アジア環太平洋研究叢書 6 中央ユーラシアの女性・結婚・家庭 歴史から現在をみる

磯貝真澄・帯谷知可 編
書影『中央ユーラシアの女性・結婚・家庭』

中央ユーラシアのテュルク系ムスリムに焦点をあて、女性・結婚・家庭を分析し共通の現象を動態的に探るための考察材料を提供する。歴史から現在をみることを試みる。(2023.4.7)

定価 (本体3,500円 + 税)

ISBN978-4-87791-321-2 C3031 289頁

目次

  • 序 中央ユーラシアの女性・結婚・家庭: 歴史から現在をながめる試み磯貝真澄
    • 第1章 忘却の彼方のムスリム女性解放論: オリガ・レベヂェヴァを読み解く帯谷知可
      • 1 はじめに
      • 2 オリガ・レベヂェヴァの足跡
      • 3 レベヂェヴァ著『ムスリム女性の解放について』をめぐって
      • 4 レベヂェヴァの夢と現実: ムスリム女性の解放と東洋学
      • 5 おわりに
    • 第2章 近代オスマン帝国における女性作家の誕生: ファトマ・アリイェとハイブリッドな評伝の虚実佐々木紳
      • 1 はじめに
      • 2 ファトマ・アリイェとハイブリッドな評伝
      • 3 「書かれたこと」と「書かれなかったこと」
      • 4 おわりに
    • 第3章 ロシア帝国末期ヴォルガ・ウラル地域のムスリム知識人とイスラーム宗務行政: ムスリム家族規範論からみえる結びつき磯貝真澄
      • 1 はじめに
      • 2 帝国の宗務行政と婚姻・家族
      • 3 イスラーム宗務行政機関のカーディーによる家族・女性論からみえる関係性
      • 4 おわりに
    • 第4章 社会問題としてのトイ(祝宴): ウズベキスタン、ミルジヨエフ大統領によるトイ規制法菊田悠
      • 1 はじめに
      • 2 トイ批判の概史
      • 3 ミルジヨエフ大統領のトイ批判
      • 4 トイ規制の上院決議と2019年トイ規制法
      • 5 おわりに
    • 第5章 結婚をめぐる交渉: 中央ユーラシア草原地帯におけるカザフ社会の変容藤本透子
      • 1 はじめに
      • 2 カザフ社会における家族と結婚:歴史的背景
      • 3 結婚にいたる過程: 「縁組」と「誘拐婚/駆落ち」
      • 4 結婚の承認の重層性: 市民、ムスリム、カザフ人として
      • 5 おわりに
  • 資料紹介 ウズベキスタンの女性雑誌『サオダト』(幸福): 1972~1974年の記事目録宗野ふもと
    • 1 はじめに
    • 2 ソ連時代の女性向け雑誌と『サオダト』
    • 3 『サオダト』(1972~74年)について
    • 4 目録について
    • 編者・執筆者紹介
    • 索引

