エネルギーと環境の政治経済学 「エネルギー転換」へいたるドイツの道

宮本光雄

ドイツのエネルギー政策の転換を生み出すに至る第二次世界大戦後の政治的・経済的・法制的・社会的プロセスを分析し、再生可能エネルギーの供給体制確保を中心に、将来エネルギーの全体像を明らかにする。(2015.11.20)

定価 (本体4,600円 + 税)

ISBN978-4-87791-266-6 C3031 424頁

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目次

著者紹介

宮本光雄(みやもと・みつお)

1947年、茨城県生まれ

成蹊大学名誉教授

国際政治学専攻

『国民国家と国家連邦─欧州国際統合の将来』(国際書院2002年)、『覇権と自立─世界秩序変動期における欧州とアメリカ』(国際書院2011年)など著書・論文多数

まえがき

序章 何が問題か ─エネルギーと環境と経済社会 (抜粋)

“世界の大多数の人びとのばあい、その関心事は家族や友人にかかわる問題に限られており、それも近々のことにとどまるが、もっと先までの期間を見通しながら都市や国家のような広範囲な問題に関心をもつ者もいる。しかし、遠い将来に亙る世界全体の問題に関心を懐く人びとは、きわめて僅かしかいない。”

『成長の限界』1972年03月

第1節経済成長と将来世界

歴史上、公表後間もなくから世界的に多大な反響を呼んだ学術的研究はさほど多くはないが、ローマ・クラブ委託の米国マサチューセツ工科大学(MIT)研究チームの報告書『成長の限界』(1972年03月公刊)はそのようななかに紛れも無く数えられる1例である。ローマ・クラブが委託した課題は、“もしも、世界が今日のように経済成長[つまり、生産の量的拡大]を追求しつづけるならば、将来世界はどんな事態に陥るであろうか”という設問に答えることであったが、MIT研究チームは20世紀70年間の工業生産高、世界人口、食糧生産、再生不可能資源の消費、および、地球環境汚染という5つの要因の幾何級数的な増大という現実から出発して2100年にいたる長期的な世界の趨勢を調べることを企図した。そして、そのために、5要因のデータを基に世界分析モデルを作成し、それら要因間の相互作用関係を三様のシナリオを描きながらコンピュータで解析している(システム・ダイナミクス分析)。第一に、将来も過去70年間に行われた自然界の扱い方や経済的社会的関係の構築に何等大きな変革策も講じられず、‘ビジネス・アズ・ユージュアル’に“これまでどおりの道(StandardRun)”が歩まれるというシナリオであり、次いで、前記5要因の増大に伴う諸問題に対しては、単に技術力だけで対応して成長を持続させるという“総合的な技術(Comprehensive Technology)アプローチ”、最後に、技術力による解決法と計画的な社会的政策を合わせ講ずることで諸問題に対応し、そうすることによって均衡を確立するという“世界の安定化(Stabilized World)”シナリオである(図0-1を参照)。

MIT研究チームの編成は、コンピュータを用いたシステム分析の先駆者ジェイ・W・フォレスター(Jay W. Forrester)教授の門下生デニス・L・メドウズ(Dennis L. Meadows)を中心に6ヵ国の研究者17名から成り、その研究は西ドイツのフォルクスヴァーゲン財団から多額の財政支援を受けながら1970年秋から1年半に亙って行われたが、その結果として、次のような将来像が提示されるにいたっている。まず、“これまでどおりの道”を辿るばあい、2020年くらいまでは従前どおり経済成長は持続されるも、その時期には、すでに再生不可能資源の減少、および、大気圏中の二酸化炭素(CO2)濃度増大に因る大気温度上昇等々の地球環境悪化のために工業生産・食糧生産・サーヴィス享受は急速に低下しはじめ、つづいて、人口も減少しながら、世界システムは21世紀の何時(いつ)の日か「成長し過ぎの結果として崩壊する。」また、“総合的な技術アプローチ”に頼るばあいにも、その結果は同様である。たしかに、このシナリオでは、技術の進歩が再生不可能資源の採掘・利用や地球環境汚染管理、あるいは、食糧生産等の課題対応策で効力を有し、成長持続の期間も長くなると想定されている。しかし、再生不可能資源の不足化や地球環境汚染、そして、土壌劣化と食糧生産高低減等の諸問題は技術によってもやはり解決され得ないとみなされるから、成長持続も長くはつづかず、けっきょくは、「成長は2100年以前に止まってしまい」、「世界システムは崩壊にいたらざるを得ない。」MIT研究チームが強調するところ、技術は正(プラス)の作用を及ぼすだけではなく、逆に、「技術の副作用」が社会環境と自然環境に負(マイナス)の変質を惹き起こす事態も考えられなければならない。それゆえに、いつの日か突然の成長低下にいたる事態を待つよりも「将来に亙る生態的・経済的な安定」を得ようと望むならば、研究チームは提言する、世界は現在のような経済成長追求の過程、“これまでどおりの道”を選好することなく、早急に「計画的な成長抑制」に取り掛かり、なかんずく、人口と工業生産高の増大を計画的に抑制し、かつ、「地球上すべての人びとの基本的な物質的必要物が満たされて、個々の人間的潜在力が実現される」ようにするために、「持続的で環境を保全できる(ecological)世界的な(global)均衡」を樹立しなければならない、すなわち、「もっと平等に世界の富を分配しなければならない。」

