法文化(歴史・比較・情報)叢書 12 災害と法

小柳春一郎 編

災害対応に当たって公的制度のみならず、歴史における災害、災害と民事法、災害と司法制度、国際的文脈での災害などさまざまな角度からの法的研究である。(2014.11.20)

定価 (本体3,600円 + 税)

ISBN978-4-87791-262-8 C3032 223頁

ちょっと立ち読み→ 目次 著者紹介 まえがき 索引

注文する Amazon セブンネットショッピング

目次

はしがき ……小柳春一郎

著者紹介

執筆者紹介

執筆順 ※編者

★松園潤一朗(まつぞの・じゅんいちろう):

一橋大学大学院法学研究科専任講師、日本法制史

研究業績:
研究関心:

前近代日本における法と政治、日本中世の土地法

★金子由芳(かねこ・ゆか)

業績:
研究関心:

人間の復興、法整備支援、アジア法

★小柳春一郎(こやなぎ・しゅんいちろう) ※

研究関心:

借地借家、境界確定、フランス物権法

★宮本ともみ(みやもと・ともみ)

研究関心:

婚姻住居利用規整、夫婦の本質的義務、ドイツ婚姻法」

★稲葉一人(いなば・かずと)

★高崎理子(たかさき・まさこ)

中央大学大学院法学研究科公法専攻博士後期課程、国際法

業績:
研究関心:

文化と国際法、国際裁判における文化的側面

まえがき

はしがき

1 本特集「災害」と「一般的普遍的な問題」

本特集のテーマ「災害」は、2011年3月11日の東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故等をきっかけとする。2012年の法文化学会開催地である岩手県も大きな被害を受けた。大規模災害は、歴史的には重要な事件となり、社会と法律のあり方を明らかにする手がかりになる。

災害に関して、政治学者丸山真男は、1995年1月17日の阪神・淡路大震災の直後(1月20日)に作家の小田実に次の手紙を送った*1

「冬をこして暖かくなりましたら、私が入院を免れている時期を見はからって、小田さんにお会いし、小田さんの大変な経験をお伺いし、また私は私で、広島被爆から関東大震災にいたる被災経験をお話して、そこからどういう一般的普遍的な問題を引き出せるか、というようなことを語り合いたい、と切実に思っております。」

この発言は、災害と歴史の関連を指摘するものであるとともに、災害から「どういう一般的普遍的な問題を引き出せるか」が重要であることを指摘する。多くの研究が個別災害の救済のあり方を論ずるだけでなく、そこから、「一般的普遍的な問題」を引き出すことに努力しているが、本書もまた、法的な観点からそうした課題に応えるものである。

2 災害の意義

災害は、多数の人々に甚大な影響を及ぼすものであり、これに関する検討は、自然科学、人文科学、社会科学の多様なアプローチが必要であり、法も相当の役割を果たすことが期待されている。災害対策基本法(1961年)によれば、「災害」とは「暴風、豪雨、豪雪、洪水、高潮、地震、津波、噴火その他の異常な自然現象又は大規模な火事若しくは爆発その他その及ぼす被害の程度においてこれらに類する政令で定める原因により生ずる被害」である(2条)。そして、「放射性物質の大量の放出、多数の者の遭難を伴う船舶の沈没その他の大規模な事故」についても、災害に含めている(同法施行令1条)。震災のみならず、火事、爆発などの人災、東京電力福島第一原子力発電所の事故も「災害」に該当する。災害に向かい合うための「防災」について、災害対策基本法は、「災害を未然に防止し、災害が発生した場合における被害の拡大を防ぎ、及び災害の復旧を図ることをいう。」と規定し(2条)、災害に対する事前の準備(「未然に防止」)、応急対策(「被害拡大を防」止)、災害後の「復旧」という総合的な対応が必要であると明らかにしている。

災害という場合には、通常は自然現象としての災害を意味している。しかし、原子力損害の賠償に関する法律が、原子力事業者の無過失責任を規定しつつ、「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。」(3条但書)とあるように、個人にとっては、防ぎ難い「社会的動乱」も広い意味では災害と考えることも不可能ではない。本特集は、そのような観点から、国際紛争についての論文も掲載している。