著者紹介

編者・執筆者紹介

磯貝真澄(いそがい・ますみ) 序、第3章
1976年生 千葉大学大学院人文科学研究院准教授 博士(学術)
中央ユーラシア近現代史
最近の業績は『帝国ロシアとムスリムの法』(磯貝健一との共編)(昭和堂、2022年)、「ソ連初期のムスリム知識人による自己語り――1928年のハサンアター・ガベシーの自伝的回想を読む」(野田仁編『近代中央ユーラシアにおける歴史叙述と過去の参照』、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、2023年所収)、ほか。
帯谷知可(おびや・ちか) 第1章
1963年生 京都大学東南アジア地域研究研究所教授 博士(地域研究)
中央アジア地域研究、近現代史
最近の業績は『ヴェールのなかのモダニティ――ポスト社会主義国ウズベキスタンの経験』(東京大学出版会、2022年)、Created and Contested: Norms, Traditions, and Values in Contemporary Asian Fashion(MEIS-NIHU Series 5; Studia Culturae Islamicae 115; co-edited with Emi Goto. Tokyo: ILCAA, Tokyo University of Foreign Studies, 2022)、ほか。
佐々木紳(ささき・しん) 第2章
1976年生 成蹊大学文学部教授 博士(文学)
トルコ近現代史
最近の業績は『ミドハト・パシャ自伝――近代オスマン帝国改革実録』(訳書)(東京大学出版会、2023年)、『歴史の蹊、史料の杜――史資料体験が開く日本史・世界史の扉』(編著)(風間書房、2023年)、ほか。
菊田悠(きくた・はるか) 第4章
1976年生 北海学園大学経済学部教授 博士(学術)
中央アジア定住地域研究、文化人類学
最近の業績は “Mobile Phones and Self-Determination among Muslim Youth in Uzbekistan"(Central Asian Survey 38(2), 2019)、“The Pottery Masters of Uzbekistan: Differentiating Authenticity in Handicraft"(In Jeanne Féaux de la CroIX and Madeleine Reeves eds., The Central Asian World. London: Routledge, 2023)、ほか。
藤本透子(ふじもと・とうこ) 第5章
1975年生 国立民族学博物館人類文明誌研究部准教授 博士(人間・環境学)
文化人類学
最近の業績は「聖者になる過程――カザフスタンにおける近代化の経験とイスラーム」(長谷千代子・別所裕介・川口幸大との共編『宗教性の人類学――近代の果てに、人はなにを願うのか』法蔵館、2021年所収)、「中央アジア草原地帯におけるコミュニティの再編と維持――カザフのアウルに着目して」(本村真編『辺境コミュニティの維持――島嶼、農村、高地のコミュニティを支える「つながり」』ボーダーインク、2020年所収)、ほか。
宗野ふもと(そうの・ふもと) 資料紹介
1982年生 Department of History and Cultural Heritage, “Silk Road" International University of Tourism and Cultural Heritage; Assistant Professor 博士(地域研究)
中央アジア地域研究、文化人類学
最近の業績は「ウズベキスタンにおける手工芸生産の変遷――19世紀半ばから2010年代後半におけるシャフリサブズの事例から」(菊田悠ほか編『ウズベキスタン手工芸史の再構築と「守るべき伝統」による地域開発の研究成果中間報告書』、2021年所収)、“How Local Handicrafts Enter the Global Tourism Market: A Case Study on a Carpet Business in Rural Uzbekistan"(Japanese Review of Cultural Anthropology 21(1), 2020)、ほか。

まえがき

中央ユーラシアの女性・結婚・家庭: 歴史から現在をながめる試み

ユーラシア大陸中央部の広大で多様な人びとの暮らす地域が、この地域を研究する専門家によって「中央ユーラシア」と呼ばれ始めてからしばらく経つ。そこには、クリミア半島、カフカース(コーカサス)地方、ヴォルガ・ウラル地域(ヴォルガ川の中・下流域とウラル山脈の南麓)、中央アジア(その北部はカザフ草原、南部はオアシス地域)、東トルキスタン(中国の新疆ウイグル自治区に相当)、また歴史的な文脈ではアフガニスタンが含まれる。これらの地域の人びとの間には移動や交流によって生じた一定の社会・文化的共通性があり、それを研究するには、「中央ユーラシア」という地域認識が非常に有効である。共通する事象の一つは、歴史的であり、かつソ連期には見えづらかったけれどもソ連解体後は可視化が進むイスラーム信仰である。人びとの移動や交流は、戦争や征服によるものも含め、テュルク諸語、またはペルシア語(タジク語)を使うという言語的な近さを生じさせたし、そうした近さによってさらに、移動や交流が促されていった。イスラームと言語の関係で言えば、アラビア文字を使い、アラビア語から多くの語彙を借用した文章語の成立も、共通性を高めた。クリミア、カフカース、ヴォルガ・ウラル地域、中央アジアは、時期的な相違はあるがロシア帝国の統治下に組み込まれ、20世紀にはソヴィエト連邦の社会主義を経験した。

本書は、中央ユーラシア、とりわけヴォルガ・ウラル地域と中央アジアのテュルク系ムスリム(または、イスラーム信仰の歴史を持つ社会)に焦点を合わせ、女性、結婚、家庭や家族をキーワードにアプローチすることで見えてくる共通の事象から、考察を広げる試みである。その際、一つには、単に中央ユーラシアの各地域間の類似や共通点を指摘するのではなく、共通性を生じさせた人びとの移動や交流、知的なつながり、人的な結びつき――接続や連関――のミクロな事例の解明によって、より広域で生じた事象を動態的に展望するための考察材料を提示する。この作業は本書の、とくに近代史研究の各章(第1~3章)が中心的に担当している。いま一つには、イスラーム信仰や、近代のムスリム社会改革論、ソ連的社会主義といった歴史的経験を持つ社会で現在、人びとがどのように暮らし、何を問題とみなしているかを明らかにすべく、やはりミクロな事例を詳述する。現在生じている問題の原因を歴史に求めるという方法ではなく、歴史的状況を念頭に現状を分析するという姿勢で現在を過去にリンクさせ、より長い時間軸での動態的な眺望を提供するものである。これは人類学研究の各章(第4~5章と資料紹介)が担っている。

