ハルハ河戦争 ノモンハン事件の地政学的再考

ブヤンツォグト・宮𦚰昇 編
書影『ハルハ河戦争』

ノモンハン事件はソ連、モンゴル、日本をはじめ北東アジアの運命を大きく変えた。国家戦略レベルの視座を、戦場の力学に関する戦術面の分析と結びつけた本邦初の書である。1939年の戦場の叫びが読者を圧倒する。(2026.3.30)

定価 (本体4,000円 + 税)

ISBN978-4-87791-342-7 C3031 231頁

目次

    • 巻頭言(庄司潤一郎)
    • はしがき
    • 写真1・2
    • 地図1~9
    • 主要地名解説
    • 一九三九年ハルハ河戦争(ノモンハン事件)関連年表
    • 凡例
  • 第I部 論説篇
    • 第一章 ハルハ河戦争(ノモンハン事件)の歴史的背景と地政学的文脈(石原明徳)
      • 第一節 北東アジアの地政学的基盤と二〇世紀初頭までの北東アジア情勢
        • (1)アジアの地政学的特徴
        • (2)日本の対外脅威認識の萌芽 ――『元寇』と江戸期以降の北方脅威認識
        • (3)二〇世紀初頭の北東アジア情勢
      • 第二節 日米対立の起源と第一次世界大戦までの北東アジア情勢
        • (1)二〇世紀前半の日本とアメリカの対立の起源
        • (2)辛亥革命による中国の混乱と北東アジアへの波及
        • (3)第一次世界大戦の勃発と日本・ロシアの勢力圏拡大
      • 第三節 第一次世界大戦の終結とベルサイユ・ワシントン体制
        • (1)帝政ロシアの崩壊と北東アジアの混乱
        • (2)欧州でのベルサイユ体制と北東アジアの混乱の継続
        • (3)ベルサイユ・ワシントン体制による新国際秩序の確立と北東アジアの安定
      • 第四節 一九二〇年代から三〇年代の北東アジア情勢
        • (1)国民党政権による中華民国の統一と北東アジアでのソ連影響圏の復活
        • (2)満洲事変による北東アジア国際秩序の再編成
        • (3)満洲国の成立と一九三〇年代の北東アジア情勢
        • (4)ハルハ河への道
    • 第二章 ハルハ河戦争の大戦略的分析(ブヤンツォグト)
      • 第一節 大日本帝国の大戦略とその影響
        • (1)大陸政策の深化と「満蒙問題」
        • (2)北進論と南進論の交錯
        • (3)ハルハ河戦争と戦略的失敗
      • 第二節 ソ連の大戦略と北進論
        • (1)スターリン体制と極東戦略の位置付け
        • (2)ジューコフの戦略的判断と戦術革新
        • (3)モロトフ=リッベントロップ協定と東アジア
      • 第三節 モンゴルの地政学的立場
        • (1)歴史的前提とモンゴルのステータス・クオ(一九一一~三四年)
        • (2)国境紛争からハルハ河戦争へ ――満洲里会議とモンゴルの外交・軍事(一九三五〜三九年)
        • (3)日ソ外交交渉 ――停戦・国境画定・中立条約(一九三九〜四一年)
        • (4)地政学的意味
      • 第四節 アメリカの大戦略と戦略的関与 ――南進論
        • (1)太平洋戦略の成立とフィリピン要衝の戦略価値
        • (2)門戸開放政策と中国戦線
        • (3)経済制裁と戦略的対決
      • 第五節 ハルハ河戦争の大戦略的総括
        • (1)日本の大陸進出の必然性
        • (2)日本の大戦略 ――大東亜共栄圏構想
        • (3)敗北の原因
      • 第六節 ハルハ河戦争の大戦略的意義
    • 第三章 河川の地政学的意味とハルハ河戦争(玉井良尚)
      • 第一節 ハルハ河戦争に着目する意義
      • 第二節 一九三〇年代の満洲国防衛と満ソ国境紛争の状況
        • (1)一九三〇年代の日ソ間の軍事衝突
        • (2)満洲国境防衛と周辺地理
      • 第三節 満洲国西部防衛とハルハ河
        • (1)ハルハ河とその周辺環境
        • (2)関東軍のハルハ河の認識
      • 第四節 ハルハ河をめぐる日本軍の軍事行動
        • (1)渡河
        • (2)給水
      • 第五節 ハルハ河戦争での関東軍の河川戦略からみえてくるもの
    • 第四章 ‌鉄道延伸に見るハルハ河戦争 ――タムサグブラグ支線は戦争で使われたか?(宮𦚰 昇)
      • 第一節 ソ連・モンゴル軍を勝利に導いた鉄道支線
      • 第二節 鉄道延伸
        • (1)シベリア鉄道からの兵站の先行研究
        • (2)タムサグブラグへの鉄道支線の概要
        • (3)工期短縮の要因
        • (4)二つの疑問
      • 第三節 狭軌の敷設の理由
      • 第四節 日本側の情報把握失敗とソ連・モンゴル側の情報秘匿の理由
        • (1)日本側の情報収集の限界
        • (2)ソ連・モンゴル側はなぜ隠したのか
      • 第五節 停戦後の日モ双方の鉄道延伸
    • コラム1 日本陸軍統帥の破綻と軍種(ドメイン)の相違がもたらす軍事力行使における「重さ」の差異(石原明徳)
  • II 対談篇
    • 第五章 日本とモンゴルの現代的戦略への影響 ――奥山真司へのインタビュー(編者)
    • 第六章 ノモンハンの二一世紀への教訓 ――エドワード・ルトワック博士との対談(編者)
    • 第七章 ノモンハンの前と後 ――オンライン座談会(編者)
    • コラム2 地上軍による実効支配が国境画定に及ぼす影響の強さ(石原明徳)
    • コラム3 ハルハ河戦争のゲーミング ――他の選択肢の可能性をさぐる(宮𦚰昇)
    • あとがき
    • 執筆者紹介
    • 索引

