成蹊大学卒業後、英字紙ジャパンタイムズに記者として勤務した後、早稲田大学大学
院アジア太平洋研究科にて修士号(国際関係学)、博士号(学術)を取得。現在は、
早稲田大学、法政大学、東海大学ほかで講師を務める。専門は、国際関係学、国際機
構論、安全保障、国連研究。最近の論文に、『北東アジアの「永い平和」: なぜ戦争
は回避されたのか』(編著)、「『グローバル・イシュー』としての人権とアジア: 新た
な国際規範をめぐる国際社会との確執に注目して」『グローバリゼーションとアジア
地域統合』(浦田秀次郎・金ゼンマ編)(共に、勁草書房、2012年)がある。
国連憲章は、国際連合(以下、国連)の主な任務である国際の平和及び安全の維持に係る施策として、武力行使を一般的に禁止した上で、国際紛争の平和的解決、軍備規制、集団安全保障を想定している。そのうち、集団安全保障を維持する具体的な方法として、武力行使を伴う「軍事的措置」と、武力の使用を伴わずに、主に経済的力の行使を含む「非軍事的措置」*1のふたつを備えている。そして、その決定を安全保障理事会(以下、安保理)に委ねている。
これらの強制措置のうち、国連憲章第7章第42条に規定された軍事的措置は国連創設以来一度も発動されていない*2のに対して、非軍事的措置は冷戦終結以降たびたび発動されてきた。とりわけ1990年代は「Sanction Decade(制裁の十年)」*3と称されるほど、安保理による非軍事的措置が頻繁に決定・発動された10年であった。わずか10年の間に13の国と地域及び特定勢力に対して発動されたのである*4。国連創設の1945年から1990年までの発動件数がわずかに2件*5であったことを考えると、その増加は著しい。
さらに、2000年に入ってから新たに9件*6が発動されており、非軍事的措置が今後も引き続き国連による集団安全保障の具体的な方法として活用されていくことが予想される。
非軍事的措置の発動件数が増加した要因として以下の点が挙げられる。
まず、武力行使を含まないため国際法上の許容範囲が広いことである。
次に、国際法上著しく制限されてきた軍事的措置と比べて事実上機能しうることも挙げられる*7。軍事的措置が取られてこなかった理由としては、武力の行使が国際法上著しく制限されてきたこともあるが、冷戦中には常任理事国間でコンセンサスが取れず、拒否権の応酬によって安保理が機能しなかったことが大きな理由として挙げられる。さらに、安保理は、軍事的措置発動の前提として加盟国との間に特別協定を締結する必要があるとしている(国連憲章第7章第43条)ことから、大国間の見解が一致せず、現在まで特別協定は一つも締結されていない*8。
更なる要因として、非軍事的措置は物理的暴力を伴わないため直接的かつ大規模な犠牲を伴わないことも挙げられる。この点については、ウォーレンスティーン(Peter Wallensteen)が指摘するように、「経済制裁は、非暴力的哲学からなされるものではなく、多少なりとも政治的便宜からなされるものもある」*9ことは否定しえないが、軍事的措置と違って直接の破壊、殺戮を伴わない点は過小評価すべきでないだろう*10。
またもう一つの要因として、違法行為者に対してあらかじめ発動の可能性を「明らかにしておくことによって平和破壊行為を事前に抑止する」*11効果が期待されていることも挙げられる。
上記を主な要因として冷戦後に発動件数が増したと考えられる。
非軍事的措置に含まれる措置の解釈はさまざまである。狭義の定義に従えば、非軍事的制裁イコール経済制裁を意味する。しかしながら、一般的な解釈に従えば、国連が持ちうる非軍事的措置には、経済制裁のほかに以下の四つが含まれる。
(1)違法行為国に対する外交上の抗議や外交及び領事関係の断絶などを含む「外交上の制裁」、(2)侵略、植民地支配、アパルトヘイトなどの普遍的な義務に違反する行為の結果としての援助・支援の不供与などを含む「不承認主義」、(3)国際法違反に対する非難・抗議を含む「道義的制裁」、(4)権利及び特権の停止、投票権停止、除名などを含む「国際組織による内部的な制裁」、である*12。
これらの非軍事的措置の中でとりわけ活用されてきたのが経済制裁である。経済制裁は、「経済」という国家運営に最も重要な分野に打撃を与えることから、特に今日のように経済的依存の発達した国際関係においては有効な措置とみなされている。
さらに、包括的な禁輸措置、例えば全面的輸出入の禁止から、部分的な財政・金融上の措置、通商・貿易上の措置、渡航の制限及び禁止措置、武器禁輸措置など多様な手段*13を含むことから、違法行為者の態度に応じていくつかの手段を組み合わせたり、措置の強度を変えたりすることによって柔軟な対応も可能である。
以上のような経済制裁のさまざまな機能を利用して、国連は、冷戦終結以降多発する内戦や民族紛争、その結果としての民族抑圧や人権侵害、国境をまたいだテロ活動*14などの脅威に対抗してきた。
しかしながら、国連が、イラク(1990年)、旧ユーゴスラビア(1992年、1993年)、ハイチ(1994年)に対して発動したような一切の通商を禁止する包括的な制裁によって、本来制裁の第一義的な対象ではない無辜の人民への被害が次々と明らかになり、国連事務総長が経済制裁について言及するまでになった。