つまり、本書は歴史学と人類学の学際的共同研究という特徴を持つ。実のところ、女性、結婚、家庭、家族、ジェンダーといった問題群に対して、中央ユーラシアの歴史学研究は現状、強いとは言えない。たとえば、ムスリム社会を扱う点で中央ユーラシアと共通点の多い中東の歴史研究には相当の蓄積があるけれども*1、中央ユーラシア史研究ではそれが乏しいのである*2。理由の一つは歴史資料として利用できる文献が限られるためだろうが、くわえて、旧ソ連圏特有の事情もあるだろう。旧ソ連圏の研究動向から一定の影響を受けるためである。女性や家族という研究課題では、そうした影響がかなり大きなものとなる。

ロシア近代家族史の専門家である畠山禎が端的に指摘するように、ソ連においては「家族史研究は民族学や人口学の一領域として扱われ」た[畠山2012: 4]。家族史は歴史学ではなく、民族学や人口学の課題だった。ソ連では基本的に、民族学が同時代の家族や結婚、女性、のみならず家族史も研究する一方で、歴史学は家族をほぼ扱わなかったのである(もちろん例外はある)。旧ソ連圏の民族学と接続する日本のディシプリンは言うまでもなく人類学である。人口学は、日本ではどちらかと言えば、経済学系歴史研究者、社会学者、歴史人類学者の関心を惹いて展開した分野であり、そもそも、ロシア革命前の中央アジアの歴史人口学的研究は、史料がないため不可能である。ともかく、そうした研究状況のため、日本を含む「西側」の歴史研究者が旧ソ連圏の女性や結婚、家族の歴史にアプローチしようとする場合、民族学の成果にアクセスすることになる*3。歴史研究者にとり、人類学者と共同研究をする意義の一つはまちがいなく、この先行研究理解のための学域横断のハードルを下げることにある。

それと同時に、中央ユーラシアの女性や結婚、家族に着目する人類学者にも、歴史研究者との共同研究の利点はあるだろう。おそらくその一つは、研究対象である人びと、とりわけ文字・文献文化の担い手である定住民が歴史的に制度化した規範、とくに法規範に関する情報へのアクセスである。なかでも結婚・離婚をテーマとする場合、人類学者が研究対象の観察や聞き取り調査で明らかにする規範意識や規範の運用実態を、歴史文献学的な制度研究の成果とあわせて分析するという方法のハードルが下がる。また、当然ながら、女性や家族などに限られない歴史的な全体状況については、歴史研究者による専門研究がある。ようするに、中央ユーラシアの女性や結婚、家庭、家族といったテーマではとりわけ、歴史研究者と人類学者による共同研究にメリットが認められるのである。

さて、本書においてはまず、近代史研究の各章(第1~3章)が互いに連携し、19世紀末から20世紀初頭のロシア帝国ヴォルガ・ウラル地域のなかで、あるいはヴォルガ・ウラル地域とオスマン帝国の間で生じた、知識や言説の伝達・伝播や人の移動の様相を描き出す。人類学研究の各章(第4~5章)の方が歴史研究にリンクを張り、歴史的状況を踏まえて現代社会を分析するかたちになっている。近代史研究の各章には、人類学者との共同作業の痕跡が直接には見えづらいかもしれないが、それぞれが研究会などで口頭報告を経たものであり、人類学の専門家との対話を分析の視角などに生かしている。以下、各章を紹介する。

第1~3章は、ロシア帝政末期の中央ユーラシアでムスリムの女性や家族といったトピックで議論を始めた知識人らの人的ネットワーク――それは国境を越え、オスマン帝国の論壇と接続する――にアプローチする歴史研究である。19世紀末~20世紀初頭という特定の時期に集中し、移動や通信などによって直接のつながりを持っていた人びとの関係について、ディテールを描出する。第1章の帯谷論文は、19世紀末にロシアのヴォルガ・ウラル地域、とくにカザン市で活動を始め、オスマン帝国の論壇でも人脈を形成し、『ムスリム女性の解放について』を著した東洋学者、翻訳家のロシア女性オリガ・レベヂェヴァに焦点を合わせる。テュルク系ムスリムであるタタール人との交流から東洋学に進んだレベヂェヴァは、オスマン・ジャーナリストのアフメト・ミドハトと知り合い、その縁で女性作家のファトマ・アリイェとも友人になるなど、オスマン文壇に参入した。レベヂェヴァはファトマ・アリイェの著作『イスラームの女性たち』の翻訳を手掛け、自らも『ムスリム女性の解放について』という著作を公刊し、イスラームの教義は本来であれば男女平等を妨げるものではない旨の主張を行なった。帯谷論文が指摘するように、現代的な視点からレベヂェヴァの議論を評価するならば、たしかにさまざまな批判があり得る。歴史的状況として重要なのは、イスラームの「本来の」教義の肯定とあわせて、ムスリムの女性や結婚、家庭・家族をテーマに行われる議論が、国境を越えて接続するムスリム言論界で共有されていたことである。それはまちがいなく、流行のトピックの一つだったとみてよい。レベヂェヴァの事例から明らかなのは、それがロシア東洋学界と接続しており、かつロシア東洋学とムスリム知識人コミュニティの間に論争ではなく、肯定的な関係性と認識の共有があったことである。トルキスタンで勤務した東洋学者オストロウーモフのレベヂェヴァに対する攻撃や、レベヂェヴァの「夢」と実用東洋学という「現実」をめぐる事実も考え合わせると、シンメルペンニンク=ファン=デル=オイェが指摘するロシア東洋学の特徴――ロシア人がアジアについて、サイードのオリエンタリズムの枠組みが前提とするような、一致した見解を持ったことはない――が想起される[シンメルペンニンク=ファン=デル=オイェ2013: 24]。

