清原正義(島根県立大学学長)
本学では従来から「北東アジア地域学術交流研究助成金」制度を制定して本学を拠点とした北東アジア関連研究を推進してきた。このたび、共同研究プロジェクト「中国の台頭と北東アジア地域秩序の変動―中国国内統治との共振性に着目して―」(2014?2015年度、研究代表者 佐藤壮)が助成対象となり、この間、北京大学国際関係学院の諸先生方から惜しみない協力を得て国際共同研究を進めてきた。
また、本学の国際的学術交流は、故宇野重昭名誉学長が初代学長として在職中からリーダーシップを発揮して進められた。とくに北京大学国際関係学院と島根県立大学との合同国際シンポジウムは数次にわたって開催され、本書の基になったシンポジウムで通算6回となった。この間、日中関係は多様な波にさらされ強風にあおられるかのごとくであったが、本学と中国の大学との学術交流・共同研究の着実な進展は、多元化する両国関係の複合的相互依存関係深化の一端を体現化するものと言える。
本書は、上記国際共同研究の一環で実施された北京大学国際関係学院・島根県立大学合同国際シンポジウム「国際秩序をめぐるグローバル・アクター中国の『学習』と『実践』―内政・外交の共振と歴史の視点から―」(2016年3月)を基にして学術書として編集したものである。シンポジウムには、北京大学国際関係学院から王逸舟副院長、梁雲祥先生、雷少華先生に島根県立大学にお越しいただき、研究報告ならびに討論にご参加いただいた。本学大学院OBで上海外国語大学の張紹鐸先生はご都合でシンポジウム当日の来日が適わなかったが、事前に報告原稿を提出してくださった。また、国内の大学からは、中園和仁先生(当時広島大学教授、現武蔵野大学教授)に総括をご担当いただき、唐燕霞先生(愛知大学教授)にはコメンテーターとしてご参加いただいた。学内からも北東アジア地域研究センター(NEARセンター)を中心に多くの研究者に報告者、また、コメンテーターとしてご参加いただいた。シンポジウムにご参加いただいたこれらの諸先生方に心から厚く御礼申し上げる。
故宇野重昭先生は、本共同プロジェクトの立ち上げ以来、高い関心をお寄せくださり、ご高齢にもかかわらず先のシンポジウムでも基調講演をおこなっていただいた。本書の刊行にあたって、ご講演の原稿を改訂し、新たな論文として世に問われたいお気持ちが強かったと伺っている。本書に掲載した基調講演がご遺稿となったご無念はいかばかりであろうか。宇野先生は晩年、「北東アジア学創成シリーズ」(国際書院)第1巻でご著書『北東アジア学への道』(2012年)を刊行なさった後も旺盛な研究意欲でわたくしたちを圧倒し、日本は言うに及ばず、中国においても北東アジア研究を牽引し、広く尊敬を集められた。宇野先生の安らかなご永眠を心よりお祈り申し上げる。
本書の刊行にあたって、「北東アジア地域学術交流研究助成金」の出版助成金および「公立大学法人島根県立大学 学術教育研究特別助成金」から助成を受けた。ここに記して感謝の意を表する。また、学術出版情勢が厳しさを増す中、本書の刊行をご英断くださった国際書院の石井彰社長のご尽力および出版関係者の皆様のご協力に心から厚く御礼申し上げる。
佐藤 壮
本書の中心的課題は、大国として台頭する中国が、21世紀の国際秩序の変動期にあたり、北東アジア諸国間関係や地域秩序にどのような影響を与えるのかを検証することである。本書は、外交政策と内政の相互作用に着目しながら、各章の執筆者が専門とする国際政治理論、中国政治論、東アジア国際政治史のアプローチを適用し、中国の「大国外交」に内在する論理や、外交政策の基盤となる内政上の課題、東アジアの大国の興亡の歴史的教訓を明らかにしようと試みる。習近平政権下で活発化する中国の積極外交には国内外の専門家はもとより一般的な関心も高い。加えてトランプ米政権誕生後1年が経過しても視界不明瞭な日米中関係や北東アジア秩序を考察するうえで、議論の一角を占めることができれば幸いである。