ブトロス=ガリ(Boutros Boutros-Ghali)元国連事務総長は、「平和への課題: 追補(Supplement to an Agenda for Peace)」の中で、制裁について、「対象国の無防備な集団(つまり一般市民)を苦しめることが、政治指導者に圧力をかける手段として合法的か」との疑問を投げかけた*15。また、アナン(Kofi Annan)前国連事務総長も、経済制裁を、政治的利得と不釣合いな苦痛を国民に負わせる「あまりに頻繁に発動されるなまくらな手段(too often a blunt instrument)」と評し、「制裁は、平和の維持と人権の保護という二つの任務を負う国連に対してジレンマを突きつけた」として、その難しさを述べている*16。
安保理決議に基づいて発動される経済制裁は国連憲章で規定されているため正当性を有するものであるが、190カ国以上の国家が参加する制裁が一般市民に与える影響は、国家数から考えても、単独国家のそれに比べてはるかに大きい。経済制裁は武力の行使を伴わないという意味において平和的な紛争解決手段と考えられてきたが、もはや「平和的な手段」とは言えないことが明らかになった。
そこで、例え国連憲章第7章に基づいて発動される強制措置であっても、国際人道法に含まれる人権保護の原則に則った「制限」が加えられて然るべきであるとの考えが重要視され始めた*17。加盟国の多くが、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(ICESCR: International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights)」*18など国際規約の当事国であることを考えると、国連による経済制裁が人権侵害を回避する義務を持つことは当然であろう。
一般市民への損害を回避し、国際法違反に責任のある指導層への打撃を極大化することが重要である*19として、そのような効果を有する「スマート・サンクション(smart sanction(s))」*20の検討が、欧米の研究者を中心に1990年代末から始まった。
「スマート・サンクション」という用語は一部の研究者によって使用され始めたが*21、この考え方が一般的に理解されるようになったのは、対イラク制裁の末期にイギリスが提案し、アメリカが賛成した改革案からだといわれる*22。
スマート・サンクションの具体的な内容は、民生用物資に関しては原則として禁輸対象から外し、他方、武器禁輸、金融制裁、渡航の制限及び禁止などに力点を置いた措置を適用することなどが考えられる。また、政策については、研究者、国連機関関係者、各国代表者によって議論が重ねられている*23。
「スマート・サンクション」の実効的な手段は発展途上の段階にあるが、スマート・サンクションをめぐる議論がなされる以前に、すでにいくつかの事案においてスマート・サンクションの「要素を含む」安保理決議が採択されていた*24ことが確認されている。
例えば、スマート・サンクションを多少なりとも意識して発動されたものとして、リベリア産ダイヤモンドの輸入禁止と高官の渡航禁止が決定された対リベリア制裁(安保理決議788、1992年11月19日)が挙げられる*25。また、スーダンへの外交上の措置(安保理決議1054、1996年4月26日)、エリート層に打撃を与えるために個人資産の凍結をした例として、アンゴラ(UNITA)への金融・財政上の措置(安保理決議1173、1998年6月12日)などがある。対イラク制裁中に導入された人道的例外措置(1996年末)や英米による制裁改訂案(2001年5月)も、スマート・サンクションの趣旨を含むものであった。
スマート・サンクションの考え方は、国際法違反の真の責任の所在を追及するという点で個人の国際法上の責任を問う国際刑事裁判と通底するものであり、戦闘員と文民の差異化の上に成立する国際人道法の基本構造*26とも合致するものである。また、さらに、国連憲章には、スマート・サンクションの考えに通じる条文*27も確認できる。その意味で、今後の国連経済制裁のあり方を問う重要な課題として議論を重ねていくことが不可欠である。
特に冷戦以降の国際社会において、単独国家では対処できないテロ、民族抑圧、大規模な人権侵害といった脅威が増加し、それらに対峙していくためには、なるべく多くの国家が参加して、広範な共通意識を持って問題の解決に戦略的に取り組んでいくことが重要である。その際に、国連が果たせる役割は大きい。
国連が集団安全保障実現のために活用できる強制措置は、現在のところ、経済制裁措置のみであるが、それには改革すべき点が多々あるとともに、制裁下での一般市民への配慮も未だ不充分である。
国際社会の平和を回復し、維持するための主な強制的手段として経済制裁が多発される傾向にある今日、制裁の対象でないにもかかわらず、一般市民が最大の被害者となっている。このような状況を回避するためにも、制裁の科し方について議論することは現実的であると筆者は考える。よって、筆者は、無辜の人民の犠牲を回避して保護を進める一方で、本来制裁を受けるべき対象により焦点を絞った措置を講じるという「スマート・サンクション」の議論を歓迎する。国連加盟国及び研究者らが英知を絞り、スマート・サンクションの議論を重ね、安保理だけでなく、国連関連機関が必要に応じて組み合わせを変え、戦略を練り、互いにうまく機能するようなシステム作りが急務であると考える。
