制水権 軍は水を資源化する
「制水権」概念を導入し、軍による制水権をアメリカ軍および旧日本軍の事例から分析し、水が世界的に軍事資源化することによって、市民による平和的な水管理が縮小しうることを警鐘する。(2021.3.31)
定価 (本体4,200円 + 税)
ISBN978-4-87791-310-6 C3031 289頁
-
- はじめに
- 略語一覧表/付記/図表所在一覧
-
- 序章 本研究の問題認識と本書の構成
- 第1部 本研究の理論的視座
- 第1章 制水権を論じる意義
- 第1節 戦略資源としての水の位置付け
- 第2節 リサーチ・クエスチョン
- 第3節 先行研究と分析アプローチ
- 第1項 軍事戦略論からのアプローチ
- 第2項 ナラティブ・アプローチ
- 第3項 戦史アプローチ
- 第4項 国際人道アプローチ
- 第4節 制水権とその領域
- 第1項 コーベットの海洋戦略論と制水権
- 第2項 水路
- 第3項 給水
- 第4項 水インフラ破壊
- 第5項 アメリカ軍のロジスティクス
- 第6項 アメリカ軍の水衛生
- 第7項 制水権の定義
- 第2章 水のグローバル・ガバナンスと戦時国際法
- 第1節 グローバル・ガバナンスの問題点
- 第2節 水のグローバル・ガバナンスの展開
- 第3節 戦時国際法における水保護
- 第1項 戦時国際法の展開
- 第2項 化学兵器および生物兵器禁止規範のなかでの水保護
- 第3項 戦時水保護規範の新規性
- 第4節 小括
- 第1章 制水権を論じる意義
- 第2部 制水権の展開
- 第3章 アメリカ軍の制水権の起源
- 第1節 アメリカ陸軍工兵隊とは
- 第2節 水路をめぐる先行研究
- 第3節 建国初期における水路
- 第4節 米英戦争と内国改良
- 第5節 水路開発への軍の関与のはじまり
- 第6節 小括
- 第4章 外地におけるアメリカ軍の制水権
- 第1節 アメリカの対外軍事進出
- 第2節 ハワイの軍事拠点化
- 第3節 日本占領におけるアメリカ軍の給水戦略
- 第1項 横浜占領における給水
- 第2項 日本の衛生状況に関するアメリカ軍の認識
- 第3項 上下水道復旧へのアメリカ軍の関与
- 第4項 アメリカ軍による水道管理
- 第4節 小括
- 第5章 アメリカ軍の制水権と水インフラ破壊
- 第1節 ダムとエア・パワー
- 第1項 エア・パワーの登場
- 第2項 ダムの軍事目標化
- 第2節 第二次世界大戦と朝鮮戦争での水インフラ破壊
- 第3節 国際人道法による戦時水保護規定の成立
- 第1項 戦時水保護規定の成立要因
- 第2項 戦時水保護規定の内容
- 第4節 戦時水保護規定に内在する諸問題
- 第5節 戦時水保護規定成立以降のアメリカ軍の制水権
- 第1項 戦時水保護規定へのアメリカ軍の対応
- 第2項 湾岸戦争におけるアメリカ軍の制水権
- 第3項 非国家武装組織とアメリカ軍の制水権
- 第6節 小括
- 第3章 アメリカ軍の制水権の起源
- 第3部 旧日本軍の制水権
- 第6章 旧日本陸軍の制水権の展開
- 第1節 国家総動員と水
- 第2節 日清戦争期の陸軍と軍事衛生
- 第3節 1930年代における陸軍と軍事衛生
- 第4節 制水権の破綻と防疫給水部
- 第5節 小括
- 第7章 旧日本海軍の呉における制水権の角逐
- 第1節 呉軍港と軍用水道
- 第2節 呉の衛生状況
- 第3節 呉市水道事業と軍用水道余水分与
- 第4節 増大する水需要と軍用水道の拡大
- 第1項 1930年代の水需要の増大
- 第2項 河水統制事業と戦時体制
- 第5節 呉市水道拡充計画と海軍
- 第6節 小括
- 第6章 旧日本陸軍の制水権の展開
- 第4部 制水権の特徴と今後の展望
- 終章 本研究の総括
- 第1節 アメリカ軍の制水権の発展時期
- 第2節 アメリカ軍の制水権の特徴
- 第3節 アメリカ軍の制水権に対する分析評価
- 第4節 旧日本軍の制水権の特徴と展開
- 第5節 今後の研究課題と平和への課題
- 終章 本研究の総括
-
- おわりに
-
- 脚注
- 資料
- 制水権関連略年表
- 主要参考文献一覧
- 索引
- 著者紹介
玉井良尚
- 立命館大学大学院政策科学研究科博士課程後期課程修了、博士(政策科学)