3 災害と法:これまでの研究と困難性

かつて、渡辺洋三教授が公害法研究に比べて災害法研究が遅れていると指摘して、次のように述べた。「法律学は、このような実定災害関係法を総体として批判的に検討し、民事、行政、刑事の各領域における責任の所在を体系的に析出し、国民の生存権の保障という憲法の人権体系の中にこれを位置づけしなければならない」*2。残念なことに、災害法研究は、その後も格段の進歩があったとは言い難い。ここでは、その理由について考えてみる。

災害と法については、筆者のみるところ4つの点が特徴である。第1は、災害の希少性である。とりわけ大規模災害の希少性とそれに伴う調査・検証の困難である。第2は、災害法理の特殊性である。災害に対する救済は通常の法律とは異なる例外的な法理を要請し、それ故、法律の基本原理との間で緊張をもたらしかねない。第3は、災害対応の複合性である。災害に対しては、公法、私法等さまざまの法律の枠組みが動員され、多くの法分野が関連する。これらはいずれも災害法研究を難しくしている。第4に、災害法研究の日本における社会的重要性である。この点をいっそう詳しく見てみよう。

(1) 災害の希少性

第1は、災害現象とりわけ大規模災害の希少性である。災害とりわけ大規模災害はめったにあるものではない。このことは、戦後において大規模な災害を与える地震として、阪神・淡路大震災と東日本大震災があったことを考えれば良い。めったにない現象が、大きな被害を与える。

災害直後においては、社会的関心は極めて強い。新聞、テレビ報道、ネットなどは、災害に関する情報に埋め尽くされる。直接の被害者でなかった者も、自らの運命に置き換えたり、また、再発の不安に怯えたりしながら、強い関心で情報に接する。他方、被害者は、災害直後は非常に忙しい。自らや家族等の生命、身体、財産を守るために多くのことをしなければならない。

災害に関する研究者といえども、災害直後に現地に行ってデータ収集をすることに躊躇の念を持つ。火事場あさりで論文を書くのはどうかという疑問を持つことが通常である。普段から災害を研究している者は、こうした場合、現地を見ないで発言することに慎重になるが、他方、災害直後に、識者が発言をおこなうことも相当にある。これは、自らの理論に自信を持つのであろうが、新聞、テレビ、ネット等で十分な情報を得たと信じて、発言をおこなう。こういう発言は、的を射ていることもあれば、単に自分の依拠する理論を新聞報道等と関連させて述べているだけというものもある。

災害から、しばらく経過すると、状況は変化する。2年か3年も経過すると、社会的関心は急速に薄れていく。災害に関する本も出版されなくなる。せいぜい、○○周年もの程度である。他方、被害者は自らの生活の再建に忙しく、災害そのものは忘れたい経験になる。そして、行政を中心にした災害対応、再建努力がなされていく。

研究者は、災害後一定期間が経過すると、現地でのデータ収集が可能になる。しかし、災害直後と異なり新しいデータは出てきにくい。また、行政などによる復興措置について単にこれを紹介するのでは、はたして研究の意義があるのか疑問である。とはいえ、行政の措置のあら探し的な指摘をするだけの業績にも問題がある。一般に、災害現象では多くの人が被害を受けているのであり、それに対する措置も、すべての人を満足させることは難しいし、利害の対立もある。東日本大震災後の高台移転措置についても、それが漁業的観点からはマイナスであろうし、災害対策としてはプラスになりうる。他方、費用があまりにかかるのであれば、財政的観点からはマイナスである。財政資金に限度がある以上、特定の場所に無限に政府の資金の供給をおこなうことはできない。災害前と同じ状況に戻すことは多くの場合難しい。

災害現象の希少性は、研究成果の検証可能性の問題とも関連する。災害研究が、一定の提言をおこなうとして、それがはたして有効かどうかは、次の災害まで検証困難である。例として、原子力工学をあげてみよう。若い研究者の前に二つのテーマがあったとする。一つは、原子炉燃料の燃焼効率向上、もう一つは災害対応である。いずれが若い研究者にとって選ぶべき対象であろうか?筆者の考えでは、答えは前者である。その理由は、前者の研究成果は検証可能なことである。良い研究成果を上げれば、すぐに検証でき、実際に適用でき、成果活用による社会への貢献が可能である。これに対して、後者は、災害が起こるまでその有効性は不確定である。前者は、直接に収益向上につながりうるが、後者は収益向上に結びつきにくいことも関連する。一般にブライトサイドの研究は、ダークサイドの研究よりも評価されやすいし、研究資金も得やすい。