そこで、本書は、国連が、集団安全保障の具体的な手段である「非軍事的措置」、とりわけ経済制裁を発動し、継続して科していく際に、どのようなモラルを維持して、国際社会に共通する脅威に取り組んでいくのか、その過程を考察する。
国連の経済制裁のあり方を検討し、経済的措置も軍事的な措置と同様に人道上問題があることを明らかにした上で、一時的な人道的措置が導入された対イラク制裁の事例を分析した後、人道的措置が、スマート・サンクションとして検討されていくプロセスを分析する。また、紛争地での武器購入の資金源となる不正取引されるダイヤモンドの根絶に乗り出し、武装組織への資金源を断つことにおおむね成功したことから、「成功例」として言及されることが多い、対アンゴラ(UNITA: Unio National para a Independncia Total de Angol)制裁が解除されるに至った経緯を分析する。それによって、国連経済制裁がどの程度地域の安定に貢献したのかについて検討する。そして、最後に、国連経済制裁が今後どのような戦略で、集団安全保障体制を維持していけばよいのか、その方向性を提示したい。
現在、国際社会において使用されている経済制裁は以下の三つに分類できる。
第1は、国際機構がルール違反を認定し、自ら経済制裁を実施する場合である。第2は、国際機構はルール違反の認定だけをおこなうにとどまり、経済制裁の実施は、国家(あるいは国家群)が独自の判断でおこなう場合である。そして、第3は、ルールの認定も経済制裁の実施も国家(あるいは国家群)が自らの判断でおこなう場合である。
本書では、第1のケース、つまり、国連による集団安全保障体制の下で、安保理の決定によって発動される経済制裁について考察する。本書が、第2、第3のカテゴリーに属する経済制裁を扱わずに、国連安保理の決議によって発動される経済制裁を取り上げる主な理由を、それぞれが持つ性質の違いに触れながら、三つ挙げておきたい。
第1に、国連による経済制裁は、国連憲章第7章第39条に則って、安保理が、「平和に対する脅威、平和の破壊または侵略行為の存在を決定し」、「国際の平和及び安全を維持しまたは回復するために」発動する集団安全保障体制を維持するための措置である。国際社会の秩序や法規範の回復という目的に立ち、国際社会に共有する脅威、例えば、大規模な人権侵害、民族抑圧、テロといった特に冷戦後に広がっている脅威に対処しうる素質を有している。そのため、多国間の合意によるより中立的な立場から国境をまたいだグローバルな問題にも対処できるという利点を持つ。現在の国際社会は、冷戦後の新たな脅威に立ち向かう道を模索している。このような時に、国連経済制裁を考察することは少なからず意義のあることだと考える。
一方、単独(あるいは複数)の国家によって発動される制裁の多くは、秩序や法規範という一般的な目的以上に、経済制裁を発動する側の国益や安全保障上のニーズによって支配される場合が圧倒的に多い。例えば、貿易摩擦を原因として発動される制裁には、発動国の政治的な価値の受容を迫ることに主目的があり、パワーポリティクスを常態としてきた国際政治の場において、特定国家(群)の対外政策上の目的を達成するための有力な経済的武器である。まれに、普遍的価値である人権侵害を理由に発動される場合もあるが、この場合には、内政不干渉主義原則に反する行為か否かということが問題となる*28。
第2に、国連は、多くの国家が参加し、国際社会に共通する脅威に取り組んでいくための組織であることから、民主主義を反映しており、それが下す決定は、国家が下す判断よりも一般的に恣意性が低い点が挙げられる。もっとも、国連が加盟国によって構成される組織である以上、制裁国の主観が多少なりとも組織の決定に影響を与えることは避けがたく、恣意性が全くないとはいえない。例えば、安保理の常任理事国のメンバーが違法行為をした場合、自国の案件が議論される安保理の場において自国に対して制裁が発動されることに賛成することなどありえない。当然、拒否権を発動するであろう。この時点で政治的力が大いに働く。しかし、このような状況に陥って安保理の機能が麻痺した場合には、より民主的な組織である総会が措置を決定することになる。少なくとも、ある一定の基準は保たれつつ、しかるべき手続きを踏んで発動が決定されうる。この意味において、国連による制裁は、単独国家及び特定のグループによる制裁よりも恣意性は低いと判断できる。
一方、国家がおこなう経済制裁は、経済的政治的「強者」から「弱者」へ科される傾向が強く、大抵の場合、発動国によって主観的に原因行為の事実、違法性の認定がなされ、どのような態様の措置を発動するかについても一国の国益に沿う形で決定される。そのため、発動国に有利な認定の下に制裁が濫用される危険がある。また、地域機構による措置も、ある特定地域に共有される価値(例えば、冷戦下ではイデオロギーを理由に発動された。)に基づいて発動されるため、恣意性を含む。また、対抗措置であることから、国連による経済制裁とは基本的な構造が異なる。
国家(あるいは国家群)によって発動される制裁を考察することは、各国あるいは地域機構の国益を知るために意義あることであるが、筆者は、ある特定国家(及び国家群)の国益についての考察をおこなうのではなく、集団安全保障体制を維持するために、多くの国家が参加して、国際社会に共通する脅威に取り組んでいく過程を考察したいことから、恣意性が低い国連による制裁措置を研究対象とする。