著者紹介

執筆者紹介(五十音順)

石原明徳
防衛研究所国際紛争史研究室、立命館大学政策科学研究科(第一章、コラム1・2執筆)
玉井良尚
立命館大学助教(第三章執筆)
ブヤンツォグト
モンゴル国、ユーラシア戦略研究所所長(共編者、第二章・あとがき執筆、第II部編集)
宮𦚰昇
立命館大学教授(共編者、第四章・コラム3・はしがき執筆、第II部編集)

まえがき

はしがき

そこには、じりじりと肌と頭を焼く日差しの下、広漠とした草原が拡がっていた。戦争の舞台となったハルハ河に面する村は、社会主義の雰囲気を幾分残していて、それはそれで心地よい。国境警備隊の先導と案内を得られたことは、たいへん幸運であった。それがなければ、ハルハ河を渡ることさえできないのである。

二〇二五年の夏に本書執筆陣のメンバーは、ノモンハン近くを訪問した。当時日本側が「国境」と主張したハルハ河は、想像よりも大河ではなく、確かに馬や羊が場所を選べば渡河できそうな河である。河の東岸は、平原と高地が草にまみれ高低の判別が困難である。そこに見られる軍用機や戦車の残骸は、ノモンハン戦及び第二次世界大戦のものであるといわれ、夏草との対比が芭蕉を想起させる。そこで訪問者は、両軍の戦死者の御霊に平和を祈った。

戦場で散った両軍将兵の聲を編者が託されたといえば、不謹慎かつおこがましい。しかし、編者の一人は帰任後に三度もノモンハンの将兵が夢に現れた。本来こうしたことは学術書たる本書に記すべきことではないかもしれない。それでも、ここに敢えて記させようとする強い歴史の力に任せたい。戦死者、傷病兵、捕虜たち、そして無事に帰還した将兵たちのことを日夜思いながら、本書の編纂と執筆を進めた。本書の編纂の際には、戦場に進まざるをえなかった者たちの聲が陽炎のように燃え続け、それを持ち帰った編者のわずかばかりの責任感も加わった。

ノモンハン(ハルハ河)の戦いから長い年月が過ぎてもなお、こうした感涙の情がむせぶのは、この戦争が複雑な背景を有していることに加え、戦いの終わり方にも起因する。停戦こそなされたが、和平交渉には時間を要したこと、捕虜となったり敗北の責任を問われたりして自決を求められた将校がいたこと、さらに東京裁判によってソ連側の主張が多く通ったこと、などが論争の的であり続けている。むろんいかなる戦争も、その評価は、歴史が決めるものであり、それを弄んではならないことも承知している。

されど、現在のモンゴルと日本の間に友好関係がある一方で、他方でロシアと日本の冷たい関係が理由はどうあれ継続していることを、戦場で散った将兵に対して現在の生を受けている私たちは何と弁明できるのか。なぜこの地、すなわち北東アジアは、互いに対立を続けるのか。むろんだましあいや裏切りが珍しくない国際政治の本質がこの地域に顕著であるといえば、それに尽きる。否、それでよいのだろうか。地球の裏側では、独仏が、憎悪を越えて力をあわせる不戦の枠組みを形成して七十年以上経つ。例えていえば餅をつき、掌でもんで丸い餅に形を整える。その表層の部分をまとめる面がヘソのようにできる。地球を丸餅だとして、つるつる面が独仏でそのヘソが北東アジアだとしたら、なんとも寂しいではないか。本書はそうした想いも背負って世に出される。

***

ノモンハン事件(ハルハ河戦争)は国境紛争の拡大ではあったが、同時に地政学的対立を反映していた。日本側は、満洲事変、支那事変(日中戦争)と同様にノモンハンを事件(事変)という言葉で括ろうとしたが、その規模と実態は戦争と呼ぶにふさわしく、本書ではハルハ河戦争という呼称も併せて用いる。

むろんハルハ河戦争については、日本のみならず各国で分厚い先行研究がある。碩学の秦郁彦先生、田中克彦先生をはじめ軍事史学会など学界での蓄積は進んでおり、ジューコフや辻政信を筆頭に当事者たちのモノグラフィも数度にわたり世に出され、またソ連崩壊後のロシア側史料の公開、モンゴル側資料の出版やオーラル・ヒストリーが進み、そして日本側史料もアジア歴史資料センターによって格段に研究環境が整っている。その中で本書が新たに問うことは、マクロ地政学とミクロ地政学のアプローチによる再発見である。マクロ地政学とは、大国間対立を念頭に大陸大の議論をする。ミクロ地政学は国境紛争等の地理的性格に着目しそれを地政学的に俯瞰する。その双方を兼ね備えたハルハ河戦争へのアプローチは、管見の限り本邦初である。