- 立命館大学政策科学部授業担当講師、岡山理科大学教育学部非常勤講師、京都先端科学大学非常勤講師
主要著書:
『資源地政学:グローバル・エネルギー競争と戦略的パートナーシップ』(共著 稲垣文昭・玉井良尚・宮脇昇編、法律文化社、2020年)、『大学の学びを変えるゲーミング』(共著 近藤敦・豊田祐輔・吉永潤・宮脇昇編、晃洋書房、2020年)、『経済制裁の研究 経済制裁の政治経済学的位置づけ』(共著 臼井実稲子・奥迫元・山本武彦編、志學社、2017年)など
はじめに
2020年10月、トランプ米大統領は「エジプトが最終的にエチオピアのダムを破壊するだろう」と主張し、エジプト・エチオピア間の水紛争に対してアメリカがエジプトに肩入れしたと報道された。この報道は、本来であれば、ナイル川の水をめぐって争う両国を仲介すべきアメリカのトランプ政権が中立性を放棄したことを問題視する論調であった。しかし、問題は、中立の是非だけではない。エジプト・エチオピア間の水紛争は、ナイル川上流国のエチオピアが国内の同川にアフリカ最大となる「大エチオピア・ルネサンスダム」を計画・建設し始めたことに端を発する。そして2020年、このルネサンスダムは貯水を開始し、いよいよナイル川下流域の水量に大規模に影響を及ぼす段階に入った。その中で、エジプト側の強硬な対抗手段として「ダム破壊」が浮上しているのだ。だがそもそも、水は人間にとって欠くことのできない資源である。それゆえに、国家による他国ダムの破壊は、国際法上、そして人道上許されるべきことなのか。
本書は、近年、国家の役割が社会的及び学術的にも再評価されつつあるなかで、国家安全保障の中で水資源はどのように位置づけられるべきなのかという問いを内包している。その上で、本書は、国家安全保障の中核たる軍は水を軍事資源としてどのようにして管理しているのか、または、軍によるその管理はどこまで体系化されているのかを研究したものである。それゆえに、本書は軍が水を軍事戦略に組み込み管理運用する力を、「制水権」と独自に定義し分析を試みている。
中長期間にわたる軍事作戦遂行能力が必要とされる軍では、水供給もシステム化される必要がある。にもかかわらず、石油や鉄といった他の戦略資源と比較して、水を軍事資源として論考する研究はほとんどない。だが、戦争論の古典的大家クラウゼヴィッツの「重心」論に鑑みれば、水は間違いなく軍事上の「重心」に位置づけられうる資源である。
そもそも水は、飲用資源や農業用水の資源に留まらない。水が集まり、陸地より大海に流れ出る河川は、古今東西、人の生活にとって重要な舟運交通路を提供してきた。そして、舟運交通は、軍事輸送路としての機能も兼ねてきた。また水は、ダムによって湛えられ管理されることで、軍需生産にとって重要な電力を生み出す1次エネルギーともなる。そして戦争の際、敵国のこの種の水の社会的機能を止めることができれば、戦況を自軍にとって大いに利するものとし、逆に自国のその機能が止められれば、大いに不利となる。さらに水は武器にもなりうる。ダムや堤防が破壊的意図をもって開放された場合、それより下流域における住民の生命・財産は壊滅的被害を受ける。
本書は、上述のような水の軍事利用、すなわち水の軍事資源化を考察する上で、アメリカ軍および旧日本軍による水の軍事資源化の歴史を整理・分析し、軍事における水の戦略的位置づけについて明らかにし、そこに「制水権」があることを見出す。本書を通じて、軍による制水権の実践を、くわえて、平時・有事問わずに水インフラに対して開発・維持管理・防衛・破壊といった行動が可能となっていく軍隊の展開を明らかにしたい。
序章 本研究の問題認識と本書の構成
本書は、水の軍事資源化を考察するために、軍の軍事戦略の中に「制水権」の歴史横断性を見出し、それについて整理・分析したものである。そして本書では、アメリカ軍が水の軍事資源化を制水権の展開によって達成し、その制水権自体は衛生やロジスティクスの目的から促されたことを明らかにする。くわえて、アメリカ軍で見出された制水権が、戦前・戦中の旧日本軍においても見出されるか分析・評価し、制水権の普遍性についても議論するものである。そして、制水権をアメリカ軍および旧日本軍の歴史から整理分析することによって、水資源管理研究や安全保障研究における新たな視点の提供を試みることが本書の主たる目的である。