さて、レベヂェヴァが入っていったオスマン文壇側での状況を詳述する第2章の佐々木論文は、アフメト・ミドハトが著したファトマ・アリイェの評伝を取りあげ、そこに「書かれたこと」を分析し、さらに「書かれなかったこと」を解明することで、アフメト・ミドハト、アリイェ、そしてレベヂェヴァの関係性を暴く。佐々木はまず「書かれたこと」、つまり評伝の記述を分析し、アフメト・ミドハトの描くファトマ・アリイェが「父に認められ、夫の許しを得て初めて大成」できた「良き娘、良き妻」であり、「アフメト・ミドハトの薫陶を受けて精神的に成長」する「「心の娘」ないしは良き弟子」という「虚像」であると喝破する。そして、評伝にまったく「書かれなかった」レベヂェヴァを交えた三者の関係性について、アフメト・ミドハトが女性二人の交流を管理しようとしてできずに苛立つ一方で、女性二人は自立的に連絡をとり、交際していたことを解明する。第1章の帯谷論文とあわせると、越境的なムスリム女性論の担い手には、男性知識人から「助力」を得ながらも男性の思惑を超えた活動をする、主体的・自立的な女性知識人らの結びつきが存在したことがわかる。

帯谷論文と佐々木論文はロシアとオスマンの国境を超える水平的なネットワークの事例を提示するが、ロシア帝国行政とムスリム知識人の垂直的な関係性をめぐって考察するのが、第3章の磯貝論文である。磯貝論文はまず、ヴォルガ・ウラル地域の改革論者のウラマーであるリザエッディン・ブン・ファフレッディンがムスリム家族・女性論を公刊した時期が、イスラーム宗務行政機関であるオレンブルグ・ムスリム宗務協議会のカーディー在職時だったことに着目する。それは1898年からの数年間であり、磯貝論文は、それが彼の上司だったムフティー、ムハンマディヤール・スルタノフの支持を得たものだったことを推定する。スルタノフが1898年に出した訓示は、リザエッディンと基本的な見解を共有する内容を持っていた。また、彼らは、宗務協議会管轄下のマハッラのアブスタイ(通例ウラマーの妻や娘である、女性有識者)による「良妻賢母」のための規範書の公刊を支援した。リザエッディンは「新方式」教育を支持するジャディードだったが、その支援には新方式の提唱者であるイスマイル・ガスプリンスキーも加わった。つまり、ヴォルガ・ウラル地域ではムスリムの家族や女性をめぐる規範論の展開の初期、宗務協議会とジャディード知識人が同じ方向を見ており、しかも行政的な権力を持つ「上」が「下」を支援する構造があったと言える。磯貝論文は、リザエッディンがオスマン論壇、とくにアフメト・ミドハトの著作を参照していたことも指摘し、ロシア帝国のイスラーム宗務行政にオスマン論壇の情報や議論が入り込む余地があったと論じる。ここには、テュルク=トルコ諸語を使う人びとの言論界の接続性とあわせて、この時期のヴォルガ・ウラル地域のムスリム知識人のオスマン帝国への傾倒も認めることができよう。

