中兼和津次
改革開放以後、中国の経済体制は大きく転換した。それを「体制移行」という。人によっては「体制転換」ともいっているが、ともあれ経済体制を構成するさまざまな制度が1978年末の改革開放以後35年間で劇的に変わった。
まず経済体制の骨格を作っている二つの重要な制度、つまり資源配分メカニズムないしは経済情報システムは計画制度から市場制度へ、また生産手段の所有制度は公有制中心から公有制を含む多重所有制へ転換してきた。こうした二つの中心的制度が変化するにつれてその他の制度、たとえば分配制度の原理は平均主義から能力主義へ変わったし、意思決定メカニズム(誰が経済的な意思決定をするかを決める制度)は中央集権制度から地方分権制度と企業分権制度へ、さらに企業制度自体も、従来の単なる行政的付属物から利益と自己責任を行動原理とする主体的「企業」へ、それぞれ転換してきた。それ以外にも、財政、金融、貿易、労働、地域開発、土地といった、さまざまな重要な制度において、改革と開放は中国経済に大いなる変革を生み、また促し、中国をあたかも全く別の体制へと転換させたかのようである。こうした体制移行は具体的にどのように進められてきたのか、またそれをもたらした政策はどのようなものだったのか、そして、そうした政策と制度の転換を、現在どのように評価すればいいのだろうか?これが本書執筆者全員の共通の問題意識であり、その問題に答えることがこの本の狙いである。
体制移行、あるいは簡単に市場経済化といってもいいが、それは確かに中国の体制そのものを劇的に変えた。ある制度に関していえば180度の転換でもあった。たとえば海外からの直接投資(FDI)は毛沢東時代1件もなかった。なぜなら、資本主義先進国の企業が中国国内に投資し、活動することは、中国の経済的「主権」を「帝国主義国」に売り渡すことに等しかったからである。しかし、改革開放以後、直接投資に対する中国の政策は正反対になり、国内の雇用、投資、貿易を拡大し、同時に先進的技術と経営ノウハウを導入する絶好のチャネルとみなされるようになった。内陸部の貧困県に行っても、県の指導者から日本の投資家を是非紹介して欲しい、どうかこの地に日本企業が投資するのを助けて欲しいと懇願される有様である。
とはいえ、体制移行に伴い経済政策と制度がすべて、また一様に180度変わったわけではない。たとえば企業制度であるが、国有企業は依然として重要部門・産業に支配的地位を占めているし、時には民間部門を押しのけて、あるいはそれを吸収して肥大化しようとする。いわゆる「国進民退」といわれる現象がそうである。市場が国家と政府にすっかり取って代わったわけではない。市場とは別に、また市場取引の中にも依然として政府や国家は大きな地歩を占めている。政府のコントロールは確かに1978年以前に比べれば弱くなった。しかし、政府は経済の、あるいは経済制度のさまざまな側面に依然きわめて強い力を発揮している。市場はどこまで強くなったのか、市場原理はどこまで貫徹するようになったのか、逆に政府はどのような分野と領域で、なぜ、またどの程度支配力を保持しているのだろうか?
さらに次のような問題もある。すなわち、市場化に対応した政策を打ち出し、制度を作り上げてきたものの、それが実質的に有効に機能しているのか、という問題である。つまり、「仏作って魂入れず」の政策や制度になっていないのかが問われてくる。一例を挙げれば、政府のコントロールといっても既得権を保護するためだけに使われていないのか、都市農村格差を縮小するといっても単に数字上の格差だけにとどまっていないのかどうか、あるいは中国の伝統的観念が新しい制度に染み通っていないのかどうか?こうした問いを突き詰めていけば、現代中国経済とその移行過程の特質が明らかになってくるに違いない。
中国経済は改革開放以後すさまじい勢いで成長し、また大胆に変化してきた。しかし、今や大きな曲がり角に立っているように見える。経済発展とともに社会の構造も大きく変わり、人々の意識もすっかり変わってきた。10%を越すような高度成長の時代は終わり、前途が不透明になってきたような感がある。体制の劇的変化と高度成長に経済制度も、社会組織も、そして政治的体制も付いていけなくなっているのではないか、そのように見える。それこそ各地で頻発する農民暴動や労働者のストライキなど、さまざまな社会的軋みが生まれる背景なのだろう。今後の中国を展望するためにも、中国の経済制度がどのように変わったのか、また変わっていないのか、中国経済と密接な関係を持つ日本も、しっかりと見据えておく必要があるだろう。