ローマ・クラブとMIT研究チームの目的は、世界がかかえる懸案事項を明らかにし、それに対処するための論議を促すことにあったが、果たして、研究結果の公刊はきわめて大きな世界的関心を惹き起こした。原書の英語版公刊につづいて37の異なる言語版が刊行され、世界全体の販売総部数も200万から1,000万を越えたと見られている。このような出版と販売情況からは、当時、多くの人びとが懐きはじめた将来世界にかんする懸念や疑念に答える研究として歓迎されたことがうかがえよう。経済学研究者等のあいだでは、しかし、批判的・否定的な論評が多かった。そして、そのばあい、批判や否定の論拠が研究チームの研究法に求められるとともに、結論的な提言自体に置かれていたことは特徴的である。

MIT研究チームの研究は、同チームが予期したとおり、入力データの不完全性や分析基盤要因の狭隘性を批判され、果ては、コンピュータによる世界モデル分析は現実を反映しない非科学的でナンセンスな方法と一蹴されている。このような激しい反発も、しかし、たんに研究法に起因するわけでは全くない。それは、ハーヴァード大学教授サイモン・S・クズネツが研究チームの研究を直接検討していないと断りながら、直ちに「誤って単純化された結論」と攻撃し、あるいは、トマス・マルサス(Thomas Malthus)の『人口原理論』(1798年初版)同様に技術的な解決可能性を考えない間違った予測(MIT教授ポール・A・サムエルソン)と貶められ、さらには、「≪ゼロ成長≫という黙示録」(カリフォルニア大学教授ハンス・ローゼンバーグ)と難じられたように、「成長(工業生産拡大)の抑制」という提言に対する嫌悪感の発露であり、先進国の「成長の抑制」による「世界的な均衡」樹立論に対する拒絶感の表出にほかならなかった。世界的な高度成長の当時、大多数の者にとって、これもまたMIT研究チームが予期したことであったが、資源不足化や自然環境悪化の問題は「新技術」の開発で解消され得るし、社会環境変質の問題は当然視され、黙認されてしまう。肝要な点は、とにかく経済を成長させることである。「成長のない経済と世界的な富の平等化は想像しがたいことである。」(イェール大学教授ヘンリィ・C・ウォリク)