第3に、国連経済制裁を考察するための資料が豊富な点も挙げられる。国連による措置は、会合の議事録、決議などの一次資料も公開されているため公共性が高く、信頼性もある。資料は膨大であるがほとんどは入手可能であり、分析可能である。
一方、国家による制裁に関する資料にはさまざまな制約がある。すでに述べたように、国家(あるいは国家群)による措置は恣意性が高いが故に、それらを分析するためには発動国の内政、国益、発動の目的などを的確に知る必要がある。制裁決定には、政権だけでなく国内の特定の利益団体からの圧力に影響された結果発動される制裁も多い。つまり、分析するに当たって収集すべき資料は機密性も高く、筆者は国内政治に入り込んで分析する手段を持たない。
以上を理由として、本論では、国連による非軍事的措置とりわけ経済制裁に絞って分析する。それによって、国際社会が直面する共通の問題が明らかになり、脅威に対してどのような戦略で立ち向かうべきなのか方向性が見えてくると考えるからである。また、本書が国連による対イラク経済制裁を事例として分析する理由は以下にある。
まず、対イラク制裁は、包括的かつ長期にわたったことで、国連が制裁を履行する機能上での不具合が明らかになった事例であること、深刻化する人道状況など沢山の問題が露呈した事例であること、国連史上初の大規模な人道的措置が導入された事例であること、国際社会が制裁の人道的問題を深刻に考える契機になった事例であること、さらに、後に本格的に議論されることになる「スマート・サンクション」の理念を含む措置がなされており、その後の経済制裁そのもののあり方を問う議論に発展した事例であることなどが挙げられる。これらの理由から、対イラク制裁を事例として、国連経済制裁が抱える問題点をより具体的に提示する。
また、イラクへの制裁の三年後に、国連がスマート・サンクションを発動し、その措置と手法から「成功例」としてみなされることの多い対アンゴラ(UNITA)制裁を第2の事例として扱う。対アンゴラ制裁はさまざまな要因がプラスに働き、結果として全面的な制裁解除へと漕ぎ着くことができた稀有な例である。アンゴラは27年という長い内戦によって多大な人命を犠牲としており、和平合意後も政情不安が続いたという面から、多くの課題を国際社会に突きつけた。しかし、他方、内戦原因のひとつである不正ダイヤモンドの取引を禁止する国際的制度の導入へと導いた事例でもあり、スマート・サンクションの手法の面から一定の評価を得ている。対アンゴラへの制裁に焦点を当て、国内紛争及び制裁発動から解除に至る背景を概観し、なぜこの制裁が「成功」として評価されるのかを分析する。そして、今後のより戦略的でより効果的な制裁へのヒントを得る。
本書の目的に即して、国連による経済制裁を含む非軍事的措置の研究を以下に整理した。
非軍事的措置の「有効性」をめぐる議論が、先行研究において主流をなす。主として政治経済学的な見地から非軍事的制裁の事例を挙げて分析したものとして、ハフバウアー(Gary Clyde Hufbauer)らによるEconomic Sanctions Reconsidered(1990年)がある。また、宮川真喜雄による『経済制裁』(1992年)及びDo Economic Sanctions Work?(1992年)は、国際政治の観点からの研究である。
また、「なぜ経済制裁は効かないのか?」という戦略的な視点から、時には、一国による単独制裁と多国間制裁を比較してどちらがより有効的であるかという議論も複数の研究者によってなされている。例えば、ペイプ(Robert A. Pape)のWhy Economic Sanctions Do Not Work(1997年)、ドレズナー(David W. Drezner)のThe Sanctions Paradox: Economic Statecraft and International Relations(1999年)、エリオット(Kimberly Ann Elliott)のThe Sanctions Glass: Half Full or Completely Empty?(1998年)、ケンファー(William Kaempfer)とローウェンバーグ(Anton D. Lowenberg)によるUnilateral Versus Multilateral International Sanctions: A Public Choice Perspective(1999年)などがある。
国際関係学の視点から経済制裁を分析する際の論点は、非軍事的制裁の効果についてである。効果を議論することは、制裁決定をおこなう上で重要であり、戦略的視点、例えば、いかなる状況下でどのような措置を採るかを決定するなどの視点から、政策立案・執行上、経済制裁の有効性を考察するのに有効である。しかし、本書の関心事である人道的側面からの視点を含まない。
一方、法社会学的見地から論じた研究としては、例えば、深津栄一『国際法秩序と経済制裁』(1982年)がある。また、ドゥエット(Erika de Wet)によるThe Chapter VII Powers of the United Nations Security Council(2004年)は、国連が国連憲章第7章下で活動をする際にどのような制約を受けるのかについて分析している。国家によって構成される「国際社会」の秩序を形成する要因に関する研究であり、国際法の法秩序を考察する上で大変意義深く、詳細かつ深遠な研究である。