ノモンハン事件は、日ソ・日モだけの問題で生じたわけではなかった。同年の独ソ不可侵条約、ソ連のポーランド・フィンランド侵攻にかんがみれば、欧亜をつなぐ大局的理解は可能である。同時に、アメリカが対日制裁を始めたのも同年である。当時中華民国がソ連に援助を求めていたことも既に史料から明らかになっている。こうした戦略の中でノモンハンの勝敗の帰趨は、世界情勢に大きな意味を有したはずである。そこには、モンゴルと満洲国の国境問題にとどまらない、ソ連、日本、アメリカの地政学的戦略が背景にある。歴史にifは禁句としても、政策論ではifがなければ別の選択肢(alternative)は考えにくい。本書で収録している、ifの発想をもとに考えを練ったゲーミングに加え、世界的に著名な地政学者ルトワック博士や奥山先生からは、地政学的再考にとって欠かせない論点を得た。これらをマクロ地政学的なアプローチとして一括りにしたい。

同時にミクロ地政学も重要である。本書で収録した座談会で議論したように、満洲国とソ連の国境認識の観点からは、一九三七年のカンチャーズ島事件や翌年の張鼓峰事件は、ノモンハン事件の導火線であった。ノモンハンもまた、ハルハ河という河川国境をめぐる対立点であった。島国である日本は、諸外国に比べ陸上の国境認識が歴史的に乏しく、農耕民族としては河川を国内の地域の境界線にすることが通常であった。比べてモンゴル人は、主に遊牧民族であり河川の両岸は一体の草原として認識する。こうした文化的認識の差は、関東軍が造成した満洲国の建設に活かされていたのであろうか。

また兵站、特に鉄道延伸が戦争の利にかなっていることを日露戦争以来双方ともに知悉しているにもかかわらず、双方の鉄路は戦場から比較的離れていた。しかし本書で見るように、ソ連・モンゴル側は、戦争中にタムサグブラク、すなわち国境近くまで鉄路延伸の作業を続けた。それがハルハ河戦争に間に合ったのか否かを見定めるには史料が不足しているが、ソ連・モンゴルの鉄道重視と建設の迅速さは目を見張るものがある。日本側もアルシャンからの鉄路の北伸を視野におさめて、ハルハ河戦争末期にマナ山を占領した。本書で記したように、現地の鉄路をめぐるミクロな闘いは、戦争の帰趨を定める大きな要因となった。

一九三九年の当時の国益と心境に近づいて再考したノモンハンの新たな風景が本書にある。当時は知りえなかったこと、戦後世界が見失ったこと、それらを本書が余すことなく網羅できているわけではない。しかし一九三九年に飛び戻って、戦場の人たちと話せるものなら、聞くべきことが山ほどある。ハルハ河戦争は、ソ連、モンゴル、日本をはじめ北東アジア諸国の運命を大きく変えた。戦闘に加わった人たちの筆舌に尽くしがたい辛苦、無念、そして災厄を、編者が胸に刻印して本書の編集作業を進めてきたことを再度強調したい。むろんこうした感覚は、学術書としての本書の装いを変えるものではない。それでも、戦場の叫びを幾何とも読者が感じてもらえれば、編者として望外の喜びである。

編者

巻頭言

ノモンハン事件研究のパイオニアであるアルヴィン・D・クックスは、ノモンハン事件は「忘れられた戦争」と言われるが、「一九三九年が歴史の真の転換点」であったという事実を踏まえれば、重要な出来事として注目されるべきであると述べている。その理由として以下のように指摘する。

「日本の大本営はノモンハンで痛い目にあったが故にシベリア侵攻計画を放棄し(あるいは少なくとも延期し)、その代わりに米英仏蘭に注意を向けるようになった。もしシベリア侵攻を行っていたならば、その後の世界史は大きく変わり、日本だけでなく、その近隣諸国、敵も味方も区別なくすべての国々にとって、長期的な影響をもたらしたであろう」

このクックスの指摘には、二つの論点が存在する。第一に、ノモンハン事件での苦闘が、二年後の独ソ戦の勃発に際して日本を北進(対ソ開戦)ではなく南進へと導き、結果的に大東亜戦争に発展したとの点である。

同様な見解は、幾人かの研究者によってなされている。例えば、英国のマルコルム・マッキントッシュは、「ノモンハン事件におけるソ連軍の勝利は重要なものであり、一九四一年六月ドイツがソ連を攻撃した際、日本政府の参戦しないとの決定に影響を及ぼしたであろう」と指摘している。

独ソ開戦直後の一九四一年七月二日に開催された御前会議において、「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」を決定した。要綱では、対英米戦を辞せずに「南方進出ノ態勢ヲ強化ス」とされる一方、北方については、独ソ戦の推移を見つつ当面は独ソ戦に介入せず、「密カニ対『ソ』武力的準備」を整えると規定された。その結果、「関東軍特種大演習」(略称「関特演」)が実施されることになった。

この間、陸軍内では独ソ戦への対応をめぐって、様々な見解が見られた。即時ソ連を攻撃すべきとの主張(いわゆる「渋柿主義」)と、南方への武力進出を優先し独ソ戦は様子を見てから判断すべきとの主張(いわゆる「熟柿主義」)などである。前者の主張の急先鋒は参謀本部作戦部長の田中新一少将で、現地の関東軍、特に若手幕僚が強く支持していた。また、半年にわたって独伊の軍事状況を視察し帰国した山下奉文中将も、ドイツ軍の戦力は圧倒的に優勢であり速やかにソ連軍を撃滅するとの見通しから、同様の主張を展開した。後者は陸軍省を中心としており、軍務課長の佐藤賢了大佐、軍事課長の真田穣一郎大佐などであった。

