アジア環太平洋研究叢書 3 サハリン残留日本人と戦後日本: 樺太住民の境界地域史

中山大将

サハリン残留日本人とはいかなる経験をした人々なのか。境界変動は住民にいかなる影響を与えるのか。外交文書、市民団体資料、聞き取り調査を基に〈国境と国民の時代〉を住民の視点から再考する。(2019.2.28)

定価 (本体3,500円 + 税)

ISBN978-4-87791-296-3 C3031 389頁

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目次

著者紹介

中山大将(NAKAYAMA Taisho)

京都大学東南アジア地域研究研究所助教、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター境界研究共同研究員、京都大学博士(農学)。1980年北海道生、2010年京都大学大学院農学研究科博士後期課程修了、その後、京都大学大学院文学研究科GCOE研究員、日本学術振興会特別研究員PD(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター所属)、京都大学地域研究統合情報センター助教を経て、2017年1月より現職。

主要研究業績として、中山大将『亜寒帯植民地樺太の移民社会形成:周縁的ナショナル・アイデンティティと植民地イデオロギー』(京都大学学術出版会、2014年、日本農業史学会賞受賞)、中山大将「サハリン残留日本人: 樺太・サハリンからみる東アジアの国民帝国と国民国家そして家族」蘭信三編著『帝国以後の人の移動: ポストコロニアルとグローバリズムの交錯点』(勉誠出版、2013年)、中山大将「台湾と樺太における日本帝国外地農業試験研究機関の比較研究」『日本台湾学会報』(第20号、2018年)、NAKAYAMA Taisho, “Japanese Society on Karafuto,” in ed. Svetlana Paichadze, Philip A. Seaton, Voices from the Shifting Russo-Japanese Border: Karafuto/Sakhalin (Oxon: Routledge, 2015)ほか監修資料集として、авт.-сост. А.А. Бычскова, Я.Е. Габриков, Ю.И. Дин, научые редакторы. М.С. Высоков, М.И. Ищенко, Т. Накаяма, Перепись Населения Карафуто 1920 г. (Южно-Сахалинск: ОАО «Сахалинская областная типография», 2017)などがある。

まえがき

アジア環太平洋研究叢書シリーズの刊行にあたって

ベルリンの壁の崩壊から30年になろうとしている今日、世界全体としても、またその様々な地域においても、20世紀後半に形成された秩序や状態は激しく動揺している。

現時点において、世界レベルで覇を競い合う能力を有するアメリカ合衆国と中国との間に、大国間の戦争を回避するという世界秩序にとって最低限の了解が成立しているか否かについて、我々は確証を持てる状態にはない。また、国家と社会のレベルでも、前世紀の間に追求され限界に達した福祉国家型の社会経済発展モデルに代わる新たなモデルや理念を構想することに成功していない。福祉国家型のモデルの代替として、市場経済原理を徹底させる新自由主義(ネオリベラリズム)経済路線の導入が世界各地に広まった。しかし、市場原理の貫徹のみを追求すれば、一握りの「勝者」と多数の「敗者」が生まれ、格差や貧困層の拡大と中間層の凋落といった事態が引き起こされることが明らかとなった。

そうした中で、20世紀の終わりに世界の隅々にまで行き渡るかに見えた自由民主主義の原理に基づく政治の枠組みをめぐって、第二次世界大戦後にそれが定着した西ヨーロッパやアメリカ合衆国など先進諸国を含め、そのあり方が問われる現象が発生している。その枠組み自体が毀損する例も観察される。こうして、世界と地域、国家と社会、いずれのレベルでも縦、横に入った亀裂が深まり、既存の秩序やあり方が融解する現象が共時的かつ共振的に起きている。しかもそれは、政治、経済、社会の位相に跨って進行している。

我が国が位置する東アジアは、そうした世界の状況が最も先鋭的に現れている地域であり、中東などとならんで、いまや「世界の火薬庫」と化しつつある。アジアはもともと、国際秩序の制度化の面でヨーロッパのレベルには達しなかった。ヨーロッパでは、大国を中心とする階層構造が現実政治の世界では形成されたものの、17世紀以降、平等な主権を規範とする諸国の間での対等な関係が原則とされ、水平的な関係性に基盤をおく慣行を蓄積するという意味での制度化が進んだ。これに対し、アジアでは、大国中国を頂点とする垂直的な朝貢関係が19世紀まで存続したが、19世紀の帝国主義時代に、ヨーロッパやアメリカ合衆国の列強の介入により崩壊した。その後は、二つの世界大戦をへて、20世紀後半に、東西冷戦の下での暫定的な均衡状態が生まれ、維持された。東西冷戦の終焉とその後の展開は、その暫定的な均衡状態を形成、維持した条件に大幅な変更を加えることになり、情勢があらためて加速的に流動化した。