本書は2部構成合計13章からなっている。以下各章における主な論点や主張についてごく簡単に紹介しておこう。
第1部「マクロ政策ならびに制度」
第1章「マクロ経済政策 ――進まぬ経済発展方式の転換」(田中修)では、改革開放以後のマクロ経済政策の変遷を概観し、マクロ経済政策がしばしば大きく変動し、その重要な目的の一つである構造調整が容易に進まないのはなぜか、その背後にある中国の体制メカニズムの問題について分析・評価をおこなっている。たとえば、財政・金融政策を担う財政部・人民銀行は権限が弱く、逆に「計画経済」時代の遺産である国家発展改革委員会(旧国家計画委員会)の権限が強く、経済の引き締めにしばしば消極的だった。本来、計画経済の大本締めだった国家計画委員会は、市場経済化に伴い次第にその権限を失っていくと見られたのであるが、現実はそうではなく、財政政策、金融政策、それに産業政策といったマクロ的政策において依然として強固な権限を有しているのが現代中国経済政策決定メカニズムの特徴である。その上、地方が「投資飢餓症」と称されるほど、投資拡大への意欲が強く、このことが異常ともいうべき投資拡大をもたらし、経済発展方式と産業構造の転換を妨げている大きな要因ともなっている。
第2章「地域開発政策 ――新しい経済地理学の観点から」(加藤弘之)では、これまで中国は各種の地域開発政策を打ち出してきたが、1980年代に出された沿海地区発展戦略が地域格差の拡大をもたらすと、西部大開発などの地域均衡発展政策に変わってきた。そして今や開発を進める地域と開発を抑制する地域とを明確に分ける「主体機能区」構想が生まれ、地域開発政策は新たな段階に入ってきたといえる。こうした地域開発政策の展開を新しい経済地理学の観点から再評価しているのがこの論文の特徴である。今後、市場経済化は徐々に沿海部と内陸部との、あるいは両地帯内部の地域格差を縮小し、中国が均衡の取れた地域発展を見せるのかどうか、各地域の特色を発揮した開発ができるかどうか。地域間と地方間の利害調整が難しいだけに、やはり中央政府による有効な地域開発政策の後押しが必要となるに違いない。
第3章「価格制度 ――経済市場化の行方」(中兼和津次)は、市場化と価格の自由化という二つの軸でこれまでの中国の価格制度・政策の変化を整理し、併せて中国の価格制度・政策を経済学的に評価しようとしたものである。市場経済の発展はイコール政府による価格統制の撤廃を意味せず、1997年「価格法」の制定に象徴されるように、時には政府が価格統制をおこなう権限を残している。実際、物価抑制のために政府が市場に介入して消費者物価の安定のために価格統制をおこなったこともあった。とはいえ、かつてに比べればはるかに自由になった価格が市場の拡大を促し、新たな企業の勃興をもたらすなど、きわめて大きな意味を持っていた。しかし国有企業に独占を許すなど、中国の市場化には多くの問題を抱えている。
第4章「財政制度 ――改革の再検証と評価」(内藤二郎)では、中央政府の財政力の強化を目的とした分税制が1994年に導入され、中央の財政収入が大幅に増加し、また財政移転制度が整備されたことは確かに成果であると評価される。しかし、税収返還制度によって富裕地域の既得権が残されたままになっていることや、専項補助についても根拠や規模が必ずしも明確になっていないことなど、財政移転制度そのものに課題がある。一方、地方政府融資の急拡大や地方債発行による債務拡大など、地方財政を取り巻くリスク要因が高まっていること、分税制以降、中央の財政収入が拡大しても、再分配制度が十分に整備されず機能していないことや、既得権の温存から不透明な資金の流れが存在し、分散化傾向が強まっていることもリスク要因になっている。中央と地方の財政関係の構築はこれからも長期的な課題として残るものと思われる。
第5章「土地政策 ――農村の開発と地方政府」(梶谷懐)では、従来「不動」産として動かないものと考えれていた土地が市場化の中で動き出し、「市場」を形成するに至る過程を追いかけ、それが現在地方政府主導の下で都市開発をおこない、そのためにも農地を収用していく実態を追求している。中国において「使用権」という形であれ土地が一定程度流動化し、売買の対象になったことはきわめて大きな変化といわなければならない。都市と農村に分けて、土地の所有権と使用権(請負権を含む)がどのような性格を持ち、いかに「市場化」されてきたのか、その間にどのような主体が絡み、時には暴力をもって農民たちの請負地が収用され、一部の者は莫大な財を形成するまでに至ったのか、現代中国を理解する上で欠くことのできないテーマである。