そもそも水は、古来より戦争で利用されてきた。たとえば古代中国の歴史書である『史記』には、敵の軍勢を「水攻め」によって打ち倒す幾多の戦術事例が記述されている。漢王朝開祖劉邦配下の将軍である韓信は、先の水攻めのほか河川を背後にして戦う「背水の陣」を編み出すなど、水を攻撃の手段として、または布陣の一部として用いて敵軍を攻略し、その名を後世に残している1。日本では、16世紀の戦国時代において、羽柴秀吉率いる織田軍が備中高松城の周囲を水没させて攻略した「水攻め」はとくに有名である。また現代戦史においても、第二次世界大戦中の1943年5月、イギリス空軍が「チャスタイズ作戦」と名付けられたドイツ国内ダムへの戦略爆撃作戦を実施している。このダム爆撃作戦は、後年、小説や映画にされて広く一般に知られるようになるとともに、イギリス空軍の輝かしい戦歴として誇示されている2。このように古今東西の戦史を紐解くと、人類は戦争において水を軍略の手段として利用してきたのである。
だが同時に、水を軍事に用いることは、数多くの一般人の犠牲者を出すことにもつながった。日中戦争中の1938年6月、中国国民党軍は、黄河堤防を破壊し人工洪水を発生させることで、水を日本軍の侵攻を食い止める防御壁として利用した。水を防御手段としたこの作戦は、堤防破壊によって生じた人工洪水が多くの都市や集落を襲い水没させ、一説には数百万にも上る死者や家屋や財産を失う被災者を生み出し、当時はおろか今日でも中国人民から「愚策」および「非人道的」と評価されている3。さらに先述のイギリス空軍によるチャスタイズ作戦においても民間人に1,200人余りの犠牲者を生み出している。このように戦争での水の軍事利用は、攻撃・防御手段として使用される過程で多くの民間人も犠牲となりうる。このような戦時における水の軍事利用によって膨大な民間人の犠牲を生み出さないために、国際社会は、1977年にジュネーブ諸条約第一追加議定書および第二追加議定書を成立させ、第一追加議定書第54条および第二追加議定書第14条において、飲用水施設および供給設備、灌漑施設の破壊の禁止を、さらに第一追加議定書第56条及び第二追加議定書第15条では、ダム・堤防を攻撃およびその対象とすることを禁止した。しかし、浄水施設やダムなどの水インフラ施設を人道資源として保護することを通じて、戦時における水保護が規定されたはずであるが、ジュネーブ諸条約追加議定書成立以降も、戦争において「水」への攻撃が依然続いている。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992年~1995年)では、戦闘によって浄水施設が破壊され、長期間、サラエボへの給水が停止に追い込まれた。さらにコソボ紛争(1998年)でも、戦闘によって浄水施設被害によってコソボのプリシュティナへの給水が停止する事態が起きている4。また、水インフラ施設への被害に関しては、これら内戦だけではなく、大規模な国家間武力紛争においても同様の傾向がある。湾岸戦争(1991年)では、アメリカ軍はイラク国内4か所のダム発電施設を攻撃し、さらにイラク戦争(2003年~2011年)では、アメリカ軍特殊部隊がイラクのハディーサ・ダムを強襲・占拠した5。このように多国間戦争および内戦問わず、水インフラへの直接的・間接的な攻撃が続いている。したがって水の軍事利用は、現在も国際法や人道規範を超えてインセンティブが働いている。本書では、軍が水を軍事戦略に組み込み管理運用すること、そしてその力を「制水権」と定義し、この制水権が軍の発展・拡大に応じて展開していることを明らかにし、そしてその意義についても考察していく。そして、軍が制水権を拡大していく中で、水が軍事資源化している現実も明らかにする。
本書は、軍による制水権の歴史的展開要素として、「ロジスティクス」と「衛生」、そして「水インフラ破壊」を挙げ、それら3つの視点から論じていく。まず軍事ロジスティクスの研究において、これまで水に重点を置き論考した研究はない。この理由としては、マハン(Alfred Thayer Mahan)が『海軍戦略』で指摘しているように、海軍の艦船輸送と較べて陸軍の輸送力が極めて限定されていたこと、また海軍では補給の優先順位を(1) 弾薬、(2) 武器、(3) 燃料、(4) 食糧としていたように、主たるロジスティクス論の重点が武器弾薬・燃料輸送に置かれていたことが挙げられる6。つまり、海軍においても陸軍においても、輸送において体積と質量を取る水は、後方から輸送される補給物資というより現地調達物資として位置付けられていた。