八月九日参謀本部は、年内対ソ武力行使の中止と十一月末を目途に対英米作戦準備を促進することを決定した。中止の理由は、独ソ戦の推移から本年中のソ連の屈伏と対ソ武力発動の好機を期待することができないこと、七月二八日の南部仏印進駐の結果米国が日本の在米資産を凍結し、さらに対日石油の全面禁輸の措置により持久化が予想される対ソ戦を優先的に考えることが到底できなくなったことなどであった。

いずれにしても、対ソ攻撃に踏み切らなかった決定的な要因は、ノモンハン事件に起因するソ連に対する恐怖感というよりは、むしろ国際的な軍事・政治情勢が日本に有利にならないなか対英米開戦に重点が置かれたことにあった。

そのため、関東軍などには対ソ攻撃という強硬論が根強く見られたことから、「陸軍がこの時点での対ソ進攻を思いとどまったのはノモンハン事件の敗北のコンプレックスだと解説する評言を見かけるが、むしろノモンハンの復仇をと意気ごんだと見るのが妥当だろう」といった指摘もなされている。

一方、ノモンハン事件当時いずれも関東軍の作戦参謀で、独ソ戦開戦時には参謀本部に配属されていた辻政信中佐(第二課兵站班長)と服部卓四郎大佐(第二課長)は、両者ともに、参謀本部内に散見された対ソ攻撃論に対して、石油・資源のために即刻南進すべきであると反論したが、その際の議論において辻中佐は、「ソ連をあまり甘くみたらあかんぞ。ノモンハンの前例もある。(服部)課長も我が輩もソ連軍の実力は、ノモンハン事件で尽く承知だ。現情で関東軍が北攻を開始して、本年内に目的を達成するとは到底考えられない」と述べていたという。

ノモンハン事件の陸軍に及ぼした影響について、ノモンハン事件当時駐ソ大使でのちに外相に就任した東郷茂徳は、「尚本事件の結果関東軍が自重して『ソ』聯への手出しを控へたことも事実である」と回想している。また、終戦時の鈴木貫太郎内閣の書記官長であった迫水久常は、陸軍の抱いていたソ連に対する恐怖感について、皮肉を込めて、「日本の陸軍のたった一つのとりえは、ソ連の実力を正当に評価しておったことである」と評し、その契機となったのはノモンハン事件敗北の衝撃であったと指摘していた。

このように、ノモンハン事件における体験が、陸軍軍人にソ連に対して抑制的に対応するようにした点は否定できないが、それが独ソ戦への不介入をもたらしたとの見方は、慎重に検討する必要があろう。

第二の論点は、日本が南進ではなく北進に集中、すなわち独ソ戦に呼応してソ連を攻撃していれば、世界の歴史は大きく変わったであろうとの点である。クックスは、日本が参戦すればソ連は同時に二正面作戦を強いられ、ドイツが独ソ戦で勝利をしていたであろうことは「ほとんど疑いの余地がない」と指摘している。ドイツが勝利する根拠として、例えば、ハバロフスクに置かれていたソ連の極東方面軍司令部の作戦部長であったA・K・カザコフツェフ少将の、「もし日本がヒトラーの側に立って参戦してきたならば、我が方は絶望的である」との発言をあげている。さらに、クックスは、ソ連の崩壊は不可避であり、「その結果ドイツと日本は全世界の主要部分を分割支配していたであろう」と指摘している。

ノモンハン事件が転換点という議論については、一九九一年十一月太平洋戦争開戦五十周年を記念して山中湖で開催された国際シンポジウムにおいても議論された。会議の総括では、検討に値する開戦をめぐる四つの転機について言及がなされたが、そのひとつが、一九四一年七月から九月に及ぶ日本による対ソ参戦の検討と中止であった。

これは、日独関係の研究者であるベルント・マルティンの問題提起を受けたものであった。マルティンは、独ソ戦勃発後の一九四一年七月二日の御前会議における独ソ戦不介入の決定は「二〇世紀半ばにおける決定的転換点」であり、逆に日本が対ソ参戦していればソ連は敗北したであろうし、対米開戦もなく、中国では共産主義勢力が国民党に勝利することもなかったと指摘していた。

この点は、歴史上のイフの問題であり、日本が対ソ参戦した場合の独ソ戦、さらには第二次世界大戦の帰趨について論じることは難しいであろう。ただ、極東方面の戦局については、「極東ソ連軍を撃滅する目的は果たせないまま、シベリア出兵や現実の独ソ戦に似た不毛の消耗戦に移行する」といった悲観的な予想が散見される。独ソ戦についても、近年の研究では、ミンスク、スモレンスクを占領した直後の一九四一年八月という早い時点で、ドイツ軍は「戦争に勝つ能力を失う」ことによって、「敗北を運命づけられていた」といった主張もなされている(既述のように、日本の陸軍は、この時期の独ソ戦における戦局の停滞をひとつの根拠として不介入を決定していた)。

