中国は習近平・李克強時代に入り、編者が指摘するように「鄧小平なき鄧小平時代」の終わりを迎えた。もちろん誰もがよく知るように1978年の改革開放路線への転換以来、経済をはじめあらゆる社会領域で中国は劇的な変化を続け、なお現在進行形の過程にある。農村・都市の所有制度から、経営形態、利益創出、生活様式、価値観、情報の質量、社会の流動化、国際社会とのリンケージなどは、それ以前と比べ、信じられないほどの変化、多様化をもたらしている。しかし同時に、共産党による一党統治体制は持続し、法治よりも人治が優先され、エリートと大衆あるいは都市と農村の断層性は依然として深い。
このように容易には変化しにくい領域を引きずりながらも、ダイナミックに変容していく現代中国をどのように理解したらよいのだろうか。本書はこうした問題意識を共有する8人の日中の若手研究者が、政治学、経済学、社会学など、それぞれの専門領域、問題関心から中国の変容の主体をなすアクターに焦点を置き、個人あるいは集団の変化・不変化の実態を明らかにしながら、いわば社会の側から、国家–
社会関係の変容の意味を考察している。
もっとも序章は社会の側からのアクターの分析とは逆に、権威主義体制の主体的変化と社会変容に対する適応という視角から、支配の中核である共産党の分析を行っている。ここでは政策決定における利益集団の比重の増大、権力バランスにおける過剰な配慮、政治社会の「分極化」に対するナショナリズムの「平等効用」といった特徴を捉え、適応性と体制変容の可能性を分析している。それは第1章以下で論じられる社会アクターによる体制全体へのインパクトを党がどのように受け止め、いかに体制維持を図っているのか、しかし社会の側からのインパクトにより、党自体はどのように変化を強いられるのかを考える上で興味深い研究となっている。
第1章~第7章では、社会アクターの分析が中心である。第1章が労働者、第2章が出稼ぎ農民、第3章が民間企業の幹部社員、第4章が「新郷紳」とも表現できる基層社会の名士、第5章が都市コミュニティの一般住民、第6章が少数民族、そして第7章でこれらの人々が参加する「群体性事件」に焦点が当てられている。
第1章では「労働契約法」と「失業保険法」の制定を契機に労働者と失業者の概念の転換が起こり、結果として法=当事者=個人へという判断の主体の移行が起こり中国社会の変化に対応しているという点に注目している。これによって、新たな法は従来保護されなかった労働者集団(農民、家政婦、軍人など)を権利主体として保護せざるを得なくさせる道を開くことになると指摘している。
第2章では、巨大なスケールで出現している人口移動の問題に焦点を当てている。2000年代の人口移動を1990年代と比較し、(1)北京と上海への一極集中の加速、(2)「鎮」からの人口流出の急増、(3)男性の移動率の向上と移動期間の長期化、(4)高学歴移動者の増大、(5)商業・サービス業従事者の割合増大などが顕著な特徴である。さらに2010年の「暫住移動人口」は実に2億6,094万人にものぼるが、そのうちの大半は、戸籍登録は農村でありながら、実際は都市に居住するいわゆる「農民工」とその家族が占めているということである。流動化する人口自体が今日なお過渡的な現象であり、そのゆくえが社会そして政治の構造的な変化にどのような意味を持つのか、興味は尽きない。
第3章は、旧国有企業の企業管理者という旧来の経済エリート集団に焦点を当てて、彼らの職業意識を考察している。考察の結果、所有権の変更後も企業管理者層は、元国有企業の管理者が多数を占めていることが解明された。彼らの専門知識、社会資源が企業の発展にとって依然不可欠なものであり、企業の所有権が変化しても、企業経営者レベルでは必ずしも劇的な変化は見られていないことが明らかにされた。
第4章では、大規模で急速な都市化、再開発が進み都市の文化遺産が大規模な破壊を受けてきたが、こうした状況に対し新しい社会運動として、歴史的都市景観保存運動が勃興してきた。この保存運動を事例として、現代中国の市民の政治参加のアクセスとメカニズム、および中国の国家–社会関係の変容を考察している。国家と社会との隙間の「緩衝地帯」、あるいは両者をつなぐものとして、「新郷紳」とも呼ぶべき行動する知識人に焦点を当てている。彼らによって実践される政策決定過程参与の五つのメカニズム――「民告官」、「内参」、世論監督、上書、提案――の作用による都市景観保存運動は、政策過程に効果的な影響を及ぼし、いわば「相対的な成功」を実現したとの興味深い結論を導き出している。