かつて、ジョン・ステュアート・ミル(John Stuart Mill)は、イギリス資本主義隆盛の最中(さなか)、後発資本主義国ドイツのカール・マルクス(Karl Marx)とフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels)がブリュッセルで『共産党宣言』を公表した1848年、限りある世界にあって「際限の無い富と人口の増大は望ましくないし、[いかなる努力を傾けようとも]有り得ない」がゆえに、「世界の後進国であるならば、そこでだけは生産拡大が依然重要な目的となる」としても、「もっとも進んだ国々」は「富と人口が定常状態(stationary state)にある」ような社会、つまり、量的増大は無くも、「もっと良い分配」が行われる社会の実現、生きるための質的な社会環境向上を追求するような社会実現を目差すべき必要性を訴えていた。ミルのばあいの問題関心は、たしかに、生態的・経済的な安定崩壊懸念に発するというよりも、「私利のみを追求する商業文明の資本主義」は、成長による個人の利益増大を目差すなかで、自由な社会を崩壊に導くという確信に基づきながら、自由な社会を保全する道を考究することにあったが、人間社会が辿り着く将来を展望し、自然的・社会的な“破局”を避けて質的な社会の向上を追求するよう提言する点でミルとMIT研究チームに変わるところはない。だが、ミルの考えが、当時、容れられなかったように、MIT研究チームの提言も結局は等閑(なおざり)にされてしまうことになる。ミルの提言もMIT研究チームのそれも双方ともに激しい“経済成長論議”を惹き起こし、爾後の学術的研究で新領域が切り開かれる契機となり、後者(MIT研究チームの提言)のばあいには、環境保全運動を大きくする材料にもなっていくとしても、「成長」を追求しつづける経済社会の歩みに変容を生み出すには全くいたらなかった。換言するならば、ミルの「定常状態」論も120年余を経て提示されたMIT研究チームの「計画的な成長抑制」主張もマルクス流の“生産拡大”論に抗し得ず、「成長」に伴う諸問題、取り分け、工業化のコロラリィとしての社会環境変質と自然環境悪化、および、均衡を欠く富の分配の問題は深刻さを増幅させながら先送りにされたわけである。

このような事態の根源は、詰まるところ、世界秩序の変容と改変をめぐる各国間の角逐、なかんずく、先進国と途上国間の角逐に見出される。『ニューヨークタイムズ』紙コラムニストのアンソニィ・ルイス(Anthony Lewis)は、MIT研究チームの報告書公表当時、経済学研究者たちの「経済成長こそが平等にいたる道」という主張を「見え透いた欺瞞」と断じながら、将来、先進諸国(富裕層)が現存する富の分配を変革することも無く、環境保全の必要性を指摘することで、成長抑制だけを主張する事態の発生、したがって、歴史的な不平等が環境保全を楯に固定化される危険性を懸念していたが、今日にいたるまでの経済成長と環境保全をめぐる国際交渉を見るならば、ルイスの懸念は事態の本質を大略的確にとらえていたことが分かる。そのような国際交渉は、1950年代から1960年代に先進諸国各地で環境悪化が顕在化した後に、スウェーデンの提唱に基づいて1972年06月に開かれた国際連合(国連)人間環境会議(ストックホルム人間環境会議)を嚆矢とするが、それ以来、事実、経済成長と環境保全をテーマとする国際交渉はつねに経済的な優位を保持しようとする先進国(富裕層)と“追い付く”ことを目差す途上国間の対立舞台となり、実質的な成果を得ることなく終わっている。ここに、今日にいたる問題の核心のひとつがあるから、国際的な経済と環境をめぐる交渉の実相を明らかにしておこう。

環境問題の論議が、半面では、経済成長の量と質のそれであることは言うまでもなく、環境問題が論じられるばあいも、先進国であれ途上国であれ、各国の主たる関心は環境保全よりも経済成長の量的拡大にあり、成長に負担を掛ける環境保全措置施行は忌避される。取り分け、途上諸国は自らが世界秩序のなかで劣位不利な立場にあるがゆえに秩序変革を求めて成長推進を追求し、ストックホルムの人間環境会議でも成長優先を固執した。その結果、国連人間環境宣言では、「人間環境の保護と改善」は「全世界すべての民族の緊急要請であり、すべての政府の義務である」と謳われてはいても、優先されるのは経済成長であり、環境保全は副次的な課題と位置付けられるにすぎなくなる。「途上諸国では、環境問題発生の原因はほとんど低開発にある。それゆえに」、同宣言は強調する、「途上諸国の努力は、自らの優先事項と環境保護改善を考えながらも、開発に向けられなければならない。」

かかる会議の結末は、国連貿易開発会議(UNCTAD)統計で当時(1972年)途上諸国全体の国内総生産(GDP)が先進諸国のそれの23パーセントにとどまり、人口数の相違ゆえに1人当たりで見てみると、0.07パーセントにすぎない情況を考慮するならば、不可避当然であろうし、かつ、「適切な食糧・衣服・住居・教育・健康・衛生を奪われた」人びとに「真当な人間らしい生活」を可能にするという人間環境宣言の目的に則している。したがって、問題は別にある。それは、一方で、先進工業国が自らと途上諸国間における生活水準の隔たりを縮小するという責任、ローマ・クラブとMIT研究チーム、そして、国連人間環境宣言における公準を顧みないことである。かかる責任は、ローマ・クラブ常任委員会メンバーの大来佐武郎によるならば、先進国は自らの「経済成長を減速させ」て「発展途上国の成長率」の引き上げに努めることを意味するが、先進国は自らの成長追求に終始し、「世界諸国民間の絶対的な隔たりを容赦なく拡大しつづける今日の成長過程」を歩んでいる。