他方、ノモンハン事件は、日本の終戦への道程にも影響を及ぼしていた。それは、終戦時にソ連を仲介とする和平交渉に尽力した東郷茂徳外相の外交である。東郷外相は、一九四五年春の時点で対日参戦抑止の外交を行うのは時期を失しており難しいと認識していたが、積極的に和平交渉を推進した背景には、駐ソ大使としてノモンハン事件の収拾を成し遂げたとの体験から、「ソ連なら自分がなんとかやれるという自信」が存在していたと言われる。

一九三八年十月駐独大使から駐ソ大使に赴任した東郷は、ノモンハン事件に際してヴャチェスラフ・M・モロトフ外相と停戦交渉を重ね、一九三九年九月十五日に停戦協定が成立した。その後、モロトフ外相との関係は深まっていった。

東郷の駐ソ大使離任に際して、モスクワの迎賓館で送別の宴が催され、席上モロトフは、「自分は公的生活の中で、貴下のように自国の利益を頑強に擁護する人物に出会ったのははじめてである。自分は貴下をすぐれた外交官としてばかりでなく、人間として尊敬する」との賛辞を贈った。さらに、離任直前に大使公邸で開かれた午餐会に、モロトフ外相やアナスタス・I・ミコヤン貿易相などソ連政府の要人が出席し長時間滞在したが、これは極めて異例のことであった。

このようにノモンハン事件の停戦協定締結を通して培われた自信に裏打ちされたソ連との和平交渉は、一九四五年八月八日漸く面会に応じたモロトフ外相が佐藤尚武駐ソ大使に告げた日本に対する宣戦の通告で終焉を迎えたのであった。東郷の伝記の著者である萩原延壽は、東郷外相の対ソ和平交渉とその破綻について、「そこに一脈、駐ソ大使時代の記憶、とくに離任にあたってモロトフから受けた賛辞の記憶が流れていなかったかどうか」、感慨深いものがあると述べている。

ノモンハン事件は、それが及ぼした具体的な影響や歴史上の意義については、様々な見解がありまだ議論の余地が残されていると思われるが、開戦、終戦をはじめとする日本の政策決定と密接に関連していることは明らかであり、大東亜戦争を考える際の重要な出来事であったことは間違いないであろう。

庄司潤一郎

  • 1 代表的な著作として、A・D・クックス(岩崎俊夫・吉本晋一郎訳)『ノモンハン 草原の日ソ戦─1939(上・下)』(朝日新聞社、一九八九年)。
  • 2 A・D・クックス(高橋久志・立川京一訳)「ノモンハン事件再考」『軍事史学』第三十二巻第四号(一九九二年三月)、同(高橋久志訳)「外国人が見たノモンハン戦の教訓」『歴史と人物 増刊 秘史・太平洋戦争』(一九八四年十二月)などを参照。
  • 3 クックス「ノモンハン事件再考」十二頁。
  • 4 Malcolm Mackintosh, Juggernaut: A History of the Soviet Armed Forces (New York: The Macmillan Company, 1967), p.108.
  • 5 独ソ開戦をめぐる陸軍の動向について詳細は、防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本営陸軍部〈2〉』(朝雲新聞社、一九六八年)二九四~三八〇頁を参照。
  • 6 同右、三七七~三八〇頁。
  • 7 秦郁彦「ノモンハン事件の終結」『政経研究』第四十九巻第四号(二〇一三年三月)四二九頁。
  • 8 高山信武『服部卓四郎と辻政信(新版)』(芙蓉書房、一九八五年)五二~六四頁。
  • 9 東郷茂徳(東郷茂徳記念会編)『時代の一面』(原書房、一九八五年)一四〇頁。
  • 10 江藤淳『もう一つの戦後史』(講談社、一九七八年)三二~三三頁。
  • 11 クックス「ノモンハン事件再考」一一~一二頁。
  • 12 クックス「外国人が見たノモンハン戦の教訓」三三五頁。
  • 13 細谷千博ほか編『太平洋戦争』(東京大学出版会、一九九三年)六三七、六六〇~六六四頁。
  • 14 秦郁彦「関特演─幻の日ソ戦」『昭和史の謎を追う(上)』(文藝春秋、一九九三年)二二五頁。
  • 15 大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書、二〇一九年)第二章第二節「スモレンスクの転回点」。
  • 16 当時東郷外相の秘書官であった大野勝巳の回想。読売新聞社編『昭和史の天皇 7』(読売新聞社、一九六九年)三六四頁。
  • 17 萩原延壽『東郷茂徳─伝記と解説〈普及版〉』(一九九四年、原書房)二四一~二四四頁。
  • 18 同右、二九六頁。

索引

人名索引(五十音順)