第5章は、改革開放の推進の中でしばしば都市基層社会部分の自立的な変容の典型例として扱われてきた「社区」=コミュニティの実態分析を行い、また日本のコミュニティ政策の事例と比較しつつ、それは必ずしも「協同集団」としてではなく、「場所」としてのコミュニティであり、行政主導型のものであったと主張している。中国政府による「社区建設」の目的はやはり「管理」であり、「自治」はあくまでも制限付きのもので、それを左右するのは、やはり末端まで張り巡らされた共産党の党組織との関係であると結論づける。党体制を動揺させない基層社会の管理の実態を浮かび上がらせているが、そのような試みを必要とする「実態」そのものをどのように解釈するか、重要なポイントであろう。
第6章は、直接に改革開放のイシューのみを扱ったものではないが、中国西北部に住む現地テュルク系ムスリムの間で「ウイグル」族意識が真に定着・内面化していくという事実をどのように解釈するかという問題を扱っている。それは中華人民共和国期以降の民族政策の執行、つまり少数民族の地域を画定し、自治権を付与する「民族区域自治政策」の執行からであり、まさに自治権を享受する民族を認定する「民族識別工作」の結果であった。そしてそのことは「民族」、および「民族」創生プロセスの政治性・人為性を物語っており、領域内に共通する政治システム、制度、法の構築による「政治統合」の試みであった。いいかえるなら、民族名称の採用は、国家統合にとって不可欠なプロセスではあったが、「ウイグル」とされた人々にとって、必ずしも自らが望んだ決定であったとは言い切れないと結論づける。
第7章は、ここ数年来中国において深まる社会矛盾を象徴する一つとして内外の注目を集めているデモや暴動など頻発する事件、いわゆる「群体性事件」の実証的考察を行なっている。「群体性事件」は現在のところ、一党支配体制の崩壊を促すものではないと判断した上で、なぜそうなのかを問う。「群体性事件」は、中央や体制を支持しつつ、その支配のエージェントである地方幹部を批判するという形態をとる。それは中国の政治体制における集権性と分権性の特徴による。より具体的には、地方は政策執行レベルで広い裁量権を有しており、民衆の不満は地方幹部がこの裁量権を利用して選択的に行った政策の結果として生まれる。他方で政策決定の権限は高度に中央集権的で、民衆に歓迎されやすい政策を実現性を顧みることなく公布できるので、中央は民衆からの強い支持を得やすい。しかし政治的安定と社会的不安定は「共在」し続け、「群体性事件」が数量的増加を続け、大規模化していくならば徐々に中央の対応能力を侵食していくことになる。そのことがある段階に入ったとき、局地的で分散的であった「群体性事件」が「規模のシフト」を起こし、全国的な社会運動へと発展する可能性を内包していると見通している。
以上のように、各論文とも社会を動かしているアクターおよびアクターを取り巻く制度・環境の分析を軸に考察が進められ、それぞれの専門領域で意味のある新しい研究成果となっていると言って過言ではない。もっとも各自が必ずしも共通した問題意識、共通したアプローチで議論しているわけではない。分野や扱う対象は異なっていても、かりに国家社会関係の変容という大きな枠組みの中で、分野・対象を越えて共通する目的、イシュー、問い、あるいは分析の方法などを事前にできるだけすり合わすことができていたら、それぞれのアクターおよびそれを取り巻く制度・環境の変化を全体として有機的に結びつけ鳥瞰することが可能になっていただろう。今後の彼らの新たなチャレンジを大いに期待したい。
末筆ではあるが最後に、学術出版がきわめて厳しい昨今の事情の中で、いつもながら若手研究者の出版支援に労をいとわず尽力をしてくださっている国際書院の石井彰社長に心より謝意を表したい。
2013年、厳冬を超えて芽吹く日中研究者の息吹に触れて
早稲田大学現代中国研究所長 天児慧
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