それゆえに、他方で、勢いローマ・クラブとMIT研究チームが懸念したとおりの事態、すなわち、途上諸国は“計画的な成長抑制”論を“先進国による途上国の開発抑制”論と解釈し、自らも汚染の拡大に懸念を覚えないわけではないとしても、対抗的に、“平等な地位を確立し、貧困を解消するための経済成長推進”論を主張する事態が生じざるを得なかった。「結論として言えるところ、[量の拡大という意味の]経済成長(crecimiento económico)は必ずしも汚染の拡大と結びつくものではない。積極的な汚染抑制(control)政策が講じられるなら、汚染は手ごろな費用で減少され得るものである。事実、(もっと後のことと思われる大気温度[上昇]の問題を別にするならば)、今日、あらゆる態様の汚染が抑制可能であり」、しかも、「現在、汚染抑制研究は熱烈に行われているから、汚染抑制の可能性は将来いっそう高まるし、同時に、汚染減少費用も低下するであろう。」MIT研究チームの研究に触発され、アルゼンチンのバリロチェ財団のもと、ラテンアメリカ諸国が追求するべき世界秩序論、「後進性と窮乏から解放された世界」像の提示を企図してアミルカル・O・エレラ(Amílcar O.Herrera)を中心に研究チームが編成され、同チームが研究報告書(『破局か、それとも、新しい社会か?ラテンアメリカの世界モデル』)(『バリロチェ・レポート』)を発表する(1976年09月)や、そこには、このような新技術開発に基づく“際限なき成長可能”論が展開されていた。

無論、『バリロチェ・レポート』の本来の主張点は技術礼賛にあるのではない。「現代社会が直面する一番重要な問題は自然界にかかわること(físico)ではなく、社会的・政治的な問題であり、それらの問題は、世界中どこであっても、国際社会と国内における不平等な力(パワー)の配分(desigual distribución delpoder)に根をもっている。その結果、社会は抑圧的で疎外的となり、大部分の人びとは搾取される立場に置かれている。自然環境の悪化も」、同レポートが説くところ、「人類進歩の不可避的な結果ではなく、社会体制が大部分破壊的な価値に基づいて築かれている結果である。」それゆえに、解決の道は「先進国が今日直面させられているような危険を避けて発展し得る」“新しい社会”の樹立、現存する社会主義国家とは異なる「社会主義的な社会」の樹立と世界秩序の変革に求められなければならない。これが同レポートの核心論点であり、生産と消費の拡大追求という経済の現状に問題性を見ることでは、MIT研究報告書と変わらない。

したがって、『バリロチェ・レポート』の技術的な解決論は不均衡な世界経済と途上国の窮乏という現状ゆえの過渡的な手段にすぎないと言えるであろうが、そうであるとしても、途上国と先進国が同じ論理に拠って経済成長を競い合うことに変わりはなく、環境保全措置の施行は経済成長の函数となってしまう、すなわち、環境保全措置の施行は経済成長が達成されることを前提的な要件とする。このようにして、世界は成長追求の過程、MIT研究チームのデータ解析結果が“破局”にいたることを示す過程を辿ることになるわけである。

かかる趨勢に対しては、たとえば、夙に国連環境計画(UNEP)とUNCTAD共催のココヨク(メキシコ)会議が「開発の目的は財(things)の開発ではなく、人間の開発であり」、「すべての人びとの基本的な欲求を満たすことである」と強調するとともに、同時に、「生命圏[つまり、地球自然環境]の負荷能力にも限界がある」ゆえに、「世界の人口数に占める割合いに全く不釣り合いな大きな負荷を生命圏に掛ける国々」は「自らと他者に対して環境問題を惹き起こしている」と指摘して、途上諸国と先進諸国双方の開発論に警鐘を鳴らしていた(「ココヨク宣言」1974年10月)(資料Iを参照)。そのばあい、同宣言が「少数の富者から大多数の貧者への滴下(trickle down)」という先進諸国特有の一方的な論を批判しながら、「真の経済成長とは国際社会と国内における[富の]分配割合いを改善することであり」、各国(途上諸国)の力を強化して各国(途上諸国)の「自国頼み(self-reliance)」を可能にすることであると謳う(くだり)は留意されるべき重要点である。このような同時期の「従属論(dependency theory)」を彷彿させる主張によって、明らかに、先進諸国は経済的な均衡樹立に努めることを求められている。