第6章「貿易政策 ――輸出振興策の調整」(大橋英夫)は、中国の対外貿易制度・政策の中でも加工貿易・輸出増値税還付制度に焦点を当てて、輸出振興策がいかに変わってきたかを整理したものである。1980~1990年代に形成された輸出振興策を中心とする対外経済政策、言い換えれば「輸出主導型の経済発展」戦略は結果的に成功し、膨大な外貨準備を蓄積にするに至った。しかし、かつての日本と同じく、黒字輸出が拡大すればするほど海外からの圧力が強まり、人民元の切り上げ圧力となって中国にのしかかってくる。それ故、内需拡大を前提とした対外経済政策を打ち出さなければならず、もし人民元を切り上げないとすれば、単に輸入振興に走るのか、これからは新しい発展戦略が求められてくるといえよう。
第7章「為替制度 ――資本規制下の人民元「国際化」は可能か」(曽根康雄)において、国際的に今最も熱い争点になっている人民元の切り上げや資本の自由化問題が取り上げられている。もし中国が金融のグローバル化,国際金融市場の一体化を目指すのであれば,いずれかの時点で資本移動の自由化に踏み出さなければならない。人民元は小刻みに上げていくだろうが、いずれは為替の自由化にも踏み切らざるをえなくなるかも知れない。世界第2位の経済大国となった中国には,金融の対外開放に対して海外からの圧力も今後一層強まると予想される。しかし,現在の中国政府の人民元の国際化に向けたアプローチは,資本自由化に向けた国内的な条件が整っていないとして、依然消極的である。
第8章「農業政策 ――食糧自給戦略と「農業構造調整」の課題」(菅沼圭輔)では、農政の転換過程と直面する課題に焦点を当てている。これまでの中国の農業政策は、農産物市場を自由化し、農地資源の利用権取引市場の整備を進め、さらにアグリビジネス・フードビジネスの育成を図るなど、需要に応じて農業生産を調整するシステムを準備するところまで進んできた。しかし、「農業構造調整」を目標としながらも食糧作物の増産と自給率95%を維持することも政策目標としていることは、主産地に収益性の低い食糧作物を生産させることになっている。こうした矛盾をどのように解決していくのか、今後の重要な課題になっている。所得保障や価格維持といった政府の農業補助がどこまで有効に機能するか、ある意味で日本農政にも共通する課題に中国は直面している。さらに、この30年間に国内の労働市場には大きな変化が生じ、家族農業経営における若年労働力の流出が促進されているが、それは取りも直さず(日本と同様に)農業者の高齢化という大きな問題を生み出すことになっている。
第2部ミクロ的制度と政策の展開
第9章「金融制度 ――独立性なき金融システムの限界」(王京濱)は、間接金融の銀行業と直接金融の株式市場を中心に金融制度改革について検討したものだが、各種金融組織の発生、拡大、2005年以降の銀行業のユニバーサルバンク化や国際進出、それに株式制の導入による長期資本市場の育成という面から見ると、中国の金融システムはこれまで著しい発展を遂げてきた。しかし、銀行業改革にせよ、株式市場改革にせよ、制度というハードな側面では大きく市場経済に近づいたとはいえ、ソフトな側面、たとえば投資者の行動様式、人材の育成といった面では、まだまだ後れている。中国の金融システムがアメリカ型の直接金融主体でいくのか、日本型の間接金融主体を維持したまま、新たな制度設計をするのか、また「影の銀行」(シャドウバンキング)といわれる不透明な銀行制度も出現、拡大しており、制度化と透明化に向けて中国の金融制度全体が転換していくのか、これからも注目される。
第10章「企業制度 ――国有、民営混合体制の形成とその問題」(渡邉真理子)では、体制改革の一つの中心的テーマである国有企業(体制)改革の変遷と現状、その問題点を取り上げる。中国における所有制と市場制度の特徴の一つが、国有、民営、外資などの異なる主体が株主として混在している混合所有制、異なる規制のもとで企業が競争する状況を指す混合市場制に見られるが、この状況は、国有企業と政府が民営企業に不平等な行政による独占が原因となっている。そこに2004年以来問題視されてきた「国進民退(国有企業の伸長と、民間企業の後退)」という、ある意味で改革に逆行する状況が生まれることになった。確かに異なる所有制企業がある産業において競争しているが、その競争が制度上の差別も伴ったままおこなわれている混合所有体制のもとでは、民営企業はより基幹的である産業、利潤のある産業への参入ができない、一定規模まで成長するとそれ以上の成長を阻害されるような政策や制度の壁にぶつかる、その結果リスクが少ない戦略を取り、イノベーションを放棄してしまうことになっている。