(2) 災害法理の例外性

第2は、災害法理の例外性である。これは、災害現象の希少性とも関連する。希少な現象については、例外的な扱いを要求してもあまり問題がないということになる。また、災害の結果の重大性にも関連する。災害による生命・身体の損害について政府が何らかの措置を取るべきであるという主張である。今回の震災についても、人災であるとして、政府がすべての補償をおこなうべきであるとのやや極端な議論も存在した。これは、実際には、採用されることはない議論であるが、しかし、一定の心理的な影響力を与える。

例を法律のレベルで言えば、いわゆる原賠法(原子力損害の賠償に関する法律)は、原子力損害について、無過失責任主義や強制的賠償措置の規定があるのみならず、加害者(原子力事業者)に対する国の援助や責任集中(原子力事業者以外は責任を負わない)という制度も存在する。中でも、加害者への国の援助は、文字通り例外的な法理である。原賠法を準備した原子力委員会原子力災害補償専門部会の我妻榮部会長は、「法務省とか、あるいは大蔵省とか、あるいは法制局というような従来の頭で考えている人は、……私企業を国家が監督して許可企業にすることもむろんあり得る。許可企業にしたからといって、責任を負ってやるということはどこからも出てこないのではないか、それを原子力産業についてだけ、保険に入れば責任をたとえば五十億に切ってやる、それから上は国家が補償してやるということ(昭和34年10月頃の法案の内容……小柳注)は考えられないと言うのです。」と1959年10月の私法学会で述べている*3。どこまで、例外的な扱いを許すべきか、事柄は政策論にまで及ぶことになる。

このことを裏から言えば、災害法の研究者は、ともすれば、独自の世界を作りやすいことになる。災害復興に有効であり、「独自の世界」でなく、一般原理と大きな矛盾のない法理の構築は容易でない。

(3) 災害対応の複合性

第3に、災害対応の複合性である。災害時には、私法(民法、借地借家法、区分所有法等)のみならず、公法(都市計画法、建築基準法等)のさまざまな法律の枠組みが動員される。借地上の建物が地震で倒壊したらどうなるかの問題に正確に答え、しかも、実際に、妥当な解決を引き出すには、多くの法分野についての知識が必要である。このことは、研究者にとって容易ではない。まず、学習自体に相当の努力が必要である。さらに、災害分野の法ばかり研究している場合には、いわゆる「広く浅く」の形の知識の集積になる可能性が生まれ、個別法分野において先端的な研究成果を上げにくい。ここから得られる災害法研究者のイメージは、やや戯画化して述べれば、《めったにないことを研究していて、一般原理と相当に緊張関係にある主張をするけれども、個別分野での専門性は低い》ものになる。これでは、研究者サークルから高い評価を得られにくい。現在の研究者サークルでは、専門分化が進行している。そこでは、《多くの研究者が普段から関心を持つ問題を研究していて、従来から確立されている基本原理に新たな角度から検討を加え、専門性の一層の深化をもたらす》研究者が高い評価を得られる。筆者の意見では、何らかの特定の法分野について、相当程度の業績を上げながら、災害問題について関心を持ちつつ、災害についても自分の研究活動の一部として論ずるという方が、研究者の世界で高い評価を得られるし、実際的にも有効な対応を提言しうる。

(4) 災害法研究の重要性

災害法研究には、社会的重要性はあり、特に災害の多い日本ではそうである。次の図は、2011年に雑誌エコノミストオンラインが掲載した世界の自然災害被害額リストである*4。これについて3点を指摘できる。(1)先進国であって、大規模な災害被害が発生するのは日本とアメリカとイタリアに限られている。それ以外の災害被害国は、発展途上国である。(2)日本は、このリストで第1位(東日本大震災、ここでの額は暫定値)および第2位(阪神・淡路大震災)を占め、日本での災害問題の社会的重要性は明らかである。(3)第3位および第4位を占めるアメリカとの違いは、日本では保険によるカバー割合が非常に低いことである。米国のように保険によるカバーがある程度進んでいる場合には、少なくとも財産的損害については私人のイニシアチブ(保険)を通じて社会的に被害が分担されている。これに対して、日本は米国同様に先進国でありながら、保険カバーは僅かであり、有効に働いていない。日本では一旦災害が発生した場合には、相当の被害が発生するが、しかし、それについての事前の社会的被害分担がなされず、その結果、政府の災害対応措置に多くが委ねられる。政府の機能、役割、財政資金に限界がある以上そこに多くの法的問題が登場することになる。これは、日本の災害が、地震、津波のように例外的でありながら、一旦発生すると巨大な被害を引き起し、保険カバーが容易でないことに関連する。