また、国際法学から別の視点で分析したものとしては、中谷和弘の「経済制裁の国際法上の機能とその合法性: 国際違法行為の法的結果に関する一考察」(19871988年)及びそれに関連する諸研究である。中谷は、主として国家責任の観点より国連の非軍事的制裁及び国際機構による非軍事的制裁を評価・分析し、経済制裁の国際法上の機能とその合法性について包括的な研究をおこなった。また、吉村祥子は、『国連非軍事的制裁の法的問題』(2003年)において、国連安保理が採択した非軍事的措置決議を取り上げ、国家による履行の分析、私人である企業に対して適用される際の法的効力を実証的に考察している。
また、制裁措置そのものの合法性を問う議論もあり、その際には、国連による対イラク制裁が事例として扱われている。例えば、松隈潤「イラク問題をめぐる国際法上の争点: 武力行使、介入、経済制裁」『西南学院大学法学論集』(2003年)、「経済制裁における人道的例外措置: イラク『石油と食糧交換プログラム』を中心として」(2003年)がある。
以上のような法学的見地からの研究は、国連経済制裁の性質を知る上で大変有益な文献であるが、当該国と関係諸国とのさまざまな外交的なやり取りや、国家以外のアクターへの言及があまりなされていない点、人道的側面への言及が少ない点において、本書とは異なる。
国連経済制裁が抱える人道上の問題について議論したものは1990年末から、主に短い論文の形をとって発表されるようになった。まとまったものとしては、コートライト(David Cortright)とロペズ(George A. Lopez)らによるEconomic sanctions: Panacea or Peacebuilding in a Post-Cold War World?(1995年)、シモンズ(Geoff Simons)のImposing Economic Sanctions: Legal Remedy or Genocidal Tool?(1999年)、マーティン(Lisa L. Martin)によるDemocratic Commitments: Legislatures and International Cooperation(2000年)などがある。また、ヴァン・グヌーテン(William J.M. van Genugten)やドゥグート(Gerarde A. de Groot)などのヨーロッパの研究者による論文集であるUnited Nations Sanctions: Effectiveness and Effects, Especially in the Field of Human Rights: A Multi-Disciplinary Approach(1999年)は、筆者と関心が近く、制裁の倫理的側面を考察した論文も収められている。しかし、短い論文の形をとっているために、一つひとつの事象に対する考察が紹介する程度の記述にとどまっている。
また、以上のような人道的視点からの研究は、筆者の興味とかなりの部分で合致しているが、制裁が現在の国際社会において「機能しうる手段」であるという視点を欠いている。つまり、経済制裁を否定する立場に立つばかりであるが、制裁の代替手段への提案はないため、議論が現実的でない。安保理の決定によって現在のところ唯一機能する強制手段とあらば、一般市民へのダメージを最小限に抑えて、当該政権への影響を極大化するようにいかに改善していくかに議論を傾けるべきであろう。
また、制裁を政策的視点から分析したものとしては、国連の包括的な非軍事的制裁が人道上の問題をもたらしているとして、特に被制裁国の一般市民への影響を最小限に抑える、いわゆる「スマート・サンクション」に関する研究がおこなわれている。
国連経済制裁、とりわけ包括的な禁輸措置を人道的観点から見直しを呼びかけたものとして、1997年に、研究者が主導して、当時の国連人道問題局(DHA: Department of Humanitarian Affairs)に提出した報告書Toward More Humane and Effective Sanctions Management: Enhancing the Capacity of the United Nations System(「より人道的でより効果的な制裁を目指して: 国連システムの可能性を高めるために」)*29がまず挙げられる。また、人権の観点から、国連人権小委員会(Sub-Commission on the Promotion and Protection of Human Rights)に提出されたThe Adverse Consequences of Economic Sanctions on the Enjoyment of Human Rights(「経済制裁が人権にもたらす副次的影響」)*30(2000年)、いわゆる「ボジィ・リポート(Bossuyt Report)」がある。さらに、アナンが軍事制裁のあり方について安保理に提言した文書Report of the Secretary-General to the Security Council on the Protection of Civilians in Armed Conflict「(武力紛争下での文民保護に関する安保理への事務総長報告)」*31の中で、部分的制裁のあり方に言及している点も重要である。