本書は、2016年3月5日、6日に開催された島根県立大学・北京大学国際関係学院国際合同シンポジウム「国際秩序をめぐるグローバル・アクター中国の『学習』と『実践』―内政・外交の共振と歴史の視点から―」を基にしている。本書に収録された論文は、シンポジウム終了後、報告者がそれぞれの原稿に加筆修正を施したものである。
本書の構成及び要旨は以下の通りである。
基調講演は、現代中国が置かれた国内外の環境に着目し、現状と課題を検討している。
第1章「中国が直面する新たな課題と可能性: 国内的側面を重視した一分析」(王逸舟)では、習近平政権の指導部が国内社会の大きな構造転換に直面している現状を指摘し、中国が大国外交を推進するには国内社会・経済的基盤の安定が不可欠であるとの観点から、構造転換における課題に検討を加えている。第一に、中国社会が「超大型」であるがゆえに、地方におけるガバナンスのあり方に困難がある一方で、政府が進める周辺外交の対象となる周辺諸国と中国国内の地方が結節点となる(「非中央外交」)ことで生じる経済上の利点への可能性が指摘される。第二に、中国共産党の執政制度下で中国外交が展開されることに目を向けつつ、イデオロギー色が薄まる一方で問題解決指向性と実利指向性の強さと歴史的遺伝子の継承にも着目する。第三に、経済活動の国際化や大衆メディアの活況が国内社会に躍動感をもたらしており、対外開放が国内に引き続き好影響をもたらすと期待を寄せる。第四に、現状、中国社会は転換を要請されており、たとえば、経済成長の富の再分配、国内格差の是正、産業構造の転換、市民的権利の充足、国際基準に呼応する開放的な国内的法の支配の実現など諸課題への対処が必要であると指摘される。
第2章「変動期の国際秩序と「中国の夢」: 一極の時代から多極の時代へ」(宇野重昭)では、現代の国際秩序が従来のような欧米中心のものに一義的にまとまる時代ではなく、中国、東南アジア、イスラム世界などがそれぞれの原則を持ち寄りつつ利益調和に沿う新たな国際秩序の多義性が試されていることが指摘される。一方、日本(人)の外交観、国際秩序観が一義的理解にとどまり、複数の正義が同時に存在する国際秩序の多義性への理解が不足していると論じる。また、中国の転換期を論じた第1章の王逸舟論文の示す中国の国際秩序観が、協力、交流、対話などの平和的手法を旨とすることを評価し、王氏が現代中国を中国の歴史的文化、西欧近代の影響、マルクス・レーニン主義の3色を融合させた色調を持つと指摘する点に特徴を見出す。宇野教授は、習近平指導下の中国が転型期の変化の下にあるという文脈で「中国の夢」論の歴史的位置づけを検討し、狭隘な民族主義の夢から「進歩的な人類の夢」という表現が生まれていることに着目する。中国外交の一帯一路構想や中東への進出に、国際秩序への新たな関わり方の可能性を見出しつつも、国内基盤の不十分な中国の外交選択の限界が指摘される。今後、西欧・日・中国・第三世界などの良質な側面が選択され、相互補完する多義的国際秩序が構成されることに期待をにじませる。
第1部「21世紀におけるグローバル・アクター中国」では、現代中国外交の国際政治における位置づけを考察する。
第3章「新世紀におけるグローバル化趨勢下の中国外交の選択」(梁雲祥)では、建国後の中国外交の歴史的変遷とその特徴を明らかにする。中国外交を規定する基本要素として、安全保障(対外的および国内体制維持)、イデオロギー、国家統一(台湾、チベット、新疆ウイグル自治区等)、経済発展、大国意識をあげた上で、中国外交における3つの歴史的区分を紹介する。第一期は毛沢東時代の革命外交であり、安全保障とイデオロギーが中国外交を規定する最重要要素であった。第二期は、鄧小平時代の経済発展重視外交であり、第一期と比較すると安全保障上の懸念は薄れ、イデオロギー色も薄まる一方で、改革開放の実施に伴う経済発展の外交政策へと転換した。第三期は、鄧小平時代の経済発展政策を継承しつつ、ポスト鄧小平時代の大国外交に入る。大国意識を反映して「韜光養晦、有所作為」が唱えられるなか、国家利益の追求、愛国主義、ナショナリズムが中国外交の要素として見出せると指摘する。梁教授の分析では、現代中国外交は、新安全保障観に基づく経済連携や多国間協調を基調としつつも歴史的な失地回復を志向する側面を持つことが重視されることが明らかとなっている。