だが細菌学が進んだ19世紀後半以降、軍隊内における防疫の重要性が飛躍的に高まった。それにともない、軍隊における飲用水の水質維持が重要視されるようになった。水のロジスティクス、つまり安全な飲用水の確保と給水が、戦地における衛生問題として軍事戦略課題として浮上することとなったのである。軍隊において注目された感染症は、コレラや腸チフス、赤痢、マラリアである。この内、コレラと腸チフス、赤痢は、飲用水を媒介にして罹患する水系感染症である。それゆえに、飲用水の水質衛生管理を伴った「給水」が、軍事衛生(軍陣衛生ともいう)を担保する極めて重要な領域となり、現在、軍の制水権の一領域と化している。このように衛生の観点から軍隊にとって水は重大な管理資源となったが、実はそれ以前から軍隊によって水が集中的に管理されていた領域が存在していた。その領域とは、「水路」である。
河川・運河といった「水路」は、本来の舟運交通路だけでなく、軍事上の兵站線(Communications)としても運用しうる。19世紀アメリカにおいて、運河・河川等の水路管理は、鉄道と同じくらい軍事ロジスティクスの核心であった。そして鉄道が普及する19世紀中葉以前では、軍事ロジスティクスとは、まさに水路管理に他ならなかった。ここに軍事戦略と河川運河の開発・管理が結び付き、河川水路が軍隊による制水権の対象領域となった。
さらに本書は、敵国および敵軍のロジスティクス破壊、換言すれば、敵側の制水権の破壊を目的とした水インフラ破壊についても制水権の一領域として焦点を当てる。20世紀にエア・パワーが登場して以降、現代戦争は、軍需工場、発電所・電力網、道路・橋梁など数多くの社会インフラを攻撃対象とする戦略爆撃が勝利の鍵となっている。だが、国際人道法がダムをはじめとする水インフラ施設を攻撃対象とすることを禁じている為、本来、水インフラ破壊を制水権の領域として含めることは適さない。しかし実際の戦争では、これら施設が軍事上の戦略対象となったままである。なぜならば、水インフラ施設が、市民生活にとって重要な社会インフラであると同時に、軍事戦略上の「重心 」であり続けているからである。戦争遂行には、大量の兵器および弾薬の製造が不可欠であるが、この生産工程には大量の電気が必要となる。そのなかでダムは、重要な発電グリッドである。そして実際、近年、軍事システムと市民生活システムの両方の破壊を狙ったダム攻撃が、非国家武装組織によって引き起こされるようになっている。この状況に鑑み、本書は水インフラの破壊・防衛も軍による制水権の1つとして扱い分析する。
そして本書では、この軍による制水権をアメリカ軍および旧日本軍の事例から検証・分析する。アメリカ軍の事例を取り扱う理由は、以下の3点がある。第1の点は、現代におけるアメリカの対外戦争の多さである。とりわけ、1977年に第一追加議定書および第二追加議定書が成立して以降も、アメリカは、グレナダ侵攻(1983年)や湾岸戦争(1991年)、イラク戦争(2003年~2011年)といった大規模な国家間武力紛争に、そしてアフガニスタン戦争や対IS掃討など2001年の9.11テロ事件に始まる対テロ戦争(2001年~)に参戦し、実際にダムをはじめとする水インフラを戦略対象とした事例が存在する。第2の点は、アメリカが第一追加議定書および第二追加議定書に未加入であることにある。次頁の表1のように、国連常任理事国5か国のうち、現在、第一追加議定書および第二追加議定書の締約国でないのはアメリカしかいない。そして最後の第3の点として、先の第1および第2の理由に関連して、世界の多くの国が望むと望まなくともアメリカ軍の戦略次第で水インフラが容易に戦略対象となりうるという現実があるからである。アメリカは現在、世界最大の軍事力を保有する上に、戦時に水インフラを戦略対象とした多くの経験を有し、そして国際人道法にも未加入である。それゆえに、水インフラを自由に攻撃対象とするある種の選択のし易さが存在する。つまり、アメリカ軍の戦略は今後の水の軍事資源化に対する大きな道標となりうるのだ。