以上、災害法について述べてきたが、その意味は、災害法は応用的展開的分野であり、その波及性には疑問が残るが、しかし、災害法には、社会的重要性はある、特に災害の多い日本ではそうだということ、そして災害法研究とは、基本原理・一般原理の限界を問い直し、妥当範囲を問題にする作業であり、しかもその研究は日本では特に必要性が大きいことである。

4 本特集の特徴

本特集は、多様な災害とそれへの対応を明らかにしつつ、現代の重要問題へも法文化学会として貢献することを意図するものである。災害対応という公的制度のみならず、歴史における災害、災害と民事法、災害と司法制度、国際的文脈における災害などさまざまな角度からの研究がある。

災害に関する法は、災害対応等への反省から制定される場合も多い。建築基準法の耐震基準の累次改正もそうであるし、先に引用した災害対策基本法は、伊勢湾台風をきっかけとして制定された。災害救助法は、1946年の南海地震をきっかけとして制定された。阪神・淡路大震災の後には、被災者生活再建支援法が制定され、住宅全壊等の被害を受けた被災者に一定額の現金給付がおこなわれている。災害の歴史が災害に関する法制度の基礎となっている。

5 本特集の内容

以下、本特集の内容について論ずる。本書は、大きく、I 前近代社会における災害と法、II 現代日本における災害と法、III 国際社会の中での災害と法の3部からなり、災害とそれへの法的対応の多様な姿を明らかにしている。

「I 前近代社会における災害と法」としては、日本の歴史の中での災害対応について、(1)松園潤一朗「前近代日本における災害と法・政治―「徳政」の理念をめぐって―」論文が論じている。

(1)松園論文が前提とするのは、前近代社会において、災害は、人為とは区別された単なる自然現象と捉えられていたわけではなく、「自然」に対する認識や、災害発生の原因や防災・復興に対する観念には歴史性が見られ、政治権力の対応もそれに基づくことである。その上で、「災害と法」の歴史的関係を問い、古代~中世において両者を結び付ける観念として存在した「徳政」の理念に注目する。災害は為政者の不徳に対する天の譴責と捉えられ、為政者が「徳」を示すことで攘災(災害の鎮静、防災)が可能とされた。政治権力による災害対策としての政策や立法は、被災者の救済のような直接的な災害対応だけに限定されず、災害対応に直結しないような、為政者が「徳」を示す行為全般を含んだ。それ故、「徳政」の理念を媒介させることで「災害と法」の密接な関連性を知ることができる。こうした考え方は現代とも無縁ではない。

次に、「II 現代日本における災害と法」としては、(2)金子由芳「災害復興における国家と私権のゆくえ―東日本大震災とアジア」、(3)小柳春一郎「大規模災害と借地借家:罹災都市借地借家臨時処理法廃止と「大規模な災害の被災地における借地借家に関する特別措置法」制定」、(4)宮本ともみ「東日本大震災を契機とする日本の婚姻法制度への示唆」の3点の論文がある。

(2)金子論文は、災害における国家の責務が、応急対策やインフラ復旧を越えて、復興段階のどこまで及ぶべきかとの問題意識から出発する。東日本大震災後の2013年「災害対策基本法」改正はこの問題に体系的回答を与えることはなかったし、復興は未だ現在進行中であり、その過程から教訓を学び切り、回答を引き出す課題は終わっていないとして、公法・私法の絡み合う総合体系が、現実の法現象としてどのように顕現しているのか、制度と現実の乖離を見つめる実証的観察をおこなっている。復興まちづくり計画・事業決定の手続面で、国主導・行政中心の災害復興手続が、阪神淡路大震災以降に都市計画法制の領域で積み上げられてきた住民参加の手続理念に逆行していることや被災者の私権の阻害が、復興交付金事業や被災者支援措置といった国家介入を原因として引き起こされている側面を、公法・私法の垣根を跨いで掘り起している。

