でさまざまな方面で現地のニーズに合わせて展開し生かされていくことだろう。その際の、組織運営の向上のために本書が一役を担えればと考えている。
本書で明らかになったものは個々の団体の活動の継続性であり、そのために必要な次の世代を育成することである。当事者の実践に関する研究からも、学ぶべき点があるところを指摘できたと考える。また、NPO・NGOと大学、行政とを結びつける試みの可能性を示唆することができたであろう。
その一方で、地域社会の一市民としての大学教員が、当事者として地域の問題にどのようにかかわっていくのか、特に筆者たちが働いている大学という場が、地域社会の中で果たすべき役割を再検討する必要がある。再検討すべき課題としては、以下の3点があるだろう。
3.11後は、社会科学の研究者も未来のために語り、動かなければならない。私にとって本書はその一歩である。
本書を出版するに当たっては、中京大学社会科学研究所からの出版助成を受けた。ここに感謝を表したい。
出版することが難しくなっている現状の中で、快く出版を引き受けていただいた国際書院の石井社長にも感謝をささげたい。
最後に、コラムを書いてくださった皆様に感謝をささげたい。読んでいただいた方は感じられただろうが、それぞれのコラム当事者の思いを的確に表現してあり、研究者とは異なる視点で語ってくれた。
2012年11月
執筆者を代表して 渋谷努
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