また、アメリカ軍で見出された制水権が他国の軍においても存在しうることを確認する為に、旧日本軍も分析対象とした。旧日本軍を対象とする理由は、第二次世界大戦における軍隊内の悲惨な衛生状況がよく伝聞されていることにある。旧日本軍には軍事衛生を担保する水についての発想はなかったのだろうか。旧日本軍における水に対する見方や戦略を分析することは、当該軍の制水権の展開を評価すること、さらには、制水権がアメリカ軍以外にも普遍的に存在しうるか否かを評価する事にもつながる。したがって本書は、アメリカ軍および旧日本軍を軍による制水権の分析対象として扱う。
本書は全9章から構成され、まず本書前半では、「ロジスティクス」と「給水・衛生」、「水インフラ破壊」の観点からアメリカ軍事史を検証しつつ、そこに軍による制水権が存在し、それがアメリカ軍の規模拡大とともに組織横断的に拡充されてきたことを明らかにしている。そして本書後半では、旧日本陸軍および旧日本海軍を分析対象とし、明治期から第二次世界大戦までの旧日本軍の水に対する見方や思考を整理分析し、制水権がアメリカ軍以外にも普遍的に見出せうることを明らかにする。したがって、軍による制水権の歴史展開を明確にするために、アメリカ軍および旧日本軍が制水権に着手した時系列に沿って分析を進めていく。
まず、本書第1章では、軍事におけるロジスティクス論および軍事衛生論について整理した上で、そこに水が軍事資源として入る素地があることを説明する。さらに本書で分析枠組みとして使用する「制水権」の定義についてもここで説明する。第2章では、戦時水保護の概念を戦時国際法の展開から整理し概観する。戦時国際法は、主にダムダム弾、毒性物質や生物兵器といった非人道的兵器を対象に、これらの使用制限および禁止を試みた歴史を有する。その歴史の中で、毒性物質や生物兵器の媒介物となりえる水は、戦時国際法においてどのように位置づけられてきたかを概観する。続く第3章では、アメリカ軍の水路管理の歴史について取り上げ、アメリカ陸軍工兵隊の国内水路管理の掌握へと至るプロセスがいかにして軍による制水権の嚆矢となったかについて論じる。第4章では、アメリカ軍の給水活動の歴史展開、とりわけアメリカ外地における給水戦略の展開を検証する。ここで取り上げる事例は、第二次世界大戦後の日本占領におけるアメリカ軍の給水戦略である。アメリカ軍の軍事衛生から、いかにして給水活動が軍による制水権の領域として重きが置かれるようになったのか、そのプロセスについて分析する。そして第5章では、先の第3章および第4章を踏まえた上で、アメリカ軍による敵側の制水権の破壊について、すなわちアメリカ軍による水(インフラ)攻撃の事例について分析を試みる。ここで取り上げる事例は、1960年代ベトナム反戦運動にはじまる赤十字国際委員会外交会議でのアメリカの対応と、その後のアメリカ軍におけるダム攻撃規定への受容分析である。この1970年代の赤十字国際委員会外交会議は、戦時水保護規定が明記されるジュネーブ諸条約追加議定書の成立を目指した重要な会議であったが、この会議の場でアメリカは、ダムや堤防の戦時保護に対して極めて消極的な態度を示した。この態度は、アメリカの軍事戦略に基づくものである。この外交会議でのアメリカの発言とその後の水インフラの軍事戦略化に鑑みながら、アメリカ軍の水インフラ攻撃方針を分析する。
第6章と第7章は、旧日本陸軍と旧日本海軍それぞれの制水権の展開について論じる。第6章は、日清戦争期における広島軍用水道布設、1930年代の戦地における給水戦略、そして細菌戦部隊である731部隊の登場といった歴史的事例を基にして旧日本陸軍の制水権の展開、そして結果的に制水権が破綻した要因について考察する。続く第7章は、旧日本海軍における制水権の展開を、呉軍港および呉市周辺地域における水源地開発を通して分析する。水資源に乏しい呉において、旧海軍と呉市との間で水源地開発をめぐる政治が展開された。このことから第7章では、制水権の展開における政治の重要性が明らかにされる。最後、終章において結論と本研究の今後の課題とともに、軍による制水権の現状と今後の展望についても考察する。
事項索引(五十音順)
- 【ア行】
- アメリカ
- ―海軍 38-39, 143-146, 152, 157
- ―海軍省 113, 123
- ―大統領 55, 145ff., 202ff.