(3)小柳論文は、災害と社会の問題について借地、借地を手がかりに論じ、一定の状況下で生まれた災害対応の法律も社会状況が変化すれば適合しないものになっていく有り様を指摘した。具体的には、大規模災害が発生した場合の借地借家について戦災対策として制定されつつ、阪神・淡路大震災にも適用された罹災都市借地借家臨時処理法(昭和21年法律13号、以下「罹災都市法」という。)に代わって、平成25(2013)年に「大規模な災害の被災地における借地借家に関する特別措置法(平成25年法律61号)」(以下、「被災地借地借家特別措置法」または「新法」という。)が制定された。小柳は、新法パブリックコメント案作成にも関与した。小柳の主著の一つは『震災と借地借家―都市災害における賃借人の地位』(2003年、成文堂)であり、この問題に一定の蓄積を有していたためである。小柳は災害法について学問的検討のみならず、立法への貢献をなした経験を有するが、それが本特集の編者となった理由である。本論文では、罹災都市法のあり方について検討し、新法制定の理由およびその内容を明らかにし、その上で、新法制定と災害法のあり方について検討した。

(4)宮本論文は、今回の災害における子ども・女性の救済が、日本の婚姻法制度に何を示唆するのかを探求している。被災地にも婚姻家族の中にも常に共通して存在しうる子ども・女性に着目して、その救済・保護について考察する。現在の日本における子ども・女性が、個人の尊厳が踏みにじられるような過酷な状況に置かれており、そのような状況に陥った原因が、子ども・女性本人ではなく、婚姻に関係している点で、人災とさえいえるように考えられると論ずる。執者は、災害から受け取ったメッセージと日本の婚姻法制度との交流を試みると同時に、普段、民法・婚姻法とは異なる時空に研究の視点を据えている者にも、日本の婚姻法制度の時空に思惟を馳せる必要性を明らかにしている。

「III 国際社会の中での災害と法」としては、(5)稲葉一人「インドネシア・アチェ津波被害支援から東北大震災津波被害者支援まで:プロセス相談と促進型メディエーションによるコミュニティーの創造と再生の可能性」論文および(6)高崎理子「国際裁判における文化的考察の意義―プレア・ビヒア寺院事件を例として―」がある。

(5)稲葉論文は、裁判官出身の研究者によるものである。著者は、裁判官としての実務経験だけでなく、米国留学以来この問題に豊富な理論的蓄積も有する。著者の活動や方法は、「相談」(Counseling)と「調停」(Mediation)である。その相談や調停は、これまで弁護士等が行ってきた法律相談(legal counseling)や、裁判所でおこなわれてきた「(評価型)調停」(Evaluative Mediation or Consolidation)ではない、新しい「相談」(プロセス相談)(Process Counseling)であり、「促進型ないし変容型調停」(Facilitative or Transformative Mediation)である。そして、それぞれの活動の当面の目標は違っても、究極的には、コミュニティーの創造と再生に関わるものである。これらを、ひとつひとつ、記述し、そこから、何がつながり、それが、コミュニティーの創造と再生に連なる可能性を有するのかを明らかにしている。

(6)高崎論文は、国際紛争により引き起こされた災害について論じている。タイとカンボジアの国境地帯に建つプレア・ビヒア寺院の領有権がカンボジアにあることは、国際司法裁判所本案判決(1962年)によって国際法上確定している。それにもかかわらず、2008年7月7日に同寺院がカンボジア単独の世界遺産として登録されると、タイ・カンボジア両国軍は寺院周辺や国境付近で衝突し、数千人の人々が避難を余儀なくされ、文化遺産も損壊された。紛争による文化遺産の損壊という人為的災害について、その原因、判決、およびその審理過程について詳細に明らかにしている。法的に決着がついた後も敗訴国側は納得していなかった事実を元に、国際司法裁判所判決における文化的考察の意義について検討する。

*1: (『丸山真男書簡集5・1992\_h-1996補遺』(みすず書房、2004年)188頁「小田実宛書簡・1995年1月20日」)。

*2: 渡辺洋三「現代と災害」法律時報臨時増刊1977年『現代と災害』6頁。

*3: 拙稿「我妻榮博士の災害法制論:原子力損害の賠償に関する法律」『法律時報』85巻3号104頁(2013年)。

*4: http://www.economist.com/blogs/dailychart/2011/03/natural_disasters〔2013年12月12日閲覧〕

索引

株式会社 国際書院
〒113-0033 東京都文京区本郷3-32-5 本郷ハイツ404
Tel: 03-5684-5803
Fax: 03-5684-2610
E-mail: kokusai@aa.bcom.ne.jp