第4章の菊田論文は、中央アジア南部のオアシス地域、ウズベキスタンの人びとの間で人生の慶事に行われるトイ(祝宴)にまつわる言説を分析する。ウズベク社会でトイが極めて重要なものと認識され、通例非常に大規模に催されることは、中央アジア研究者の間でよく知られる。従来の人類学は菊田も含めて、トイを行う人びとを観察して肯定的に理解してきた。菊田論文によれば、人類学者のトレヴィサーニは、ウズベキスタンのイスラム・カリモフ前大統領がトイを発展や近代化の妨げとみなしたことを、「儀礼に対するモダニストの偏見」として否定的にみるという。それもトイを肯定する姿勢の裏返しだろう。それに対して菊田論文は、シャウカト・ミルジヨエフ現政権がトイ自体は否定せず、ただその大規模化を社会問題の原因とみて規制する改革的な施策を進めようとしていることに着目し、そこでのトイをめぐる規範の語られ方を明らかにする。あわせて、20世紀初頭のジャディード知識人らが華美なトイを批判したこと、ソ連初期にも同様のトイ批判が続けられたこと、ソ連中・後期からソ連解体後にはトイが肯定される傾向にあったけれども、1990年代末頃から再び批判され始めたことを説明する。そうした過程を踏まえて現在、ミルジヨエフ大統領は、ジャディードが華美なトイを批判していた歴史に言及し、あらためてトイへの過度な支出を抑える規制を試みているのである。ジャディードの近代主義的な言説を援用し、かつ「本来の伝統や民族の心性を反映したトイに戻るべき」ことを訴える現政権の論理は、たしかに新しい展開であると言えよう。

第5章の藤本論文は、中央アジア北東部の草原地帯のカザフ人の結婚の交渉プロセスを歴史的な変遷も含めて詳述するが、とくに社会体制、すなわち法制度および経済状況の変化に、カザフ社会が従来の規範を変容させて応じてきた様相を描き出す。ロシア革命以前からカザフ社会には、婚姻当事者の若者が妻にする娘を連れだす「誘拐婚/駆落ち」と、当事者の親が結婚を決める「縁組」が存在し、後者がより一般的に行われていた。ソ連期に当事者の意思に基づかない結婚が法的に禁止されると、カザフ社会では「縁組」が、当事者による結婚の決定を親が許可するものへと変化した。あわせて、しだいに「誘拐婚/駆落ち」が増えていった。しかし、ソ連解体の混乱のなかで当事者である女性の意思に反した文字通りの誘拐婚が増えて人権問題とみなされ始め、現在ではまた、両当事者が合意して行う「縁組」が増加傾向にある。革命前からの1世紀におよぶ時間軸のなかで、結婚の交渉のかなめは当事者の親の意思から、当事者、とくに女性の意思へと移行している。つまり、藤本論文は、ともすれば人権問題として切り捨てられがちな誘拐婚の問題を、「縁組」、および当事者の合意のある「誘拐婚」である「駆落ち」という、複数の結婚の交渉の仕組みとともに、その内実の歴史的な変化もあわせて分析するのだが、それによってカザフ社会の柔軟な適応力を描き出す。また、藤本論文は、カザフ社会における結婚の承認のプロセスにも着目し、その歴史的重層性を指摘する。それは結婚の承認のために、カザフ的な伝統とされる儀礼、国家法に基づく婚姻登録、イスラーム法に由来する婚姻契約が行われるというものであって、このうちカザフ的な伝統儀礼が常に、結婚の成立において必須の要素だとみなされてきたのである。

ところで、ソ連中・後期を対象とする歴史研究、あるいは文献研究は、歴史学の方法論上の性質――研究対象の時期から一定時間が経過し、さまざまな史料が入手可能になった後の、多角的な分析を志向する――もあって、いまだ十分に行われていない。宗野ふもとによる資料紹介は、ウズベク共産党中央委員会の女性雑誌『サオダト』の研究であり、1972~74年の3年間の記事目録である。ソ連ロシアを対象とするジェンダー史研究は、ソ連期を通して女性の大部分が、家庭の外で働き、家庭内でも責任をもって家事労働を引き受けねばならない生活を送っていたことを指摘している[Attwood 2010: 247]。宗野論文も言及する「二重負担」問題である。こうした指摘をめぐってはもちろん、中央アジアの状況も明らかにする必要がある。宗野論文が『サオダト』誌について、「家庭領域と関わりが深い、料理、裁縫、洗濯に関する記事」が必ず掲載されており、「家庭領域の仕事は女性の範疇であるという意識」が窺われると述べていることは、帝政期やソ連解体後の状況との連続性を推測させる。さらなる研究の進展が俟たれる。

本書は平成29(2017)年度より5年間実質的に継続した、京都大学東南アジア地域研究研究所共同利用・共同研究拠点(CIRASセンター)「地域情報資源の共有化と相関型地域研究の推進拠点」と、令和2(2020)年度より2年間続けた東北大学東北アジア研究センターの共同研究の成果である。次の助成を受けた。