- ―陸軍 106-109, 117-119
- ―陸軍工兵隊 21, 41-43, 79ff., 196ff.
- ―陸軍省 95, 113-116, 122-123
- ―連邦政府 34, 42, 79ff., 195ff.
- ―連邦議会 42, 81ff., 197
- アメリカ軍
- ―の日本占領 21, 49, 108, 112, 116ff.
- ―の水道管理 116, 118-119
- ―の水衛生 48-49, 114
- ―のロジスティクス 30, 33, 42ff., 88-89, 123ff., 197ff.
- イギリス
- ―空軍 15-16, 35, 128-131
- イスラム国(→IS)
- 一般調査法 42, 94-96, 98, 197
- イラク
- ―戦争 19, 27, 28, 34, 43, 45, 195, 204-205
- 運河 18, 27, 34, 41-42, 79-86, 89-98, 195-197
- エア・パワー 18, 32-33, 67, 70, 125-127, 152, 204
- 衛戍
- ―地 171, 174, 208
- エジプト 48, 57, 141, 210
- エリー運河 84, 91-96
- 衛生
- ―部隊 204
- エーデル・ダム 129-130
- 鴨緑江 128, 132
- オランダ 25, 36, 62, 67
- アメリカ
- 【カ行】
- 海軍(アメリカ→アメリカ海軍)
- ―(日本) 20, 120, 164, 171-190, 207, 208
- 化学兵器 70, 73, 75, 128
- 華川ダム 44, 128, 132
- 河川法 128
- カナダ 42, 59, 87ff., 139, 196
- 給水 16-18, 21, 22, 30-32, 43, 49-54, 101ff., 160ff., 190ff.
- 均衡の原則 28, 144-146, 149-153, 202
- グアム 101, 121
- 呉
- ―鎮守府 172-180, 182, 184-190
- グローバル・ガバナンス
- ―委員会 56
- 軍港
- ―都市 171, 176, 186, 189
- 軍用水道 161-163, 171-177, 180-181, 184, 207, 208
- 下水道 49, 52, 113-116, 122, 160, 190
- 原子力発電所 37, 137, 138, 141, 144, 146
- 軍医 52, 163-167, 174, 204, 205, 208
- 軍事衛生 19, 21, 52, 53, 67, 159, 163, 168, 178
- 検疫 160, 162, 174
- 紅河デルタ 139
- 国際人道法 18-19, 27-29, 37, 38, 67-69, 128ff., 201ff.
- 国際大ダム会議 28
- 国際連合
- ―環境開発会議 61
- ―ミレニアム開発目標(→MDGs)
- コソボ紛争 16
- 五大湖 83, 87-89, 93-95, 97, 196
- コレラ 17, 43, 48-49, 112, 120, 159-160, 164, 174
- 海軍(アメリカ→アメリカ海軍)
- 【サ行】
- 細菌戦 22, 70-72, 166-169, 209
- 佐世保
- ―鎮守府 176-177, 186-187
- サダム・ダム(→モスル・ダム)
- サンクトペテルブルク宣言 68-69, 71
- シー・パワー 31-32, 34, 88, 105, 198
- ジブラルタル 40, 93
- 重心 18, 31, 32, 43, 44
- ジュネーブ諸条約
- ―第一追加議定書 16, 19-20, 37, 73, 75, 127ff.