また、先に挙げた国連人道問題局の報告書のメンバーであったコートライトやロペズらは、Smart Sanctions(2002年)において、財政・金融上の措置、武器禁輸について事例を挙げながら、より効果的に国連の非軍事的制裁をおこなうための勧告を盛り込んでいる。各国の政府関係者、民間やNGOからの専門家、国連関係者や有識者が研究の成果として発表したウォーレンスティーン、ステバーノ(Carina Staibano)、エリクソン(Mikael Eriksson)らによるMaking Targeted Sanctions Effective: Guidelines for the Implementation of UN Policy Options(2003年)が挙げられる。これは、「ストックホルム・プロセス(Stockholm Process)」と呼ばれ、それまでの一連の議論(「インターラーケン・プロセス(Interlaken Process)」と「ボンベルリン・プロセス(Bonn-Berlin Process)」も含んでいる。しかし、これらは政策的提言にとどまる。
国際人道法との関係からスマート・サンクションを議論したものとして、中谷和弘「現代における経済制裁と交戦・中立法及び国際人道法との関係」(2004年)があるが、当時はスマート・サンクションの議論は活発ではなく、詳しい叙述はみられない。また、「スマート・サンクション」の武器禁輸に焦点を当てた吉村祥子「国連による武器禁輸とその問題点: Smart sanctionを超えて」(2003年)がある。
以上に諸所の学説及びそれらの分析方法を述べた。
スマート・サンクションは比較的新しい理念であるため、これについて論じている邦文文献は少なく、国連経済制裁をスマート・サンクションの視点から分析したものはほとんど見られない。また、スマート・サンクションについて議論が重ねられた一連の会議と、その結果まとめられた報告書を跡づけした研究も見られない。よって、その理念についても内容についても明らかでない部分が多い。筆者はそれらの整理に努めるとともに、現在の国連経済制裁をスマート・サンクションの視点から分析することを試みる。
国連の非軍事的制裁に関する先行研究には多くの蓄積があり、参考にすべき点は多大である。しかしながら、総じて、国際法学からの研究には蓄積があるが、人道的、政策的視点からなされたものは数少ない。ひとつの方法論、すなわち、法学的判断だけでなく、政治的、人道的、政策的な面から学際的に論じたものがあれば、国連経済制裁をより広く深く理解することができると考える。
また、本書は、国連による対イラク制裁中に導入された人道的措置を中心に、制裁末期までの過程を詳細に分析することを特徴とする。
そして、その人道的措置が、スマート・サンクションとして緻密に検討されていくプロセスを分析した後、スマート・サンクションが実際の制裁にどのように反映されているのか、何が問題であったのかを、実例を示すことによって明らかにする。
さらに、スマート・サンクションの手法として成功例とみなされることが多い対アンゴラ制裁を分析することによって、なぜ制裁解除まで漕ぎ着けられたのか、どのような点が効果的な制裁であったのか、について明らかにすることによって、今後の制裁へのヒントを得る。
これまで国連経済制裁をスマート・サンクションの視点から分析した研究は見られないことから、本書のオリジナリティーと考える。
以上の問題意識、目的に基づき、本書を4部で構成する。
第1部においては、国連経済制裁の重要性と期待される役割について整理し、経済制裁が抱える諸問題について考察を加える。国連経済制裁が理論上どのような機能を持ち、国際法上どのような地位にあり、強制措置としてどのような点が期待されているのか、また、現実にいかなる問題を抱えているのかについて整理する。
第2部において、第1部で概観した諸問題を包含する事例として対イラク制裁を取り上げる。イラクへの制裁は、13年間という長期間にわたって医療物資及び食糧品以外のほとんどの通商を禁止した国連史上前代未聞の厳しい制裁であったこと、また、制裁下において、その規模と複雑さにおいても国連史上最大の人道的例外措置である「石油と食糧交換プログラム」が導入されたことから、その後本格的に議論されることになる「スマート・サンクション」の要素を多く含んだ事例であった。このプログラムは、国連経済制裁下にあるイラク国民の人道的な必要性を満たすために考案されたものであり、イラクの所有する石油を売却することで得られる収入を人道物資の購入に充てた全く新しい措置であった。
そして、第3部においては、国連経済制裁はどのように改革されるべきなのかを、スマート・サンクションの検討を基に、人道的、政策的見地から考察する。その際に、かつては戦争の倫理的側面を問うため、現在は経済制裁の倫理分析に用いられている「正戦論」枠組みを基に国連経済制裁の倫理的側面を考える。
倫理規範は、国際法や国際慣習法のような法的根拠を持たないため、分析枠組みとして脆弱であると指摘する研究者もいる*32が、制裁を科すにあたって、その影響を倫理的側面から検討することは、経済的措置も軍事的措置と同様に人道的に問題が大きいということを認識するうえで大切である。