  • ア行
    • 石井四郎 104
    • 石原莞爾 47, 98, 186
    • 板垣征四郎 98
    • 植田謙吉 187
    • 袁世凱(Yuan Shikai)38-40
    • 汪兆銘(Wang Jingwei)45
  • カ行
    • 桂太郎 37
    • グレイ(Colin S. Gray) 150, 164
  • サ行
    • 幣原喜重郎 47
    • ジューコフ(Георгий Константинович Жуков)57, 64-65, 82, 84, 92, 115-116, 119, 133, 170, 172
    • 蒋介石(Chiang Kai-shek)50, 66, 82
    • スターリン(Иосиф Виссарионович Сталин)50, 57, 59, 63-67, 84, 118, 168, 170, 176
    • 宣統帝(gehungge yoso)40-41, 50
    • 孫文(Sun Yat-sen)38-40, 43, 45-46
  • タ行
    • タフト(William Howard Taft)37
    • 段祺瑞(Duan Qirui)41
    • チョイバルサン [人名](Хорлоогийн Чойбалсан)43
    • 張学良(Zhang Xueliang) 45, 47
    • 張作霖(Zhang Zuolin)45, 49, 59
    • チンギス・ハン*132, 81
    • 辻政信 51, 98, 127, 187-189, 191, 193, 201
    • 東郷茂徳 70
    • 東條英機 186
  • ハ行
    • 秦郁彦 116, 149ff. , 182, 196, 198, 200, 203, 205
    • 林子平 33-34
    • 林銑十郎 144
    • ハリマン(Edward Henry Harriman)37
    • ヒトラー(Adolf Hitler)48, 168, 174
    • フェクレンコ(Николай Николаевич Фекленко)92
    • 溥儀(Puyi)48, 59
    • ヘイ(John Milton Hay)36
    • ホトクト八世(Жавзандамба хутагт)39
    • ボグド・ハーン(Богд Жавзандамба хутагт)39-40, 43, 46, 67
  • マ行
    • マッキンダー(Halford J. Mackinder) 32, 78, 154-155
    • マハン(Alfred Thayer Mahan)34, 36
    • ミアシャイマー (John Mearsheimer) 57, 156
    • 毛沢東(Mao Zedong)66, 82, 159
    • モロトフ(Вячеслав Михайлович Молотов)65-67, 70
  • ラ行
    • 李鴻章(Li Hongzhang)39
    • リッベントロップ(Joachim von Ribbentrop)65-67, 150
    • リデルハート(Sir Basil Henry Liddell-Hart)152
    • セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt) 37
    • ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)75-77, 171, 176
    • レーニン(Владимир Ильич Ленин)46, 119
    • ロマン・ウンゲルン(Роман Фёдорович фон Унгерн-Штернберг)43
  • ワ行
    • ワイリー(Joseph Caldwell Wylie) 151-152, 158
    • 若槻礼次郎 47

事項・地名索引(五十音順)