前世紀に展開した世界は、ヨーロッパに起源を持ち、その後アメリカ合衆国を含む世界大へと拡大した近代化の過程で構築された。その世界では、ヨーロッパやアメリカ合衆国が「文明圏」を形成し、その領域以外は混沌とした「野蛮な領域」として認識された。そして、前者を頂点とする一元的な原理に基づく秩序化が志向されてきた。20世紀の最後には、アメリカ合衆国による「一極支配」の下で、市場経済と自由民主主義が支配的となる世界の方向性が演出された。中長期的な傾向にはならなかったそうした状況は、近代以降のヨーロッパを発信源とする歴史動態の究極的な現れだったのかもしれない。

そして、それが潰えた現在、一元的近代化の過程は終結し、一定の領域に影響力を有する複数の権威の中心が併存する世界へと再編される可能性が出てきている。それは世界が多元・多層を基本的な特徴とする柔構造を備えた共存空間となる可能性である。国家や社会についても、20世紀までのような一元性ではなく、多元あるいは多層が基本となる。統治や資源配分、社会、帰属意識など人間による諸活動がゆるやかに全体を構成しつつも中心となる機能は分節的な形で実効性が確保され、同時に機能の範囲に応じて多層的な構造を形作るといったイメージである。世界、国家、社会の各レベルにおいて、多元・多層を基本とする複合的な磁場が形成されることが考えられる。

いずれにしても、現時点では、今後の世界秩序の具体的な方向性やあり方について、何らかの確信に基づいて多くを語ることは困難である。拙速に陥ることなく、しかし悠長な時間の余裕はないことも念頭に置きつつ、我々は学問的探究を進める中で、21世紀世界の新秩序を構想していかなければならない。構想にむけては、世界レベルで覇権をめぐって争う能力を持つ大国の関係ならびにそれ以外の国々の発展と国際舞台での行動のあり方という二つの次元が複雑に絡み合って織り成される実践現場での多様な日常的営為を、注意深く、いわば鳥の目・人の目・虫の目をもって多角的に観察する必要があろう。そして、そこで紡ぎ出される制度─ある社会の成員によって、ある目的を達成するために正統と認められている了解・合意事項、行動定型、規範・ルール、慣習─を見出し、あるいは制度構築のための環境整備に貢献し、それらを丁寧に繋ぎ合わせて地域大、世界大の秩序形成へと発展、展開させなければならないだろう。それは、環大西洋世界で発展した既知のパラダイムを代替する「アジア環太平洋パラダイム」となるのではなかろうか。

本シリーズは、以上のような展望の下に展開する学問的営為の軌跡を記し、21世紀世界の新秩序を構想することに少しでも寄与することを目指すものである。

2018年3月31日

村上勇介・三重野文晴

はじめに

いかなる理由があるにせよ、戦後今日まで皆さんをお迎えできなかったことをお詫びします

これは1990年9月に行なわれたサハリン残留日本人の第2次集団一時帰国団を出迎えた稚内市の浜森辰雄市長が発した言葉である*1。本書をこの言葉から書き起こすのは、この言葉がふたつのことを想起させるからである。

ひとつは、サハリン残留日本人問題とは〈戦後日本〉の問題だということである。〈アイヌ問題〉や〈在日朝鮮人問題〉が、日本社会における、あるいは日本社会との問題であるようにサハリン残留日本人問題もサハリン残留日本人単独で存立する問題ではなく、〈戦後日本〉および〈戦後ソ連〉とサハリン残留日本人の間にある問題なのである。

そしてもうひとつは、かつて大泊と呼ばれたコルサコフを出港し稚内に着港したこの一時帰国団が1945年8月のソ連樺太侵攻以降絶えて久しかった〈稚泊航路〉の再現でもあったということである。1945年8月に宗谷海峡上に突如出現した日ソ間の境界は、それまで樺太と〈内地〉の〈中継地点〉であった稚内を〈日本最北の地〉、つまりは〈行き止まり〉に転じさせてしまった。サハリン残留日本人が、あるいはその親が渡った宗谷海峡に越境困難な境界が発生したこと、それがサハリン残留日本人をサハリン残留日本人たらしめたのである。しかし、同時に想起すべきは〈稚泊航路〉がかつて存在していたのは、平和的に締結された樺太千島交換条約によって画定された宗谷海峡上の日露国境を日露戦争とその講和条約であるポーツマス条約によって北緯50度線まで押し上げたからだということ、そして、再び宗谷海峡に境界が発生したのはその50度線境界が今度はソ連軍によって押し下げられたからだということである。