第4章「グローバル・アクター中国の対外政策とマルチラテラリズム」(佐藤壮)では、中国は米国が主導する既存の自由主義的覇権型秩序の枠内で経済成長を遂げたが、興隆する新興大国として国際秩序にどのような影響を与えるのか、決定的な対立を回避して平和的に秩序変動を乗り切ることが可能なのかという問題関心のもとに、中国をグローバル・アクターとして位置づけ、中国が多国間枠組みにおいて「学習」と「実践」を往来しながら展開する対外政策をマルチラテラリズム(multilateralism、多国間主義)の観点から分析する。そして、自ら新たな国際政治経済秩序の萌芽とも言えるアジアインフラ投資銀行設立や「一帯一路」構想など開発優先主義とも言える独自の国際秩序構想を提起するに至ったと分析する。
第2部「中国外交の国内政治社会基盤とガバナンス」では、中国の内政や社会基盤に着目し、国内統治の状況がどのように中国外交に作用しうるかを検討する。
第5章「現代中国外交における国内政治の根源」(雷少華)では、中国外交の基本原則を、利益を核心とする実用主義、他国の内政への不干渉、中国の国家利益と無関係の国際的な道義責任への関与回避にあると指摘する。その上で、中国外交が一貫して執政党としての中国共産党の権力基盤強化に作用することが核心とされていることが示される。雷氏は、改革開放以後の高度経済成長を支えた経済発展のモデルを中国共産党による一元化領導と市場経済導入の融合に求め、社会に安定をもたらしたと評価する。1994年に導入された分税制改革は、中央と地方の関係を事実上の連邦構造へと変化させ、政治、経済、文化等の多元化要素を含む中央、地方、民間等多岐に分かれた総合的外交ルートが形成されたとみる。他方で、中国の経済改革は国家―社会関係を変革し、都市部での単位制および農村部の集団制の崩壊を招いた。こうした国内社会の状況を踏まえて、現代の中国政治が直面している内外の課題として、指導者の交代、経済成長の鈍化、原子化社会の利益多元化、周辺の安全保障環境の変化、国内テロリズムへの懸念をあげる。現代中国外交はこうした国内的・対外的課題に対応するため、利益を核心とする実用主義を採用すると分析する。
第6章「習近平政権における国内政治の諸動向と対外政策へのインプリケーション: 「人民」統合の過程を中心にして」(江口伸吾)では、中国が大国として国際政治場裏で台頭する一方で、国内社会の脆弱性に対処する習近平政権による統治能力強化が観察されることを指摘し、外交政策と国内政治をリンケージ・ポリティクスの視点に立って分析する必要性が否応なく高まっていることを論じる。江口教授は、習近平政権による国内政治社会でのリーダーシップ強化が、「人民」からの支持調達を活用して政治改革を断行する大衆路線の特徴を持つことに着目し、ポピュリスト的権威主義体制構築へと向かうと論じる。こうして習近平政権は強力なリーダーシップを確立し外交問題を安定的にコントロールできる国内政治基盤を築き上げたが、大衆路線で調達した「人民」の動向に束縛されやすいという側面も抱え込んだと指摘する。
第3部「中国の国際秩序観と歴史の教訓」では、中国外交を歴史的潮流の中に位置づけて国際秩序との関連性を外交史と国際関係史のアプローチから論じ、どのような歴史的な教訓を得られるのか考察する。