- ―第二追加議定書 16, 19-20, 73, 75, 129, 136, 142
- 浄水 16, 27, 41, 45, 49-52, 66, 110ff., 147, 163, 172, 182, 187, 191
- 上水道 115, 161, 175, 177, 182, 188-190
- シリア 20, 66, 73, 210
- シンガポール 40, 103, 134
- 水系感染症 17, 43, 48-49, 52, 112, 114, 117, 159ff.
- 水質
- ―管理 18, 52, 117, 121
- ―調査 175
- 水道
- ―管 110, 117, 119, 122, 176, 188
- ―施設 120-121, 161, 185-186
- ―条例 116, 161-162
- ―布設 27, 157, 161ff., 207, 208
- 水力発電 20, 26, 44, 70, 126, 130, 133, 147
- 水豊ダム 36, 44, 128-132
- 水路 18, 21, 41-42, 52ff., 79-86, 89-98, 197ff.
- ストックホルム宣言 60, 65, 135, 201
- スペイン 42, 46, 84, 88, 101, 203
- 制水権
- ―の定義 3, 17, 52ff.
- ―の特徴 52ff.
- 生存権 135
- 赤痢 17, 43, 112-114, 117, 120, 159-160, 174
- 戦時水保護規定 20-21, 28-29, 45, 132ff., 195, 202, 204
- 戦時国際法 21, 55, 66-67, 69-72, 200
- 生物兵器 21, 69-73, 75
- 石油 25-26, 131, 158
- セントローレンス川 87, 93-94, 97
- 戦略爆撃 15, 18, 20, 28, 32-33, 36, 126ff.
- ソ連
- ―軍 44, 108, 165
- 【タ行】
- 第2次上海事変 164
- 第二次世界大戦 39, 44, 47, 108, 129ff., 181-182
- ダブリン原則60, 63
- ダム
- ―攻撃 18, 21, 44, 128ff., 201-203
- ―の軍事目標化 28-29, 74-75, 127, 130, 140, 152
- ―バスターズ 132
- チェサピーク&デラウェア運河会社 85, 95-96
- チャスタイズ作戦 15-16, 35-36, 128-131
- 中国 15-16, 44, 48, 58-59, 73, 102, 112, 127, 134, 159ff.
- 張鼓峰事件 165-166
- 朝鮮戦争 36, 44-45, 120ff., 148, 151, 195
- 腸チフス 17, 43, 112-114, 117, 120, 159, 160, 199
- 堤防 16, 21, 27-29, 36-37, 79-80, 132ff.
- 伝染病 117, 122
- ドイツ 15, 20, 35-36, 48, 71-72, 108, 125, 128
- 毒ガス禁止宣言 71-72
- 【ナ行】
- 内国改良 42, 81, 86, 89-92, 98
- 内務
- ―省(日本) 115-116, 183-184, 188
- ―大臣(日本) 161-162, 180
- ナイル川 57
- 731部隊 22, 70-71, 73, 157, 166-168
- 南北戦争 82, 107
- 日米和親条約 103
- 似島検疫所 160
- 日清戦争 159ff., 172
- 日中戦争 166
- ノモンハン事件 165
- 【ハ行】
- ハイチ 48-49
- ハディーサ・ダム 79, 147
- ハドソン川 94
- ハルハ河 165
- ハワイ 103ff.
- 非国家武装組織 18, 66, 75, 148-151
- 広島 157, 159-163, 168, 171ff.
- フィリピン 104-105
- フランス 46, 69, 72, 86, 96, 149
- 米英戦争 86ff.
- 兵站 31, 45, 82, 120
- ―線 18, 28
- ベトナム
- ―戦争 44, 138-139, 145, 153
- ヘルシンキ条約 57
- 防疫
- ―給水部 71, 157, 164-169
- 望厦条約 102
- 補給部隊 204
- ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 16
- ボルガ川 44
- 【マ行】
- ミシシッピ川 41-42, 82-85, 93-94, 97
- 水インフラ
- ―破壊 17-18, 20, 30, 43, 125ff.