本書の研究の関心の根幹は、境界変動を経験してきた〈境界地域〉において人々はいかなる経験をしてきたのか、とりわけ境界変動が人々の〈生〉にいかなる影響をあたえるのか、ということである。多くの場合、サハリン残留日本人の存在は〈戦争〉の〈悲劇〉の一形態として語られ、理解されてきた。しかし、同様の事態を今後日本社会が、あるいは人類が引き起こさないために、そしてそのために〈サハリン残留〉という現象を憐憫、同情、共感を越えて理解するために、それで充分なのであろうか。

ソ連樺太侵攻という〈戦争〉は確かに〈残留〉の〈発生〉の発端となったが、〈残留〉の原因そのものではない。もし1949年7月まで行なわれていた〈引揚げ〉でひとり残らず住民が退去していれば〈残留〉は発生しなかったはずだからである。そしてまた、なぜ〈残留〉はかくも長く〈継続〉したのであろうか。

サハリン残留日本人問題が戦後日本で関心を呼ぶようになったのは1980年代末、つまりは冷戦末期以降である。〈残留〉が〈戦争〉と固く結び付けられてしまうのは、この長い〈冷戦〉を戦後日本が記憶せず忘却していたからである。記憶されなかったのは鉄のカーテンの向こう側からの情報が絶えていたからである。しかし、サハリン残留日本人たちはその時代を生きていたのである。スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ…ソ連最高指導者たちの名前とともに時代時代の特徴が記憶され、昭和21年は存在せず、ただ1946年のみが存在する。そして日本国外交史料館には、冷戦期の日本への帰国や樺太墓参をめぐる駐ソ日本国大使館と外務省本庁の間でやりとりされた膨大な外交文書が残されている。

サハリン残留日本人たちの声に耳を傾け、厖大な外交文書を繙くことで、我々はこの〈継続〉を生み出したものを理解できるかもしれない。本書が心がけるのは、サハリン残留日本人個人やあるいは集団の内面や内部ばかりを掘り下げるのではなく、常に〈戦後日本〉との関係性を問うということである。

サハリン残留日本人は〈悲運のヒロイン〉なのであろうか。個々人のエピソードに目をとらわれていると確かにそう見えるかもしれない。しかし、集団として見たときに、そして時代や地域を越えて類似した現象を視野に入れた時に、それは〈悲運〉ではなく、〈国境と国民の時代〉たる近現代世界において起こるべくして起きたことであると理解できるようになる。社会全体が交通事故を個人的〈悲運〉として処理する限り交通事故は減少しない。それが反復性のある現象であり、その発生のメカニズムが自分たちの社会の中に潜んでいるという認識に立って初めて交通事故の防止が可能となるのである。

また、サハリン残留日本人個々人を〈悲運のヒロイン〉とまなざす時、それは一人間、一人格と向き合っているのではなく、社会がいつの間にか与えた配役に沿ってひとりの人間の〈生〉を切り取っているのでのではないか。どこにでもいるある個人が境界変動によって何を体験したのか、そしてそれを我々はどのように理解することができるのか、それが本書の問いかけである。

本書の理論的出発点は日本の歴史研究、とりわけ日本植民地研究への懐疑である。筆者自身も日本植民地研究という研究群を意識して歴史研究を行なってきた者のひとりであることは間違いないし、それらが人類に益する数多くの知見を生み出してきたことは否定しない、そして日本植民地研究が東アジア近現代史に与えた影響力や提供した観点の豊富さも否定しようがない。しかし、それゆえにこれからの〈人間〉の歴史としての東アジア近現代史の展開のために、これからも日本植民地研究が同様の役割を果たして行けるのかという問題について懐疑的であり、より直截的に言えば、むしろ逆行するような現象が起きているようにさえ感じられていたからである。

そうした中で出会ったのが〈境界研究〉という研究分野であった。自分が〈人間〉の歴史を追い求めて目を向けていたサハリンという地域を〈境界地域〉ととらえ、その歴史的事象を境界変動からとらえ直し、地域間の普遍性と特殊性を考究することで、新しい時代にあるべき〈人間〉の歴史を求めることができるのではないかと期待したのである。なぜならば、境界地域とは、国民や国境といった近代的概念がゆらぐ契機が多分に潜んでいる地域だからである。