しかし、ココヨク宣言の開発に関する部分を起草したヨハン・ガルトング(Johan Galtung)が既存の世界秩序変革には「国際的なパワー構造が抵抗するであろう」と予測したとおり、同宣言は先進諸国の反発を買うことになった。アメリカ国務長官ヘンリィ・A・キッシンジャー(Henry A. Kissinger)からはUNEP総局長モリス・ストロング(Maurice Strong)とUNCTAD事務総長ガマニ・コレア(Gamani Corea)のもとに同宣言全面拒絶の長電文が送りつけられている。そして、また、途上諸国自身も開発を工業生産量の増大と同一視しつづけるから、そのような情況にあっては、ココヨク宣言が効を奏する余地は見当たらずに終わるほかなかった。同宣言草案の大部分の起草者バーバラ・ウォード(Barbara Ward)が楽観的に俟つところによれば、人間は「力(power)と富[の追求]、そして、[他者に対する]敵意を活力源に国際社会を築いてきた」が、経済成長と人口増加に伴う環境悪化や技術的発展に伴う戦争災害の激甚化等々多くの共通な歴史的体験を重ねるなかで「生き残るために」人類としての「同胞」意識を強めざるを得なくなり、力の点でも富の点でもイデオロギーの点でも不均等な世界各国間の関係も対立と離間の情況から協調的なそれへと変容し、いずれ「力や富やイデオロギーの不釣り合いも縮小されてくる。」だが、現実の世界では各国間の力と富とイデオロギーの不均衡は維持され、拡大しており、それゆえに、各国間の経済的な競合としての生産・消費も量的拡大の一途をたどっている。

その結果、では、何が生じているであろう。MIT研究チームの研究は、公表当時、経済学研究者たちの多くに一蹴されたとおり、“非科学的でナンセンス”なものと判明しつつあるのであろうか。それとも、世界は“これまでどおりの道”が辿り着く情況に向かって歩んでいるのであろうか。2008年06月、この点にかんして、きわめて興味深い研究結果が発表されている。

オーストラリア国立科学工業研究機構(CSIRO)のグラハム・M・ターナーは世界で最初にMIT研究チームによる世界モデル解析結果の検証研究に取り組んで、1970年から2000年にいたる30年間のデータをMIT研究チームの解析結果と比較しているが、彼が2008年に発表した検証研究の結果によるならば、世界は過去30年間もやはり“破局”に向かう道を歩んでいた。「1970-2000年間に観察された歴史的なデータ[つまり、現実の世界]が示すところ、[今日の世界の]情況は『成長の限界』が“これまでどおりの道”シナリオについて行った解析結果、今世紀[21世紀]半ば前に世界は破滅にいたるという解析結果とほとんどすべての個別要因において極めて緊密に合致していた。」それに較べて、ターナー曰く、“総合的な技術アプローチ”のシナリオのばあい、「1人当たりの食糧生産高・工業生産高とサーヴィス享受、そして、地球環境汚染の増大率予測は余りにも楽観的」にすぎたし、“世界の安定化”シナリオも現実世界の傾向から乖離した予測であった(図0-2を参照)。言葉を換えて言うならば、技術的な問題解決法(のみ)ではさほどに効果的でないことが判明している。それゆえに、ターナーの結論は、“破局”を避けようとするならば、“これまでどおりの道”の歩みから離れるために、消費行動の変革が不可欠であるということになり、それは、また、生産の量的拡大追求政策修正を求めることにほかならない。「『成長の限界』と[直近30年間の]データ比較から結論されることであるが、もしも、技術的な進展を図りながらも消費行為を実質的、かつ、急速に低減することが行われないかぎり、グローバル・システムは非持続的な軌道に入ったままである。」。