第7章「中国とアメリカの国交樹立プロセスにおける台湾問題(1977-1979): アメリカ外交文書に基づく考察」(張紹鐸)では、カーター政権期の米中国交樹立プロセスにおける台湾問題をめぐるせめぎ合いがアメリカ、中国、台湾の外交文書および関連資料を用いて叙述される。カーター大統領は、就任直後から米中国交樹立への明確なビジョンを描けずにいたが、政権内部では中国による台湾への武力不行使とアメリカによる台湾への武器売却継続を中国側が黙認することが不可欠であるとの方針が大勢を占めており、1977年8月のヴァンス国務長官の訪中も中国側の態度硬化を招いただけに終わった。1978年初頭、鄧小平が民主党議員を通じて米中国交正常化への意欲を伝えると、かねてから米中関係正常化積極派のブレジンスキー国家安全保障問題担当大統領補佐官は、1972年の上海コミュニケを起点とした国交正常化方針を中国側と確認し、アメリカ中間選挙後の1979年1月1日の国交樹立を目指して中米交渉を加速させた結果、駐台米軍撤退と米華相互防衛条約の1年以内の失効、その後の台湾への武器売却再開を公然としない方針で妥協的な合意に至った。
第8章「近代日本外交における『学習』をめぐって」(石田徹)では、「歴史の教訓」の事例として、1920年代以降の日本では当時の「国際状況・国際秩序」の何を「学習」し、そして「実践」に移したのかを検討して、そこからどのような「教訓」を引き出しうるのかについての問題提起を行っている。とくに、外交に従事していた外交官と外交や「外交秩序」を議論した専門家(学者・思想家など)に注目し、幣原喜重郎、重光葵、東郷茂徳、?山正道、三木清の他、「幣原外交」を真っ向から批判する「田中外交」を推進した政治家として森恪を取り上げている。日本政治外交史の観点から、本章で取り上げた専門家や政治家が「ワシントン体制」、「満州事変」をめぐって展開した議論をつぶさに検討する。本章は、近代日本外交が「東亜新秩序」や「大東亜共栄圏(構想)」を提唱する前段階の時期に、「旧外交」の受容、その「学習」の成果としての「幣原外交」、その「破綻」の序曲としての「満洲事変」、終曲としての「東亜新秩序」という流れを経たことが指摘され、当時の外交論・秩序論に潜む現状追認の志向性が明らかにされている。
以上の論文に加えて、本書は、座談会及びインタビュー記録も掲載した。いずれも北京大学国際関係学院の研究者が、大国中国について縦横に議論を展開したものである。2014年に実施したもので少し時間が経過している点は否めないが、過渡期にある時期の現状認識がありありと表出されており、掲載する価値があると判断した。
座談会「大国中国: 国家主権と国際社会における責任」(2014年9月8日、於北京大学国際関係学院)では、(1)過渡期にある大国としての中国の自画像、国家アイデンティティ、世界観、(2)国際公共財のガバナンスに対する中国の関与のあり方と主権・責任の関連性、(3)近現代以前の華夷秩序・朝貢・互市を通じた中華的秩序形成と、現代中国が形成途上にあると思われる国際秩序とを比較して分析することは有効か、を主な論点として、日中の研究者が意見交換した。
インタビュー記録(2014年9月)は次の3つを掲載した。「インタビュー記録(1)」で賈慶国・北京大学国際関係学院長は、米中関係と東アジア秩序の相互作用に関して、とくにアメリカのアジア回帰・リバランス戦略と米中間の「新型大国関係」構築、安全保障と経済協力の緊張関係、法化が進展する国際経済秩序への中国の姿勢、外交政策と世論形成など多岐にわたる観点から検討する必要性を示唆した。
「インタビュー記録(2)」で王逸舟・北京大学国際関係学院副院長は、氏の持論である「創造的介入論」について議論し、中国外交を支える基盤強化のための国内改革の必要性や「大国としての風格」を備えた対外行動が国際社会における責任につながることが示唆された。
「インタビュー記録(3)」で潘維・北京大学国際関係学院教授は、「中国模式論」の第一人者として、国内改革の現状を分析する視座として、市場化・法治・人民主義という観点の重要性を提示した。
Copyright © KOKUSAI SHOIN CO., LTD. All Rights Reserved.