このように、本書は先行研究や社会問題から導かれる特定の命題に回答を与える形をとる研究書ではない。最大の目的は、サハリン残留日本人の事例を通して、境界地域に生きる人々に境界変動がいかなる影響を与えたのかを明らかにすることである。ただし、次の事柄については、これまで明らかにされてこなかったことを明らかにしたという意義が充分に認められるものと思われる。第一に、近現代東アジアにおける〈残留〉現象の時間縦断的、地域横断的普遍性(第2章)、第二に、サハリン残留日本人の総数、性別や出生年、残留背景などの内訳、その時間的推移(第4章)、第三に、冷戦期帰国の実像(第5章)、第四に、冷戦期帰国の1965年以降の停滞と1977年以降の途絶の背景(第6章)、第五に、冷戦期の樺太墓参の実像(第7章)、第六に、サハリン残留朝鮮人帰国促進運動がサハリン残留日本人のポスト冷戦期帰国運動に与えた影響(第8章)、第七に、引揚者団体ではない新たな団体がサハリン残留日本人のポスト冷戦期帰国運動を担った背景(第8章)、である。もちろん、歴史研究とは永遠の再検証の過程である以上、これらが今後の新たな研究を惹起するための土台となることを切に願う。

なお、第1章と第2章は理論的検討を行なう部分であるため、そうした学術的議論よりもまずはサハリン残留日本人自体に関心がある場合は、第3章から読み始めることも可能であり、なおかつ第3章は戦後サハリン史の概要を本書の目的に沿って叙述するのが役割であるので、戦後サハリンについてある程度の知識がある場合は、第4章から読み始め、再度第1章、第2章の理論的検討へ立ち戻るというのも本書のもうひとつの読み方である。

また、本書を読めば理解できるように、サハリン残留日本人とサハリン残留朝鮮人は密接に関係しあっているし、そもそもサハリン残留日本人の中にはサハリン残留朝鮮人とも呼び得る人々も存在する。したがって、書題において〈サハリン残留日本人〉と特定の国民/民族集団を主題化することは、過分に国民国家主義的であるという批判もあり得ようが、これについては以下の点を考慮した上での判断である。第一に、現象を主題化し〈サハリン残留〉という類の書題をつけることについては、すでに近年に研究者による同様の書題の書籍*2が刊行されており、これとの混同を避けるため、第二に、朝鮮人等も含めた〈サハリン残留者〉という呼称を書題に採用することも可能であるが、日本語圏に限らず、ロシア語圏、韓国語圏、英語圏でも〈サハリン残留朝鮮人(韓人)〉や〈サハリン・コリアン〉が主題化されている*3のに対して、サハリン残留日本人が学術的に単独で主題化されたことは少なく、その意義があると判断したためである。第1章でも述べるように本書におけるサハリン残留日本人とはエスニック・グループやディアスポラを指しているわけではない。本来は〈サハリン残留内地・樺太本籍者〉と呼称すべきであるが、書題や頻出する用語としては不適切と考え本書ではこの呼称を採用しなかったことをあらかじめ断っておく。

本書は筆者のこの10年近くにわたる研究の成果であるため、すでに一部の研究成果は論文等の形で刊行されている。そしてその一部は本書にも活かされている。ただし、新たな資料や観点からの再検証やひとつの書籍としての再構成などの作業を経て加筆修正の上でところどころに埋め込まれる形になっている。したがって、章や節単位で初出一覧として提示することは困難であり適切ではないと思われるので、あくまで関連既刊論文・学術会議報告一覧として掲げておく。

関連既刊論文一覧

  • 「樺太移民社会の解体と変容: 戦後サハリンをめぐる移動と運動から」『移民研究年報』第18号、2012年。
  • 「サハリン残留日本人: 樺太・サハリンからみる東アジアの国民帝国と国民国家そして家族」蘭信三編著『帝国以後の人の移動: ポストコロニアルとグローバリズムの交錯点』勉誠出版、2013年。
  • 「サハリン残留日本人の冷戦期帰国: 「再開樺太引揚げ」における帰国者と残留者」『移民研究年報』第20号、2014年。
  • 「サハリン韓人の下からの共生の模索: 樺太・サハリン・韓国を生きた樺太移住韓人第二世代を中心に」『境界研究』第5号、2015年。
  • 「離散をつなぎなおす: なぜサハリン残留日本人は帰国できたのか」秋津元輝・渡邊拓也編著『変容する親密圏/公共圏12 せめぎ合う親密と公共: 中間圏というアリーナ』京都大学学術出版会、2017年。