  • 京都大学東南アジア地域研究研究所CIRASセンター「社会主義を経たイスラーム地域のジェンダー・家族・モダニティ:中東イスラーム地域研究との架橋をめざして」(2017~2018年度)(研究代表者:帯谷知可・和崎聖日)
  • 同「中央ユーラシアのムスリム地域社会における家族と規範:中東との比較分析」(2019年度)(研究代表者:磯貝真澄)
  • 同「中央ユーラシアおよび中東ムスリムの家族・ジェンダーをめぐる規範:言説とネットワークの超域的展開」(2020年度)(研究代表者:磯貝真澄)
  • 同「ムスリム家族とジェンダー規範をめぐる時空間のパースペクティヴ:中央ユーラシア、ロシア、中東をつなぐ」(2021年度)(研究代表者:磯貝真澄)
  • 東北大学東北アジア研究センター共同研究「ロシア・ソ連の家族・ジェンダー規範とイスラーム的言説の比較研究」(2020~2021年度)(研究代表者:磯貝真澄)

女性、結婚、家庭・家族といったテーマを扱う本書は、しかし、基本的には女性史でもジェンダー史研究でもなく、ジェンダー分析もしていない。もちろん、各章における個々の分析視角にはジェンダー論を踏まえたものがあるが、概して従来型の歴史学、人類学の考察手法をとっている。とはいえ、こうしたテーマ設定による共同研究が新たな事実の解明とさらなる課題の発見に有効であることは、本書から理解されるのではないだろうか。その判断は読者に委ねつつ、もし本書が少しでも広い範囲の読者の関心を惹き、知的議論を誘うようであれば、大きなよろこびである。

編者を代表して 磯貝真澄

参考文献

  • 阿部尚史[2020]『イスラーム法と家産――19世紀イラン在地社会における家・相続・女性』中央公論新社。
  • 伊賀上菜穂[2013]『ロシアの結婚儀礼――家族・共同体・国家』彩流社。
  • 小笠原弘幸[2022]『ハレム――女官と宦官たちの世界』(新潮選書)、新潮社。
  • 帯谷知可[2022]『ヴェールのなかのモダニティ――ポスト社会主義国ウズベキスタンの経験』東京大学出版会。
  • シンメルペンニンク=ファン=デル=オイェ、デイヴィド(浜由樹子訳)[2013]『ロシアのオリエンタリズム――ロシアのアジア・イメージ、ピョートル大帝から亡命者まで』成文社。
  • 畠山禎[2012]『近代ロシア家族史研究――コストロマー県北西部農村の村外就業者家族』昭和堂。
  • Attwood, Lynne[2010]Gender and Housing in Soviet Russia: Private Life in a Public Space. Manchester: Manchester University Press.
  • Peirce, Leslie[2003]Morality Tales: Law and Gender in the Ottoman Court of Aintab. Berkeley/Los Angeles/London: University of California Press.
  • Tucker, Judith E.[1985]Women in Nineteenth-Century Egypt. Cambridge: Cambridge University Press.

*1: 欧米で研究する専門家の仕事を挙げればきりがないが、たとえば、タッカー[Tucker 1985]やパース[Peirce 2003]の研究がある。日本でのごく最近の研究には、一般書籍として広く読まれる利点を持つ、小笠原弘幸によるオスマン帝国のハレム研究[小笠原2022]がある。阿部尚史による19世紀イランの地方名士の財産形成・継承の分析[阿部2020]は、従来の歴史的地方名士の研究を家族史に展開させようとするものだと理解できる。

*2: 本書のもう一人の編者である帯谷知可の業績[帯谷2022]は、そうした研究状況の欠を埋めるものだが、歴史研究と現代研究の組み合わせで構成される。本書へと続く発想で始められた研究であり、まちがいなく日本における先駆である一方、全編が歴史研究というわけではない。