  • ア行
    • 東捜索隊 92
    • アジア太平洋 74
    • アフガニスタン 35, 158
    • アムール川 (Амур мөрөн / река Амур) 32, 66, 90-91, 93-94, 191, 194, 197, 202
    • (黒竜江): 186, 194
      • ―事件 66
    • アマラルディン・オーラ 203
    • 阿穆古朗(アムクロ) 95, 143
    • アメリカ 31, 36-38, 40, 43-48, 50-51, 57, 74-78, 81-84, 149-150, 153-154, 159-173, 175-178, 183, 196-197, 207-211
      • ―海軍 36, 43, 51
    • アルシャン (阿爾山 Аршаан / Рашаан) 79, 114, 135, 143, 196, 204-205
      • ―川 204
    • イギリス 32, 34-37, 39-48, 81, 83, 150-152, 158-162, 168-169, 171, 175, 197
    • イタリア 44, 168, 178, 189
    • インド 34, 60, 74
    • ウェーク島 75
    • ウスリー川(Уссури мөрөн / река Уссури) 93-95
    • ウズル水 103, 105
    • ウラジオストク(Владивосток) 79-80, 91, 158, 170
    • ウランバートル(Улаанбаатар) 43, 46, 118, 120, 123-124, 126, 130, 132, 138
    • 衛星国(家) 59, 69, 90
    • 英領マラヤ 60
    • オホーツク海 80
  • カ行
    • 華北分離工作 49-50
    • 韓国 32, 35, 37
    • 緩衝地帯 39, 42, 47, 49, 57, 64, 79, 84
    • カンジュル廟 143
    • 漢人 39
    • 乾岔子島 91-92, 186-187, 189
      • ―事件 90, 94, 182, 184, 186-194, 197
    • 関東軍 45, 47-48, 51, 59-64, 66, 69, 72, 79, 81-82, 89-90, 92, 96, 98-104, 107-109, 113, 116, 127, 131, 134, 143-144, 150, 155, 157, 163, 184, 186-189, 191, 193-194, 197-199, 201, 207-211
      • ―防疫給水部(七三一部隊)104
      • ―臨時第三防疫給水班 103
    • 広東 34, 40
      • ―軍政府 42
    • 機械化 50, 61, 64, 82-84, 144, 175, 199
    • 機会均等 36, 44
    • 冀察政務委員会 49
    • 北満洲 35, 37, 40, 58
    • 吉林 93-94
    • 冀東防共自治政府 49
    • キャフタ協定(条約)40, 43, 68, 71
    • 極東戦略(ソ連)63-64, 66
    • 攻撃的リアリズム 57
    • 広州 50
      • ―国民政府 45
    • 江上軍 94
    • 抗日民族統一戦線 50
    • 江防艦隊 94, 183, 194
    • 国際連盟 46, 48
    • 国境画定委員会 71
    • 国境紛争 31, 51, 69, 85, 90, 92, 95, 173, 182, 184, 202-205
    • 虎頭要塞 94-95
    • コミンテルン 45-46, 66, 68, 189
  • サ行
    • 最終議定書 203
    • 山西省 50
    • 山東 34
      • ―出兵 46
      • ―省 40, 42
      • ―利権 43
    • シー・パワー 31, 35-49, 57, 78, 81, 83-85, 155-156, 158, 160, 162-165, 196-197
    • 七月攻勢 90, 100-101, 108, 143-144, 196
    • シベリア(Сибирь) 32, 35, 37, 39, 42, 47, 57, 60, 63, 67, 72, 79, 81, 84, 119, 124, 170, 176-177
      • ―出兵 41, 59
      • ―鉄道(Сибирийн төмөр зам / Транссибирская магистраль)34, 41, 91, 95, 113-116, 121, 123, 125, 133, 138, 199
    • 上海 40, 45, 50, 162
      • ―財閥 45
      • ―事変 48
    • 縦深戦術 64, 84
    • 松花江 93-94
    • 将軍廟 95, 106, 143
    • 小興安嶺山脈 93
    • 清 34-35, 38-39
      • ―朝 58-60, 67, 69, 79, 204
    • 辛亥革命 38-40, 42, 58, 67-68
    • 新京 91
    • 綏芬河 94
    • スティムソン・ドクトリン(Stimson Doctrine)47, 76
    • 勢力圏 34-35, 37-38, 40, 43-45, 49, 57-59, 74, 79-80, 84
    • 世界恐慌 48
    • 石油禁輸 75-76
    • 赤痢 105
    • 外モンゴル 43, 46, 57-59, 61, 67-68, 71, 73, 127, 184
    • ソビエト連邦(ソ連)(Зөвлөлт Социалист Бүгд Найрамдах Холбоот Улс / Советский Союз)31, 42-51, 57, 59-61, 63-76, 80, 82-85, 89-95, 106, 113-119, 121-122, 124-127, 130-133, 135-136, 138, 143-145, 155, 157, 163, 165, 167-172, 175-177, 185-187, 189-192, 194-201, 204, 207-211
      • ―アムール小艦隊(Амурын флот / Амурская флотилия)94
      • ―軍 50-51, 61, 63, 70, 72, 83, 89, 91-97, 100-108, 113-114, 116, 118, 127, 130-131, 133, 135, 178, 185, 198-200, 203
    • ソ蒙相互援助議定書 50
  • タ行
    • 大興安嶺山脈 92-94, 96, 98-99, 108
    • 第一次世界大戦 36, 40-43, 48, 64, 160, 169, 171
    • 大戦略 36, 57-59, 61-63, 65-67, 72, 74-75, 78, 80-81, 83-85, 149-150, 152-154, 159-160, 162-163, 165-169, 171, 175, 177-178, 183, 195-196, 201-202
    • 大東亜共栄圏 59-60, 80-81, 175, 196, 201
    • 第二三師団 99, 101, 103, 143-144, 198, 203
    • 太平洋艦隊 74-75, 77, 169
    • 太平洋戦争 82-85, 108, 157
    • 大モンゴル国 43
    • 大陸中心構造 44
    • タムサグブラグ(Тамсагбулаг)113-114, 117-122, 124-125, 128-129, 136, 138
    • 千島列島 33
    • チベット 39
    • 中央アジア 35, 40
    • 中華民国(中国) 38-40, 42, 45, 50, 68, 126, 207-208, 210
      • ―権益 36-37
      • ―江防艦隊 94
      • ―国民政府 40, 45-46, 49-51, 76,
      • ―国民党 43, 45, 66, 82
      • ―市場 36, 38, 44, 47, 74-75
      • ―東北海軍 94
      • ―北京政府 39
      • ―臨時政府 38
    • 中国共産党 45 66
    • 朝鮮軍 47, 91, 144, 186
    • 朝鮮半島 32-35, 37, 57, 60, 62, 79, 81, 83-84, 127, 156, 170
    • チョイバルサン(→バヤントゥメン)[地名]
    • 長江 45, 162
