私の名前は、美花(みか)という。平凡な日本人家庭に生まれ育った、ごく平凡な日本人であるが、朝鮮族研究をするにあたって、この名前のおかげで得な思いばかりしている。
私の誕生日は3月3日(ひな祭りの日)であり、この日は、日本の家庭では女児の成長を祝って、ひな人形と桃の花を飾る。両親は、桃の節句に生まれた女児なので、いったんは「桃子(ももこ)」と名付けようかと思ったそうである。「~子」という名前は日本人女性の典型的・一般的な名前であってきたが、そのころ、「~子」以外の多様な名前をつけることが流行するようになっていたので、「~子」ではない名前をつけようと思いなおし、3日(みっか)生まれにちなんで「みか」という名前にしようと決め、その漢字は、桃の「花」の節句にちなんで「美花」としたらしい。
このように、両親としては、新しくも日本的であると思って名付けた名前であったが、これが、実は、朝鮮民族の女性の、最もありふれた名前のひとつであった。延辺では、とにかく、どこに行っても、金美花さん、朴美花さん、李美花さん、あまたの「美花」さんがあふれているのである。あるとき、ひとりの朝鮮族にインタビューを申し込んだときに、まずは私のことを覚えているかどうかを確認したところ、開口一番、「はい、宮島先生のことは忘れもしません。日本人なのに、私の姉と同じ名前の、美花(ミファ)ですから」と言われた。そして、続けて「自分なりに一生懸命生きてきた私の経験が、美花先生の朝鮮族研究の助けになるのなら、私にとってもうれしいことですから、喜んで」と申し出を快諾してもらえたときには、改めてこの名前をありがたく思ったものである。
少なくない朝鮮族が、「宮島さんが、平凡な日本人でありながら、朝鮮族女性にありふれた名前を持ち、かつ、朝鮮族研究に従事しているのは、まさに運命のめぐり合わせですね」と言う。本書は、このような幸運なめぐり合わせのなかで、私がここ20年ほど行ってきた研究の、とりあえずのまとめである。
この間、多くのかたがたにお世話になった。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程に在学中においては、大畠英樹先生(国際政治学)からご指導をいただいた。トランスナショナル・アクターとしてのエスニック・マイノリティという着眼点を大畠先生からご指導いただいたことが、本書の土台になっている。
早稲田大学大学院社会科学研究科の博士後期課程では、多賀秀敏先生からご指導いただいた。多賀研究室でともに学んだ堀内賢志先生(現静岡県立大学)が、御著書『ロシア極東地域の国際協力と地方政府』(国際書院、2008年)のあとがきで的確に評するように、多賀先生は、「環日本海圏構想」の主導者のひとりであり、「フィールドワークに基づく確かな現実認識から、厳密かつ大胆な論理の積み重ねによって『アイディア』へと到達しようとする」、「優れたアイディアリスト」である。多賀研究室出身の研究者は、私も含めてみな、多賀先生の学問に対する姿勢ないしスピリットに学んで成長した。
多賀先生が代表をつとめるサブ・リージョン研究会では、メンバーの諸先生がた、なかでもとりわけ高橋和先生(山形大学)には大変お世話になった。欧州研究の専門家である高橋先生が、私の朝鮮族研究に特段の関心を示してくださり、洋の東西を問わず移民の社会保障や福祉を保護する国際的な枠組みは整っておらず、それへの問題意識に対して普遍的な意義を見出そうとしてくださったことは、小規模な事例研究をコツコツと進めてきた私自身の大きな自信につながった。
朝鮮族研究についてみれば、鄭雅英先生(立命館大学)が代表をつとめる朝鮮族研究のプロジェクトに参加させていただき、在日韓国人である鄭雅英先生をはじめ、メンバーの諸先生がたに大変お世話になった。メンバーは、問題意識や研究関心を共有する、在日韓国・朝鮮人、中国朝鮮族、韓国人、日本人の研究者たちで、いつも楽しく刺激的で示唆に富む研究交流の機会をいただけたことを光栄に思う。
学部時代から大学院以降においても、一貫して陰になり日向になり見守ってくださったのは、旧早稲田大学語学教育研究所の大村益夫先生(朝鮮文学)である。語学教育研究所の朝鮮語講座・中国語講座を受講していた私は、ご縁あって、研究所図書室でハングル・中国語図書整理のアルバイトをすることになり、そのうち、大村研究室のTA(ティーチングアシスタント)となった。大村先生のご紹介があればこそ、1996年の延辺大学留学時代に、私のような名もなき一介の学生が、延辺ではその名を知らぬ者のない鄭判龍先生や金学鉄先生にお目にかかることができた。鄭判龍先生は、当時、延辺大学韓国・朝鮮研究所の所長でいらして、所蔵資料を閲覧させていただき、また、自宅へも遊びに来るとよいと気さくにお招きくださり、明朗かつ豪快なお人柄であったことが思い出される。
作家の金学鉄先生のお宅は、偶然にも当時の私の下宿先(河南、ハナム)のご近所だということで、サモニム(奥様)がわざわざ迎えに来てくださった。水色のパジャマ姿の金学鉄先生が――抗日戦で片足を失っておられるので、自宅ではパジャマ姿で楽に過ごしているとのことであった――、ラジオ放送を通じて、日本の最新の時事問題を非常によくご存じなことには驚かされた。私からも、今、日本で何が流行っているか、をお話しした。たしか、当時、1995年に日本公開になったばかりの米国映画の『フォレスト・ガンプ』を紹介し、トルストイの「イワンのばか」に通じる作品で、愚鈍なほどの誠実さや勤勉さが幸運を呼ぶ男の話だ、といったことを話したと思う。そこから、どう話が転んだのだったか、金学鉄先生からは、彭徳懐の人柄などについてうかがったように思う。今、思い出すと、我ながら、よくも恥ずかし気もなく、何時間もべらべらとマシンガンのように話し続けたものである。金学鉄先生は、その後、大村先生に「あんまり元気なお嬢さんで驚いちゃった」とおっしゃったとのことで、まったく面目ない次第である。
紙面の関係上、すべての方々のお名前を挙げることができないが、これまでお世話になったすべての方々に心からの感謝を申し上げる。
月日は流れ、鄭判龍先生も金学鉄先生も今では鬼籍に入られた。私もふたりの子どもの親となり、その子らも高校生と中学生になった。上の広海(ひろみ)は、東洋と西洋それぞれに留学してみたいという希望があり、下の樹(いつき)は韓国に関心が強く、対照的なふたりではあるが、いずれも、母のように、学生時代に外国に留学し、外国人の友人を持ち、海外出張や海外赴任のある仕事に就きたいと言う。忙しい母親であることを常に気がかりに思ってきたが、このような考えを聞けたことは望外の喜びである。毎日、部活で汗だくになって帰宅する子らのために、今朝も、心を尽くした手料理で夕食の準備を整えてから仕事に出ようと思う。
最後に、本書の出版にあたって、ご支援と励ましをくださった国際書院の石井彰社長に深甚なる感謝の意を表したい。また、本書の刊行にあたって、香川大学経済学会から出版助成を受けた。厚くお礼申し上げる。
なお、本書は、以下の拙稿を下敷きとしており、それぞれに加筆修正を行ったものである。
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