「正戦論」は、交戦者と文民の差異化の上に成立する国際人道法の基本構造と合致するものでもあり、スマート・サンクションの議論にも通じるものである。さらに、スマート・サンクションの趣旨が実際の制裁にどの程度、あるいは、どのように反映されているのかを明らかにするために、制裁事例とその内容を正戦論に当てはめて分析する。
第4部では、イラクへの制裁の三年後に、国連がスマート・サンクションを発動し、その措置と手法から「成功例」としてみなされることの多い対アンゴラ(UNITA)制裁を扱う。対アンゴラ(UNITA)制裁はさまざまな要因がプラスに働き、結果として全面的な制裁解除へと漕ぎ着くことができた稀有な事例である。アフリカ地域を対象とした経済制裁の事例は「スマート・サンクション」を意識して発動されたものが多いが、このように対象を絞った経済制裁は、当該地域の紛争解決にどの程度貢献したのだろうか。対アンゴラ(UNITA)への制裁の制裁発動から解除に至る背景を概観し、なぜこの制裁がその手法において「成功」として評価されるのかを分析する。
そして、結論では、国連経済制裁が人道的かつ有効的な措置となるためには、いかに改革されるべきなのかを、人道的、政策的な見地から明らかにした上で、国連経済制裁措置の道義性と実効性について幅広い検討を試みる。
なお、国連関連文書においては、「スマート・サンクション」の用語はあまり使用されていない*33。たいていの場合は、その代わりに、「部分的制裁(targeted sanctions)」あるいは「限定的制裁(selective sanctions)」という用語が使われていたり、あるいは、「スマート・サンクション」とそれらの用語が併記されている。つまり、「スマート・サンクション」は研究者主導で使用されている用語といえよう。本来ならば、本書も、国連文書に従うべきであるが、1990年代に科されていたような単なる部分的制裁(限定的制裁)、つまり、人道的配慮や制裁対象の戦略化を意識せずにおこなわれていた制裁と区別する必要性があることから、「スマート・サンクション」の用語を使用する。
*1: 国連憲章第7章第41条。
*2: これについては論者によって見解が異なる。朝鮮動乱(1950年)の際の軍事行動を、憲章第42条に基づくとする論者(「42条合憲説」: 42条には43への言及がないため、安保理による武力行使の権限は、加盟国に参加を義務づける命令ではなく、単に参加を勧告する権限も含まれると解釈し、軍事行動を42条に根拠を求める説)もいる。また、39条や7章全体に根拠を求める説や、第51条の個別的または集団的自衛権を根拠とする見解もある。しかし、一般的には、安保理の決議がすべて勧告であったため、39条に基づく軍事行動であったと解釈される(国際法学会『国際関係法辞典』、1995年、617頁)。
*3: 例えば、David Cortright and George A. Lopez, The Sanctions Decade: Assessing UN Strategies in the 1990s(2000)などによる。
*4: 対イラク(1990年)、旧ユーゴスラビアにおけるセルビア監視地域(1991、1992、1993年)、ソマリア(1992年)、リビア(1992、1993年)、リベリア(1992年)、ハイチ(1993、1994年)、アンゴラ〔UNITA〕(1993、1997、1998年)、ルワンダ(1994年)、スーダン(1996年)、カンボジアにおけるクメール・ルージュ監視地域(1992年)、シエラレオネ(1997年)、コソボ(1998年)、アフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバン政権(1999年)である。
*5: 対南ローデシア制裁(1966年、安保理決議232; 1968年、安保理決議253の石油・武器禁輸措置)と対南アフリカ制裁(1977年、安保理決議418の武器禁輸措置)。
*6: 2011年12月末日時点。1990年代に科されたもので更新・継続されている事例(すなわち、対アフガニスタン、シエラレオネ、リベリア、ソマリア、アンゴラ、ルワンダ)は除く。2000年に入ってから安保理によって新たに発動された制裁は、対エリトリア/エチオピア(2000年)、テロ行為に関与する個人及び集団(2001年)、コンゴ(2003年)、コートジボワール(2004年)、スーダン(2004年)、シリア(2005年)、北朝鮮(2006年)、イラン(2006年)、リビア(2011年)である。
*7: 「武力による威嚇または武力の行使」は一般的に禁止され(国連憲章第1章第2条4項)、武力攻撃に対する自衛の場合のみ、武力行使が容認されている(憲章第7章第51条)。「友好関係宣言」(国連決議2625)も、「国は武力行使をともなう復仇行為を慎む義務を負う」として武力復仇を禁止している。
*8: 島田征夫『国際法』(1997年)、304–306頁。
*9: Peter Wallensteen and Miroslav Nincic, Dilemmas of Economic Coercion: Sanctions in World Politics, 1983, p126.