    • 張鼓峰 51, 91-92, 95,
      • ―事件 51, 95, 182, 184, 186, 189-192
    • 金阿穆河島 91, 186
    • 青島 40
    • 帝国国防方針 37, 156
    • 同江 94
    • 豆満江(Түмэн гол / река Туманная)91, 93, 95
    • ドイツ 34, 38, 40-44, 63, 65-66, 70, 76, 160-161, 168-169, 171, 174-176, 189-190, 207-211
      • ―権益 40, 44
      • ―軍 40, 70, 169-170, 174, 176
    • 塘沽停戦協定 50
    • 東清鉄道 34
    • ドルノド県(Дорнод аймаг)97, 131
  • ナ行
    • 七三一部隊(→関東軍防疫給水部)104
    • 南京 38-39, 45, -46, 50
      • ―国民政府 45-46
    • 南進論 48, 57, 59, 60-62, 72, 74, 76, 78, 83-85, 156-157, 195
    • 日清戦争 34, 58, 60, 79, 82, 202
    • 日ソ停戦協定 203
    • 日ソ中立条約 71, 136
    • 日中戦争 50-51, 62, 66-67, 79, 82-83, 158, 191-192, 208, 210-211
    • 日露協約 37-38, 40, 58
    • 日露戦争 35-38, 43, 49, 58, 60, 79, 82, 126, 153, 156, 162, 196, 202
    • ヌムルギーン川 (Нөмрөгийн гол) 204
    • ノモンハン(Номонхан)[地名] 51, 69, 95, 97-102, 106, 108, 115-116, 127, 134, 153, 157, 163, 168-169, 173, 181, 188, 193, 196, 198-199, 201, 204-205, 210
      • ―ブルド・オボー (Бүрд овоо) 204
    • ノロ高地(ノロ丘陵)102, 105
  • ハ行
    • ハートランド 32, 35, 41-42, 44, 46, 50, 57, 60, 72, 78, 80-81, 154-155, 159, 163, 196
    • ハイラル(海拉爾)(Хайлаар)51, 94, 98, 103, 114, 116, 128, 135, 199
      • ―要塞 94
    • 白軍 41-43, 46, 68
    • ハサン湖(Хасан нуур / озеро Хасан)91, 95
      • ―事件 66
    • 八月攻勢 97, 100, 106, 114, 127, 144, 184, 203-204
    • パックス・モンゴリカ 32
    • バヤントゥメン(Баянтүмэн / Чойбалсан)106, 114-122, 124-126, 128-129, 131-133, 135-136, 138
    • ハルハ河 [地名](Халх гол)63-64, 69, 71-73, 79-80, 83, 89-90, 92, 95-104, 106-108, 114-115, 119, 135, 143, 149, 157, 170-174, 176, 178, 183-184, 196-199, 204, 208, 211
    • ハルハ廟 204
      • ―事件 51
    • ハルビン(Харбин)34, 47, 93-94, 203
    • ハロン・アルシャン(→アルシャン)
    • ハンダガヤ 95, 205, 210
    • 東アジア 31, 34, 38, 59-60, 65-67, 74, 80, 154, 195, 201
    • 非参戦的関与 76
    • フィリピン 36-37, 74-76
    • 仏印進駐 62, 77-78
    • ブラゴヴェシチェンスク(Благовещенск)91
    • フラルキ 144
    • フランス 34, 38, 40-42, 44, 46, 160, 168
    • 北京 39, 50, 123
      • ―政府 39-43, 45
    • ペリー艦隊 36
    • ベルギー 44
    • ベルサイユ体制 42, 44, 48
    • ポーツマス条約 37, 58
    • ポーランド 66-67, 70, 209
    • ホイト・エリグ (Хойд ээрэг)203
    • ボイル湖(Буйр нуур)98, 107, 203-204
    • 奉天 47
      • ―派 45, 47
    • 奉ソ戦争 94
    • 防共回路 80-81
    • 防共障壁 80
    • 北東アジア 31-32, 34-38, 40-47, 49-50
    • 北伐軍 45
    • 北洋軍閥 39, 41, 43
    • ポシエト湾(Посьетын булан / залив Посьет)91
    • 捕虜 107, 210
    • ボルジャ(Борзя)115-117, 122, 124-125, 128-129, 132-133, 135-136, 138, 199-200
    • ホルステン川(Хулстын гол)101, 103-105, 107-108
    • ホロン湖(Хөлөн нуур)98
    • ホロンボイル(呼倫貝爾)(Хөлөнбуйр)98, 102, 108
  • マ行
    • マナ山 (Мана уул) 71, 79, 204, 210
    • 満洲 32, 34-35, 37-40, 45, 47-50, 57-63, 76, 79-80, 83-84, 123, 127, 143-145, 149, 156, 159, 188, 191, 196
    • 満洲国 31, 48-49, 51, 57, 59, 61, 64, 69, 71-72, 76, 79, 81, 89-95, 98, 100, 113, 128-129, 156-158, 181, 183, 187, 207, 210
      • ―海軍 94
    • 満洲事変 47-49, 59, 74, 76, 82, 144, 187
    • 満洲里(Манжуур хот / Маньчжурия)81, 83, 94, 126, 128
      • ―会議 51, 69, 72, 92, 165, 201
    • 満ソ国境紛争処理要綱 51, 96, 184-185, 188, 190
    • 満蒙国境 49, 51, 143
    • 満蒙問題 58-59
    • 南満州鉄道(満鉄)34-35, 37, 47, 58, 122, 126
    • 蒙疆自治政府 49
    • 蒙古聯盟 49
    • モロトフ=リッベントロップ協定 65-67, 150
    • モンゴル人民共和国(MPR) 31, 57, 61, 63, 68, 71, 113, 138
      • ―軍 65, 68, 70, 89, 92, 96, 100, 102, 104, 113, 136, 143-145, 204
    • モンゴル帝国 32-33, 81
  • ヤ行
    • ヤルタ協定 73
    • ユーラシア大陸 32-33, 35-37, 39, 43-44, 72, 75, 78, 153-154
  • ラ行
    • 羅津港(Ражин боомт / порт Раджин)91
    • ランド・パワー 31, 33, 35-50, 57, 78, 83-85, 151, 155-157, 160, 163-165, 196
    • リムランド 35-37, 43-44, 47, 57, 78, 80-81, 83, 85 154-156, 158-159, 163, 196
    • 柳条湖事件 47, 59, 90
    • 遼河平原 32
    • 遼東半島 32, 34-35, 37, 58
    • 盧溝橋事件 50, 76
    • ロシア 31-35, 37-43, 47, 58, 60, 62, 68, 78-80, 84, 115, 118, 120, 135, 149, 153, 158, 160, 168, 170-171, 172-174, 176, 178, 182-183, 195-196, 198, 200-202

---―革命 38, 42, 46, 59, 68

  • ワ行
    • ワシントン
      • ―会議 44
      • ―体制 41, 43-44, 46-48

略語

    • ABCD包囲網 75
    • GPU 64
    • MPR(モンゴル人民共和国) 68, 70, 72
    • NKVD 64, 119