*3: 筆者は、文化人類学者である伊賀上菜穂の研究[伊賀上2013]のかなりの部分が歴史研究である理由も、この文脈で理解している。

索引

事項索引

  • あ行
    • アブスタイ 17, 113-117, 122
    • 『意志』 70, 78, 82, 98
    • 『イスラームの女性たち』 16, 32, 39-40, 72, 84, 87-88, 90, 97-98, 121
    • 『イスラーム名媛伝』 39-40, 72, 97
    • 一夫多妻/多妻婚 40, 72, 97-99, 102, 172, 176, 278
    • イマーム 32, 107-108, 110-111, 114, 123, 125-127, 163, 190-192, 197
    • ヴェール 40, 52, 62, 64, 98, 203, 278 →「スカーフ」も見よ。
    • ウズベク 18, 63, 102, 133, 139, 206, 209
    • ウラマー 17, 26, 32, 101, 104, 107-108, 111, 114, 117-119, 122-124, 133, 136
    • エルトゥールル号 65, 96
    • 縁組 19, 171, 173-184, 186-189, 192-193, 195-198
    • オスマン帝国/オスマン朝 15-16, 18, 22, 24, 26, 29, 34, 37, 41, 61-62, 第2章, 104, 117-118, 121-123
    • オレンブルグ・ムスリム宗務協議会 17-18, 107-111, 115-119, 121-123, 134-136
  • か行
    • 解放(女性の) 第1章, 99, 101, 203-204
    • 駆落ち 19, 175-177, 179-183, 185, 187-189, 192-193, 195-198
    • カザフ 19, 134, 第5章
    • カーディー 17, 107-111, 113, 115-117, 119, 121-123, 134-135
    • 慣習 23, 38, 44-45, 52, 64, 140, 147, 149, 151, 159, 169, 171, 173-176, 187, 197
    • 慣習法 170, 174, 176
    • 共産党 19, 142, 204-207
    • 結婚披露宴 169-170, 173, 178, 180-183, 185-186, 190, 192-194 →「トイ(祝宴)」も見よ。
    • 五カ年計画 203-204
    • 国際東洋学者会議 29, 34-36, 57, 60, 70, 84
    • 婚姻契約 19, 169-171, 173-174, 183, 186, 188-193, 197
    • 婚姻登録 19, 169, 171, 183, 186, 188-193, 197
    • 婚資 140, 162, 170, 173-176, 178-179, 181-182, 192, 194-195, 202, 278
  • さ行
    • 『サオダト』 20, 資料紹介
    • ジェンダー 14, 20-21, 52, 66, 68, 77, 101-105, 123, 134, 138
    • シカゴ万国博覧会 72
    • 持参財 149, 152, 164, 173, 178-179, 181-182, 188, 194-195
    • ジャディード 17-18, 58, 101-105, 108, 112, 117, 122, 132-134, 139-140, 144, 154, 206, 208 →「新方式教育」も見よ。
    • 『女性の解放』 40, 62, 109, 120, 135
    • 女性部 203-207, 278
    • 女性部門 204
    • 新方式教育 17-18, 58, 104, 116, 122 →「ジャディード」も見よ。
    • スカーフ 153, 185, 189-190, 193 →「ヴェール」も見よ。
    • 『スユム・ビケ』 208-209
    • 贈与 170, 186, 193-194, 197, 202
  • た行
    • タジク 13, 48, 139
    • 多宗派公認体制 106
    • タタール 16, 24, 26-27, 29, 31-35, 37, 58, 60, 62, 72, 101-103, 108, 133, 174, 201-202, 206, 208
    • 『著名な婦人たち』 109, 119-121, 127
    • 『テルジュマーヌ・ハキーカト』 30, 40-41, 59-60, 70-71, 73
    • 伝統 19, 101, 138, 140-141, 146, 149, 152-153, 155, 157-159, 162-164, 170-171, 175, 187-188, 190, 197, 202, 206, 278
    • トイ(祝宴) 18-19, 第4章, 178 →「結婚披露宴」も見よ。
    • 東洋学協会 33-35, 38, 43-49
    • 東洋学 16, 24, 31, 33-34, 41-42, 45-47, 50, 61, 63-64, 84
    • 『土耳古畫觀』 65
  • は行
    • 『ファトマ・アリイェ女史、あるいはオスマン人女性作家の誕生』 第2章, 121
    • フジュム 203
    • 『婦人のための新聞』 71, 91
    • ボリシェビキ 133, 205
  • ま行
    • 『マアルーマート』 72, 97
    • 民族 19, 37, 39, 43-45, 63-64, 102, 111, 123-126, 133, 138, 140-141, 144, 149, 151-153, 155, 159, 163-164, 171, 197, 201
    • ムスリム宗務局 134, 141, 191, 202
    • 『ムスリム女性の解放について』 16, 36-42, 49, 60, 109
    • ムッラー 115, 140, 153, 173-174, 189-192, 197
    • ムフティー 17, 107, 109, 110-111, 113, 115-117, 122-123, 127
  • や行
    • 『ヤンギ・ヨル』 204, 206-208, 278
    • 誘拐婚 19, 170-171, 175-177, 179, 181-185, 187-189, 192-193, 195-198
    • 嫁入り 169, 173, 175, 179, 181-187, 189, 192-195, 197