*10: 深津栄一『国際法秩序と経済制裁』(1982年)、157頁。;中谷和弘「経済制裁の国際法上の機能とその合法性: 国際違法行為の法的結果に関する一考察」『国家学会雑誌』第101巻5/6号(六/完)(1988年)、479頁。
*11: 大沼保昭「『平和憲法』と集団安全保障(二・完)」『国際法外交雑誌』第92巻第2号(1993年)、52頁。
*12: 本書では、広義の定義に従う。中谷(1987年)100巻5/6号、382–385頁。
*13: 中谷「経済制裁の国際法上の機能とその合法性: 国際違法行為の法的結果に関する一考察」『国家学会雑誌』(1987年)第100巻7/8号(二)、677–680頁。; 深津(1982年); 宮川眞喜雄『経済制裁: 日本はそれに耐えられるか』(1992年); 岡部恭宜「経済制裁と国家のコスト」『季刊国際政治』No.128(2001年10月)。
*14: 安保理は、テロ行為に関与する個人及び集団に対して非軍事的措置の発動を決定した(2001年9月28日、安保理決議1373)。国際的なテロリズムの根絶を目指して国際社会全体で取り組もうという決意の表れである。
*15: Boutros Boutros-Ghali, Supplement to An Agenda for Peace: Position Paper of the Secretary-General on the Occasion of the 50th Anniversary of the United Nations, A/50/60(3 January 1995), pp. 17–18.
*16: Kofi Annan, The Causes of Conflict and the Promotion of Durable Peace and Sustainable Development in Africa, Secretary General's Report to the United Nations Security Council(16 April 1998), p.25.
*17: 例えば、Erika de Wet, The Chapter VII Powers of the United Nations Security Council: Studies in International Law(2004); Dan Sarooshi, The United Nations and the Development of Collective Security: The Delegation by tq1he UN Security Council of Its Chapter VII Powers(2005); 中谷和弘「現代における経済制裁と交戦・中立法及び国際人道法との関係」村瀬信也・真山全(編)『武力紛争の国際法』(2004年)など。
*18: 1966年採択。国際人権規約と総称される条約のうち、経済的、社会的及び文化的諸権利の保障について定めた条約。社会権規約、また日本ではA規約と略称される。詳しくは、大沼保昭、藤田久一『国際条約集』(2000年)、66–69頁。; 国際法学会(編)『国際関係法辞典』(2005年)、210–211頁。
*19: David Cortright and George A. Lopez, Smart Sanctions: Targeting Economic Statecraft(2002).
*20: 「賢い制裁」と邦訳される場合もあるが、たいていは「スマート・サンクション」とされる。
*21: スマート・サンクションの研究機関Fourth Freedom Forum(第4の自由フォーラム)の副所長であるミラー(Alistair Iain Millar)による。
*22: 2001年11月29日の安保理決議1382及び2002年5月14日の安保理決議1409において、「石油と食糧交換プログラム」を拡大させたほか、「二重使用」の可能な物品の取締り強化及び武器禁輸の徹底化を図った。詳しくは、本書第2部で述べる。
*23: 具体的な議論がもたれた会議として、(1)金融制裁につき、スイス主催のインターラーケン・プロセス(1998–1999年)、(2)武器禁輸及び旅行・航空制裁につき、ドイツ主催のボンベルリン・プロセス(1999–2000年)、(3)制裁の実効的な実施につき、ス上でン主催のストックホルム・プロセス(2002年)がある。
*24: 「スマート・サンクション」の議論が本格化する以前の事例については、どれが「スマート・サンクション」の趣旨に沿ったものであったのかは論者によって異なる。
*25: これについては、紛争ダイヤモンドの流れからの措置だと考える論者もいる。
*26: 国際人道法とは、戦争や武力紛争下においても人道が守られることを目的として、負傷兵、病兵や捕虜、また、武器を持たない一般市民への配慮と対応を規定した「ジュネーヴ条約」などの国際法の総称である。どのような状況下においても、人間を人間らしく扱うこと、戦う手段や方法は無制限に許されないという基本的なルールに立つ。
*27: 具体的には、第7章第50条。加盟国が、安保理決議で決定された措置を履行することから経済的困難に陥った場合、安保理と協議する権利を有するという内容である。
*28: ある国家が何らかの理由で、自国民を保護する責任を放棄あるいは保護する意思がない場合は、国家に代わって国際社会がその責任を負う、とする国際規範「保護する責任(Responsibility to Protect; RtoP or R2P」をめぐる議論がそれである。詳しくは、本多美樹「グローバル・イシューと新たな国際規範: 『保護する責任』はアジア地域に馴染むのか?」『ワセダアジアレビューNo. 9』(2010年3月)、62–65頁、及び「グローバル・イシュー」としての人権とアジア―新たな国際規範をめぐる国際社会との確執に注目して」『グローバリゼーションとアジア地域統合』(2012年)287–305頁を参照されたい。
*29: 邦訳は筆者による。
*30: 邦訳は筆者による。
*31: S/1999/957, 8 Sept. 1999、パラグラフ54で言及している。筆者が便宜的に訳した。
*32: 例えば、Winkler, Adam. Just Sanctions, Human Rights Quarterly, Vol. 21, No. 1.(February 1999)pp. 133–155.
*33: アナン前事務総長による報告書「武力紛争下での文民保護に関する安保理への事務総長報告」(S/1999/957, 8 Sept. 1999)のパラグラフ54、注11において使用されている。
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