- メコン川 58
- モスル・ダム 28, 79, 147, 149, 209
- 【ヤ行】
- 横須賀 120, 171, 184, 186
- 横浜 109ff., 161
- ユーフラテス川 148-149
- 【ラ行】
- リオ・デ・ジャネイロ宣言 61, 65
- 陸軍(アメリカ→アメリカ陸軍)
- 陸軍(日本) 157ff., 171, 174, 183-184
- ―省 164, 167
- ―大臣 162, 164
- ルイジアナ買収 85
- ロシア 20, 46, 59, 103, 105
- 濾水機
- ―(石井式) 164-165, 167-168
- ―(無菌) 164
- 【ワ行】
- 湾岸戦争 16, 19, 28, 36, 45, 129, 146-148, 151
事項索引(ABC順)
- ACSA 物品役務相互提供協定 101, 109, 121-122, 169
- ENMOD環境改変技術の軍事的使用その他の敵対的使用の禁止に関する条約 73, 136
- EU欧州連合 56-57
- FAO国連食糧農業機関 64
- FMアメリカ軍フィールドマニュアル 47, 51-52
- GHQ 連合国軍最高司令官総司令部 108ff.
- ICBL 地雷禁止国際キャンペーン 59
- ICRC 赤十字国際委員会 37, 65, 129, 133, 139-141, 146, 151-152
- ISイスラム国 19, 28, 66, 79, 129, 148-152, 204-210
- MAD 相互確証破壊 135
- MDGs国連ミレニアム開発目標 63-65
- NGO非政府組織 56, 59, 63
- OPEC 石油輸出国機構 26
- SALT 戦略兵器制限交渉 135
- SCAP 連合国軍最高司令官 119
- SDGs 持続可能な開発目標 65
- UNECE 国連欧州経済委員会 56
- WWC世界水会議 56
- WWF 世界水フォーラム 56, 59, 64-68
人名索引
- 【ア行】
- 荒尾金吾 175-178, 189
- 有栖川宮熾仁親王 160
- 石井四郎 70, 164, 166-168
- 石黒忠悳 208
- 奥村喜和男 183
- 【カ行】
- 加藤友三郎 178
- カルフーン(John Caldwell Calhoun) 81-82, 88ff.
- ギャラティン(Abraham Alfonse Albert Gallatin) 85, 92
- クラウゼヴィッツ(Carl Philipp Gottlieb von Clausewitz) 30-32, 43, 45-46
- クレイ(Henry Clay) 81, 89
- 児玉源太郎 162-163, 208
- 後藤新平 208
- コーベット(Julian Corbett) 38-41, 53, 206
- ゴルバチョフ(Mikhail S. Gorbachev) 55
- 【サ行】
- 佐々木英雄 187
- 沢原俊雄 178
- ジョミニ(Antoine Henri Jomini) 30-31, 45-47
- ジョーンズ(J. A. A. Jones) 35-36
- スウィートマン(John Sweetman) 36, 128
- 【タ行】
- チェラニー(Brahma Chellaney) 35-36
- トッテン(Joseph G. Totten) 95
- 【ナ行】
- ニクソン(Richard Milhous Nixon) 145-146, 148, 153
- 【ハ行】
- バクスター(Maurice Baxter) 81
- ブッシュ(George Herbert Walker Bush) 55
- フトレル(Robert F. Futrell) 36, 128
- ヘイスティングズ(Max Hastings) 128
- ベイヤード(James Asheton Bayard) 85
- ペリー(Matthew Calbraith Perry) 103, 157
- ベルナップ(William Worth Belknap) 107
- ポープ(John Pope) 86
- 【マ行】
- マッカーサー(Douglas MacArthur) 120
- 松本勝太郎 185
- マハン(Alfred Thayer Mahan) 30-32, 38-39, 45-46, 105
- 水野甚次郎 185
- メッケル(Klemens Wilhelm Jacob Meckel) 46
- モンロー(James Monroe) 91, 95-96, 98
- 【ラ行】
- ルーデンドルフ(Erich Friedrich Wilhelm Ludendorff) 125
- レーガン(Ronald W. Reagan) 142
- ロズノー(James Rosenau) 55, 58