第11章「人口・労働移動政 ――策農民工の市民化は進むか」(厳善平)は、改革開放以後の市場化政策展開の典型的現象である人口と労働の流動化、つまり人々の流れがどのように進んできたのか、人口・労働移動政策が禁止→制限→秩序ある移動の奨励→流入地での管理強化→管理からサービスへとシフトし、そのことが都市農村の一体化→農民工の市民化という方向に変化してきた過程を、法的面から、また実態面から多面的に解き明かしている。まず戸籍制度の改革であるが、1958年より施行されている戸籍登記条例が残存しているものの、人口・労働移動の活発化に伴い同条例の形骸化が進んできている。1人っ子政策に起因した少子化が加速し,労働供給が絶対的過剰から相対的不足に転換し、地方政府は就業条件や社会福祉で好条件を用意し,有能な労働力の確保に力を入れている。農民工など流動人口の子どもの義務教育に関する制度改革が進み、農村から都市への移動・定住、あるいは農民工の市民化がなされつつある。しかし、都市農村の真の意味での一体化、あるいは農民の完全な市民化ははるか先の課題となっている。
第12章「雇用・労働政策 ――発展途上国中国の市場化過程と労働」(木崎翠)は、改革開放後の雇用、労働、それに社会保障政策と関連する制度を取り上げる。市場経済の導入により従来の国有企業による「低賃金、終身雇用、高福祉」の体制が抜本的に改められ、勤労者は失業やレイオフの危険性にも直面することになるが、その過程を穏やかなものとするため、中国政府は多くの財政資金を投入し,雇用者側にも多大な負担を求めた。その結果得られた雇用や生活保障の枠組みは、今後より広い勤労者層へと適用範囲を広げられようとしている。全国的な社会保障制度も次第に進んできた。また消費底上げのため賃金水準引き上げも政策課題になている。こうした構想は経済全体にどのような効果をもたらすのか、これからの研究課題の一つになっている。
第13章「賃金制度 ――体制移行と部門間賃金格差」(馬欣欣)は、労働問題の中の賃金にかかわる制度と政策の動きに着目する。体制移行とともに、中国では統一管理賃金政策に関する規制緩和がおこなわれ、労働法律・規定の制定・実施が促進され、最低賃金制度、賃金の指導ライン制度、賃金の集団協議制度といった新たな賃金制度が実施された。賃金決定については、当然需給により価格(賃金)が決まる市場メカニズムの機能が大きくなっているが、国有部門における賃金総額と基本給は依然としては政府により管理され、また最低賃金制度、賃金の指導ライン制度、賃金の集団協議制度により、政府はマクロコントロールを実施している。したがって、賃金水準は、市場価格のみによっては決まらず、政府が関与した価格も大きく影響していることが重要である。
以上の構成と内容からも分かるように、本書が取り上げた経済制度・政策は多岐にわたり、経済体制の骨格の部分はほぼ抑えているはずである。とはいえ、環境政策とそれにかかわる制度、あるいは社会保障とそれに関連する制度・政策など、取り上げるべきテーマは数多い。また本書の観点や執筆者の主張とは異なる整理と評価も可能だろう。本書が一つのきっかけとなって、中国のさまざまな経済制度・政策に対する抜本的見直しができれば、それに勝る喜びはない。
本書の執筆者は、ほとんどがNIHU現代中国地域研究早稲田大学研究拠点経済班の初めからのメンバーであるが、問題の重要性に鑑み、梶谷、渡邉の両氏には最後の1年間参加していただいた。最後になったが、本書を編集、出版するに当たり、早稲田大学現代中国研究所のメンバー一同、とりわけ所長である天児慧教授には大変なご協力をいただいたことを、執筆者を代表し感謝の意味を込めて記しておきたい。本書を国際書院から上梓するに際して、石井彰氏から貴重な助言をいただいたことに対しても、併せて謝意を表するものである。
2013年7月15日
全執筆者を代表して
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