関連学術会議報告一覧

  • “One Home, Two Empires, Three Nations: Japanese and Korean Repatriation from Karafuto and Persistence in Sakhalin,” Association for Asian Studies&International Convention of Asia Scholars, April 2, 2011, Hawaii Convention Center, USA.
  • “Exile to Motherland and Exile to Hometown: Repatriating from Karafuto and Remaining in Sakhalin” (Session 1-13), The XII International Scientific Meeting on Border Regions in Transition November 13, 2012 Fukuoka, Japan.
  • “Borderland People at the Edge of Eurasia: Sakhalin Island and Changing Border,” Panel 22 Mobility Makes the Heart Grow Fonder?: Migration, Repatriation, and Border Crossing Phenomena in Eurasia, Association for Borderlands Studies Annual Conference 2013 at Western Social Science Association 55th Annual Conference, Grand Hyatt, Denver, Colorado, USA, April 12th 2013.
  • “Japanese and Koreans on Sakhalin Island: Border Changes and Ethnic Relationships,” Session B-1 Border-crossing and Ethnicity, East Asian Anthropological Association 2013 ‘Cultural Realms and Boundaries Crossing,’ Xiamen University, People's Republic of China, November 15 2013.
  • 「サハリン帰国者と日本: 冷戦期・ポスト冷戦期における樺太残留邦人帰還問題」日本移民学会第24回年次大会自由論題報告、和歌山大学、2014年6月29日。
  • 「サハリン島の境界変動と樺太の〈戦後〉: 引揚げ・帰国・残留・移住」ワークショップ 戦後直後の引き揚げと境界(共催: 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院、神奈川大学・プランゲ文庫研究会)、北海道大学遠友学舎、2014年7月21日。
  • “Land or People?: The Organization of Japanese Repatriates from Sakhalin(Karafuto)and the Remaining Japanese and Koreans of Sakhalin,” Panel 43 Transborder Challenges: Realities and Construction, Association for Borderlands Studies Annual Conference 2015 at Western Social Science Association 57th Annual Conference, Marriot Portland Downtown Waterfront, Portland, Oregon, USA, April 11th 2015.
  • 「樺太・サハリンにおけるエスニック・グループ間関係: 記憶の中の共生」日本文化人類学会第49回研究大会分科会A(1)「多元的結合と下からの共生: アジアにおける移民・難民の視点から」大阪国際交流センター、2015年5月30日。
  • 「近現代東アジア境界地域における残留現象の比較相関研究」日本移民学会第27回年次大会自由論題報告、東洋大学白山キャンパス、2017年6月25日。
  • 「東アジアにおける境界変動と人口移動の中の日本人引揚げの位置」日本移民学会第27回年次大会パネル報告「引揚研究の可能性を探る: 今泉裕美子ほか編(2016)『日本帝国崩壊期「引揚げ」の比較研究』を手掛かりに」、東洋大学白山キャンパス、2017年6月25日。

*1: 「結成から1年、ご協力によってサハリン問題は大きく展開」『促進会ニュース』第10号(1991年1月1日)、4頁。

*2: パイチャゼ スヴェトラナ、玄武岩『サハリン残留: 日韓ロ百年にわたる家族の物語』高文研、2016年。

*3: 近年の研究成果として、玄武岩『コリアン・ネットワーク: メディア・移動の歴史と空間』(北海道大学出版会、2013年)、Дин Ю.И., Корейская диаспора Сахалина: проблема репатриации и интеграция в советское и российское обществ (Южно-Сахалинск: Сахалинская областная типография, 2015), 한혜인「사할린 한인 귀횐을 둘러싼 배제와 포섭의 정치: 해방 후~1970년대 중반까지의 사할린 한인 귀환 움직임을 중심으로」(『史學研究』第102號、2011년), 이연식, 박일권, 오일환『책임과 변명의 인질국: 사할린한인 문제를 돌러싼 한・러・일 3국의 외교협상』(채륜, 2018년), Lim Sungsook, The politics of transnational welfare citizenship: kin, state, and personhood among older Sakhalin Koreans (Dissertation submitted in partial fulfilment of the requirements for the degree of Doctoral of Philosophy in The Faulty of Graduate and Postdoctoral Studies, The University of British Columbia, 2016)などが挙げられる。

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