このようなターナーの検証研究も、なるほど、地球システムが現時点で辿る傾向を示すにすぎないが、それでも、現時点における問題の所在は明瞭であり、したがって、対応策も講じられ得る。事実、周知のごとく、地球環境の汚染(悪化)は経済成長抑制の原因となるのみならず、人間の生存自体を危うくし得るがゆえに、環境悪化現象の一面である地球温暖化対策が20世紀末以降重要な国際的取り組み対象と位置付けられている。しかし、各国が先進国も途上国も経済成長を優先し、地球温暖化対策が成長競合の犠牲にされる情況は依然変わることなく、むしろ、いっそう強まるようになっている。1997年末、第3回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP)において、各国は温室効果ガス(GHG)排出量削減義務(京都議定書)を辛うじて受け合ったが、その達成期間満了(2012年末)後のGHG排出量削減策については長い年月論議を続けるも合意に達することはなく、けっきょくは、京都議定書GHG排出量削減義務の延長に落ち着くだけであり、あまつさえ、その延長も、2012年12月、わずかにほとんど欧州諸国のみの37ヵ国(合わせても全世界GHG排出量の15パーセントにも満たない国々)に受け容れられるにすぎなかった。まさしく、かかる事態に国際社会の実相は何等変わっていないのみならず、反対に、成長競合を激化させつつあることが如実に示されている。

そして、経済成長競合の結果として、言うまでもなく、地球温暖化の危険性は絶えず高まらざるを得ない。2013年05月09日、アメリカ商務省海洋大気圏局(NOAA)が1958年以来ハワイ島マウナロア観測所で行う大気圏中二酸化炭素(CO2)濃度の測定値、世界の指標となるCO2濃度測定値が測定史上初めて400ppmを越えたというNOAA発表は、日本では経済成長論議に圧されて話題にもならなかったとしても、重大な意味を有している。もしも、大気圏中のCO2濃度が現在の増加率で増加すると仮定するならば、国際気候変動パネル(IPCC)第四次アセスメント報告書案(2007年05月公表)が2100年における気温上昇を2℃未満にとどめるための許容上限とみなす445ppmは早くも2035年に越えられてしまうことになる。「成長に自ら制限を設けながら、その枠内で生きようとするほうが良いのか、それとも、自然界の制約は技術の飛躍的な進展で次々と克服され得ると期待しながら、ずっと成長をつづけようとすることが望ましいか。人間社会は過去数百年間第二のコース[つまり、後者]に従って成功してきたがゆえに、第一の選択肢[つまり、前者]を大方忘れてしまっている。」40余年前、MIT研究チームはこのように語りながら、「第二のコース」を歩んだ後に何時(いつ)の日か測り知れない膨大な環境回復費用を負担する羽目に陥るよりも「計画的な成長抑制」の道を選択するよう提言していたが、その後生起している気象現象や科学的研究の成果等を踏まえるならば、もはや経済成長優先を固執して地球環境保全措置施行を経済成長の函数と位置付けることは許されないであろう。

地球が有限であるかぎり、各国間の成長競合を誘発する世界的な不均衡は是正されなければならないであろうし、そのための国際協調を深める点で、先進国の責任と役割りは重大である。無論、『バリロチェ・レポート』が、前述のように、汚染の発生は“新しい社会”の樹立によって防止され得ると受け合っていたとしても、現実には、途上国も地球環境汚染の発生源となっている点で先進国と変わらない。だから、途上国も応分の責任を負い、役割りを果たさなければならないが、そうであるとしても、先進国のイニシアティヴが発揮されないかぎり、世界的な環境保全は遅きに失しかねない情況にある。かつて、ローマ・クラブから「成長症候群を喧伝し、依然、その源となっている」とみなされた先進国、あるいは、「ココヨク宣言」で過剰な生産・消費によって地球環境を過大に悪化させていると批判された先進国、そして、国際開発委員会(「ブラント委員会」)議長のヴィリィ・ブラントから途上国側の世界秩序変革要求に応えるよう要請された先進国は、いまでは世界秩序の変革を嚮導するような任を担えるようになっているであろうか。いわゆる「リーマン・ショック」以来、従前にも増して経済成長追求に注力する先進国は、果たして、地球環境と調和する経済社会の建設に向かい、経済の量的拡大努力を生活(環境)の質的向上に向けることに成功するであろうか。“ファウストさん、あなたは、地球環境と世界秩序について、どんな考えをもっているのですか?”現代のグレートヒェンはこのように久しく問いつづけている。それが問題である。