人名索引

  • あ行
    • アブドゥフ、ムハンマド 42, 62, 117, 136
    • アガエフ、アフメドベク 41, 62-63
    • アクチュラ、ユスフ 72
    • アドヴィイェ・ラービア 70
    • アブデュルハミト2世 29-31, 65-66, 74, 86, 88
    • アフメト・ミドハト 16-18, 29-30, 32-34, 39-42, 51, 57, 59-62, 第2章, 117-119, 121-123, 128, 136
    • アミーン、カースィム 40-42, 50, 52, 61-62, 64, 108-109, 120, 135
    • アリ・セダト 70, 73, 80, 82, 98
    • ウルフ、ヴァージニア 68, 77
    • エミネ・セミイェ 70-71, 80, 100
    • オストロウーモフ、ニコライ・ペトローヴィチ 16, 47-49, 62, 64
    • オーネ、ジョルジュ 70, 78, 82
  • か行
    • ガスプリンスキー、イスマイル 18, 29, 58, 72, 97-98, 104, 106, 116-117, 122, 136
    • カリモフ、イスラム・アブドゥガニエヴィチ 18, 138, 141-143, 154-157
    • ギュルナル 29, 31, 36, 83-91, 99 →「レベヂェヴァ」も見よ。
    • ケリーミー、ファーティフ 72, 128, 133
  • さ行
    • サイイド・アミール・アリー 41-42, 50, 61-62, 64
    • サーミー、シェムセッティン 117, 120, 136
    • サンド、ジョルジュ 68
    • ジェヴデト・パシャ 67, 70, 77-80, 82-84, 92-93, 99-100, 121, 127
    • スターリン、ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ 102, 203-204
    • スルタノフ、ムハンマディヤール 17, 109-117, 122-127, 135
    • ズルフィヤ(ズルフィヤ・イスロイロヴァ) 207
  • た行
    • テヴフィク・フィクレト 71
    • トルストイ、レフ・ニコラエヴィチ 29, 31, 34, 51, 59, 61
  • な行
    • ナースィリー、カユム 26-27
    • ニギャル 32, 61, 71-72, 83, 100
  • は行
    • パーマー、バーサ 72
    • バヤズィートフ、アタウッラー 32, 60
    • ハーリデ・エディプ 72
    • ビクティミロヴァ、ガリマテルベナト 114-117, 122, 135
    • ファトマ・アリイェ 16-17, 29, 32-33, 39-42, 60-61, 第2章, 121, 127-128
    • フィトラト、アブドゥラウフ 102-103, 133
    • ブレジネフ、レオニード・イリイチ 204-205
    • ベフブーディー、マフムードホジャ 102-103, 133
  • ま行
    • マクブレ・レマン 40, 61, 71, 83, 100
    • マフムト・エサト 72, 97-98
    • ミルジヨエフ、シャウカト・ミロモノヴィチ 18, 第4章
    • 紫式部 79
    • メフメト・ズィフニー 120-121
    • メフメト・ファーイク(ファーイク・パシャ) 70, 80, 82-83, 85, 92
  • や行
    • 山田寅次郎 65-66, 73, 96
  • ら行
    • ラシドフ、シャロフ・ラシドヴィチ 205
    • リザエッディン・ブン・ファフレッディン 17-18, 第3章
    • レベヂェヴァ、オリガ・セルゲエヴナ 16-17, 第1章, 69-70, 72, 84-85, 98-99, 109 →「ギュルナル」も見よ。

地名索引

  • あ行
    • アルマトゥ 191, 202
    • イスタンブル 29-33, 35, 38-39, 42, 58-59, 61, 65, 70, 72-73, 84-85, 97, 121, 127
    • ヴォルガ・ウラル地域 13, 15-18, 23, 第3章, 139
    • ウズベキスタン 18, 101, 133-134, 第4章, 171, 資料紹介
    • エジプト 24, 37, 41, 44, 61-62, 108, 117, 134, 202
    • オレンブルグ 109, 128
  • か行
    • カイロ 36, 38, 42, 61, 121
    • カザフスタン 47, 134, 第5章
    • カザン 16, 25-29, 35, 48, 60, 69, 84, 109, 113-114, 118, 135, 208-209
    • カフカース 13, 41, 47, 63-64, 134, 205
  • さ行
    • サンクトペテルブルグ 27, 32-33, 36, 43, 45-46, 58, 61, 114
    • ストックホルム 29, 59, 70, 84
  • た行
    • タシュケント 46-49, 63, 145-146, 150-151, 160, 204, 206-207
    • チフリス 41, 47
    • 中央アジア 13-14, 18-20, 46, 63-64, 102-103, 134, 第4章, 第5章, 資料紹介
    • トルキスタン 16, 48, 102, 205
  • は行
    • バヤナウル 172, 177-178, 183, 189, 201-202
    • フェルガナ 139, 151