あとがき

あとがき

2011年3月11日、東京電力福島第一原発で発生した大事故が世界中に計り知れない大きさの衝撃を与えたとき、60年来の巷間の原子力観、“原子力利用は制御され得るものであり、その安全性は最高度に(あるいは、絶対的に)保障されている”という原子力観は初めて根底から覆されるにいたっている。丁度4半世紀前、チェルノブイリ原発事故のさいには、原子力利用先発諸国の大方は、“あれは、ソ連邦の原発であり、西側諸国のばあいは安全である”と言い張り得たが、この度は最早そのような言説は通らなかった。したがって、いまや、原子力利用と安全性保障は必ずしも両立し得ないことが判明した以上、原発先発諸国に残された選択肢は二つしかなくなっている。ひとつには、「原子力の利用は制御され得ない」と判断して「生命・自由・身体の安全」(世界人権宣言第3条)という人権保障を最重要視し、新しいエネルギー資源利用を大幅に拡大しながら「脱原発」の道を歩むことであり、他の道は、安全性の保障を凌駕するような“利益ないし価値”を原子力の発電利用に見ることである。言い換えるならば、後者は、「生命・自由・身体の安全」という人権保障も相対化され、等閑視され得る道を歩むことである。この点で、「原発安全論」が長いあいだ“神話”としての地位を占め、原子力利用と安全性保障は両立すると見なされていた日本の選択が注視されることになったが、安全性保障のために「脱原発」の道を確定したのは、原発事故発生地から遠く離れたドイツであり、事故当事国日本の選択は原発保持を図ろうとするものであった。

では、このような相違は奈辺に起因するのであろうか。ここで、「おわりに」として、独日の原子力利用意識の比較を行って見よう。

素より、原子力利用に対する独日間の相違は今に始まることではなく、当初から兆していたと言うことができる。たとえば、両国が原子力利用を期して立法府(政界)が原子力法ないし原子力基本法を制定するとき、ドイツ原子力法の「目的」としては、第一の「原子力の研究・開発・利用」という「目的」とともに「原子力と電離放射線の有害な影響から[国民の]生命・健康・財産を保護する」ことが第二の「法の目的」として謳われている(1959年12月の同法第1条)。他方、それに対して、日本の原子力基本法は「原子力の研究、開発及び利用を推進すること」を「法の目的」に挙げるばかりであり(昭和30年12月の同法第1条)、原子力基本法条文のなかに「国民の生命・健康・財産の保護」という文言はおろか、国民の「生命」や「健康」や「財産」を保護するというような文字の一つさえ見ることはできなかった。つまり、立法者には法的に安全性を保障するという意識は希薄、ないしは、無かったわけである。日本で、原子力利用の関連法に「国民の生命・健康・財産の保護」というが謳われるためには、福島第一原発における大事故に遭ってからの原子力規制委員会設置法制定(2012年6月)を待たなければならない。同法において、やっとの事「委員会の任務」として「国民の生命、健康及び財産の保護」が語られている(原子力規制委員会設置法第3条)。このような原子力利用の安全性保障に対する法的規定の対照からは、「安全に健康的に生きる」という人権にかんする両国立法府(政界)意識の差異が明らかであろう。ここに、独日間の異なる選択を生み出した原因の一つがある。

無論、立法者の意識に差異があるとしても、「安全に健康的に生きる」という点については、独日国民多数のあいだに差異はないであろう。だから、立法府(政界)による異なる選択の決定因は他に求められなければならないが、それは、国民多数が一時的(過渡的)には経済的な不利益を受け容れても将来に亙る利益享受を確保するという長期的な視点から考えるか、それとも、眼前の私的・地域的・国家的な個別的(特殊的)利益を固執するかという基本的な価値意識の相違にちがいない。かつて、ドイツ人の原子力史・環境史研究者ヨアヒム・ラートカウは「なぜ、日本では、それ[広島・長崎や第五福竜丸を経験し、人口稠密で地震多発の国であるという情況]にもかかわらず、大きな原発抗議運動が無かったのか」という自問に対して「おそらくは、日本では、当初から、原子力の代わりは無いと見なされていたことが主因であろう」と自答している(ラートカウ『生態適合的に生きる時代ひとつの世界史』)。だが、新しいエネルギー資源利用の道が大きく開かれている今日において、一方は、たとい、過渡的な電力料金上昇が生ずるとしても、「再生可能エネルギー時代」の実現に努めようとするが、他方では、絶えざる経済成長追求の観点や個別的な利益保全の意識が勝って一時的(過渡的)な経済不利益さえ疎まれることになり、「エネルギー転換」へ向かって歩み出そうとする機運は強まりそうもない。このような国民多数の価値意識の差異が第二の、そして、決定的な要因であろう。

加えて、日本の政界に連綿と伏在する“潜在的な核抑止力としての原発”論も独日間の選択を分ける一因となっているにちがいなく、このように、日本のばあいには、「原子力頼み」から脱出するためには、未だ多くの障壁が越えられなければならない。

今日、人類史の観点から考えるならば、すなわち、二酸化炭素(CO2)等の排出量増加の結果として、気候変動に脅かされている今日という歴史的な観点から考えるならば、エネルギー供給体制の選択は、最早、個々の国家のみの問題ではなくなっており、世界的・人類的な緊急を要する大きな課題になっている。それゆえに、国家的なエネルギー供給体制も世界史的・人類史的な要請を勘案しながら構築されなければならないが、先進諸国と途上諸国が経済的利益の確保をめぐって競合するグローバル経済の世界においては、国家主義的思考法が強まるばかりである。すでに「地表面における大気温度の上昇を2℃未満に抑える」という目標達成は絶望視され、科学者たちによって“5℃(以上)上昇の世界に生きなければならない”とも語られる情況のもと、政治的には、途上諸国のCO2等排出量大幅削減が気候変動防止のための絶対的な要件とみなされるが、そのような排出量削減が途上諸国に受け容れられるためには、先進諸国は自らの相応の歴史的国際的な責任として途上諸国と同様以上の大幅な排出量削減を率先垂範するよう求められている。あるいは、このような国際的な責任意識の点でも独日間には大きな差異があるのかも知れない。

誰でもが知っているように、大規模なエネルギー供給が現代社会を形づくり、支えているように、地球自然環境は人類生存に不可欠な基盤であるも、それぞれに世界の人びとが払う関心は余りにも不均衡なままである。無論、そのような情況の由り来たるところは明らかである。化石燃料と原子力利用という20世紀型のエネルギー供給体制が地球自然環境悪化や気候変動を惹き起こす原因にほかならないとしても、それは、今日の経済社会と生活様式の基盤をなしているからである。したがって、「エネルギー転換」はエネルギー供給の問題にとどまらず、経済社会の改変を含み得るがゆえに容易ではない。それでも、だが、経済社会の問題である以上、「政治」が果たせる役割りがあり、その役割りは民主主義の原理どおり国民多数によって定められることになるから、詰まるところ、問題は、どんな生活様式を国民多数が選ぶかである。芥川竜之介『猿蟹合戦』(大正12年2月)の世界では、猿に仇討ちした蟹は“世の大勢ないし体制”に逆らった廉で糾弾され、処刑される羽目に陥るが、そして、蟹にとっては“世の大勢ないし体制”は動かしようのない所与の現実であったが、ドイツの「エネルギー転換」のばあいには、“世の大勢ないし体制”も国民多数の意思で動き得ることが示されている。

本書は、福島第一原発事故の衝撃のもとで構想し、書き上げたものであり、著者にとっては、この分野にかんする最初の研究です。

日本では、地球自然環境の悪化や気候変動という世界的・人類的な問題に対する関心が余り高まることがないのみならず、福島第一原発事故の直後であっても、従前のごとく、“原発無しには立ち行かない”論が支配的であり、再生可能エネルギーについては、“それは高くて不安定的で実用的ではない”と一蹴されている。しかし、それに対して、ドイツでは、日本で“非現実的”と烙印を押されたエネルギー供給体制の確立が追求されている。では、このようなドイツの試みは、どのような動因によって推進され、どんな将来像を描いており、そして、その実現可能性は高いのであろうか。かかる点を明らかにし、かつ、ドイツの歩みを通して日本の歩みを再考する手掛かりを得ることが著者の企図したことでした。その意味で、本書がわずかでも参考になるとするならば、幸いです。

本書の出版は、この度も成蹊大学から出版助成を受けています。ここに記し、深く感謝いたします。(株)国際書院の石井彰氏には、この度も過去同様に大変お世話になっております。同じく、ここに謝意を記します。

2015年夏の炎暑の日に

ボウルディングの“宇宙船乗客経済”論が一顧だにされなかった半世紀前を想起しながら

宮本光雄

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